第1章 第6話 雲
鈴の父親は毎晩、食料を抱えて出歩く娘に違和感を覚えていた。
大量の干し肉が無くなった翌日、鈴に問い詰めると、
「一人で食べた」と言う。
これは男にでも貢いでいるのか?
いや、貰い手であるなら親としてはむしろ喜べる話だ。
いつものように家から食料を抱えて出る娘の後を父親はついていった。
東山神社に向かっている。
待ち合わせでもしているのか?
神社に到着するなり大きな白い狼が鈴に近寄っていった。
咄嗟に、
(危ない、逃げろ)
と叫びそうになったが、狼は鈴の周りを弾むように歩いていた。
その時だった。
雲の切れ目から半月が顔を出した途端、白い狼は人の姿に変わった。
「ば、化け物じゃ……」
父親は、その場をゆっくりと離れ、自宅へ逃げ帰った。
雲はゆっくり重なり合い、半月を隠し始めた。
二人の間を遮るかのように……。
翌日、父親は鈴を呼び出した。
「金輪際、夜は家から出たらいかん」
「しばらく寺に預けるけんな」
突然の状況に、鈴は抗った。だが、
「言いつけを守れんのなら、この家から出て行け! 化け物に取り憑かれた娘が居ると噂されたら、家族はどうなるんじゃ?」
父親は智のことを知ったのだと、鈴は理解した。
鈴には為す術もなく、選ぶこともできず、ただ父親の命に従うしかなかった。
神社では、半月を浴びた智が狛犬にもたれかかって鈴を待っていた。
二番目の臨兄から別れ際に言われた事を思い出していた。
群れるな。靡くな。近寄るな。
二番目の兄、臨は、最後まで智と過ごした兄弟だった。
ニンゲンに対する怨みは一番目の兄より根深く、時にはニンゲンを襲うこともあった。
頭の良い臨は他の獣の仕業に見せかけてニンゲンを数人殺していた。
臨は「仲間以外に気を許してはならない」と、しきりに言っていたが、仲間はどこに居るのかわからない。
答えがわからないままだが、鈴は違う。
鈴だけは……。
人里から妙な匂いが神社に流れてきた。
鳥居から見下ろすと、たくさんの松明が列をなし神社に向かっている。
「あの匂いがする……」
鼻の奥を突く匂いは、昔の記憶を呼び起こす。
鳥居を叩く拳からは血が滲んでいる、感情が抑えきれない智。
だが、かなりの量の火薬の匂いは、智がこの場所を危険と判断するのに十分だった。
鈴がニンゲンに話したのか……?
いや、鈴はそんなニンゲンではない。
山深くに入って姿を消すのは容易だが、それは鈴との別れを意味する。
鈴……。
厚い雲に覆われた空に一度だけ咆哮した後、東野村周辺で白いオオカミを見た人は居なかった。
第1章 完




