34 伝統も、売れなければ死ぬ
同期ライブの開催が発表される、前日。
エリュシアと組むかどうかなんて、考えもしなかった。
確認するまでもない。
私が剣を取れば、エリュシアが歌う。エリュシアが息を吸えば、その長さに合わせて私が踏み込む。
幼い頃から、ずっとそうだった。
「ルフェ」
「うん」
それだけで、私たち二人のユニット結成は決まった。
問題は、あと一人。
ミーナ教官から課された条件は、最低三人。誰でもいいから頭数を揃えればいい、というわけではない。
私は剣舞。
エリュシアは歌唱。
二つを並べるだけでも、演目としては成立する。
けれど、それだけでは足りない。
私たちが舞台の上で取り戻したいものは、二つではなく、三つだったからだ。
歌唱。
剣舞。
そして、舞踏。
楽聖タッカーシが現れ、神殿文化を根底から作り変える以前。
この三つは、神前奉納における絶対的な主流だった。
歌が祈りを天へ届け、剣が穢れを切り払い、舞が神の祝福に肉体を与える。
三つが揃って、初めて一つの奉納になる。
センターも、人気投票も、胸部装甲の査定もない時代。
歌い手と剣手と舞手が、それぞれに異なる役割を担い、互いを食い合うことなく、一つの祈りを完成させていた。
今でも、それらの芸能は残っている。
消滅したわけではない。
神殿から《伝統奉納芸能》の指定を受け、保護され、年に何度か披露されている。
――保護。
優しい言葉だ。
けれど、芸能の世界で“保護されている”というのは、大抵の場合、“もう自分の力では立っていられない”という意味でもある。
祭礼の昼前。
客席がまだ埋まりきっていない時間。
華やかな神殿アイドルたちが登場する前の、場をつなぐ演目。
演者は誇りを持って舞台に立ち、観客も敬意を込めて拍手する。
けれど、誰も名前までは覚えて帰らない。
アルヴァレア家の聖唱も。
アルディス家の剣舞も。
補助金と、わずかな弟子と、先祖から受け継いだ義務感だけで、どうにか息をつないでいる。
だから、私とエリュシアはここにいる。
家から託されたのは、伝統を守れという綺麗な言葉だけではない。
神殿巫女になれ。
もう一度、我々が表舞台の主役になるのだ。
できなければ、私たちの代で終わってもおかしくない。
私たちの実家は、もうそんなところまで来てしまっているのだ。
存続と衰退を賭けた、最後の奉納。
それが、私たちにとっての神殿アイドルだった。
「やっぱり、あの子しかいないと思う」
エリュシアが、舞踏室の奥を見ながら言った。
鏡張りの広い舞踏室ではない。
そのさらに奥。今ではほとんど使われていない、古い奉納舞の稽古場。
軋む木戸を押し開けると、板張りの床を踏む、微かな足音が聞こえた。
一人の少女が、踊っていた。
セレフィー・ヴァレル。
深い翠色の髪を高い位置で一つに束ねた、長身の少女。
体格は、舞踏家としては目を引くほど豊かだった。静止していれば、多くの者は、まずその胸元を見るだろう。
けれど、彼女が動き始めれば、視線は足先から離れない。
重心が沈む。
爪先が床を撫で、腰が遅れて弧を描く。
両腕を大きく広げているのに、軸は微動だにしない。身体のどの部分が、どの瞬間に、どれだけの重さを受け渡しているのか。そのすべてが、見えるようだった。
華やかさを誇示する動きではない。
観客へ笑顔を振りまくわけでもない。
ただ、祈りを身体に通し、その軌跡だけを床と空間に残していく。
ヴァレル家の奉舞。
私たちの家と同じく、タッカーシ以前から続く、古い神前芸能だった。
エリュシアが、小さく息を吸った。
歌が始まる。
楽器も、譜面もない。けれど、セレフィーの足が刻んでいた呼吸へ、エリュシアの声が、最初からそこにあったように重なった。
セレフィーが一瞬だけこちらを見る。
それでも、踊りは止めなかった。
私は壁に立てかけられていた祭礼用の模造剣を取った。
歌に合わせ、剣を抜く。
エリュシアの声が、祈りを天へ押し上げる。
私の剣が、その道を切り開く。
セレフィーの身体が、降りてきた光を受け止める。
三つの異なる芸が、ぶつかることなく、一つの流れになった。
ほんの短い時間。
古びた稽古場から、壁の染みも、軋む床も消えたような気がした。
そこにあったのは、楽聖タッカーシが現れるよりも前。
歌と剣と舞が、神殿芸能の中心だった時代の景色だった。
最後の音が消える。
セレフィーは両腕を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
「……勝手に入ってきて、勝手に歌って、勝手に剣を振るんですね」
「ゴメン。それは本当にそう」
エリュシアが素直に頭を下げる。
「でも、止めなかったでしょ?」
私が訊くと、セレフィーは黙った。
止めるどころか、途中から明らかに私たちの呼吸を拾っていた。
エリュシアの歌に合わせて歩幅を変え、私の剣先が作った空間へ、正確に身体を滑り込ませていた。
偶然ではない。
「私たちと組まない?」
セレフィーの目が、少しだけ細くなる。
「二人なら、それだけで演目として成立するでしょう」
「成立はする。でも、完成はしない。違う?」
歌唱と剣舞だけでは、祈りは天へ昇ったままだ。
地上へ降ろし、人の目に見える形を与える舞踏がいる。
「あなたの舞踏が必要なの」
エリュシアが、真っ直ぐに言った。
「私たちの引き立て役としてじゃない。三人目の主役として」
セレフィーの表情が、一瞬だけ動いた。
ほんの一瞬。
何かを疑うような、諦めていた言葉を不意に聞かされたような顔。
けれど、それはすぐに消えた。
「古い神前芸能を、そのまま再現するつもりですか?」
「それじゃ勝てないね」
私は答えた。
エリュシアが驚いて、こちらを見る。
「ルフェ?」
「だって、そうでしょ。伝統芸能だけで客を呼べるなら、私たちの家は困ってない」
古い形式を、一字一句、一挙手一投足変えずに保存する。
それは大切なことだ。
けれど、保存するだけなら記録水晶でもできる。
芸能は、誰かが見て、心を動かされて、初めて生きる。
「楽曲は、いまの神殿で人気のものを使う。必要なら、タッカーシが遺した《異界歌》だって選ぶ」
今では神殿ライブの定番となった異界歌。
耳に残る旋律。激しい転調。感情を直接揺さぶる歌詞。
私たちの先祖から主役の座を奪った音楽。
それでも、勝つために必要なら使う。
「そんなことをしたら、私たちの芸まで、今の神殿アイドルと同じにならない?」
エリュシアの不安もわかる。
守るために舞台へ出て、舞台に合わせるうちに、守るべきものまで失ってしまう。
そうやって消えた芸能も、少なくない。
セレフィーが、静かに首を振った。
「曲は、衣装に過ぎません」
私たちは彼女を見る。
「時代に合わせて着替えればいい。でも、身体の使い方まで変える必要はない」
自分の胸元へ、そっと手を当てる。
「歌の発声。剣の軌道。舞踏の重心。それが、私たちの背骨であり、身体です」
低く、迷いのない声だった。
「新しい曲を使っても、背骨まで入れ替わるわけじゃない」
その言葉で、決まった。
流行を拒絶しない。
観客へ届くことから逃げない。
転生者が持ち込んだ楽曲も、演出も、舞台装置も、勝つためなら全部使う。
そのうえで。
歌唱、剣舞、舞踏。
三つの神前芸能の背骨だけは、決して折らない。
「私たち、たぶん、今どきの神殿巫女とは少し違うものになるね」
私が言うと、エリュシアが首を傾げる。
「え?神殿巫女になるんでしょう?」
「なるよ。ただ、笑顔で祈りを集めるだけじゃない」
「じゃあ、どうするの?」
「芸で、祈らせる」
可愛さも、流行も、異界歌も拒まない。観客に見てもらうために必要なものは、すべて使う。
それでも最後に観客の胸へ残すのは、歌と、剣と、舞。
古い祈りを、今の舞台でもう一度生き返らせる。
それが、私たちの神殿アイドルだった。
「私たち、家の伝統に縛られてるのかな」
エリュシアが、ぽつりと言った。
歌唱。剣舞。舞踏。
それぞれの家から受け継いだ、美しく、古く、放っておけば枯れてしまう芸。
「薔薇みたいですね」
セレフィーが言った。
「手をかけなければ咲かない。棘があるから、抱き締めれば傷つく。それでも、捨てられない」
「で、私たちは、その薔薇につながれた鎖ってわけか」
私がそう言うと、エリュシアは少しだけ寂しそうに笑った。
「鎖は、縛るだけじゃありません」
セレフィーが、私たち二人を見る。
「離れていたものを、もう一度つなぐこともできます」
三輪の薔薇。
それを、一本の鎖でつなぐ。
「《Rosary†Chain》」
口に出してみる。
美しいだけではない。
過去に縛られながら、その過去を武器にして、この時代の舞台を奪い返す。
私たちには、よく似合う名前だった。
エリュシア・アルヴァレア。
ルフェリア・アルディス。
セレフィー・ヴァレル。
三人の名前と、その上に記されたユニット名。
《Rosary†Chain》。
こうして、三つの古い神殿芸能をつなぐユニットが結成された。
そして翌朝。
「三週間後――今年度の新入候補生による《同期奉納ライブ》を開催します」
ミーナ教官の発表に、研鑽室中から悲鳴が上がった。
けれど、私たち三人は声を上げなかった。
エリュシアが、机の下で両手を握る。
セレフィーは目を閉じ、指先で静かに拍を刻んでいる。
私は水晶板に表示されたユニット一覧を見る。
《Seraphic†Night》。
銀髪の元公爵令嬢を中心とした、華のある三人組。
強いだろう。
それでも。
「勝とう」
私が言うと、エリュシアが頷いた。
「もちろん」
セレフィーも、ゆっくりと目を開く。
私たちは、伝統を保護してもらうために集まったのではない。
もう一度、この時代の主役になるために神殿に集まったのだ。




