18 クローゼットの中にいる私
エリュシアと一緒に部屋に戻る途中、何人かの同期生とすれ違った。
「あ、エリュシアちゃん! 自己紹介、すごい可愛かったよー!」
からかい半分、本心半分でそんなことを言われた、エリュシアの顔が熱くなる。
「もーっ!ルフェのばかー!なんであんなこと言うのよー!」
部屋に戻るなり、エリュシアが頬を膨らませる。
ああ、この仕草。昔から変わらない。
「だって事実じゃん。あんな自己紹介されたら、みんなドン引きでしょ」
私は眼鏡を外し、ベッドの端に腰かける。
曇ったレンズを拭きながら、ぼやけた視界の中で、腕組みしたエリュシアの影が見えた。
「でも!せっかくミーナ教官の前で良いところ見せようと思ったのに……!」
「“神の声を聴きました”が?」
「うぅ……」
図星。しゅんと縮こまるエリュシア。
つい、口元が緩んでしまう。
……本当に、変わらないな。
いや、変わってしまったところも──たくさん、あるけれど。
「あ、お祈りの時間だ」
エリュシアが慌てて立ち上がる。
部屋の隅、壁に彫られた女神像の前で、彼女は膝をついた。
私は頬杖をついて、その様子を見つめる。
今どき、定刻通りに祈る子なんて珍しい。
こんな壁に彫られた女神像だって、神殿でもなきゃもう見かけない。
自己紹介のアレは“演技”だったけど──
信仰に関しては、割と本気なんだ。昔からずっと。
朝昼晩の祈り。年に何回かある安息日は一日中、聖堂。
そして──女の子同士の恋なんて、絶対に“ありえない”。
時代は変わった。
神殿の託宣も、今では女の子同士の恋愛も、異端ではないと認めている。
むしろ、その影響で戯曲や演劇が流行り、若い世代では広く受け入れられている。
神殿巫女同士の恋愛禁止だって“建前”だ。
先生の前でいちゃついたら一応は注意される、ゆるい校則レベルの話。
むしろ「男を作って商品価値を下げるくらいなら、巫女同士でうまくやってくれ」と思っている大人も、多そうだ。
──でも。
敬虔な彼女の家は変わらない。
女神様に祈りを捧げるエリュシアの横顔を見ながら、あの日を思い出していた。
あの、クローゼットの中のこと。
──二人で隠れた、あの狭くて暗い空間。
彼女の吐息が、私の頬にかかって。
「ルフェ……」
闇の中で囁く声は、吐息混じりで震えていた。
そのとき、かすかに甘い匂いがして──
柔らかな唇が、触れるように、重なった。
呼吸が止まった。
心臓の音だけが、耳の奥で爆ぜるように響いた。
……それが、私の初めてのキスだった。
でも、次の瞬間。
扉が開いて、彼女の母親の顔が見えた。
氷のような視線。
「なんてことを……」
エリュシアは泣きながら謝っていた。
私は黙ったまま、ただ、彼女の手を離した。
あの日から。
私たちは“ただの幼馴染”に戻った。
表面上は。
適切な距離を保って、ただの友達として。
そして、エリュシアは「普通」通りに女の子ではなく、男子を恋愛対象として見るようになった。
――でも、
祈る姿勢のエリュシアは、どこか縮こまって見える。
猫背で、肩を内側に巻き込み、胸元を隠すように。
……また、そうやって。
昔はもっと背筋を伸ばしていた。
太陽のように明るくて、誰とでもすぐ仲良くなれたのに。
朝の鐘より早く目覚めて広場の噴水の縁に立って歌ってた、そんな女の子だった。
変わったのは──中等部の頃だったかな。
あのとき、エリュシアが好きだった男の子の、何気ない一言。
「やっぱ胸はそこそこないと、女として見れないわー」
──ただ、それだけの言葉。
でも、彼女にとっては世界が崩れる一言だった。
そしてしばらくしてエリュシアが密かに片思いしてたその男子に「そこそこある」彼女ができてから、それは決定的になった。
「ルフェ? 聞いてる?」
「ん? あ、ごめん、ぼーっとしてた」
「もう! 明日の課題の話してたのに!」
頬を膨らませるエリュシア。
私は──
いまだに抜け出せていない。
あのクローゼットの中から。
明日もきっと、エリュシアは女神像に向かって背中を丸めて祈る。
そして私は、そんな彼女を見守り続ける。
クローゼットの中の時間を、今でも胸に抱えたまま。




