25 ちょいギャルエルフたちのいたところ
廊下の空気が、冷たくて、重い。
両脇を歩く双子の手が、私の制服の裾をぎゅっと握っている。
その指先が、小刻みに震えているのが伝わってくる。
「リュミ姉……」
「大丈夫だよね……?」
大丈夫。大丈夫だよ。
口にしたかった。でも声にならなかった。
だから、ふたりの手をぎゅっと上から握り返すだけで精一杯だった。
†
アッシュバック──第五外環の灰の裏路地。
私たちはそこで育った。
親が忙しかったり、帰ってこなかったり、最初からいなかったり。
そういう子どもたちの受け皿になっていたのが、路地の奥にあるボロい教会だった。
壁はひび割れ、屋根は雨漏りだらけ。聖堂と呼ぶには申し訳ないくらい小さな礼拝所に、すり減った長椅子が五つ。
そこが、私たちの学校だった。
年老いた司祭様──私たちは「先生」って呼んでた──が一人で維持していた。
読み書きを教えてくれて、計算を教えてくれて、たまに、世界の広さの話をしてくれた。
「お前たちが、いつかここから外の広い世界に巣立っていく日のために」って。
怒鳴りもせず。殴りもせず。
貧しい家に生まれた子どもたちが道を外さないように。
裏路地に生まれたことが原罪とならないように。
そんな子どもたちの背中を押すことができますように。
そんな祈りを女神に捧げるように、育ててくれた人だった。
祈りも食べ物も質素で、灯りは弱くて。
それでも、あの場所はあたたかかった。
大切な、場所だった。
ノエルとエルナは私より年下で、教会に来たときはまだ手を繋いで歩くのがやっとだった。
二人ともすぐ泣くし、すぐ転ぶし、すぐ迷子になるし。
気がついたら、私がお姉ちゃん役をやってた。
「先生ー、あの子たちまた泣いてるんだけどー」
「はは、頼んだよリュミエ。お前は面倒見がいいな。子どもたちからも懐かれる。それはお前の才能だよ。きっと良いシスターになれる」
「え、シスターってなれんの? ウチでも?」
「なれるとも」
嬉しかった。
将来はシスターになって、この教会を先生と一緒に続けていこう。
そう思ってた。
だけど。
──容姿に恵まれた、というのは、アッシュバックでは呪いに近い。
ある時期から、少し年上の「羽振りの良い」連中が私に近づいてきた。
最初は小遣いをくれた。お菓子をくれた。綺麗な服をくれた。
何も知らなかった私は、少し背伸びをしてしまって、ふらふらとそっちに流されそうになった。
そのときも先生が、必死になって手を引いてくれた。
「みんなのところに、戻ってきなさい」
しわだらけの手で、痩せた腕で、子どもの私の手を引いて。
「えー、だって服とかお小遣いくれるし、みんな優しいし」
「リュミエ」
「……わかったって。わかったから、そんな顔しないでよ、先生」
だから私も踏みとどまれた。
先生は、私を大切な場所に戻してくれた。
──そう思ってた矢先だった。
今度は、ノエルとエルナが狙われるようになった。
年頃の女の子らしく見目がよくなってきた二人に、地元の半グレの頭目が目をつけた。
容姿の良い双子を両脇に侍らせれば良いアクセサリーになるし楽しめる。そんな下卑た大人に。
執拗だった。
断っても断っても、しつこく付きまとってきた。
教会の前で待ち伏せされたこともある。
双子が怯えて泣きながら教会に駆け込んできたことも、何度あったかわからない。
中央からも半ば見捨てられている貧困区の教会なんて、無力だった。
憲兵に訴えても、「スラムの問題はスラムで片付けろ」と言わんばかりの対応。
誰も助けてくれなかった。
そんなとき、先生が最後の手段といったように考えてくれた。
「神殿巫女の候補生になれば、身の安全は保証される。手を出せば神殿が黙ってないからな」
「巫女からシスターや司祭になる道もある」
光が見えた気がした。
「マジで!? 先生それ早く言ってよ!」
「簡単な道じゃないぞ、それでもやるか?」
「やる! ウチら絶対やるから! ね!?」
振り返ると、双子が必死に頷いてた。
三人で必死に努力した。
祈祷の作法を覚え、聖歌を練習し、舞踏の基礎を叩き込んだ。
ボロい教会の床で、擦り切れた聖典を回し読みして。
巫女候補生を目指す子たちが参加する小さなイベントでも結果を出して。
候補生の推薦には、その地区を統括する司祭の承認が必要だった。
権力ゲームや政治的な駆け引きが苦手な──というより、そういう世界を嫌って距離を取り続けて生きてきた先生が、いけすかない統括司祭に頭を下げに行ってくれた。
私も同行した。
立派な聖堂の応接室で、先生が深く、深く頭を下げる。
統括司祭は鼻で笑った。
「裏路地の孤児なんぞを、巫女に推薦しろと?」
先生は何も言い返さなかった。
ただ、もう一度頭を下げた。
私は後ろで立ったまま、両手を握りしめていた。
爪が手のひらに食い込むあのときの痛みと、先生の大きな背中を。
私は一生忘れないだろう。
──結局、統括司祭は折れた。
気まぐれか、面倒になったのか、あるいは本当に少しだけ心が動いたのか。
理由はわからない。
私たち三人の巫女候補生内定が決まった。
喜びに沸いた。
抱き合って泣いた。
ノエルとエルナが「リュミ姉すごい!」って飛びついてきて、三人でぐちゃぐちゃに泣いて笑った。
「先生! 決まったよ! 三人とも!」
「そうか……そうか」
「泣いてんの? ちょっとー、先生が泣いたらウチらまた泣いちゃうんだけど!」
「泣いとらん。……泣いとらんよ」
もうすぐこの路地ともしばらくお別れだね、なんて。
浮かれた日が何日か続いた。
──そんなとき、教会にボヤが出た。
「あの三人がオンボロ教会のジジイの口利きで神殿に逃げ込むらしい」──そんな話が、どこからか漏れたのだろう。
面子を潰されたと思ったあいつらの、報復だった。
礼拝所の壁が黒く焼け焦げた。
すり減った長椅子のうちの一つが、炭になった。
幸い、火はそこで止まった。
でも、先生は──倒れた。
火傷でも、煙でもない。
全部を一人で抱え込んで、答えの出ない問いに押し潰されるようにして。
ある朝、教会の床に倒れていた。
ベッドに横たわる先生の手を握りながら、報告をした。
「先生、神殿に行く日取り、決まったよ。三人とも、来月から候補生として神殿に入れるよ」
先生は、目を閉じたまま、それでも笑った。
実の孫娘たちのことのように喜んでくれた。
「よかった……よかったなぁ……」
「くれぐれも身体には気をつけて、無理はしないようにな」
「……先生のばか。自分の心配しなよ、まず、さ」
声が震えた。
泣いたら双子が不安になるから、泣かないって決めてたのに。
ぎゅっと握った手の中で、先生の指が弱々しく動いたのを感じて、唇を噛んだ。
†
だからきっと、これは罰なんだ。
巫女候補生になれて、神殿っていう清潔で安全な場所で、何にも怯えずに暮らせて。
甘い夢を見て舞い上がっていたお馬鹿さんへの、罰なんだ。
楽園に逃げ込めたと錯覚してた。
ミーナ教官が初日に教えてくれたのに。
「ここは戦場だ」って。
貴族。
ほんの数百年前まで、気に入らない平民を人間松明にして闘技場の殺し合いを照らして笑って観ていた人たち。
逆らえば何をされるかわからない、この国の支配者。
ミリエルもリゼリアも気さくそうだし、大丈夫だろうと──馬鹿な私たちは、無邪気に、その尾を踏んでしまった。
医務室のベッドで震えた。痛みじゃない。
自分がとんでもないことをしてしまったという、遅すぎる後悔に。
──部屋に戻ったら、実家からの言伝が届いていた。
どこかの貴族の馬車が弟宛に林檎を届けに来た、と。
肺が、裏返るような冷たさが走った。
慌てて一時外出の申請を出した。
手が震えて、字がまともに書けなかった。
実家に飛んで帰った。
弟が無事でありますように。
その林檎には、何も入っていませんように。
弟がいまも笑顔でいてくれますように。
そう、必死で祈りながら。
家のドアを開けると、弟が目を輝かせて走ってきた。
「すっごい美味しい林檎だよ! 半分取っておいたからリュミ姉も食べて食べて! 神殿巫女ってすごいんだね!!」
無邪気に笑う弟の顔を見て、心臓が止まるかと思った。
内心を気取られないようにするのが精一杯だった。
両親には「神殿からの候補生になったお祝いのサプライズイベントなんだ」と説明した。
心配をかけたくないから。
お祝いのサプライズなんかじゃない。
あれは「お前の家族はここにいるんだよな?」ということだ。
どんな足取りで神殿に戻ったか思い出せない。
……私はどうにでもなる。
でも、双子は神殿を追い出されたらどうなるかわからない。
あいつらの手が、また伸びてくる。
焼け焦げた教会で、倒れてる先生の横で二人が連れ去られる未来しか想像できない。
まだ小さい弟も。
最悪、私があの二人の──貴族の奴隷にでもなれば、どうにかなるだろう。
……というか、それ以外の選択肢が私には思い浮かばない。
その選択肢が無意味だったら。
──そんなことなんて、考えられない。
怖くて、考えることができない。
†
廊下の突き当たり。
あの二人がいる部屋の前に辿り着いた。
「じゃ、じゃあ──行ってくるから!」
振り返って笑った。
自分でもわかるくらい、下手くそな笑顔。
双子の目が、揺れる。
片方が唇を震わせて、もう片方が拳をぎゅっと握った。
「リュミ姉、やっぱり私たちも──」
「一緒に行く……!」
「ダメだよ」
二人の肩に手を置いた。
「大丈夫。私は二人のお姉ちゃんだから」
無理やり、余裕の笑顔を作る。
口角を上げて、目尻を下げて。
先生がいつもしてくれたみたいに。
「リュミ姉に任せて。絶対、大丈夫だから」
双子は何か言いたそうに口を開いて──でも、何も言えなくて。
泣きそうな顔で、小さく頷いた。
もし私が夜の点呼までに戻らなかったら、ミーナ教官に私が戻ってないということだけを伝える。それが二人にしかできない、万一のときに私を守る大事な仕事だ、って言い聞かせて。
背を向ける。
あのときの先生の背中を思い出して。
大丈夫だからと、後ろにいる子どもを安心させるように。
――それでも、不安でたまらなくて震えてしまう指で、ミリエリス嬢の個室の扉を
ノックした。




