3 許せないものが、3つある
「公衆の面前で、他人の生来的特徴をあげつらう
――その言動の、どこに王族としての品位がございますの?」
ミリエルは一歩、壇の中央へと歩み出る。
言葉は穏やか。だが、その一語一語が切っ先鋭い刃のように空気を裂いた。
「恥というものを、お知りになっては?」
ざわざわ……と大聖堂が微かにざわめく。
そして私は、冷静に思う。
ああ、またか。
何度転生しても、こういうヤツはどこにでも湧いて出る。
他人の身体的特徴に無自覚で無遠慮な視線を撒き散らしながら、それがさも当然のような顔をしている。
──そして、なによりも。
「わたくしが、その……リゼリア嬢、でしたかしら?その娘に何をしたと、おっしゃいますの?」
完璧なしらばっくれ。
口元に浮かぶ微笑は完璧に“悪役令嬢”の仮面を保っていた。
――なぜなら、本当に身に覚えがないからである。
「うるさいッ!!」
王太子が声を張り上げた。
「さっきから黙って聞いていれば屁理屈を並べて!リゼリアへのいじめは、こんなに証言が揃ってるんだぞ!どうせお前が仕向けたに決まってる!!」
──知らんがな。マジで。
証言? 裏が取れてる?
アホ王太子の腕に抱かれたリゼリアとかいう娘の様子からして、確かに何かしらの被害はあったのだろうけど。
だが、本気で覚えがない。
完全なる冤罪である。
どうせ「アンタ先輩に色目使ったでしょ!」みたいな履いて捨てるほどよくある話かなんかだろ。知らんけど。
ちなみに、なんだけど──
王太子殿下が腕に抱いてるあの娘。
あの娘もね、まあ私ほどじゃないけど、そこそこ“ふしだらな身体”してるのよ。
……うん、たぶんあのくらいがあのアホのドストライクなんだろうね。
いや、知らんけど。胸部装甲の厚さで人を選ぶの、普通にクソダサいからな?
ついでに言っとくと、昔から私の胸も──
こっそりジロジロ見てたからね、あのアホ王太子。
本人は「いやいやボクそんな目で見てないんで!」みたいな顔してたけど、
こっちはちゃんとわかってんだよ、そういう視線の動き。
まじで。見られてる側からしたら、わっっっっかりやすいからな。
だが、そんなことよりも――
私が本当に許せなかったのは。
この連中が、“正義の味方のふり”をしているということだ。
今、王太子の隣で得意げに突っ立っているモブイケメンの学友たち。
彼らが、あの娘と同じ“平民枠”で入学した下級生――
いまパイプオルガンを弾いている少年を、
どんなふうにいじめていたかを私は知っている。
「おいおいあんまいじめんなよー?」
「少しくらい楽才があるからって、
調子にのっちゃってるだけの平民クンなんだからさー」
「平民クンもさー、身の程をわきまえないと、
うっかり事故で指の骨とか折っちゃうかもよー?」
ってお前ら言ってたよな?
たぶんそれは本気じゃなくて、あのとき私が
「御機嫌よう、殿下。ところで……」
「御学友の皆様が、
私のペットにちょっかいをかけていらっしゃるようですが……」
「これはわたくしに対する敵対行為と受け取ってよろしいのでしょうか?」
と扇越しに睨みつけてなくとも、あの子の指は折られてなかったかもしれない。
だけど、祈るように指を掌に折り込んで震えるあの男の子を見て、ヘラヘラと笑ってる王太子とその取り巻きを見て、私は
――こいつらだけは許せない、と思った。
なお、あの子が私好みのショタエルフでもあったことが全く審理に影響しなかったといったら嘘になる。
「……興醒めですわ、殿下。」
その声に込めた軽蔑は、誇り高き悪役令嬢にのみ許された特権である。
そして私は、人斬りが刀を抜くように。
ぐるりと一度、腕を回した。
†
地方の、あの中途半端な進学校で。
中途半端な偏差値と、スクールカーストの下層と上層の狭間に漂っていた私は――
自分が“次の標的”になるのが怖くて、いじめの現場を見て見ぬふりをしていた。
誰かを庇う勇気なんて、なかった。
自分の位置が守れればそれでよかった。
それが、あの頃の「私」。
最初の転生で聖女に生まれ変わった「私」も、圧制と教義に縛られ、教会の歪みに怯えながら、
ただ祈ることで現実から逃げていた。
……祈れば人は自分は救われると、思い込もうとしていた。
けれど今は違う。
星海を揺るがす前世の大舞台で――
満身創痍でも何度も立ち上がり、最後まで信念を曲げずに戦い抜いた、私の「相棒」が教えてくれた。
渡世には、例え己の命を賭してでも通さねばならぬ“筋”がある。
あのとき、
星を巡る戦火の中で手渡された意思は、
それまでの私を焼き尽くし、
“舞台に立つ者”としての私を覚醒させた。
今の私は、かつての“私たち”とは違う。
舞台の光が、私の中で点灯する。
意識が鋭利に研ぎ澄まされ、視界の全てが“演出空間”に変わる。
「行くよ、相棒!」
そして──私は宣言する。
「この世は舞台、人々は|みな役者、そして私は脚本家」
それが、この世界で私に与えられたチートスキル。
その場を“舞台”として認識した瞬間、
私の頭に描いた脚本通りに、現実の因果律を引き寄せ、
舞台を、台詞を、動きを、観客の感情さえも意のままにする力。
私が世界を演出し、
世界が私に物語を演じさせる。
だから私は舞台を欲する。
この舞台こそが、私の世界だから。
* * *
つい先刻まで壇上の高みで勝ち誇っていた王太子アルトリウスの顔が、ミリエルから立ち上る何かを感じ取ったように、ぴくりと引きつった。
空気が変わる。
聖堂の奥にまで張り詰めた静寂に、一滴の毒が垂らされたように、全てが静かに揺らぎはじめる。
ミリエルは、静かに一歩、前へと進み出る。
コツ、と鳴るヒールの音が、聖堂の床を削るように響き渡る。
深紫と漆黒のドレスがふわりと揺れ、夜の帳のように場を染めていく。
ステンドグラスから差し込む光が、彼女の銀髪を縁取る。
その輝きはまるで夜空に浮かぶ蒼白い太陽。
表情こそ静かだが、その瞳に宿る光は、見る者の魂を試す審判の刃。
「このミリエリス・アルフェリード、
この世に生を受けて二百と二十余年──」
その声に呼応するように、パイプオルガンが低く吠えた。
狼の遠吠えのような旋律が、聖堂を満たしていく。
荘厳で、どこか哀切を帯びたその調べは、まるでこれから始まる真の断罪劇の序曲に他ならない。
「許せないものが、三つある」
囁きのような言葉が、舞台も台本もないはずのこの場に“物語”を侵食させていく。
観客席が息を呑む。
誰も動けない。誰も笑えない。誰も、目を逸らせない。
「ひとつ。無知を恥じずに、誇る者」
ず……と壇上のアルトリウスが小さく後退りした音が、やけに大きく響いた。
「ふたつ。弱きを守らず、嗤う者」
名指しされたわけでもないのに、取り巻きの青年たちが一斉に視線を逸らす。
その肩が震えたのは、寒さのせいではない。
「みっつ。お前らみたいな──」
ここでミリエルの声が低く、鋭くなる。
「……血統書がついてるだけの、くだらん家畜」
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、銀河の最果てのように冷たく澄み渡り、研ぎ澄まされていた。
その眼光の一閃が、まっすぐに王太子アルトリウスを貫く。
その瞬間。
“立場”も、“血統”も、“正義”も。
何の役にも立たないことを、王太子自身が震える唇を噛みながら確信していた。
聖堂にいた誰もが、息を呑んだ。
空気が一瞬、凍りつく。
「な、何を言って……!」
王太子アルトリウスの声が震える。
その額には、細かな汗が滲んでいた。
自分でも気づかぬうちに、脚が後ずさっている。
ミリエルはゆっくりと、長い銀髪を結い上げる。
流れるような動作で、そのまま肩をぐるりと回し始めた。
意味はない。ただの儀式だ。
それでも彼女は、淡々と肩を回す。
先刻まで共に生きるはずだった男への、少し早い鎮魂歌のように。
「ま、待て……!
ぼ、ぼくは王太子だぞ……!」
「いくらアルフェリード家の娘でも、
そんなことをしたら……し、死罪……!」
「ほう……そうかい。御忠告、ありがとよ」
どこか遠い星の海を渡ってきたような、熱く乾いた声。
「──なら、本気で殺す気でやんなきゃ、元が取れねぇな」
ネコ科の猛獣のような笑み。
「歯ぁ食いしばれ。誓いのキスの代わりだ!」
言葉が終わるより早く。
空間を裂く音と共に、ミリエルの拳が王太子の顔面にめり込んだ。
その一撃は、音を、時間を、全てを置き去りにした。
一拍遅れて。
聖堂を貫く轟音と、重低音のような衝撃波。
アルトリウスの身体は、台風に吹き飛ばされた鉢植えのように
空中で二転三転し、
豪奢な礼拝席を巻き込みながら、木っ端微塵に崩れ落ちた。
空気が、崩壊する。
しかし、厳粛なる大聖堂は、
依然として「舞台」のままだった。
そして誰もが直感として悟った。
――ここからが、第二幕の開演なのだと。




