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雪の中のたわむれ

 春華の婚約も無事に整い、今は次の段階に進んでいる。花嫁衣装の作成だ。


「――あちらのしきたりに合わせるのってすごく大変」


「実は、私もそう思っているの。自分の花嫁衣装を自分で作るだなんて……裁縫は得意じゃないし」


 ――新しい侍女を入れたのは、これが理由なのかも。


 そう思ったのは、春華のところに新しく来た侍女達が、裁縫に関しては素晴らしい腕の持ち主ばかりだった。


 実際に手を動かしているのは侍女達で、春華も一応手を動かしてはいるが、一針縫うごとに手を止めているのだからいっこうに進まない。


 蘭珠もかり出されているのは、刺繍が得意だと知られているからだ。春華の様子をうかがう絶好の機会なので、彼女からの頼みを喜んで受け入れた。


「刺繍の図案をいただけますか。裾の刺繍は、私もお手伝いしますから」


 鈴麗も連れてきているのは、蘭珠一人では気づかなかったことを鈴麗も気づいてくれるのではないかと期待しているため。


「――申し訳ないと思っているのよ。私、本当に裁縫が苦手なんだもの。履き物だって結局蘭珠お任せしてたでしょ」


「気にしないでください。時間があったら、もう一足作っておきますね」


 繊細な刺繍を施した室内履きは、蔡国に行っても重宝すると思う。


 複雑な模様を刺していく作業は、実のところ嫌いではないというより好きだった。


 無心に手を動かしている間に、思いがけないことを考えついたりするし、頭を空っぽにしても何かしているという感覚になるのがいいのかもしれない。


「あちらには、刺繍の得意な侍女ばかり連れて行くことにするわ。そして、私のかわりに刺繍してもらうの」


 ずしりとした白の衣に赤い衣。そこに金糸と銀糸で細やかな刺繍を施していく。さらに、金糸で折られた布で要所要所に飾りをつけるのだから、仕立てるのは大変な作業だ。


 日頃は、宮中に仕える裁縫係が衣を仕立てる作業を受け持つのだけれど、蔡国では花嫁が自分で手を動かさなければならないからとこうして集められている。


「この刺繍、気の遠くなるような作業ですね」


「雪が溶ける頃までに仕上がればいいと言っても……ねえ」


 もう数日もすれば年が明けてしまう。年が明けて二月もすれば雪が溶け始め、三月もすれば春が近づくだろう。その頃には、春華も先方に向けて旅立っているはずだ。


「お兄様は、新年の儀式を契機に戻ってくるそうよ」


「そう……ですか。禁足が解かれるのですね」


「私としては、ずっと閉じ込めておいてもいいくらいだと思うけど」


 また一針刺したところで、春華は針を置いてしまった。それから、もう一度針を取り上げて一針だけ縫う。


「……元皇太子妃は今頃何をしているのかしら」


 翠楽については、あれから一度も情報が入ってきていない。百花の娘に探らせたけれど、屋敷の奥にいるらしいと言うことしかわからなかった。


「離縁されるなんてよほどのことよ。再度どこかに嫁ぐというわけにもいかないだろうし――田大臣もてあましているというところが正解じゃないかしら」


「そうなんですね」


 ――それで、景炎様のところにしばしば使いが来ているのかしら。


 以前の田大臣は明らかに皇太子に肩入れしていた。だが、娘が離縁となり、皇太子は禁足処分。政治から身を引かされた田大臣の権力は、以前と比較すると明らかに衰えている。


 そして、龍炎はまだ皇太子の地位にはあるけれど、廃太子されても文句を言えないところまで来ているらしい。となれば、景炎に近づくことを考えてもおかしくはなかった。


「翠楽には同情するけれど……兄の言いなりになっていたのがよくなかったのよ」


「でも」


 翠楽は、皇太子に愛情を注いでいたのではなかっただろうか。それがたとえ、彼の権力を意識した者であったとしても。


「私も相談を受けたことがあったけれど、兄は彼女に興味を持っていないんだもの。背後にある父親の権力は利用したかったみたいだけど――上手く利用しようとして……逆に追い込まれたというわけ」


 少しも翠楽にも龍炎にも同情している気配など見せない。


 ――でも、裏で糸を引いているのはこの人だわ。


 それを思えば、油断はできない。


「そう言えば、あなたと景炎はどうなの?」


「仲良くしています、安心してください」


「あれももうちょっと上手く立ち回ればいいのにねえ……」


 ちょうど最後まで刺し終えたところで、春華は糸を切り、新たな場所へと針を移動させる。


「……でも、景炎様は今の地位に満足しているから」


「彼なら、皇太子だって狙えたのに」


「向いていないと想います。家臣達の言ってくるあれこれに、今でも頭を抱えているのに」


 今はまだ、ただの皇子だからいい。だが、正式に後継者の地位に冊立されてしまったとしたら、栄誉を求めて彼に群がってくる者はさらに多くなるはずだ。


「欲がないのね」


「うまく、いきませんね。難しいです――景炎様は、皇太子殿下に忠誠を誓うつもりでいるのに」


 ふぅっとため息をついた。


 兄弟の仲をとりもつだなんて、蘭珠の手の及ぶ範囲ではない。景炎も龍炎を慕うとか尊敬しているとか、そういう感情は持っていないと思うが、皇帝の後継者に対して最低限払わなければならない敬意は払うつもりでいるのに。


「人を信じるのって難しいわ」


 と春華はため息をつく。


「……難しいですか」


「これから先、何度信じても裏切られる……そういう経験を繰り返す気がするの」


 その言葉を発するまで、春華はどれほどの経験を重ねてきたのだろう。問いただしたい気もしたけれど、春華の心の傷に触れてはいけないような気がして、蘭珠は針を動かす方に専念することにした。


 刺繍の手伝いを終えて部屋に帰るとちょうど景炎がたずねてきたところだった。


 裏切る、なんてことを考えていたからそれが表情に出てしまっていたかもしれない。気がついたら、景炎に庭に引きずり出されていた。


「――な、何をするんですかっ!」


 首筋から衣の中に雪を入れられて背中がひんやりとする。蘭珠が抗議の声を上げたら、景炎はにやりと笑って蘭珠を手招きした。


「何か考え込んでるからだろ。言いたいことがあるならさっさと言え」


「ありません知りません言いたくありませんっ!」


 不意に襲ってくる不安を、どうやったら解消できるのか蘭珠自身にもわからないのだ。


「ふーん、それなら、こうだ」


「ひゃあっ!」


 思いきり雪玉をぶつけられて、肩がじんわりと冷たくなる。


「もうっ――景炎様のせいですからねっ!」


 雪を集めて雪玉を作る。それを彼に向かって投げたけれど、あっさりかわされた。


「ずるい――! 鈴麗、加勢してちょうだい!」


「かしこまりました!」


「おいちょっと待て、それはどうか――おいっ!」


「あなた達も見てないで加勢して! 景炎様にまいったと言わせたら――蘭珠様からご褒美が出るわよっ!」


 鈴麗の声に歓声を上げた侍女達が次から次へと庭に出てくる。


「おい待て、いくらなんでも多勢に無勢だろうが!」


「侍女は全員、蘭珠様の味方ですから」


 にやりとした鈴麗が、侍女達に合図する。


 周囲を取り囲まれて、侍女達から一斉に雪玉をくらっては、景炎もたまったものではないようだ。


 ――鈴麗ったら、日頃の鬱憤を晴らしてやろうとしてるのね……。


 その様子を見て、蘭珠は苦笑した。景炎に雪玉をぶつける鈴麗は、実に楽しそうだ。


 ――たまには、こういうのもいいかもしれない。


 まいったというようすで、景炎が声を上げる。


「おい、蘭珠。なんとか言え! 止めろ!」


「嫌ですっ! みんな、手を貸して!」


 侍女の投げた雪玉をかわした景炎が、動きを止める。その一瞬の隙を蘭珠は逃さなかった。彼の背中に飛び乗るようにして、首の後ろから思いきり雪玉を押し込んでやる。


「つ――冷たい! お前ら少しは遠慮しろっ」


 笑い声を上げて逃げだそうとしたけれど、そのまま景炎に捕まった。手足をばたばたさせるが、抱え上げられてしまったら抵抗のしようもない。


「まいった! まいったからお前達ももう上がれ! 全身雪塗れになったじゃないか」


「もー、下ろしてください! だいたい、先に雪玉を押し込んできたのは景炎様じゃないですかっ」


 雪の中ではしゃいでいたものだから、あっという間に手足が冷たくなった。庭に下りた侍女達も我に返った様子で次々に中へと入る。


「着替えてくるから、部屋を暖めておけ」


 蘭珠をぽいっと床の上に放り出した景炎は、そのまま自分の部屋へと行ってしまった。


「やりすぎた、でしょうか」


「怒ってるわけじゃないと思う――ただ、皆が加勢してくれるとは景炎様も思ってなかったんでしょうね」


 溶けた雪で冷たくなった衣を脱いで、乾いた新しい衣に着替える。冷たくなった手足を火鉢で温めていたら、こちらも着替えた景炎が戻ってきた。


 自分の着替えはささっとすませた鈴麗が、すかさず茶を渡す。


「気は晴れたか?」


「ありがとう、ございます」


 鬱々としていたのは、どうやら景炎にはバレバレだったみたいだ。蘭珠が火鉢に手を差し伸べたら、景炎はその手を掴んできた。体温を確認するみたいに、彼の手の中に蘭珠の両手が包み込まれる。


「まだ、冷たいな――雪遊びをするなら、もう少し考えないとだめだな」


「先に庭に出たのは景炎様でしょ」


 ぱちりと音を立てて火鉢の炭が崩れ落ちる。こうやって、彼と過ごす平和な時間がどれだけ貴重なものか。蘭珠の手を温めながら、景炎が命じた。


「鈴麗、人払いを」


「様子を見て参ります」


 他の侍女達には休憩時間をやり、鈴麗は扉のすぐ外に控える。庭先にも誰もいないことを確認してから景炎は口を開いた。


「街中の警備をしていて気づいたんだが、蔡国から運ばれてくる荷物がやけに多い――積み荷を追ってみたら、本来の目録とは違う品が収められていた樽があった。中身は――火薬」


 景炎の言葉に、蘭珠はぞくりとした。火薬は取り扱いが難しい。


 ――本編では、どう使われていたっけ?


 戦史本編では、樽に詰めた火薬に導火線をつけたものを転がして、城を破るのに使っていたような気がする。


「火薬の持ち込まれた先は、まだ不明だ。だが、何赤の陰謀があるんだろう――蔡国がらみと言うことは、姉上が何か企んでいるんだろうし」


「……力不足で申し訳ありません」


「できることには限界があるからな」


 忍び歩きが得意な者もいるけれど、そういった者は今、蔡国の方に行っている。


 だから、大慶帝国内にいるのは、基本的には和菓子屋の女将のように市井の人に紛れこんでいる者達ばかりだ。集められる情報は限りがある。


「……蘭珠の方は何か掴めたか」


「いいえ。宮中に、協力している者がいるのではないかと思っているのですけど。なかなか……宮の内情までは難しくて」


 火鉢に差し伸べた手を擦り合わせながら、蘭珠はため息をついた。頭の中で、何かがひっかかっているような気がするのに。


 龍炎は廃嫡は免れたけれど、今後の彼の地位はとても不安定なものになるだろう。景炎はそう見ているし、蘭珠もそれに同感だ。


「宮中の――見回りの時間というのは決まっているのですか」


「祭壇の前にずっと立っている者はいない――宮中だから、よそ者が入り込む必要もないからな」


「……そうですか」


 夜中の警備は、定められた夜警が定められた手順で見回りを行うことでまかなわれている。


 高い塀に囲まれた後宮に入り込もうなどという不届き者はそもそもいないし、形骸化している一面もあった。


「……俺の手の者を、潜ませておこうと思う。父上には許可をもらっていないが、そこはどうにでもなるから」


 景炎は市中の警備や後宮内の警備を任されているので、ある程度自分の自由になる兵士は持っているのだ。


「それで、これからどうするんだ?」


「全て、景炎様にお任せしていますから」


 蘭珠はうっすらと微笑む。自分のその言葉に嘘があるのもわかっていたけれど、それを景炎の前で認めたくはなかった。


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[気になる点] >それがたとえ、彼の権力を意識した者であったとしても。 者→もの
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