第3章 第4話 参拝者(面影編)
寺の暮らしにも少しずつ慣れてきた。
朝は境内の掃き掃除。
参拝者と挨拶を交わし茶を出し、他愛のない話をする。
村では誰も目を合わせてくれなかったのに、ここでは笑いかけてくれる人がいた。
夜になると智の顔が浮かんだ。
そして、和尚の言葉が追いかけてくる。
――白い獣が暴れ、夫婦が切り刻まれた。あれは狼の化け物じゃ。
怖い、でも…会いたい。
会ってはいけない。
どちらも本当で、鈴は自分の気持ちが分からなかった。
その日、一人の男が訪ねてきた。
五十を過ぎた痩せた男は月に一度、亡くなった妻子の供養に来るのだと、和尚は言う。
膝には、野の花の束が置かれている。
帰りに山の墓へ供えるのだという。
読経が終わり、縁側で茶を飲む男と和尚の話し声が箒を動かす鈴の耳に入ってきた。
「東山神社で、また化け物が出たそうな」
男の声は低かった。
「あの夜の獣と、同じじゃろか」
鈴は、箒を止めた。
「白い方は、まだ生きとるんじゃろう」
和尚は目を閉じたまま、数珠を繰っていた。何も答えなかった。
「わしはな、和尚。二十年たっても、分からんのよ」
男は、湯呑みを両手で包んだ。
「嫁と子を殺したのは、白い獣じゃ。この目で見た。じゃが、あの獣の目は、何も映しとらんかった。泣いとるようにも見えた」
「……」
「その獣を止めて、わしを逃がしたのは、頭に赤い筋のある獣じゃ。妻子を殺した化け物と、わしの命を救うた化け物が、同じ夜に、同じ山におった」
男は、シワまみれで笑った。
「嫁はな、あの仔らに乳を分けとった。三匹とも、うちの嫁の乳で大きなったんじゃ。皆同じ乳を飲んで育った子じゃった」
湯呑みの縁を、男の指がなぞる。
「嫁がよう言うとったわ。白い子は一番おとなしゅうて、早苗さんが唄うと、すぐ眠るんじゃと」
鈴は、箒を握る手に力を込めた。
智の唄が、耳の奥で鳴った。
「許せるとは言わん。じゃが憎み切れんのよ。早苗さんの墓にこの花を供えてやる。あまりにも酷い話じゃけど誰が悪いのか、何を恨めばええのか、分からん。ただ墓参りだけは続けとる」
和尚の話と、男の話は、同じ夜を語っているのに、同じ形をしていなかった。
ウチは、何を信じたらええんじゃろ。
鈴は右手の傷跡にそっと触れた。
噛まれた次の夜、
「手、ごめんなさい」と言った。
化け物と呼ばれる痛みなら誰よりも知っている。
鈴は他人から見た智と、自分の知る智の存在を考え始めていた。




