第15話 笛吹きへの道
第15話 笛吹きへの道
フィーネに音楽を教えてほしいと頼んでから、数日が経った。
俺は今、人生で初めて本気で楽器と向き合っている。
「…………」
「…………」
俺の手には一本の笛。
向かいにはフィーネ。膝の上に両手を置き、なぜか期待に満ちた目でこちらを見ている。
「カイルさん、どうぞ!」
「……なんでそんなに楽しそうなんだ?」
「だって、カイルさんが吹くんですよ?」
「俺が吹くと何かあるのか?」
「あります!」
「何が?」
「私が嬉しいです!」
「……そうか」
「はい!」
よく分からないが、本人が嬉しいならいいか。
俺は笛を構えた。
「じゃあ、いくぞ」
「はい!」
フィーネが身を乗り出す。
教わった通りに穴を塞ぎ、吹き口へ唇を当てる。大きく息を吸い込み――。
「ピィィィィィィィィィィィィ!!」
「ひゃあっ!?」
フィーネが飛び上がった。
「カイルさん! 強いです、強いです!」
「何が!?」
「息です! そんな全力で吹かなくても笛は逃げません!」
「最初だからしっかり音を出そうと思って」
「しっかりを通り越して悲鳴です!」
そんなつもりはない。
ないのだが、自分で聞いても笛が助けを求めているような音だった。
音楽。
これまでの人生で、まったく縁がなかったわけではない。祭りや式典で演奏を聞いたことくらいはあるし、歌だって知っている。
だが、自分で楽器を演奏するとなると話は別だった。
指を動かす。息を吐く。それだけなら簡単そうに思えるのに、二つを同時に、それも正確にやろうとすると途端に難しくなる。
「でも、ちゃんと音は出ましたね」
「今のでも?」
「はい。最初なんですから、それでいいんです」
「……ハードル低くない?」
「最初から上手だったら、私が教えることなくなっちゃうじゃないですか」
フィーネは耳を押さえていた手を下ろすと、もう一度俺の笛を指差した。
「もう一回やりましょう!」
「お前、本当に楽しそうだな」
「楽しいですよ?」
「なんで?」
「だから、カイルさんが――」
そこでフィーネがぴたりと止まった。
「俺が?」
「……なんでもありません!」
「なんだよ」
「はい! もう一回!」
「誤魔化したな?」
「今度はもっと優しく吹いてください!」
強引に流された。
仕方なくもう一度構える。
息を吸い、今度はさっきより弱く吹く。
先ほどの耳をつんざくような音ではなく、それなりに笛らしい音が鳴った。
「そうです! 今の感じです!」
「おお」
「そのまま次の音にいきましょう。指はここを離して――」
言われた通りに指を動かす。
「ピョッ」
「…………」
「…………」
「今のは?」
「失敗です」
「だよな」
先は長そうだった。
◇
そもそも、俺が笛を始めた理由は単純だ。
《洗脳の音楽・人間編》。
あれは二重奏だった。
俺には楽譜なんて読めなかったから分からなかったが、フィーネによれば二つの独立したパートを、二つの楽器で演奏することを前提に作られているらしい。
歴代の《死奏者マエストロ》が多腕だったという文献の記述を考えれば、あいつなら一人で二つの楽器を演奏していたのかもしれない。実際にそうだったかは分からないが、少なくとも俺には真似できない。
何しろ腕は二本しかない。
だったら、フィーネと二人で演奏するしかない。
そのためには俺も楽器を扱えるようになる必要がある。
そう考えて始めた笛だったのだが――。
「フィーネ」
「はい?」
「そろそろ曲をやりたい」
「曲ですか?」
フィーネの表情がぱっと明るくなった。
「もしかして!」
「ん?」
「二重奏ですか!?」
「いや、違う」
「…………」
しゅん。
目に見えてしょんぼりした。
「なんでそんなに落ち込むんだよ」
「落ち込んでません」
「いや、明らかに落ち込んだだろ」
「落ち込んでません」
「じゃあこっち見ろよ」
「楽譜を見てます」
「さっきまで俺見てたじゃん」
「今は楽譜を見る時間です」
「なんなんだよ……」
俺が差し出したのは、マエストロから受け継いだ楽譜の一枚。
――《洗脳の音楽・魔物編》。
もちろんフィーネは、この曲の本当の用途を知らない。
フィーネは少し頬を膨らませたまま楽譜へ目を走らせ、やがて俺を見た。
「……カイルさん」
「ん?」
「まだ早いです」
「どれくらい?」
「かなりです」
「具体的には?」
「まず、音を外さず吹けるようになりましょう」
「そこから!?」
「そこからです!」
俺としては、もう何日も笛を吹いている。
そろそろ一曲くらいやらせてもらえる頃だと思っていた。
「でも、練習するなら最終的に吹きたい曲でやった方が効率よくないか?」
「カイルさん、まだ楽譜を見ながら指を動かすだけでも止まるじゃないですか」
「止まるな」
「息継ぎすると次の音を見失いますよね?」
「たまにな」
「昨日、同じところを三回間違えましたよね?」
「……よく覚えてるな」
「教えてる側ですから!」
駄目らしい。
とはいえ、俺だって遊びで音楽を始めたわけではない。
No.63を破壊してから、次にどうやって覚醒済みの勇者武器を壊すか、ずっと考えている。
未覚醒の勇者武器なら壊せた。だが、覚醒済みとなれば事情が違う。勇者から奪って持ち帰ろうとしても、刻印へ格納されてしまう。しかも選ばれた勇者以外には、勇者武器として使うことすらできない。
だったら、俺自身が直接手を下す必要はない。
使えるものを使えばいい。
そして俺の手元には、まだ試していない楽譜がある。
《魔物編》。
名前通りなら、こいつは魔物を支配できる。
獣編では実際にリスを操ることができた。なら、同じ《洗脳の音楽》である魔物編にも期待はできる。
問題は一つ。
俺が演奏できない。
「……これが吹きたいんだ」
改めて言うと、フィーネが楽譜と俺を交互に見た。
「そんなにですか?」
「ああ」
「この曲、好きなんですか?」
「好きというか……必要というか」
「必要?」
「将来的に」
嘘ではない。
勇者武器を破壊するために必要なのだから。
「…………」
フィーネはしばらく俺を見つめ、それからもう一度楽譜へ目を落とした。
そして。
「分かりました!」
「いいのか?」
「やりましょう!」
「急にやる気出たな」
「カイルさんがそこまで吹きたいなら、私がちゃんと教えます!」
「助かる」
「はい!」
また嬉しそうになった。
感情が分かりやすいやつだ。
「ただし!」
「はい」
「最初から全部はやりません。まずはここまでです」
フィーネの指が楽譜の一部分を示した。
「短くない?」
「長いです」
「これだけ?」
「これだけです。それを間違えずに吹けるようになったら次へ進みます」
「……分かった」
「それと、基礎練習も続けますからね」
「曲だけじゃ駄目?」
「駄目です!」
厳しい。
音楽家というのは、もっと優雅な生き物だと思っていた。
◇
そこから俺の生活に、笛の練習が本格的に組み込まれた。
授業がある。サポート専攻の課題もある。No.1パーティの集まりもある。その合間にフィーネとの時間を作って教わり、それ以外にも一人で笛を吹く。
当然、自由に使える時間は減った。
だったら、限られた時間を効率よく使うしかない。
「ここで間違える」
楽譜へ印をつける。
最初から最後まで何度も吹くのはやめた。間違える場所が分かっているなら、そこだけを繰り返した方がいい。
指が追いつかない部分は、まず吹かずに指だけ動かす。それができたら音を出す。息が続かないなら、どこで息を吸うか決める。一度に全部直そうとせず、今日は指、次は息遣いと課題を分ける。
そうして練習していると、横から楽譜を覗いていたフィーネが妙な顔をした。
「……カイルさん」
「ん?」
「音楽の練習までサポート専攻みたいですね」
「どういう意味だよ」
「だって、予定を立てて、問題を見つけて、一個ずつ潰してるじゃないですか」
「できないところがあるなら、そうするしかないだろ」
「普通はもう少し感覚でやる人もいますよ」
「俺にそれを求めるな」
「ふふっ。カイルさんらしいです」
「褒めてる?」
「褒めてます」
フィーネが楽しそうに笑う。
俺は音楽の天才ではない。
というか、才能があるかどうかを考えられる段階にすら達していない。
だったら、できないところを一つずつ減らすしかなかった。
もっとも、それだけで何でも解決するわけではない。
「――そこです」
「また?」
「またです」
同じ箇所で止まった。
指使い自体は覚えた。楽譜も読める。それなのに、前の音から繋げようとすると、どうしても一瞬遅れる。
「一音ずつ追いすぎなんですよ」
「書いてあるんだから追うだろ」
「そうじゃなくて……」
フィーネが少し考え、身体に刻まれた《27》からハープを呼び出した。
「一回、聞いてください」
弦へ指を添える。
音が流れた。
俺が何度も引っ掛かっていた部分だ。
ただ、俺が一音、一音と必死に追いかけていたものが、フィーネの手にかかると最初から一つの流れだったかのように繋がって聞こえる。
「……もう一回」
「はい」
もう一度。
今度は楽譜を見ながら聞く。
なるほど。
分かった――気がする。
「じゃあ、私と一緒にやってみましょう」
「一緒に?」
「はい。私がハープを弾きますから、カイルさんは笛で」
「これ、二重奏じゃないぞ」
「練習です!」
「なるほど」
俺が笛を構える。
フィーネもハープへ指を添えた。
……が。
「…………」
「フィーネ?」
「はい?」
「弾かないの?」
「弾きます!」
「じゃあ、なんで止まってるんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
フィーネが一度大きく息を吸った。
吐く。
もう一度吸う。
「……よし」
「何が?」
「なんでもありません!」
「?」
何を緊張してるんだ。
教えるのはこいつの方だろうに。
「いきますよ、カイルさん」
「ああ」
「せーのっ」
ハープが鳴った。
俺も笛を吹く。
――失敗した。
「すまん」
「もう一回やりましょう!」
「即答だな」
「はい!」
もう一回。
失敗。
「もう一回です!」
三回目。
また失敗。
「もう一回!」
「フィーネ」
「はい?」
「疲れない?」
「全然!」
「そう……」
俺より楽しんでない?
四回目。
また問題の場所で指が遅れた。
「うーん……」
「惜しかったです」
「でも駄目だった」
「カイルさん、私に合わせようとしすぎなくていいですよ」
「合わせる練習じゃないのか?」
「私の音を聞いて、流れだけ感じてください。カイルさんは自分の音を吹けばいいんです」
「難しい注文するなぁ」
「大丈夫です」
フィーネが笑う。
「さっきより、ちゃんと良くなってますから」
もう一度。
フィーネの指が弦を弾く。
俺も笛を吹く。
問題の箇所が近づいてきた。
ここだ。
今までなら、一つ目の音を吹いて、次の音を確認して、それから指を動かしていた。
今回は違う。
フィーネの音が流れていく。
それを一音ずつ追いかけるのではなく、その流れの中へ自分の音を乗せる。
指が動いた。
音が繋がった。
そのまま次へ。
止まらない。
最後まで吹いて、笛を口から離した。
「…………できた」
「できました!」
「うおっ!?」
フィーネが勢いよく立ち上がった。
「カイルさん、今のです! 今のすっごく良かったです!」
「近い近い!」
「あっ」
いつの間にか目の前まで来ていたフィーネが、慌てて一歩下がった。
「す、すみません」
「いや、別にいいけど」
「でも本当に良かったです! ちゃんと私の音を聞いてくれてましたよね?」
「ああ。なんとなく分かった気がする」
「ですよね!」
また一歩近づいてきた。
「近いって」
「あっ」
また下がった。
なんなんだ。
「じゃ、じゃあ、もう一回やりましょう!」
「おう」
フィーネがいそいそとハープの前へ戻る。
なんだか分からないが、機嫌がいいなら何よりだ。
◇
それからも練習は続いた。
一つの区間が吹けるようになれば、次へ進む。
そこでも当然のようにつまずく。
また練習する。戻る。繋げる。失敗する。直す。
何日も繰り返すうちに、最初は意味不明な記号の集まりにしか見えなかった楽譜も、少しずつ読めるようになっていった。
笛も、最初のように耳を破壊する音を出すことはなくなった。
……たまには出る。
「今のは忘れてくれ」
「嫌です」
「なんでだよ」
「カイルさんが上手になったら、最初はこんな音だったんですよって教えてあげます」
「誰に!?」
「さあ?」
「怖いこと言うなよ!」
フィーネはくすくす笑っている。
最近、こいつは俺が失敗しても楽しそうだ。
もちろん間違いはちゃんと指摘してくるし、同じところを何度間違えても付き合ってくれる。
俺一人だったら、とっくに笛を壁へ投げていたかもしれない。
そのたびに、
「もう一回です!」
と言ってくるやつがいるから続いている。
そして、ある日。
いつもの練習場所で、フィーネが《魔物編》の楽譜を最初から最後まで確認した。
「カイルさん」
「ん?」
「今日、一回通してみましょうか」
その言葉に、俺は笛を持ったまま固まった。
「全部?」
「全部です」
「途中で止まったら?」
「そこからやり直せばいいですよ」
「……よし」
楽譜を置く。
笛を構える。
ふとフィーネを見ると、胸の前で両手を握っていた。
「……なんでお前が緊張してるんだ?」
「してません」
「してるだろ」
「してません!」
「じゃあその手はなんだよ」
「応援です!」
「そうかよ」
「頑張ってください!」
「おう」
初めてこの曲を持ってきたときは、最初の部分すらまともに吹けなかった。
今なら、どこで息を吸うかも分かる。どこで指が忙しくなるかも、どこで音が大きく変わるかも覚えている。
息を吸った。
最初の音を出す。
フィーネは何も言わない。
俺の笛の音だけが続いていく。
最初の区間を越える。
次。
何度も間違えたところ。
指が動く。
通った。
視界の端でフィーネの握った拳が小さく動いた。
応援するなら声に出せ。
いや、演奏中だから出されても困るか。
その先で少し音が揺れた。
フィーネの肩まで揺れた。
お前が吹いてるわけじゃないだろ。
危ない。
だが、止めない。
息を整え、次の音へ繋げる。
まだある。
もう少し。
楽譜を目で追いながら指を動かす。
最後の一節。
息を吸う。
吹く。
そして――最後の音が消えた。
「…………」
静かになった。
俺は笛を口から離した。
「……できた」
「できましたぁっ!」
「うおっ!?」
フィーネが飛んできた。
両手で俺の手を握る。
「すごいです、カイルさん! 最後まで! ちゃんと最後まで吹けました!」
「あ、ああ」
「最初、本当にすごい音だったのに!」
「褒めてる?」
「褒めてます!」
「なら最初の音の話やめない?」
「だって、あそこからですよ!? ピィィィィって!」
「再現するな!」
「それが今は一曲ですよ!?」
「黒歴史を成長の基準にするな!」
「すごいです!」
「聞いてる!?」
フィーネは笑っていた。
俺もつられて笑う。
できた。
本当に、一曲吹けた。
勇者武器を壊すために始めたはずだった。
必要だから覚えようと思っただけだった。
それでも、何もできなかったところから、フィーネに教わって、自分でも練習して、何度も間違えて、それでも一曲を最後まで吹けるようになった。
普通に嬉しかった。
「…………」
「…………」
そこでフィーネが止まった。
視線が下へ向く。
俺もつられて見る。
フィーネの両手が、まだ俺の手を握っている。
「…………あ」
ぱっ。
ものすごい勢いで離れた。
「す、すみません!」
「いや、別に」
「これは、その、先生としてですね!」
「うん」
「生徒がちゃんと一曲吹けるようになったので!」
「うん」
「嬉しかっただけです!」
「分かったって」
「本当ですよ!?」
「なんで俺に念押しするんだよ」
「なんでもありません!」
顔を赤くしたフィーネが、逃げるようにハープのところまで戻っていく。
変なやつだ。
しばらくハープの陰に隠れるようにしていたフィーネだったが、やがてひょこっと顔を出した。
「……じゃあ」
「ん?」
「次は、私と二重奏ですね」
「ああ。そうだな」
「…………えへへ」
「なんで笑った?」
「なんでもありません」
そう言いながら、全然隠せていない笑顔でハープを抱きしめている。
まあいい。
そもそも俺が笛を始めた一番の理由は、《人間編》をフィーネと演奏するためだ。
そっちの練習も始めなければならない。
だが、その前に。
俺は手元の楽譜へ目を落とした。
――《洗脳の音楽・魔物編》。
演奏できるようになった。
なら、次に確かめることは一つしかない。
本当に、魔物を支配できるのか。
「楽しみですね、カイルさん」
「そうだな」
嬉しそうなフィーネへ答えながら、俺は笛を握り直した。
これまで《魔物編》を魔物の前で演奏したことは一度もない。
つまり、演奏できるようになっただけでは、まだ何も始まっていない。
効果を確かめるなら、実際に魔物を相手にする必要がある。
もちろん、いきなり危険な魔物を相手にするつもりはない。
まずは弱い個体を一匹。
罠でも何でも使って、逃げられず、こちらにも危険が及ばない状況を作る。そのうえで《魔物編》を演奏して、俺の命令が通るか確かめる。
そこまで成功して、ようやく次へ進める。
「……よし」
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
笛は吹けるようになった。
次に必要なのは、練習相手ではない。
魔物だ。
残存勇者武器:98
確保?:1
残存勇者武器:98
確保?:1




