20 神殿アイドル候補生の朝は早い
朝の鐘が鳴る前、神殿の巫女候補生たちの一日は始まる。
まだ夜明け前の午前五時。薄暗い寮の廊下に、ぱたぱたと素足の音が響く。共同の洗面所では、寝ぼけ眼の少女たちが順番待ちの列を作っていた。
「おはよー……眠い……」
「リゼリア、髪留め貸して」
「私の櫛、誰か見なかった?」
鏡の前は戦場だ。限られた時間で身支度を整え、朝の祈祷に間に合わせなければならない。
私は手早く顔を洗い、銀髪を一つに結い上げる。隣では、リゼリアが慣れた手つきで髪をとかしてた。その向こうで、エリュシアが寝癖と格闘している。
「エリュ、動かないで」
ルフェリアが後ろから手を伸ばし、慣れた手つきで髪を整えてやる。この二人、完全に夫婦じゃん。
「ありがと、ルフェ……」
「はいはい、じっとしてて」
朝食は大食堂で。
長いテーブルに並んで、ハーブの香る粥と蜂蜜を落とした黒パンを頬張る。
「今日の午前は発声練習でしょ?」
「また音程チェックある……憂鬱」
「午後の舞踏、まだ振り付け覚えてない子いる?」
会話は実務的だ。みんな、必死なのだ。神殿アイドルという狭き門を通るために。
食堂の隅では、上級生たちが既にフォーメーションの確認をしている。来月の定期公演に向けて、朝食時間すら惜しいのだろう。
「あの先輩たち、いつ寝てるんだろ……」
誰かの呟きに、みんな無言で頷く。いずれ自分たちもああなるのだと、薄々気づいているから。
食後は礼拝堂での朝の祈り。整然と並んだ巫女候補生たちが、聖歌を歌い上げる。まだ完璧には程遠いハーモニーだが、それでも神聖な空気が漂う。
礼拝堂の高い天井に響く歌声。ステンドグラスから差し込む朝日が、少女たちを七色に染める。この瞬間だけは、誰もが等しく神聖な存在に見えた。
そして、一日の研鑽が始まる。
発声練習室では、ミーナ教官が容赦なくダメ出しをしていく。
「音程甘い!腹から声出して!」
「そこ、ブレス位置違う!」
「感情込めすぎ。まず正確に歌えるようになってから」
一人ずつ前に出て歌わされる。みんなの前で失敗する恐怖と、それでも上達したいという願望がせめぎ合う。
舞踏室では、基礎練習の繰り返し。同じステップを何度も何度も。鏡に映る自分の姿を確認しながら、少しずつ形を整えていく。
「足の角度!もっと外!」
「重心低すぎ。もっと軽やかに」
「笑顔忘れてる子、誰?」
「そこの双子ちゃん! 呼吸がバラバラ!」
床は汗でぬるぬるになり、足はもつれ、それでも止まることは許されない。
「はい、五分休憩!」
その声と同時に、みんなその場に崩れ落ちる。
「死ぬ……」
「まだ午前中なのに……」
「水、誰か水……」
リゼリアだけは、休憩中も鏡の前で動きを確認している。その執念に、正直ちょっと引く。
昼休みは短い。売店で軽食を買って、練習室の隅で食べる。疲れ果てて床に座り込む子もいる。
「筋肉痛やばい……」
「明日の小テスト、範囲どこまでだっけ」
「誰か肩もんで……」
売店のおばちゃんは、へとへとの候補生たちに優しい。
「はい、今日はサービスでクッキー一枚おまけ」
「わー!ありがとうございます!」
小さな幸せが、午後への活力になる。
午後は座学。神殿の歴史、礼儀作法、ファンサービスの心得。眠気と戦いながらノートを取る。
「神殿アイドルとは、民衆の祈りを集め、それを神へと捧げる器である……」
講師の声が子守唄のように響く。隣の席では、誰かが船を漕いでいる。
「質問のある者は?」
シーン。
「……では、次の章に進む」
ノートには、だんだんミミズのような字が増えていく。
そして夕方、ようやく自主練習の時間。それぞれが思い思いの場所で、歌や踊りを磨く。
私はいつもの舞踏室で、リゼリアの練習を眺めている。彼女の動きは日に日に洗練されていく。その真剣な横顔に、ついつい見とれてしまう。
「お姉さま、見てないで一緒に踊りましょうよ」
「えー、疲れたし……」
「ダメです!お姉さまこそ、もっと練習しないと!」
結局、彼女に引っ張られて練習に付き合わされる。でも、悪くない。
別の練習室からは、エリュシアの歌声が聞こえてくる。
夕食後は入浴時間。大浴場は一日の疲れを癒す唯一の場所だ。湯気の中で、ようやく素の自分に戻れる。
「はー、生き返る……」
「明日も早いよね」
「でも、今日より明日の方が上手くなってるはず」
湯船に浸かりながら、みんなそれぞれの夢を語る。
「私、いつか聖女になりたい」
「私は……とりあえず、次の査定で落ちなければ」
「現実的すぎない?」
たまに、先輩たちの噂話も聞こえてくる。
「あの先輩、劇場都市のエージェントからスカウトきたらしいよ」
「えー!すごい!」
「でも、結局断ったんだって。大聖女への道を諦めたくないって」
夢と現実の狭間で、みんな必死にもがいている。
就寝前の点呼を終えて、部屋に戻る。
相部屋では、まだ明日の予習をしている子もいる。小さな灯りの下、必死にステップを覚えようとしている。
「もう寝なよ。明日起きれなくなるよ」
「あとちょっとだけ……」
窓の外では、月が静かに輝いている。神殿の尖塔が、その光を受けて銀色に光る。
ベッドに潜り込みながら、私はぼんやりと考える。
この生活、正直きつい。
でも、なんだかんだで楽しい。
仲間たちと一緒に、同じ目標に向かって努力する日々。
いままでの前世では味わえなかった、青春というやつなのかもしれない。
「お姉さま、まだ起きてます?」
隣のベッドから、リゼリアの声。
「ん?どうした?」
「明日も、一緒に頑張りましょうね」
「……はいはい。ほどほどにね」
暗闇の中でも、彼女の笑顔が見えた気がした。
──明日は、もっと輝けますように。
これが、神殿アイドル候補生の日常。
華やかな舞台の裏側にある、地道で必死で、でもどこか愛おしい毎日だった。




