翌日の朝でございます
ベッドで寝ていた俺に太陽の光が当たり、閉じている瞼を刺激する。カーテンの隙間から、朝の到来を示す証が差し込んでいるのだ。
異世界においてそれはつまり「起きろやゴルァ」ということなのだが、俺は元々日本人だ。
そして日本には惰眠という素晴らしい文化がある。これを最初に思いついた人は天才的としか言いようが無い。
つまり、俺は異世界に文化を広めんと惰眠をむさぼる義務がある。うむ、決して後五分の誘惑に屈したわけではない。
宿屋の硬い枕を整え、朝の陽を拒むかのごとく寝返りを――。
「ぁんっ」
――寝返りをうった俺の掌に水枕のような感触が生まれ、何やら悩ましい音が聞こえた。
うーん、水枕と表現するには語弊があるかもしれない。かなり弾力に富んでいるうえ、ほのかな温かみを感じさせる物体だ。擬音にしてみれば、ぷるんっ、といった感じか。頂点にコリコリとした感触があるのは心材だろう。
こんな枕を置いた覚えは無いんだが……まぁ、あるからには有効活用させてもらうとしようかな。
「ふあぁっ!? あっ、そこ、先っぽは、だめぇっ……んんぅ!」
目を閉じたまま枕の感触を楽しんだ後、両手を使って引き寄せ……って、やけにデカいな。等身大の抱き枕みたいだ。
もしかすると、宿屋がサービスとして置いて行ってくれた異世界の抱き枕かもしれない。抱き枕なんて使うのは初めてだけど……この温かさは人肌を再現しているのか。うん、悪くない。
「んむーっ! んんーっ!!」
抱き枕を腕の中にすっぽりと収めてみれば、返ってくるのは柔肌の感触。
ほんのりと薔薇の香りがするあたり、異世界の抱き枕は良くできているよな。都市を歩いている最中に見つけたら買ってみようか。
それにしてもだんだん枕の温度が人肌からファンヒーターくらいに上がって……。
「いやいや熱い熱い熱い熱い!!」
まさかの発熱現象に慌ててベッドから転がり落ちる。
異世界の抱き枕は不良品だと火がつくらしい。電化製品かよ。
待て待て、その前に先ずは消火活動だ。未だ毛布の下にある抱き枕が高熱になっているとすれば、そのまま火がついてしまうかもしれない。
「はぁ……はぁ……。し、死んじゃうかと思ったわ……」
立ち上がって水氷魔法を放とうとする俺に、柔らか抱き枕が喋った。
いや違うか。抱き枕と思っていたのは別の何かだったらしい。
恐る恐る薄い毛布を捲ってみると、
「……おはよう、アリサ。そこで何してる」
「こ、この……言うに事欠いて……!」
バスローブを着たアリサが、自分の身体(特に胸部)を腕で守るかのようにして横たわっていた。
ツインテールと同じ色に染まった顔は怒りの感情が浮かび、俺を憎憎しげに見上げている。
この状況から察するに、抱き枕だと思って捏ね繰り回していたのはアリサの身体だったらしい。道理で柔らかいわけだ。
「いや、ここ俺のベッドだから。どう考えても俺に非は無いよな?」
冷静に周囲を確認してみるも、俺が就寝したときと同じベッドであることに変わりは無い。
他のベッドでは妹達が安らかな寝息を立てているし、昨日あれからアリサを運んだベッドはもぬけの殻になっていた。
状況的には、アリサが俺のベッドに進入してきた形だ。
俺の非が完全に無いかと言われれば否だろうが、そもそもの発端は彼女自身の行動に起因している。
「そ、それは……その、リュウの寝顔を眺めていたかったし、朝一番に『おはよう』って言ってあげたかったから……」
アリサが上半身を起こして女の子座りをすると、桜色の唇から小さく言葉が漏れる。そのまま俺に向き直り、唇を尖らせて上目遣いで見上げてきた。
元々、地球のグラビアアイドルですら勝負にならないと思うほど、非常に整った顔立ちのアリサだ。その上目遣いはまさに悪魔の如く、心を粉砕するような破壊力がある。
彼女が言った内容のどこに魅力があるのかは理解できなかったのだが、殺人的な可愛さだけは脳が認識したらしく、無意識に俺の頬も熱くなってしまった。くそぅ、女の子のこういう表情は反則だろ。
「よく分からないが、あー、いきなり変なところ掴んだりしたのは悪かったと思ってるよ」
俺は頬をかきながらベッドに座り、恥ずかしさを誤魔化すようにアリサの頭を撫でる。
布団に潜り込んでいた彼女を抱き枕だと思って、うん、まぁ、いろいろとマズい箇所を無遠慮に撫で回してしまったのだろう。
思わず手をグーパーと動かしてみれば先ほどの水枕が鮮明に……いや、これ以上はやめておくべきか。
「き、気にしてないわよ。それよりも、あ、あたしの抱き枕……良かった?」
「ん。どういう意味だ」
「だから……その、柔らかかった、とか。感想を、ね?」
もはやツインテール以上に赤くなりつつあるアリサの頬。
彼女から発せられる熱量は、もし頭にヤカンの吹き出し口をつけたら沸騰して湯気が出てくると確信できるほどだ。そんなに恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。
まぁ俺もアリサに負い目があるので、ここは素直に思ったことを言ってやろう。
「感触も、温度も、匂いも……全部が最高だったよ。もうアリサ無しで寝るってのが考えられないほどにな」
俺が正直に心情を吐露すると、ボフンッ!と音を立てて、アリサのツインテールから本当に湯気が出てしまった。
何かの一発芸だろうか。使っている魔法が元々炎熱系だし、やろうと思えばできるんだろうな。
「あ、あたしが、最高って……あたし無しは考えられないって……!」
セルフ沸騰させたアリサは、何やらニマニマと笑みを浮かべながらベッドに倒れこみ、俺の枕に顔を擦りつけ始めた。スレンダーな足もパタパタと揺らして……って、その角度は結構危ないぞ、バスローブなんだから。
そのままアリサはくぐもった声でキャーキャー言っていたが、ある程度叫ぶと満足したかのように、
「じゃあ、これから……あたしが、ま、毎晩、添い寝をして」
あげる。と、アリサは言いたかったのかもしれない。
しかし言えなかった。
言おうとしても、言えなかった。
「アリサ姉様。抜け駆けですか?」
いつの間にか起きていた、シェリスさんの声に遮られて。
ゾクリと背中を震わせるような悪寒に襲われる俺。アリサも同じだったのか、ビクンッ!と身体を震わせていた。
「ち、違うのよシェリス。これは、ね……色々と事情があって!」
「そうですか。是非ともその事情を説明してもらいたいですね」
俺が腰掛けている反対側、ベッドの向こう。視界外からシェリスさんの声が聞こえてくる。
シェリスさんの顔を……見れない。いや正確に言えば、見たくない。
声があまりにも、何ていうか、その、ヤバイ。普段の声を春の日差しに例えれば、今のシェリスさんは台風の目のようなもの。一見すると無風に見えるのだが、一歩間違えれば豪風に薙ぎ倒される。
というか既に口調からして変わっているくらい、シェリス様はお怒りでいらっしゃる。
漫画なら「ゴゴゴゴゴゴ」とか「ズズズズズズ…」といった感じの擬音が、シェリスさんの背後に湧き出ているのだろう。あまりにもリアルな威圧感で、本人を見なくても分かる。
(に、逃げよう……!)
俺はシェリスさんを視界外に留めたまま、ゆっくりとベッドから距離をとり始める。「ひぃーん!」と泣いているツインテール娘を置き去りにして。
さらばアリサよ。君の死は無駄にしない。
「リュウ殿。貴殿にも事情を聞きたいのだが、構わないな?」
「……説明要求。五秒以内」
や、やだなー。そんな首筋に刃を当てなくても逃げたりしないって……。
あの、その位置に頭突きはですね、男にしか無い非常に大事な器官があるのでやめていただけ
無慈悲の鉄槌が、振り下ろされた。
□
迷宮とは、魔力溜まりにモンスターが引き寄せられて形成されたもので、文字通りの魔窟と言える。
近くにいるモンスターを根こそぎ転移させて迷宮の中に取り込んでいるため、倒しても倒してもモンスターが沸いてくる。それどころか、危機的状況と判断した迷宮が、より多くのモンスターを引き寄せ始める。元々内部にも数多くのモンスターが生息しているので、敵の様相は多種多様かつ未知数だ。
そんな危険地帯に冒険者が飛び込む手段は一つだけ。正面から「ちわーっす」と入ること。
迷宮の入口は、侵入者を誘い込むように地表で口を開けている。その目的は内部のモンスターと戦わせて死体を作ることだと言われており、数多の骸を吸収することで迷宮の本体も成長するらしい。
迷宮の入口、ダンジョンゲートを見分ける方法は簡単だ。
俺達の視線の先にあるDランク迷宮『黒白迷宮』の、縦横十メートルはある巨大な洞窟を見れば分かる。入口が透明な水の膜のようなもので覆われ、白く発光しているのだ。
一定間隔で中央から波紋が広がるダンジョンゲートは美しいの一言に尽きるが、油断してはいけない。門をくぐれば、そこからは常に生死が付き纏う戦場なのだから。
「迷宮って、こういうところにあるのか。思ってたのとは少し違うな」
「そうなのですか~?」
「ああ。なんていうか、人もモンスターもいない寂れた場所にあるのかと思っていたからな。これじゃあ、まるで祭りみたいだ」
木々が生い茂る山の麓にぽっかりと開いた洞窟。
その周囲は簡易的な砦によって囲われており、数人の兵士が常駐して警備を行っていた。何でも聞くところによると、一ヶ月に一度ほど道に迷った下位モンスターが迷宮内部から出てくることがあるので、それを駆除するために常駐させているらしい。
そんな背景もあって迷宮入り口周辺は比較的安全エリアといえるらしく、数十人の冒険者が野良パーティーの勧誘を行っていた。
「炎熱魔法師を募集している! 35層の『毒森林』に挑むから、治癒魔法の使い手でもいい!」
「俺は荷運び人だ。戦闘はできねぇが、持てる素材の量なら自身があるぜ」
「前衛! 前衛の壁戦士はいないか!? 今なら収集した素材の三割を報酬として渡すぞ!」
「薬の補充は大丈夫ですかな? 回復薬が銀貨八枚、お安くしときますぞ」
よく見てみれば、回復薬や解毒薬を売っている商人が混ざっている。
俺の鳥類にも劣る記憶力によれば、ギルドの販売カウンターで見かけたレベル1回復薬が……確か銀貨五枚だったはずだ。1.5倍以上とか観光地価格かよ。
そのたくましい商魂は薬の販売だけに留まらず、砦の周囲には屋台が立ち並び、ホットドッグやドライフルーツなどの軽食まで売っている。俺が「祭りみたいだ」と言ったのはそういう意味だ。
周囲のモンスターが全て迷宮内に転移させられているからこそ出来る芸当なのだろう。普通の森でやったら完全に自殺行為だからな。
「ふむ。これも迷宮都市ならではといったところか。普通の迷宮なら、これほどの設備や賑わいを見せていないと思うぞ」
「……ん。腹ごしらえ」
屋台に突貫しそうな末っ子のローブを掴む俺。
二時間前に朝飯を食ったばかりなのに、この子はもう腹が減ったらしい。もうちょっと後でな。
「食べ物はまぁいいとして、回復薬の問題はあたし達に関係のないことね。お昼ご飯はリュウが持ってるし、回復もリュウができっ、あいたた……」
「大丈夫か?」
「た、たぶん……いたた」
発言を途中で中断すると、アリサはスカートを押さえて顔をしかめた。
今朝の件でシェリスさんに『尻百叩き』の刑を受けてから、たまに痛がるんだよな。宿屋から転移魔法を使ってゴブリンの巣までワープし、その後歩いてココに来るまでの間も変な歩き方していたくらいだ。治してやりたいが、迷宮に入る直前まで治癒魔法は禁止とシェリスさんから言われているため、現状ではどうしようも無い。
ちなみに俺への制裁だが、ベルンのガチ頭突き(金剛皮があるのでなんとか耐えた。常人が食らったら……)を一回と、毎晩ローテーションで『添い寝役』というものに付き合わされることになった。何だそりゃ。
「丸く収まってよかったじゃない。四日に一回だけど、あたしも得するんだしね。お尻の一つや二つくらい安いものよ」
「そう、なのか?」
よく分からん。
俺は色々と得な思いをするだろうが、四姉妹にとっては別段そういったわけでもないだろうに。
……まぁいいか。夜のことは置いとくとしよう。
大きく息を吐き、数秒ほど目を閉じることで気分を切り替える。
「ともかく今は迷宮だな。雑談はこれくらいにして、さっそく行くか」
「そうね。楽しんでいきましょ」
「ですね~。予定では第一階層から順に上がっていくということでしたか~?」
「うむ。私たちの実力であれば、上の階層は楽に突破できるだろう」
「……ん。楽勝」
俺達は歓談しながら、迷宮入りの順番待ちをしているのだろう列へと歩き始める。下層なら別だが最初は大して危険ではない。ピクニックに行くようなムードだ。
ちなみに装備の確認などは本来必要ないのだが、俺だけはダンジョンに必要なアイテムを持っていた。
歩きながらアイテムボックスを呼び出して、ポチポチっとポップアップウィンドウを操作する。周囲から霧が集まるようにして透明な直方体の結晶が形成されると、それを確かめてからポケットへ滑り込ませた。
今取り出した結晶は『ステージクリスタル』と呼ばれるもので、ギルドにて一個あたり銀貨一枚で購入することが出来る。
普通に歩いて迷宮に入ると第一階層へ出るのだが、パーティーの誰か一人がステージクリスタルを持っていれば別。クリスタルにはどこまで深く潜ったかが記録されるため、望む階層にジャンプしたり、前回潜った地点でリスタートすることができるのだ。
なんでも、迷宮へ入る際にモンスターだと誤認させ、強さに応じて適度な階層に飛ばす習性を利用したものらしい。
このクリスタルシリーズにはもう一つ、迷宮内部から現在の入り口へ転移脱出できる『リジェクトクリスタル』と呼ばれるものがあるのだが、こちらは購入していない。迷宮内でも転移が使用できるということは、俺の『瞬間転移』も可能であることを意味しているからだ。
それなら『ステージクリスタル』も必要ないだろうに……と思うかもしれないが、これにはちょっとしたワケがあるので持って来ていた。
「現地でクリスタルを買う手もあるけど、こっちだとボッタクリ価格だからなぁ」
「仕方ないですよ~。ここに来る途中でモンスターに襲われる危険性もありますから~」
列に並びながら屋台を見てみると、クリスタル類を売っている店もある。
ざっと見てみたところ、21階層を記録したステージクリスタルは金貨四枚、41階層を記録したステージクリスタルは金貨八枚か。二日目にして虹金貨を手に入れてしまったので金銭感覚が鈍りかけているが、前者ですら俺達の宿代二日分だ。かなり値が張るな。なお、金貨十枚の値札が張ってあるリジェクトクリスタルは見なかったことにする。
ちなみに、クリスタルを持って深い層に潜り、それを売り払って生計を立てるのも出来ないわけではない。が、ワンパーティーに一つだけ有効という特性があるため、あまり良い方法とはいえないらしい。複数人で大量に持ち込んでも一つしか上書きされないし、転移に使用したクリスタルは粉々になってしまう。そのうえで強力なモンスターの迷宮を潜り抜けなければならないので、中途半端な実力ではむしろマイナスだ。
「おや、若旦那様。薬とクリスタルの補充は十分ですかな?」
俺が屋台を見回していると、それが品定めしているように見えたのだろう。
一軒の屋台から、白髪の混じった爺さんが近づいてきた。背の高さはアリサと同じくらい。モノクルをかけており、身なりも立派だ。周囲の商人と比べても、存在感が一際違う。
「リュウが若旦那ってことは……あたしは若奥様かな?」
「アリサ姉様は恋人が妥当ではないですか~? 奥様役はわたしが~」
「何を言っている。一歩引いた立場で夫の影を踏む私こそが相応しいだろう」
「……幼妻はベルン以外あり得ない」
変なことを言っている四姉妹は無視。
「いや、特に必要なものは無い。無遠慮に見回して悪かったな」
「いえいえ、何かあれば我々の商会をご贔屓に。リュウタロウ様」
目の前に立った爺さんの言葉に、自分の頬がピクリと引きつるのが分かった。
油断してたな。先に『ポーカーフェイス』を発動しとくべきだった。
「そこまで確信を持って言っているからには、しらばっくれても駄目なんだろ?」
「ホッホッホッ。賢明ですな」
俺は頭をがりがりと掻きながら、爺さんを横目で見やる。
商人が持つ本当の武器は情報。彼らが俺達の名前を知り、こうやってアプローチをかけてきているんだ。少なくとも緊急クエストの一件については、既に割れていると考えていいだろう。
Cランク冒険者をあしらった程度で、こうやって直接売り込みにくるわけが無いからな。
そこまで考えた俺の予想を肯定するかのように、爺さんが再度口を開く。
「Aランク相当のモンスターをDランク冒険者の集団が倒すなど、余程の事が無い限りあり得ませんぞ。同行していた無名の冒険者に注目が集まるのは当然といえましょう」
まぁ確かにな。
そこから俺達を調べあげたのだから、ついでに『緋色の風』の騒動にも行き着いている可能性がある。
ここは下手なことを言わず、爺さんに話を合わせておこう。たとえば「俺達に回復薬は必要ない」とか言ってしまうと、それだけで五人のうちの誰かに治癒魔法師がいることがバレる。沈黙は金なりだ。
振り返って唇に人差し指を当て、四姉妹に「喋るな」というジェスチャーを送る。特にアリサ辺りはポロッと重要情報を喋ってしまいかねないからな。ギルドで俺のアイテムボックスを大暴露した一件もあるし。
「情報が早い商人は使えるな。何かあったら頼らせてもらうよ」
「フム。悪くない答えですぞ」
こ、この爺さん、見た目に寄らずかなりの頭脳派だな。
俺が余計な情報を漏らさないよう手短に返した、その意図が見透かされている。
「食えない爺さんだ。逆に信用できる、と言い換えていいのかは……微妙だな」
「ホッホッホッ。その点に関しては若旦那様次第、と言う他ありませんな。我々は商人ですので、金のある方に味方しますからのぅ」
爺さんが鷹のように鋭い目で笑う。
実を言うと、こういう手合いは嫌いじゃない。下心も含めた交渉材料を隠すことなく挙げてくるのは、俺にとってはそこそこ好ましい部類に入る。
もちろん、見せられない腹に一物抱えているのだろうが……。それでも俺は、この爺さんが気に入り始めていた。
「今は色々と要り様でな。爺さんのところで何か買うかもしれないから聞いておくが、どんな品を扱ってるんだ?」
「ホッホッホッ。我々の商会では、ほぼ全てのモノを扱っていると自負できますぞ。唯一、奴隷の斡旋だけはカデリウス商会に独占されておりますがの」
そう言うと、少し離れた場所へ爺さんが視線を向ける。
目線の先は、俺達が並んでいる列の前方。迷宮へ入る次の次くらいの位置で冒険者に声をかけている、脂ぎった四十過ぎの男だ。
彼の後ろには三人ほど、痛々しい首輪で繋がれた少女達がいる。共通しているのは粗末な革の防具を着ていること。あと目に付く限りでは、全員が犬耳や猫耳、はてや尻の辺りから狐の尻尾を覗かせていることだ。
(へぇ。あの子たちが獣人なのか)
俺の思ったことは、おそらく間違ってはいない。
彼女達は冒険者に買われ、迷宮での命を懸けた仕事に取り組むのだろう。女の子しか残っていないのは、男が力仕事で有利だからと売り切れてしまったからか。
これらは全て予想に過ぎないので、一応だが最低限の情報を聞いておこう。爺さんが余所見をしているうちに、シェリスさんを手招きする。
「俺のいた世界だと奴隷は禁止だったが、ここでは問題ないのか?」
「はい、問題ありませんよ~。奴隷に過度の体罰や拷問、食事をさせないなどの不当な扱いは禁止されています~。ちなみに、あのように奴隷を貸し出して金銭をやり取りすることは合法とされていますね~」
「売買じゃなくて貸し出しなのか?」
俺の言葉に、シェリスさんは小さく頷く。
「売買も扱っているでしょうけれど、奴隷主の変更は複雑な手続きを必要としますからね~。即戦力が必要な迷宮に連れてきているということは、戦闘用か素材運搬用の貸し出しですね~」
「……そうなのか。獣人しかいない理由は?」
「その辺りは複雑な話になってくるのですが、一言で言えば宗教上の理由ですね~。聖レッチェルト教国が主導している獣人差別によるものが大きいでしょうか~」
なるほど。シェリスさんの話を聞いて大体分かった。
奴隷少女達を見て見ぬふりをすることは心が痛むものの、ここは我慢するしかないってことか。無理矢理に助けようものなら俺が犯罪者になってしまう。地球には地球の、異世界には異世界なりのルールがある。
「悪い、嫌な事を話させてしまったな」
「いえいえ~。しかし酷い話ですよね~、あんなに可愛らしいのに~……」
シェリスさんの言っていることは全力で同意できる。
ケモノっ娘とは、現代でも萌え要素として重要な意味を持つ属性だ。ふっさふさでモフモフしたくなるような耳と尻尾は、正直な話かなりソソられる。そんな女の子が首輪で縛られているのは、純愛主義の俺からすればNG以外の何物でもない。そういうのが好きな人にとっては別だろうけど。
と、そこまで話したところで爺さんが俺へと振り返ったため、何となしに聞いてみる。
「そういえば、奴隷の斡旋はカデリウス商会がやっているって言ってたな」
「フム。何か心当たりでもあるのですかな?」
爺さんの訝しげな目に、俺は頷く。
レガルに入る門の前で冒険者達の会話を盗み聞きした際、確かそんな名前の商会が出てきていたはずだ。
「偶然耳に挟んだ程度でしかないが、カデリウス商会は犯罪者ギルドと組んで何かやってるらしい。あんたなら既に知っていそうだけどな」
「ホッホッホッ。当然知っておりますがのぅ……なかなか奴等も尻尾を出さないもので、こちらも苦労しておるのです」
そこまで言うと、爺さんは「おや、これはこれは。口が滑りましたな」と残して笑った。
いや。あんた、明らかにわざと口を滑らせただろう。
「これ以上の話は都市レガルにて頼みますぞ。若旦那様とはまた会えると、商人の勘が囁いておりますでな」
爺さんが懐から一枚の名刺を取り出すと、俺に向けてピッと投擲した。
それを受け取って読んでみたところ【西区A-2-13 アロイージ洋服店】と書いてある。クリスタルや薬販売だけにとどまらず、ずいぶんと手広くやっているんだな。
「ここが爺さんの店か。暇ができたら行ってみるよ」
「そうね。迷宮攻略が終わったらすぐに行きましょ! っぁ、お、お尻に響く……」
「ホッホッホッ。お待ちしておりますぞ」
名刺を覗き込んだ四姉妹の中で、アリサがいち早く反応する。
そういえば、アリサは洋服を集めるのが趣味だったか。どのみち衣類は欲しいところだったんだし、アテが出来たとプラスに考えよう。
「では、またお会いしましょうぞ。御武運を」
「爺さんトコの洋服を買うまで、ウチの女性陣が死にそうに無いからな。どんな苦境も気合で切り抜けるだろうよ」
「ホッホッホッ。それはそれは。最高級のドレスを用意しておかねばなりませんな」
俺が苦笑すると、爺さんは最後に大きく笑ってから去っていった。心なしか、猫背の背中がウキウキとしているように見える。
引き際も心得ているし、俺にはああいった人種の方が話しやすいのかもしれない。
「面白い爺さんだったな」
「……ん。同意」
「ふむ。ベルンとは気が合いそうなご老人だ」
まぁ確かにツバキさんの言うとおり、無駄に意味深なところとかソックリだったよな。
「……むぅ。ベルンはあんなに老けてない」
ベルンがぷくーっと頬を膨らませて不満を訴えると、俺達からもクスクスと笑いが漏れる。
そのまま雑談しつつ列の消化を待ち、あと数人で自分達の番まで来たところ――。
「兄さん。奴隷の荷運び人がいるんだが、連れて行かないかい?」
俺達に話しかけたのは例の男。後ろに奴隷をつれた中年だった。
不精髭に脂ぎった肌が不潔な印象を抱かせる。まぁ横幅が一般より数倍大きい時点で、あまり良い食生活は送っていなさそうだ。
恐る恐る俺を見る奴隷少女達は、別の意味で悪い環境におかれているのだろう。泥にまみれていて清潔な印象は感じられない。
「どうだい? 荷運び用なら、女でも悪くないだろ」
そんな事を言っている中年の視線は俺を捉えておらず、もっぱら後ろにいる四姉妹へと向けられていた。シェリスさんの胸やツバキさんの長い足、アリサの美貌やベルンの小さい身体を、粘っこい目で無遠慮に撫で回している。
ここまであからさまだと、ちょっとイラッとくるな。
「奴隷か。いくらだ?」
アリサ達が気持ち悪そうな表情をしているので、あえて奴の話に乗っかるとしよう。
俺が反応したことで機嫌をよくしたらしく、貸出しの料金について説明を始めた。
「一日あたり一人銀貨五枚って所だな。クリスタルと薬の費用は兄さん持ち。奴隷が重傷を負ったら弁償、死んだら白金貨二枚だ」
「へぇ……! ずいぶんと値が張るんだな」
平静を装った一般的な受け答えをするつもりだったが、獣人達をモノとしか扱っていない言動で少しだけ怒気が含まれてしまった。このあたりの道徳観は、世界が違うと分かっていても多少の嫌悪くらい残る。
俺のイラついたような声色をどう捉えたのかは知らないが、中年の男はハッと鼻で笑う。
「まぁ駆け出しが簡単に出せる金じゃないよな。そこで相談なんだが……お前の女を貸してくれりゃ、安くしてやってもいいんだぜ?」
「う、ううぅ。リュウ様~……」
メロンのような胸を中年にロックオンされたシェリスさんは、白い腕に鳥肌が立っていた。
よし、この男は処刑決定。売られた喧嘩だ、白金貨を出してでも買ってやろう。
俺は中年の前まで踏み出すと、彼女らを粘ついた視線から庇う。
「それじゃ、俺と賭けをしないか?」
「あん? 賭けだと?」
お前が首を傾げても可愛くないからやめろ。
内心でそう思いながら、俺はポケットに右手を突っ込んで『細工』を施す。
ついでに左腕を身体の後ろに回して、迷宮で何かあったときのために考案しておいたハンドサイン『策がある。合わせろ』を、中年から見えないようにして四姉妹に伝える。
「コイントスだ。俺がコインを投げた後、お前が先に表裏を宣言して、残った方を俺が選ぶ。絵柄があるほうが表で、無い方が裏だ。お前が当てたら、俺の連れ四人を奴隷として進呈しよう。ああ、ついでにこの白金貨もお前にやるよ。その代わり、俺が当てたらお前の奴隷三人を……そうだな、三日間無料で貸りるぞ」
俺は一枚の白金貨をポケットから取り出すと、花の紋章が刻まれている表面を中年に見せる。
この白金貨は、先ほどの細工をする際、アイテムボックスを使ってポケットの中に呼び出していたものだ。
「リュウ!? い、いきなり何を言っ、むぐっ!?」
「姉上。静かにしているんだ。どんな命令であろうとも、私達は主人に逆らえない」
おそらく中年を睨むことに集中してハンドサインを見ていなかったアリサが、俺の言動を聞いて叫ぶ。
後ろで憤慨する彼女を、ツバキさんがもっともらしい事を言いつつ口を塞いだらしい。こそこそとした会話が聞こえてくるに、小声で事情を説明してやっているのだろう。
奴隷のケモノっ娘達は……なにやら複雑そうな顔をしている。賭けの対象になっているのだから、いい気はしないだろうな。今は別に構わないけどさ。
「ほ、本当にいいんだな……?」
「ああ。この女どもは俺のモノだ。どう扱おうが俺の勝手だろ?」
男の確認に頷きを返し、後ろを振り返る。
四姉妹は、傍若無人な振る舞いをする俺を睨みつけるという演技をやってくれていた。アリサだけは演技が得意ではないのか頬がピクピクとしているが……まぁ大丈夫だろう。これで多少は怪しまれずに済む。
片目を瞑って「悪いな」とだけ意思を伝えてから、再度男の方へと向き直った。
「お前こそ約束は守れよ? 勝負の後で気が変わったとかはナシだからな」
「ふひひっ。いいぜ、こっちに有利な賭けだ。乗ってやるよ」
中年の男はアリサ達を奴隷に出来ると聞いて興奮しているらしく、目が血走っている。
すでに正常な判断も出来ないのだろう。こんな割に合わない賭け、普通なら何か裏があると疑うからな。
げに恐ろしきは男を狂わせる四姉妹の魅力か。
当然のことだが、俺としても賭けで四姉妹をBETする気は無い。普通なら。
これは、元々賭けになっていないのだ。勝負ですらない。だから絶対に負けることはなく、利用できるものは全て利用できる。負ける要素がないので、何を賭けようがかまわない。
ちなみに相手の獣人奴隷達をBETに挙げた理由は二つ。
奴の稼ぐ手立ての一つを奪ってやろうと思ったこと。それと、獣人奴隷達を存分にモフってみたいという個人的な願望である。
俺は悪くない。獣耳が可愛いのが悪いんだ。だからきちんと獣娘達と打ち解けてからモフる。全力でモフる。
「よし。じゃあ、行くぞ」
鼻息が荒い中年の男へ確認すると、「いいからさっさとやれ!」とばかりに視線で急かされた。
俺がピィン!と音を立てて白金貨を舞い上がらせ、右手の甲を左手で叩くようにして受け止める。
中年の男は俺の手を透過させるかのように凝視し、数秒ほど迷った末――。
「……表だ」
「オーケー。んじゃ、俺は裏だな」
自身の手札を宣言し、俺は左手を退ける。
そこにあったのは、何も描かれていない白銀。紛れも無い『裏』だ。
左の掌を見せて、イカサマをしていないこともアピールしておこう。
「賭けは俺の勝ちだ。文句は無いよな?」
俺の不敵な勝利宣言に、中年からギリッと歯軋りの音が聞こえる。
もちろん本当はイカサマをしているのだが、奴にはその手立てが何一つ分かっていない。イカサマだと予想できていても、それを見破れなければお前の負けだ。
「チッ。持って行け」
苦虫を噛み潰したような表情の中年は、後ろにいた奴隷少女達の背中を乱暴に押す。
おや、意外に素直だな。事前に念を押しても勝負をうやむやにするのかと思っていたが。
ま、結果的には楽に済んだか。荒っぽい手段をとるような事態にならなくてラッキーだ。ついうっかり手が滑るようなこともある、かも、しれないし。
「あ、あの……」
「じーっ」
「ふえぇぇ……」
俺の前に引っ立てられたケモノっ娘三人は、なにやら不安そうに見上げている。
犬耳の子はショートボブに切り揃えられた銀灰色の髪と瞳が特徴的で、つい守ってあげたくなるほど愛くるしい。猫耳の子は同じくショートボブの黒髪と黒い瞳で、ツバキさんを二回り小さくした感じ。狐耳の子は黄金色の長髪と狐耳、そして同色のふわふわした尻尾が存分にモフってやりたくなるような存在感を放っていた。
三人とも泥と汗にまみれて頬も痩せこけているが、元々の顔立ちはかなり整っている気がする。見た目には獣耳と尻尾以外で人間との相違点がみられないこともあるし、ちゃんと身なりを整えることができれば悪くないだろう。
「俺はリュウタロウだ。今日からよろしくな」
「は、はい……よろしくお願いします、なのです……」
犬耳娘がペコリと頭を下げると、隣を挟んでいた猫耳娘と狐耳娘もそれに倣った。
全員がボロボロの革装備に短いダガー。あとは大きいリュックサックを背負い、腰に小さなポーチをつけている。一番目立つのは奴隷用らしき金属の首輪か。
それにしても全員揃って背が低いな。140センチ前後のベルンよりも輪をかけて小さい。おそらく120センチ以下だろう。
不安げな表情で獣耳がピコピコと動いている様は、非常に庇護欲をそそられる。うん、実にいいね。
「シェリスさん、この娘達のフォローを頼む」
「はいは~い。大丈夫ですからね~、こちらへどうぞ~」
存分にモフりたくなる心を堪え、うちの女性陣に預ける。男の俺が接しても怖がらせるだけだろう。
ここは、獣娘達を可愛いって言っていたシェリスさんに任せ……って、その巨乳で抱きしめると犬耳娘が窒息するぞ。泥臭さや汗臭さをまったく気にしないところはいいんだけど。
シェリスさんのメロンに顔を沈められ、銀色の犬耳をパタパタさせつつ「あぶぶぶぶ」と断末魔の悲鳴をあげている。うらやま、じゃない、けしからん。
「フシャー!」
「な、何をしているのだ?」
猫耳娘は同じ黒髪のツバキさんを気に入った(?)ようで、彼女の足にしがみつきながら俺を威嚇する。まんま猫ですな。
残る狐娘だが、こちらはアリサとベルンが相手をしていた。
「うわっ。すごく柔らかい肌触りね。この毛並みで布団とか作ったら絶対売れるわよ!」
「……一家に一台」
「ふぇ、ふええぇぇ……」
目を白黒させる狐娘の尻尾を、二人は存分にモフっている。
まぁ現状では悪くないということにしておこう。後で俺もやってみたい。
「三日後の夕方、彼女達を返しに来るよ。それでいいか?」
「……好きにしろ」
男はなおも脂ぎった目でアリサ達を睨んでいたが、一つ舌打ちすると大股に歩きながら遠ざかっていった。
石ころを蹴飛ばしながら歩いているくらいなので、よほど惜しいことをしたと思っているらしい。ざまぁないね。
さて、思いもよらぬところで強力な助っ人(兼・癒しマスコット)を獲得したことだ。
張り切って迷宮攻略、行ってみますかね。




