第3章 第1話 初めての感情(面影編)
ニンゲンたちからの襲撃を逃れた智は、深い山に入った。
左足の傷跡が疼き始めていた。
鈴が巻いてくれた包帯は、もう外れてなくなっている。
それでも、あの手の温もりだけは足に残っているようだった。
母さんの温もりとも、兄たちと身体を寄せ合った温もりとも違う。
会いたい。
気づくと足は稜線を越え、里の灯りが見える方へ向いていた。
慌てて踵を返す。
胸の奥が締め付けられるように苦しい。
だが、鈴がどこにいるのかは分からない。
「ありがとう」
二人で同時に言って笑った声が、耳に残っている。
臨兄はもういない。
群れるな、靡くな、近寄るな。
臨兄が残した言葉だ。
そう教わったのに胸に引っ掛かる何かに、智は名前を付けられずにいた。
*
襲撃の夜、鈴は庭の騒がしさに気付いた。
障子を開けると、銃を持ち松明を掲げた村人たちが騒いでいる。
その中央で鈴の父親が声を張り上げていた。
「東山神社に化け物が住み着いているぞ。殺される前に始末しろ」
男たちは興奮しながら叫び返す。
「やっちまえっ」
「撃ち殺せっ」
智に伝えないと……。
だが、この足では間に合わない。
祈るしかできない鈴は、眠れぬ夜を過ごした。
翌朝、山狩りから帰った父親は鈴と目を合わせなかった。
何を訊いても答えず、そのまま鈴を寺へ連れ出した。
寺では和尚に掃除を言い渡され毎日箒で枯れ葉を集める日々が続いた。
もう会えないつらさは身を切るようで、涙も出ない。
誰からも話しかけられない苦痛は、楽しかった日々を余計に思い出させる。
泣いていた時に、智が唄ってくれた古唄。
〽お前は誰ぞ 誰ぞや
人の子なりと 答えけり
されど本当は 誰ぞや
鈴は、気づかぬうちに口ずさんでいた。
「その唄を、誰から聴いた」
真後ろから和尚の声がした。
鈴は黙ったまま、下を向く。
「いや、叱りはせん。久しぶりに聴いて、たまげただけじゃ」
和尚は、かなり昔に猟師が唄っていたのだと話してくれた。
「猟師しか知らんはずの唄が、何故鈴の口から出る」
首をかしげる和尚の前で、鈴はずっと黙って立っている。
「その猟師の家は、化け物に襲われての……そりゃ酷い有様じゃった」




