第22話 大遠征・後編
第22話 大遠征・後編
遠征当日の朝、学園の正門前には何台もの馬車が並び、その周囲を勇者と従者たちが行き交っていた。
もっとも、ここに今回の参加者全員が揃っているわけではない。学園から出発する者、途中で合流する者、直接現地へ向かう者。それぞれの予定はすでに各パーティへ伝わっており、人数確認や細かな変更も担当者同士で処理することになっている。
数日前まで何もかも自分で抱えていたカイルからすれば、別の遠征かと思うほど整然としていた。
それでも、出発直前まで続いている仕事はある。
「これで最後。拠点用の予備ロープ」
「……入れろ」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫じゃないけど、まだ入る」
No.35《鞄の勇者》ロイド・キャリーは、馬車の脇に座り込んだまま力なく手を差し出した。
カイルから受け取ったロープが《鞄》へ消える。
その見た目は、最初からほとんど変わっていない。
変わっているのは持ち主の方だった。
顔色が悪い。肩も落ちている。今すぐ横になって眠り始めてもおかしくない有様だ。
ロイドの《鞄》は、本人の総魔力量に応じた量の物資を収納できる。ただし、入れた物を維持している間は、その量に応じて魔力を取られ続ける。
今回はそれを限界近くまで使っていた。
本来なら共同物資を運ぶために、さらに何台か馬車を用意する必要があった。それをロイド一人で減らしている。
「今、魔法どのくらい使える?」
「火種くらいなら……いや、怪しい」
「完全に荷物係だな」
「今回は戦える奴が腐るほどいるだろ。俺まで戦力に数える必要ねえよ」
ロイドはそう言うと、《鞄》を背負ったまま馬車へ寄りかかった。
「……早く着かねえかな」
「まだ出発前ですよ」
「知ってるよ」
「諸君!」
朝から一人だけ妙に元気な声が響いた。
「準備は整ったか! 本日は記念すべき勇者連合、その第一歩――」
「まだ結成してないからな」
「勇者連合を想定した合同遠征、その記念すべき第一歩だ!」
「言い直せるなら最初からそう言えよ」
拳を掲げるレオンを横目に、カイルは最後の確認を終えた。
やがて先頭の馬車が動き出し、大遠征が始まった。
途中の合流地点へ着けば、待っていたパーティの担当者同士で人数を確認する。変更がなければ、その報告だけがカイルたちのところへ上がってくる。
次の合流地点でも同じだった。
誰かが来るたびにカイルが走り回る必要はない。
各パーティで処理できることは各パーティに任せ、全体に影響するものだけを共有する。
ただそれだけのことで、驚くほど何も起こらなかった。
カイルは名簿へ一つ印をつけると、馬車の壁へ背中を預けた。
「……人に任せるって、すげえな」
「急にどうしたんですか?」
向かいに座るフィーネが首を傾げる。
「いや。ちょっと人生を反省してる」
「遠征中に?」
「遠征中だから」
「?」
フィーネは意味が分からないという顔をしたが、カイルはそれ以上説明しなかった。
今回の遠征には、もう一つ準備してきたものがある。
ただし、それはどの馬車にも積まれていない。
◇
前進拠点の予定地へ到着すると、先行していた者や現地集合組も加わり、一気に大所帯らしい光景になった。
今回の想定は、この先で《魔王らしきもの》が目撃されたというものだ。
いきなり全員で奥へ進むのではなく、まず周辺の安全を確認し、何かあった時に戻れる前進拠点を作る。安全確認、物資の搬入、設営、警戒。それぞれが事前に決めた仕事へ散っていった。
「ロイド、降ろせるぞ」
「待ってました」
道中ほとんど死んでいたロイドが、ようやく身体を起こした。
《鞄》から拠点用の資材が出てくる。続いて予備の食料、救護用品、ロープ、各種消耗品。
カイルは物資表を片手に、出てきた物と置き場所を確認していった。
荷物が減るにつれて、ロイドの顔色も目に見えて戻っていく。
「……あー、生き返る」
「そんなに違う?」
「違う。空になればなるほど楽になる」
共同物資をほぼ吐き出し終える頃には、出発前のグロッキーぶりが嘘のようだった。
ロイドは大きく伸びをして《鞄》を背負い直す。
「よし。これなら普通に動ける」
「行きは完全に荷物だったもんな」
「高性能荷車と言え」
「人間ですらなくなってるぞ」
そんなやり取りをしながら物資表へ目を落としていたカイルは、視界の端を横切ったものに気づいた。
何か大きな板が浮いている。
いや、違う。
「……盾が浮いてる? 動いてる?」
「わしの力じゃよ」
声のした方を見ると、一人の老人が立っていた。
その周囲では四枚の盾が、それぞれまったく別の仕事をしている。
一枚は盾の縁を地面へ突き立て、まるで鋤のように土を掻き出して穴を掘っていた。もう一枚は、テントを組み立てている者たちの横で、杭の頭を上から何度も叩いている。
残る二枚には資材が載せられ、地面すれすれを滑るように運ばれていた。
「あなたは、確か……」
「バルガス・ローデン。No.22《護壁の勇者》じゃ」
「ああ、三人で参加してる」
「そうじゃ。連れは向こうで働いとる」
バルガスが顎で示した先では、彼と同年代ほどの男と、若い少年が他の参加者に混じって設営作業をしていた。
カイルは改めて四枚の盾を見る。
「四枚で一つの勇者武器なんですか?」
「そうじゃ。この四枚で一組じゃ」
「勝手に動いてるわけじゃないですよね?」
「全部わしが動かしとる。四枚それぞれ、好きなようにな」
そう言った直後、穴を掘っていた盾が止まり、土を載せたまま横へ移動する。それと同時に別の盾は杭を打ち続け、残る二枚は別々の方向へ資材を運んでいた。
四枚を同時に、しかも一枚ずつ別々に操っている。
「《防護》って聞いてたんですけど」
「そうじゃよ」
「穴掘ってますよ?」
「盾は硬いからの」
「杭も打ってますよ?」
「盾は硬いからの」
「荷物まで運んでますよ?」
「浮くからの」
「……本来はどう使うんです?」
「盾じゃぞ?」
「それは分かりますけど」
バルガスが笑った。
「前に並べりゃ壁になる。一枚ずつ別の奴を守らせてもいい。飛ばしてぶつけりゃ武器にもなるし、わしが乗ることもできる。四枚をどこへ置くかは、わし次第じゃ」
「なるほど……」
能力そのものは分かりやすい。
四枚の盾を自在に操る。
だが、実際に何へ使うかとなれば、話は別らしい。
設営が一段落すると、バルガスは資材を運んでいた盾の一枚を足元へ呼び寄せ、その上へ腰を下ろした。
「それ、椅子にもするんですか?」
「歩かんで済むからの」
「便利ですね……」
「さっきからそう言っとるじゃろ」
老人を乗せた盾が、すうっと地面の上を移動していった。
◇
前進拠点が完成に近づいた頃、カイルは周囲を見回した。
探しているものの姿はない。
それでいい。
今回使うネズミたちは、そもそも遠征隊と一緒に運んできていない。
参加者の能力を調べた時点で、No.60《獣の勇者》がオオカミ型だと分かっていた。全身を獣へ変えるだけでなく、耳や鼻など一部だけを変化させることもできる。大量のネズミを箱に詰めて馬車へ載せれば、途中で気づかれる可能性がある。
だから、ネズミには自分たちで来てもらった。
《獣編》を聞かせた時点で、遠征の日程に合わせた条件付きの命令を与えてある。
指定された日までにこの周辺へ来ること。
同じ道へ固まらず、できるだけ別々の経路を使うこと。
途中で水辺や湿った場所を通り、泥を被って臭いを紛らわせること。
遠征隊より風下になる場所へ散って待機し、風向きが変われば位置をずらすこと。
そして探索班が出発する予定時刻になったら、一斉に前進拠点の近くを同じ方向へ走り抜ける。
そこまで終われば、あとは自由だ。
これでオオカミの鼻を完全に誤魔化せるとは思っていない。
何もしないよりはマシ、という程度の対策だ。
カイルは《獣の勇者》の姿を探した。
拠点の外周付近で他の者と話している。耳も鼻も人間のまま。特に何かを気にしている様子はない。
今のところは問題なさそうだった。
◇
「では予定通り、ここから探索班と拠点防衛班に分かれる!」
前進拠点にレオンの声が響いた。
探索班は《魔王らしきもの》の目撃地点へ向かい、正体と周辺状況を確認する。危険と判断した場合は無理に戦わず、情報を持ち帰る。
カイルとフィーネは拠点に残る側だった。
フィーネには戦闘能力がない。カイルも表向きはサポート専攻の非戦闘員である。わざわざ正体不明の危険がある場所へ同行する理由はない。
「ちゃんと無理に戦うなって覚えてたんだな」
「当然だ!」
レオンが胸を張る。
「俺は皆と決めたことを忘れたりはしない!」
「そういうところはちゃんとしてるんだよな……」
「そういうところ?」
「何でもない」
探索班が装備を確認し始める。
No.60《獣の勇者》は耳だけをオオカミへ変え、周囲の音を拾っていた。
少し離れた場所ではNo.31《弓の勇者》が弓を手にしている。
バルガスは一枚の盾へ腰掛けたまま、拠点全体を眺めていた。
準備は整った。
「よし!」
レオンが腕を上げる。
「探索班、出発――」
草むらが大きく揺れた。
一匹のネズミが飛び出す。
続いて二匹、三匹。
直後、数える意味がなくなった。
「うわっ!?」
「なんだ!?」
何十匹ものネズミが次々と草むらから飛び出し、前進拠点のすぐそばを一斉に駆け抜けていく。
カイルも周囲に合わせて驚いた顔を作った。
視線だけを動かす。
リリアは一歩退いた直後、左手の甲から旗槍を呼び出した。長い柄を握り、周囲を確認する。まだ敵がいると決まったわけではない。《集結》を使う段階ではないが、何かが出てくればすぐに動ける構えだ。
「何だこれは!」
レオンは反射的に聖剣を抜いた。しかし、ネズミが人間へ向かってこないと分かると、斬りかかることなく周囲へ目を向ける。
ガルドの身体には鋼鉄が広がっていた。走り去るネズミではなく、その向こうや草むらへ意識を向けている。
ロイドは《鞄》へ腕を突っ込み、大盾を一枚引き抜くと地面へ立てた。
「戦闘が得意じゃない奴はこっちに集まれ!」
自分が前へ出るのではなく、戦えない者が身を隠せる場所を先に作る。
少し離れた場所ではNo.44《雷鳴の勇者》が避雷針を呼び出していた。だが、人間が密集する拠点内へ突き立てることはせず、そのまま手に持って外周へ視線を向ける。
そして――。
バルガスは、すでに動いていた。
正確には、本人ではなく四枚の盾が。
一枚が真っ先に若い少年――バルガスの孫のもとへ飛び、その前へ滑り込む。
二枚目はカイルとフィーネの前へ。
「うおっ」
「きゃっ」
突然現れた盾に二人が足を止める。
三枚目は、少し離れた場所で弓を構えたまま動きを決められずにいる《弓の勇者》の前へ飛んだ。
最後の一枚がバルガス自身の足元へ滑り込む。
「よっ、と」
バルガスを乗せた盾が浮き上がった。
人の頭より高い位置まで上昇し、そこで止まる。
拠点全体を見渡せる高さだった。
「ネズミを見るな!」
上から声が飛ぶ。
「戦える者は外を見るんじゃ! あれだけ揃って逃げてきたなら、見るべきは後ろじゃろう!」
カイルは自分とフィーネの前に置かれた盾越しに周囲を見る。
設営中には穴を掘り、杭を打ち、荷物を運んでいた四枚の盾。
今は一枚も遊んでいない。
孫。
非戦闘員。
動きの止まった勇者。
そして、自分自身を高所へ運んで全体を見るための足場。
全部を一瞬で割り振った。
「……すげえ爺さんだな」
「何か言ったかの?」
「聞こえるの!?」
「まだ耳は遠くないわ!」
怒鳴り返してきた。
その間にもネズミの群れは走り続けている。
《獣の勇者》が鼻までオオカミへ変えた。
「……なんだ?」
鼻先を動かし、空気を嗅ぐ。
「どうした?」
ガルドが尋ねる。
「いや……臭いが変だ」
「変?」
「ネズミ臭いのは当たり前なんだが……泥臭い奴が多い。水の臭いも混じってる」
そこまで分かるのかよ。
カイルは盾の陰で顔に出さないよう努めた。
「ここで嗅いでるだけじゃ、それ以上は分からんな」
《獣の勇者》はそう付け加えた。
「なら確認じゃな」
高所のバルガスが答える。
「全員で動く必要はない。何人かで、こやつらが来た方を調べる。何もなければ予定通り探索へ出ればええ」
「俺が行く」
《獣の勇者》がすぐに手を上げた。
「臭いと痕跡なら追える」
「ならば俺も――」
「お主は待っとれ」
「なぜだ!?」
「お主まで行ったら、本来の探索班を誰がまとめるんじゃ」
「なるほど!」
「納得が早いのう」
原因確認班の人選が始まる。
その時、カイルは《弓の勇者》が一歩前へ出かけて止まるのを見た。
手の中の弓が小さく縮みかけ、次には長く伸びる。さらに弩弓のような形へ変わりかけて、また止まった。
原因確認班と拠点を交互に見る。
自分も確認へ行くべきなのか。
ここへ残るべきなのか。
それとも本来の探索班として待つべきなのか。
「おい!」
同じパーティの仲間が声を飛ばした。
「お前は残って、ここから確認班を援護してくれ! 何か出たら頼む!」
「――分かった!」
返事と同時に、弓の形が定まった。
長距離を狙うための大きな弓。
《弓の勇者》はすぐに位置を変え、原因確認班が向かう方向へ射線を確保した。
すると、その前に浮いていたバルガスの盾がすっと離れる。
何も言わない。
役割が決まり、動き始めたのを確認しただけで、もう守る必要はないと判断したらしい。
空いた盾はそのまま拠点の外側へ移動し、警戒に加わった。
カイルはそれを見てから、《弓の勇者》へ視線を戻した。
さっきまでとは別人のように迷いがない。
◇
《獣の勇者》を中心とした原因確認班が戻ってきたのは、それからしばらくしてからだった。
「どうだった?」
「危険なものは見つからなかった。ただ、妙だな」
《獣の勇者》は難しい顔をしている。
「何がじゃ?」
「最初は一つの群れが来たと思ったんだが、痕跡が合わない。こっちから来た奴もいれば、別方向から回り込んできた奴もいる。水場を通った跡や、泥まみれの足跡もあった」
カイルは黙って聞く。
「つまり?」
「少なくとも、最初から全員一緒だったわけじゃないらしい。途中でこの辺りに集まってきたように見える」
「大型の魔物が暴れた跡は?」
「見つからなかった。原因までは分からん」
対策してこれか。
オオカミ型の《獣化》を甘く見なくて正解だった。
もっとも、ネズミたちへの命令はすでに終わっている。拠点を走り抜けた個体から自由になり、群れを維持する理由もなく、それぞれ散っているはずだ。
「なら、現時点で拠点を放棄する理由はないな」
ガルドの言葉にバルガスも頷いた。
「予定通りでええじゃろ」
「では改めて!」
待ちきれなかったようにレオンが前へ出る。
「探索班、出発するぞ!」
今度こそ、探索班は前進拠点を離れていった。
カイルとフィーネは拠点に残る。
原因確認という予定外の出来事が挟まったことで多少の遅れは出たが、拠点そのものに問題はない。残った者たちは警戒を続けながら、探索班からの連絡を待った。
そして戻ってきた報告は、概ね良好だった。
《魔王らしきもの》に該当する存在は発見できず。周辺に異常なし。途中で数体の魔物と遭遇したものの、必要なものだけを排除し、予定していた地点までの調査を完了。
各勇者の役割にも、大きな問題はなかった。
カイルは探索記録へ目を通す。
No.31《弓の勇者》。
遠距離警戒及び援護。
距離や地形に応じて勇者武器の形状を変更。交戦時の対応も良好。
特に問題なし。
「……やっぱり、弱いわけじゃないんだよな」
「何かありましたか?」
隣からフィーネが覗き込もうとする。
「いや。みんなちゃんと強いなって」
「勇者ですからね」
「そうだな」
カイルは記録を閉じた。
◇
その夜。
自室へ戻ったカイルは、遠征で使った資料を机の上へ広げていた。
ネズミが走り出した瞬間、驚かなかった者などほとんどいない。
だが、驚くことと動けないことは違う。
リリアは状況を理解すると旗槍を呼び出した。
ガルドは鋼鉄を纏い、ネズミではなく周囲を警戒した。
ロイドは大量の道具を持っているにもかかわらず、迷わず大盾を選び、戦闘が不得意な者の退避場所を作った。
《雷鳴の勇者》は攻撃手段を用意しながらも、人の密集した場所で雷を落とすことはしなかった。
バルガスは四枚の盾を一瞬で別々の場所へ配置し、自分は高所から全体を見た。
《獣の勇者》は自分の鼻を使い、何が起きているのかを確かめようとした。
レオンは――まあ、あれはあれで迷いがない。
正解は一つではない。
それでも、それぞれが自分で最初の一手を選んでいた。
カイルは資料を一枚ずつ横へ退けていく。
一枚だけが残った。
ネズミが現れた時、勇者武器の形が定まらなかった。
原因確認班が作られた時にも、自分がどこへ行くべきか決められずに止まった。
だが、仲間から役割を与えられた瞬間、迷いは消えた。
その後の探索では、何の問題も起こしていない。
弱いわけではない。
判断が遅いわけでもない。
何をすべきか決まっている時は、むしろ優秀だ。
ただ、予定外の出来事が起き、自分で自分の役割から決めなければならなくなった時。
その最初の一手が遅れる。
なら、その一瞬を突けばいい。
カイルは一枚だけ残した資料を机の中央へ置いた。
そこに書かれている番号を、もう一度見る。
No.31《弓の勇者》。エリオット・アーチェル。
未覚醒の勇者武器は壊した。
次は、覚醒済み。
「……さて、どう壊すかな」
残存勇者武器:98
確保?:1




