第3話 幼馴染は勇者様
第3話 幼馴染は勇者様
「どうして逃げたの?」
リリア・アステルは、カイルのすぐ後ろに立っていた。
長い白髪に、整った顔立ち。昔から何をやらせても人並み以上にこなしてきた少女は、今朝ついに勇者武器No.1《始まりの勇者》の適合者に選ばれた。
つまり今、カイルが最も会いたくなかった人物である。
「逃げてない」
「逃げた」
「ちょっと急用を思い出しただけだ」
「図書館に?」
「…………」
リリアの視線が机へ向く。
そこには先ほどまでカイルが読んでいた《不滅の使徒ガイア》と《死奏者マエストロ》に関する資料が並んでいる。
「歴史の勉強?」
「そんなところだ」
「そう」
納得したのかしていないのか、リリアはそれ以上追及しなかった。
昔からこういうところはある。気になることには異様なほど食いつくくせに、興味がないことには驚くほど淡泊なのだ。
そして今、リリアの興味は別のところにあった。
「私、勇者になった」
「あ、ああ。聞いたよ。おめでとう」
「ありがとう」
リリアは小さく頷いた。
幼い頃から勇者になると言い続けてきた少女だ。それがついに叶ったのだから、本来ならカイルも素直に祝ってやりたい。
しかも選ばれたのは、ただの勇者武器ではない。
No.1《始まりの勇者》。
百の勇者武器の中でも特別な一本だ。
幼馴染として誇らしく思う気持ちがないわけではない。
自分が使徒兼魔王でさえなければ、もう少し素直に喜べた。
「それで、カイル」
「ん?」
「これ」
リリアが一枚の紙を差し出した。
カイルは反射的に受け取る。
「なにこれ?」
「パーティ申請書」
「…………なんで?」
「書いておいたから、サインして」
リリアが紙の下部を指差す。
そこだけが空欄だった。
カイル・エルデン。
本人署名欄。
それ以外は、見事なまでに全部埋まっている。
「…………」
「サイン」
「拒否権!!」
思わず声を上げてから、カイルは慌てて口を押さえた。
幸い、今度は司書から怒鳴られなかった。
「なんで俺が入ること前提で全部書いてんだよ!」
「カイルだから」
「理由になってない!」
「?」
「そこで不思議そうな顔するな!」
昔からそうだった。
リリア・アステルは、カイルにとって苦手な相手である。
嫌いではない。
むしろ幼馴染として大切に思っている。
ただ、苦手なのだ。
二人が生まれたのは、これといって名物もない田舎の小さな村だった。
家は隣同士。
両親同士も仲が良く、物心がつくより前から互いの家を行き来していたらしい。
今日はカイルの家で夕食。
明日はリリアの家で夕食。
休日になれば両家揃って町へ遊びに出かけ、親たちが忙しければ二人で遊ぶ。
だから「いつから仲良くなったのか」と聞かれても、カイルには答えようがない。
気がついた時には、隣にリリアがいた。
問題は、少し成長してからだった。
リリアは昔から何でもできた。
勉強をさせれば覚えるのが早い。運動をさせればすぐにコツを掴む。初めて触る道具でも、少し教えればそれなりに使いこなす。
いわゆる天才肌というやつだ。
そして、思い込みが激しい。
一度「こうする」と決めると曲げない。
普通なら途中で「無理かもしれない」と考えるところでも、リリアはそのまま進む。
なまじ本人に能力があるものだから、大抵の場合は本当に目的を達成してしまう。
ただし。
その過程で発生した問題は、なぜかカイルのところへやってきた。
何かを作ると言い出せば、足りない材料を集めるのはカイル。
遠くまで出かけると言い出せば、食べ物や帰りのことを考えるのはカイル。
何かに夢中になって予定を忘れれば、周囲へ謝るのもカイル。
本人は目的を達成して満足。
そして後ろを見る。
カイルがいる。
その繰り返しだった。
もちろんリリア一人でも、大抵のことはできる。
だが、彼女の成功が大きくなればなるほど、その裏ではカイルが準備を整え、足りないものを補い、問題が起きれば軌道修正し、最後には後始末をしていた。
リリア自身、それを明確に自覚しているわけではない。
ただ、長い年月の中で一つだけ本能的に理解してしまった。
――カイルがいれば大丈夫。
そして、その信頼が最も盛大に発揮されたのが、二人の進路を決める時だった。
『私、勇者学園に行く』
いつものようにリリアが言った。
『おお、頑張れ』
カイルは応援した。
昔から勇者になりたいと言っていたのだから、驚きもしなかった。
『カイルも』
『…………なんで?』
当然の疑問だった。
カイルは勇者になりたくない。
勇者への憧れも特にない。
勇者学園へ行く理由など一つもなかった。
『私が勇者になるから』
『うん』
『カイルも必要』
『なんで俺が必要なんだよ』
『必要だから』
『説明を諦めるな』
結局、押し切られた。
もっとも、カイル自身も最後には従者学科なら将来の仕事には困らないだろうと考えて受験したので、すべてリリアのせいというわけではない。
その結果、リリアは勇者学科。
カイルは従者学科。
さらにカイルは、物資管理や補給、輸送などを専門とするサポーター専攻を選んだ。
そして今日。
リリアは本当に勇者になった。
だから次は――。
「カイルも必要」
「十何年経っても同じこと言ってるな、お前!」
カイルは現在へ戻ってきた。
手にはパーティ申請書。
昔と何も変わっていない。
変わったのは、リリアが言い出したことの規模だけだ。
「でも、パーティは必要」
「それは知ってる」
勇者は強い。
勇者武器という、人間が扱えるものとしては規格外の力を持っている。
だが、勇者だからといって一人で何でもできるわけではない。
索敵、治療、護衛、情報収集。
装備の管理。
食料や消耗品の確保。
野営の準備。
長期遠征ともなれば輸送や補給経路まで考えなければならない。
どれほど強い勇者でも腹は減るし、眠らなければならない。怪我をすることだってある。
勇者武器で魔物を吹き飛ばせても、その勇者武器から夕飯が出てくるわけではない。
だから勇者学園では、勇者一人に従者五人を加えた六人を一つのパーティとして扱う。
原則として、勇者同士が同じパーティに所属することはできない。
勇者が最大の戦力として戦い、五人の従者がそれを支える。
戦場へ送り届け、最大限の力を発揮させ、生きて帰す。
それが従者の役割だった。
だが、従者が勇者を守らなければならない理由は、戦場だけではない。
世界には百の勇者武器が存在する。
しかし平常時、そのすべてが適合者を選んでいるわけではない。
勇者武器が選ぶ勇者は、通常なら二十人程度。
百本あるから百人の勇者がいる、というわけではないのだ。
対して、勇者になりたい人間は世界中にいる。
当然、席が足りない。
では、すでに適合者がいる勇者武器に選ばれたい人間はどうするのか。
普通なら待つ。
現在の勇者が死ぬか、何らかの理由で勇者ではなくなり、席が空くまで。
だが世の中には、その「普通」ができない人間もいる。
待てないなら。
席を空けさせればいい。
人類による、勇者の暗殺。
過去には実際に起きている。
次に自分が選ばれる保証などない。それでも勇者の座を求め、現在の適合者を殺そうとする者は後を絶たなかった。
毒を盛る。
眠っているところを襲う。
家族や仲間を利用する。
どれほど勇者本人が強くても、四六時中勇者武器を構えているわけではない。
だから従者は、魔物や使徒、魔王だけではなく――時には人間からも勇者を守る。
「だからカイルが必要」
「お前、俺に護衛させる気なの?」
「それだけじゃない。カイルはサポーターだから」
「まあ、専攻はそうだけど」
「私が戦う。カイルが必要なものを用意する」
リリアは当然のように続けた。
「いつも通り」
「いつも通りで世界規模の戦いに巻き込むな」
「でも今まで失敗してない」
「誰のおかげだと思ってんだ」
「私?」
「俺だよ!」
リリアが少し考えた。
「カイルも頑張ってた」
「『も』じゃねえ!」
頭が痛くなってきた。
だが、パーティが必要なのは事実だった。
しかも今は平常時ではない。
No.1《始まりの勇者》が目覚めた。
No.1は、その名の通り始まりを告げる勇者武器。
使徒か魔王が世界に現れたことで覚醒し、その適合者が選ばれれば、それまで眠っていた他の勇者武器も次々と目覚め始める。
平常時の二十人程度という枠を超え、勇者の数はこれから増えていく。
「…………」
その原因に心当たりがありすぎるカイルとしては、まったく嬉しくない話だった。
今朝一人増えた。
これからさらに増える。
つまり。
――俺を殺せる奴が、これからどんどん増えるってことじゃねえか。
昨日まで勇者に憧れのなかった少年が、わずか一晩で世界中の勇者の増加を恐れる立場になってしまった。
人生とは分からないものである。
「それに、六人揃えないと卒業できない」
リリアが言った。
「……もう卒業の話かよ」
「大事」
勇者学園は、決まった年数を過ごせば卒業できる学校ではない。
原則として二十歳まで在籍できるが、それ以前でも必要な条件を満たせば卒業できる。
基礎教養の必要単位を取得すること。
勇者を中心とした六人パーティを完成させること。
そして卒業後の所属先を決めること。
つまり内定を得ること。
この三つを満たせばいい。
「私は勇者になった」
「そうだな」
「パーティもカイルが入れば一人埋まる」
「埋まってない。俺まだサインしてない」
「残り四人」
「話を聞け」
「単位は取る」
「お前なら取るだろうな」
「内定も多分大丈夫」
「多分どころじゃねえだろ」
No.1《始まりの勇者》である。
世界中の国や組織が放っておくとは思えない。
つまりリリアの中では、すでに卒業までの道筋ができているのだ。
勇者になる。
六人パーティを作る。
単位を取る。
所属先を決める。
卒業する。
そして、その計画の最初から当然のようにカイルが組み込まれている。
「なんでお前の人生設計に俺が標準装備されてるんだよ……」
「カイルだから」
「またそれかよ」
リリアは再び申請書を差し出した。
「サイン」
「…………」
カイルは紙を見る。
断りたい。
ものすごく断りたい。
昨日、神々から勇者武器を破壊しろと言われたばかりなのだ。
その翌日にNo.1の勇者の正式なパーティメンバーになるなど、自分から処刑台の隣へ引っ越すようなものである。
だが――。
「…………待てよ」
ふと、別の考えが浮かんだ。
自分の目的は勇者武器を破壊すること。
そのためには当然、勇者武器について調べなければならない。
そして勇者学園には、世界中の勇者武器に関する情報が集まっている。
No.1の正式なパーティメンバーになれば、ただの従者学科の生徒では触れられない情報にも近づけるかもしれない。
さらに勇者と行動を共にすることになれば、実際の勇者武器を間近で観察する機会も増える。
危険。
間違いなく危険。
だが同時に、勇者武器を調べる立場としては――。
かなり都合がいい。
「カイル」
「…………」
「サイン」
「…………」
リリアがペンまで差し出してくる。
カイルは申請書を見る。
リリアを見る。
もう一度申請書を見る。
そして。
「……本件につきましては、一旦持ち帰りまして、諸般の事情を精査した上で、改めて前向きに再検討させていただきたく存じます」
「?」
「それでは失礼いたします!」
カイルは立ち上がった。
「カイル?」
逃げた。
今度は堂々と逃げた。
図書館を出ていくカイルの背中を、リリアは黙って見送った。
その手には、署名欄だけが空白のパーティ申請書が残されている。
「…………」
リリアは考えた。
カイルが何を言ったのか。
少し長くて分かりにくかった。
だが、一つだけ聞き取れた言葉がある。
「……前向き」
リリアは小さく頷いた。
「入ってくれる」
何一つ解決していなかった。
むしろ、カイルの知らないところで話は前へ進んでいた。
残存勇者武器:100




