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饗の器   作者: 鳳龍麒亀
第四章

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火と時間 ①

神谷は、自分の性格をよく理解していた。

──待てない。

行列が嫌い。渋滞も嫌い。湯が沸くのさえ待てない。

ましてや、会社の意思決定に「熟す時間」が必要などという発想は、

彼の辞書にはなかった。

だが、あの「饗」に通うようになってから、

時計を見ずに食卓に座るようになった。

むしろ、「待つこと」が、少しずつ、楽しみにすらなっていた。


「本日は、“火”の章です」

美咲は、あいさつ代わりにそう告げると、

いつもとは違う部屋へ神谷を通した。

それは、店の奥、囲炉裏のある小間。

囲炉裏にはすでに炭が熾っており、柔らかな橙の光が漂っている。

「今日は、厨房を見ていただきます」

そう言って、鷹野自らが現れた。


厨房奥の炭火台。

一本の太刀魚が、串に刺され、じり…じり…と静かに焼かれていた。

神谷は思わず訊く。

「これ…焼きっぱなしにしないんですか?」

「しません」

鷹野は炭の位置をほんの数ミリずらした。

「炭は“置く”ものじゃない。火は、“育てる”ものです。

 生きてるんですよ、火は。風が吹けば、機嫌も変わる」

串をくるりと回しながら、鷹野は続けた。

「この魚も、すぐ焼くと身が跳ねる。だから、まず冷蔵庫から出して常温で“目覚め”させる。

 火に当てるのは最後の最後。“整った時”に、一気に“通す”」

「整った時…」

神谷はその言葉の重みを噛みしめる。


やがて、太刀魚の塩焼きが供された。

添えられたのは、ただの酢橘ひとつ。

それ以外、何もない。

いや、何も“要らない”と、器が語っているようだった。

「火入りが絶妙です」

神谷はそう言ってから、自分の口から出た言葉に驚いた。

「魚は火を通すとき、“肉より音を聴け”と言われます。

 じゅっ、じりっ、…しゅぅ。

 この音の変化が、味の変わり目なんです」

鷹野は火ばさみを閉じながら言った。

「早すぎてもダメ。

 遅すぎてもダメ。

 人生と同じです」

神谷の胸に、その言葉が深く突き刺さった。





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