19 忘れられた庭を映す鏡
神殿の自室に戻った私は、ベッドに横たわりながら考えていた。
大浴場でのエリュシアの姿。
あの猫背と、体育座りと、自分を隠すような仕草。
「あの様子は……そういうことなんだろーなー」
大浴場のエリュシアの姿を思い出しつつ、
私は禁書庫で得た“くだらないけど重要すぎる知識”を反芻していた。
胸部装甲が厚い子は、神に選ばれし存在。
胸部装甲が薄い子は、信仰が足りない。
──そう信じられているこの世界の空気を、
私は吸うたびに、ほんの少しずつ肺を汚されていく気がしている。
今では誰も疑わないこの“信仰”も、
もとはただの趣味だった。
たった一人の、どうしようもなく節度のない転生者によって持ち込まれた、個人的な偏愛。
その名は──タッカーシ。
響きは庶民的だが、歴史上の重要人物である。
彼は《平成のアイドル文化》という信仰体系を抱えてこの世界に転生し、
余りある業の深さで、我が国の聖域──神殿制度に爪痕を残した。
曰く。
「センターは“揺れる”子がやるべき」
……あまりに俗だ。
タカシが元いた業界ですら、そんな文化はなかった。
けれど、そのわかりやすさが刺さってしまった。
未だ形を持たず眠っていた民衆の悪意に。
それまでのこの世界において、胸部装甲の厚さと社会的価値が直結する文化はなかった。
むしろ「華奢で控えめな美」が正統。
スレンダーなシルエットこそ“調和と祈りの器”として尊ばれていた。
アルフェリード家の祖先にあたる女神官の像など、どれも胸部装甲はフラットだ。
肖像画にも盛りはない。
当時の価値観では胸部装甲はどうでもよく、
背筋やうなじ、手の角度にこそ“神の調べ”が宿るとされていた。
──それが、約五百年前に上書きされた。
タカシは芸術家でも軍人でも救世主でもない。
ただのドルオタで、ただの演出屋で、ただの胸部装甲好き。
それでも彼がプロデュースした神殿アイドルは爆発的に売れた、
祭礼の舞は歌に、祈りは声援に変わった。
厚ければセンター、薄ければ隅へ。
彼はそれを“神の見えざる手”と呼んだ。
当時のハイエルフ評議員たちも困惑していた。
「なぜ胸ばかり見るのだ?」
「ないことが不利になる理由は?」
「乳房は授乳器官にすぎない。巫女に必要なのは祈りと舞の深度ではないのか?」
当たり前の疑問だった。
だが、タカシと彼の推し──厚い胸部装甲を持つ“選ばれし巫女”たち──が世界を席巻するのに、時間はかからなかった。
五百年。
それだけあれば、どんな歪みも文化に溶ける。
現代の人々はもう疑問を抱かない。
胸部装甲こそ信仰の証。
センターは“揺れなければ”務まらない。
……そんな世界に、私は生きている。
私は胸部装甲が厚い。
それも“かなり”の部類だ。
神殿に入った日から、視線は必ず胸元に落ちてきた。
祈りを求める目が、肌をなぞるように流れていく。
神を見ていない。祈ってもいない。
ただ“胸部装甲、ありますか?”と確かめている。
笑えるだろう?
世界は、たった一人の転生者によって、
価値をうなじから胸へ移された。
私は、そんな世界でセンターを目指す。
皮肉と諦めを、笑顔の奥に仕込んで。
──気づいている。
このステージはタカシが造った。
この神殿は、もう神のものじゃない。
彼は世界を救わなかった。
ただ、嗜好で塗り替えただけだった。
そしてそれは祈祷魔法から派生し体系化された美容魔法により、外見至上主義という名の呪いを正当化し、この世界に深い闇の帳を落とした。
タカシという名の楽聖が遺したのは、愛ではなく偶像崇拝の構造であり、平等ではなく新たな階級制度だった。美しさという絶対的な価値観が、祈りという神聖な行為すら歪め、人々の魂を蝕んだ。
……私の前前前世が息づいていた国も、かつては同じ美的感覚を持っていたという。
うなじや指先に宿る静けさを尊び、胸部装甲は専ら母性の象徴でしかなかったという。
それが維新とともに、黒船に乗って外からの胸部装甲信仰が押し寄せ、
ほんの数十年で価値観は塗り替えられたという。
その国にとっての黒船が、
この世界では──転生者だった。
原初、“エルフ”とは、
光の領域に住まう神性存在であった。
それらは、ひとの空想のなかで幾たびも姿を変えた。掌に載るほど小さく、花の中に眠る妖精──あるいは、霧の彼方に棲まう高貴なる影。
…そして、ある指輪をめぐる旅のなかで、
エルフは、森と詩と哀しみを纏う種族としての輪郭を与えられる。
やがてその輪郭は、物語の骨格となる《ルールブック》に記述され、賽を投げ幻想を手繰る者たちの遊戯へと組み込まれていった。
その血脈は大陸を越え、
かつて私の前前前世が生きていた国へと届いた。
届いたエルフは、確かに高貴ではあったが── オールバックに結い上げられた髪、天を指すように縦に伸びた耳、劇画調の硬質な面差し。 それは、偶像という概念からは遠く隔たった、峻厳なる美の体現者だった。
受け取ったその国は、
輸入された幻想に、静謐さと儚さという独自の美意識を重ね書きした。
縦に伸びた耳は横へと広がり、繊細な曲線を描くようになった。 厳格に結われた髪は解き放たれ、風に舞い、月光に揺れることを許された。 硬質な劇画の線は柔らかくほどけ、見る者の心を包み込んだ。
かくして生まれたのが、「和製エルフ」──
異国の夢と、かつての原風景が溶け合い、
ひとの心の奥に棲まう偶像として結晶したもの。
胸部装甲信仰という新興の外来種に追われ、地上から姿を消した静謐な美意識は──
深き無意識の海へと沈み、
幾千年の夢の底で、古き記憶と交わり、
やがてひとつの形を結んだ。
それは原初より在りし、ひとの魂に刻まれた偶像──
忘れられた庭を映す鏡。
それが、和製エルフという名の、神話からサルベージされた至高のアーキタイプ。
静謐さと儚さを纏ったその幻想の種族は、
失われた美の原風景を宿し続けるはずだった。
──そのはず、だったのだ。
エルフの静謐な祈りのような美ですら、
一人の転生者に簒奪されてしまったのだ。
――だから私は、この汚れた舞台の上で踊る。
タカシが作った檻の中で、それでも聖女を目指して。
ああ、もちろん知ってる。
――元・本職だから、痛いほどわかってる。
和製エルフが“至高のアーキタイプ”でいられたのなんて、ほんの一瞬だった。
「和製エルフ=控えめ」なんて神話は、最初にその姿を結晶させた、たった一人のエルフが生んだ幻想にすぎない。
それ以外のエルフたちは、最初からけっこう盛ってたし、今や『森の恵み』とばかりに盛りに盛られるのがスタンダード。 もはや「森の民」ではなく「盛りの民」と言っても過言ではない。
つまり、エルフの“静謐な美意識”なんて、そもそも存在していなかったのかもしれない。
幻想のなかの幻想。
けれど──
そういう儚いものにすがりたくなるのが、
たぶん、ファンタジーってもんじゃない?




