第10話 最初の一本
第10話 最初の一本
(……行けるな)
崩落した坑道を塞ぐ岩の隙間と、少し離れた岩陰からこちらを窺っているリスを見比べながら、カイルはそう確信した。
人間はもちろん、腕一本通すことも難しい隙間だ。しかし、リスなら問題なく入れる。そもそも鉱山までついてこさせたのは、《洗脳の音楽・獣編》の効果が演奏後も続くのか、「俺についてこい。ただし、フィーネには見つかるな」という条件付きの命令まで理解できるのかを確かめるためだった。
結果は上々。学園近くからここまでついてきたうえ、フィーネには一度も見つかっていない。
ならば、もう一つ試してみる価値はある。
(あの隙間から奥へ入れ。人間が作った物を探せ。見つけたら俺のところまで持ってこい。フィーネには見つかるな)
命令を与えると、リスはすぐに動き出した。
「カイルさん?」
「ん?」
「さっきから崩れたところ見てますけど、やっぱり掘れそうですか?」
「いや。無理だろうな」
フィーネが坑道図へ視線を落とした瞬間、小さな身体が岩陰から飛び出し、崩落の隙間へ滑り込んでいく。どうやら命令は通じたらしい。
「この地図だと、目撃されたのはこの先ですよね」
「たぶんな。証言と坑道の形も一致してるし、場所そのものはかなり絞れたと思う」
「うーん……惜しいですね」
フィーネが残念そうに崩落した岩を見上げる。発見できれば三倍だった報酬が、目の前の岩の向こうに消えてしまったような顔をしていた。
「掘ります?」
「だから何日かかるんだよ。しかも下手に触って二次崩落したら洒落にならない」
「ですよねぇ……」
「まあ、今回はお試しなんだから十分だろ。証言がかなり正確だったことと、推定地点が崩落で進入不能になってることは確認できた。新しい情報として認められれば一・五倍だ」
「三倍……」
「諦めろ」
そんなやり取りをしながらも、カイルは時折さりげなく崩落箇所へ視線を向けていた。しばらくして、小さな影が隙間から飛び出してくる。
(戻ってきた)
しかも、何かを咥えている。細長い、黒ずんだ金属のようなものだった。
(……なんだ、あれ?)
リスはフィーネから隠れるという命令を忠実に守り、岩陰から岩陰へ移動しながらカイルの近くまでやってくる。だが、フィーネはまだ地図を見ていた。
今なら取れる。
「フィーネ」
「はい?」
「あっちの壁なんだけど、地図とちょっと形が違わないか?」
「え? どこです?」
フィーネが反対側を向く。その瞬間、カイルはしゃがみ込んだ。
リスが咥えていた物を受け取り、そのまま鞄へ滑り込ませる。一瞬だけ見えたそれは、どう見ても一本の古びた杭だった。
(…………杭?)
何を期待していたのだろう。人間が作った物を持ってこいと命じたのだから、鉱山で使われていた古い杭を拾ってきても何もおかしくない。むしろ命令どおりである。
(そりゃそうだよな)
カイルは少しだけ肩を落とした。
「カイルさん?」
「ああ。悪い、見間違いだった」
「そうですか?」
「うん。じゃあ戻るか」
「はい。初探索、終了ですね!」
フィーネが明るく答える。その後ろで、カイルはリスへもう一度だけ意識を向けた。
(もういいぞ。帰れ)
小さな実験協力者は、今度こそ木々の向こうへ消えていった。
◇
学園へ戻った二人は、そのまま今回の調査結果を報告した。
数十年前の鉱夫の証言と、実際の坑道の構造がおおむね一致していたこと。証言から推定される地点まではかなり絞り込めたこと。そして、その手前で大規模な崩落が発生しており、それ以上の進入は困難だったこと。
報告を受けた職員によれば、新しい有用情報として認められるかどうかは精査してから決まるらしい。
「一・五倍になるといいですね!」
「そうだな」
「今回は練習でしたけど、次は三倍を狙いましょう!」
「もう次に行く気なのか」
「だって実績も増やしたいですし、報酬も欲しいですから」
「頼もしくなったな……報酬方面だけ」
「パーティ活動にはお金も必要なんですよ?」
「それは正しい」
サポート専攻として否定できないところが悔しい。
それからフィーネと別れ、カイルは自室へ戻った。初めての探索だったこともあり、思っていた以上に疲れている。使った照明やロープを点検し、持っていった道具を一つずつ元の場所へ戻していく。
そして鞄の底から、あの杭が出てきた。
「ああ、そういえば」
リスがわざわざ持ってきたものだ。特に価値があるとは思えないが、せっかくなので確認くらいはしておこうと、カイルは机の上に置いた。
全長はそれほど長くない。リスでもどうにか運べた程度の大きさで、長年坑道の奥に放置されていたためか、表面は泥と汚れに覆われている。
「……普通の杭だよな?」
布を使って汚れを拭き取っていく。やはり金属製だ。装飾らしい装飾もなく、本当にただの杭にしか見えない。
ところが、側面の泥を拭ったところでカイルの手が止まった。
「ん?」
何かが刻まれている。さらに強く擦る。汚れの下から現れたのは傷ではなかった。
数字だ。
《63》
「…………」
カイルは杭を持ったまま固まった。もう一度、布で擦る。
消えない。
「いやいやいや……」
勇者武器には、それぞれ固有のNo.がある。そしてカイルが持っているこれは、何十年も前に勇者武器らしきものが目撃された鉱山の、その証言地点と思われる崩落の向こうから出てきた。
「……まさかな」
さすがに偶然だろう。そう思いながらも、カイルはすぐに勇者武器についてまとめた資料を引っ張り出した。
No.63。そんな勇者武器が存在するのか。番号を追っていく。
「六十……六十一……六十二……」
そして、指が止まった。
「…………あった」
そこには確かに記されていた。
No.63《杭の勇者》。
物質系勇者武器。形状――杭。根本能力――《固定》。現在、所在不明。ロスト。
「マジか」
カイルは資料を見る。机の上の杭を見る。もう一度資料を見る。
「……マジか」
あのリス。本当に見つけてきやがった。
慌てて記録を読み進めると、No.63は過去に何度も勇者を選んでいる。その能力は適合者によって《アジャスト》されていたが、いずれも根底にあるのは《固定》だった。
ある時代のNo.63は、地面や壁へ杭を打ち込むことで、勇者の魔力に応じた範囲そのものを固定する能力を持っていた。その範囲内では床や壁に触れている物体だけでなく、生物までその場へ固定できたらしい。
「……普通に強くない?」
別の時代の記録では、能力の使い方が大きく変わっていた。その勇者は敵の身体を狙わなかった。狙ったのは、影。
生物の影へNo.63を突き刺すことで、杭が影に刺さっている間、その生物を完全に停止させる。
「…………お前、普通に強くない?」
思わず二度言った。
今、机の上に転がっているのは、そんな歴史を持つ本物の勇者武器だった。ただし現在は、まだ次の勇者を選んでいない。だから次にどんな人間を選び、どんな《固定》へアジャストされるのかは誰にも分からない。
――勇者を選ぶ前の勇者武器は、特別頑丈というわけではありません。
昨日、職員から聞いた言葉が蘇った。過去には運搬中の不注意で欠けたものさえあり、それも勇者を選んだ際の《アジャスト》で修復されたという。カイルはその話を聞いたときから、一つの可能性を考えていた。
欠けるのなら、もっと壊せるんじゃないか。
そして、壊し続けたら。完全に破壊できるんじゃないか。
「…………」
カイルはNo.63を見る。しばらく見つめたあと、椅子から立ち上がった。
部屋の隅から金槌を持ってくる。机へ戻る。金槌を置く。
右にNo.63《杭》。左に金槌。
「…………」
神々の干渉に対抗するため、人類が長い歴史の中で受け継いできた勇者武器。それを今から金槌でぶっ叩こうとしている。
「……やるか」
カイルはNo.63を床へ移した。さすがに机の上で叩いて机まで壊すのは嫌だったので、下に厚い板を敷き、杭を横倒しにする。
そして金槌を振り上げた。
ゴンッ!
「…………」
拾い上げて確認する。変化なし。
「まあ、一発じゃ無理だよな」
ゴンッ!
ゴンッ!
もう一度確認する。
「……硬っ」
傷らしい傷すら見当たらない。だが、カイルはやめなかった。
ゴンッ! ゴンッ! ゴンッ!
何度も叩き、向きを変え、また叩く。しばらく続けていると、金槌を握る手の方が先に痛くなってきた。
「本当にこれ欠けるのかよ……」
少し不安になりながら、明かりへかざして表面を調べる。
「…………ん?」
目を凝らす。ほんのわずかだった。傷と見間違えるほど小さい。それでも、叩き始める前にはなかった窪みが確かにできている。
「……ついた」
カイルの目が見開かれた。もう一度、その場所を指でなぞる。
「傷、ついた……!」
いける。
確信した瞬間、疲れが少し吹き飛んだ。
「よし!」
再び金槌を握る。
ゴンッ! ゴンッ! ゴンッ!
「硬ぇ!」
それでも叩く。
ゴンッ!
「なんで壊れるくせにこんな硬いんだよ!」
ゴンッ!
途中で腕が痛くなって休み、手に布を巻いてまた叩く。水を飲んで、もう一度叩く。
最初の小さな傷が窪みになり、やがて欠けた。
「欠けた!」
小さな金属片が床へ転がる。その瞬間、カイルの中から眠気が消えた。
「いける! やっぱりいけるぞ!」
そこからは意地だった。欠けるなら、もっと欠けさせる。ひびが入るなら、広げる。折れるまで。勇者武器として形を保てなくなるまで。何度でも叩く。
夜が更けても、カイルの部屋から鈍い音は消えなかった。
◇
カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。
カイルは荒い息を吐きながら、金槌を床へ置いた。目の前にあるのは、一本の杭ではない。大きく欠け、折れ、細かな破片となった金属の残骸。
昨夜までそこにあったはずの、No.63《杭の勇者》の姿はどこにも残っていなかった。
「…………」
カイルは黙ったまま、それを見つめた。一晩かかった。途中で何度も腕が上がらなくなった。手のひらも痛いし、眠い。全身が疲れている。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
「……壊れた」
小さく呟く。もう一度、破片を見る。
「壊れた……」
実感が、じわじわと湧いてきた。
勇者武器だ。ただの武器じゃない。歴代の勇者たちを選び、《固定》の力を与えてきた、本物の勇者武器。
それが今、自分の目の前で完全に壊れている。
「…………っ」
口元が勝手に緩んだ。
「壊れた!」
カイルは勢いよく立ち上がった。
「よっしゃあああああああああっ!!」
眠気も疲労も吹き飛んだ。両拳を握りしめ、誰もいない部屋で叫ぶ。
「いける! いけるぞ! 本当に壊せる!」
最初は、何も分からなかった。
自分が何者になったのかも分からなかった。与えられた《死奏者マエストロ》が何なのかすら知らず、調べて初めてその正体を知った。ところが分かったところで、自分には演奏技術がない。楽譜があっても使えないという、どうしようもない状態だった。
そこへフィーネと出会った。No.27《ハープ》の勇者。彼女がいたから、初めて《洗脳の音楽》を試すことができた。
獣を操れると分かった。どこまで命令できるのか試したくて、一匹のリスを鉱山までついてこさせた。そのリスが、偶然にも崩落の向こうへ入れた。そして持ち帰ってきたのが、No.63だった。
さらにその前日、ロスト武器探索について調べなければ、勇者を選ぶ前の勇者武器が破損することさえ知らなかった。
全部、後から分かったことだ。最初から用意されていた答えなんて、一つもない。
調べて、試して、失敗して、使えるものを見つけて。それが少しずつ繋がって、今、目の前に勇者武器の破片がある。
「……俺」
カイルは思わず笑った。
「ちゃんと前に進んでるじゃん」
そのことが、たまらなく嬉しかった。
勇者武器をすべて破壊する。そう決めた。だが、決めただけだった。
どうやって壊すのかも分からない。そもそも壊せるのかすら分からない。百本という数字だけが目の前にそびえ立っていて、その最初の一歩をどこへ踏み出せばいいのかさえ見えていなかった。
それが今は違う。
《マエストロ》は使える。ロスト武器を探す方法もある。そして、まだ勇者を選んでいない勇者武器なら――壊せる。
「ははっ……!」
カイルはもう一度、No.63だった破片を見る。
「いける……!」
残り九十九本。
もちろん途方もない数だ。その中には、すでに勇者を選んでいるものもある。学園で厳重に保管されているものもあれば、どこにあるのかすら分からないロスト武器もある。No.63と同じ方法が全部に通用する保証だってない。
それでも、昨日までとは決定的に違う。
九十九本もあるんじゃない。
一本、減らせた。
百という数字は、絶対に動かない壁ではなかった。自分の手で、初めて九十九にした。
なら、次も減らせるかもしれない。
「やってやる……!」
細くても、長くても、先が見えなくても。
道はある。
初めて、本当の意味でそう思えた。
「全部壊してやる!」
カイルは満面の笑みで拳を突き上げた。
その瞬間。
「いっっっってぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
一晩中金槌を振り続けた右腕に激痛が走り、勢いよく腕を押さえる。
「痛っ! 腕っ! マジで痛い!」
希望は見えた。未来も少しだけ見えた。
ただし、残り九十九本を全部この方法で壊すのだけは絶対に無理だと、カイルは痛む右腕から強く教えられた。
残存勇者武器:98
確保?:1
残存勇者武器:98
確保?:1




