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次こそは、先手を取られない

ところが、事態は蘭珠が思っていたのとはまったく違う方向に動き始めていた。


 成都に戻る皇太子一行と別れ、温泉地で療養を始めてひと月。ようやく、景炎の傷も癒えてきて、そろそろ都へ引き上げようかという話が出ていたところだった。


 報告を受けた蘭珠の眉間に皺が寄る。


「皇太子妃が実家に帰ることになった? どういうこと?」


「なんでも、この度の戦で、景炎殿下を暗殺しようとした疑いがもたれております」


「……どういうこと?」


「景炎様の陣を襲った、蔡国のならず者達。あれを雇ったのは、皇太子妃だったそうです――というか、成都ではそういうことになっています」


「それは違うわ」


 蘭珠は低い声で言った。


 違う――それを手配したのは。


「わかっています、蘭珠様。先ほど、百花の者からも報告があがりました」


 もと蔡国の人間で、大慶帝国で盗賊となった者達を、雇った者がいた。順にたどっていったら、皇太子の側近にたどり着いた。


 証拠を集め、成都に戻ったら、きちんと告発をする予定だったのに先を越されてしまった。


「やられたな」


 こちらも、自分の部下から報告を受けたらしい景炎が、厳しい表情で部屋へと入ってくる。


「証拠を集めているうちに先を越された。実際より、重傷みたいに見せかけていたんだが、兄上はだませなかったようだな」


 景炎の口元に浮かぶ笑みは苦いものだった。


 ――ひょっとして、本編では自分から志願して辺境に渡ったのかしら。


 戦史本編では、景炎は辺境警備に追いやられていた。


 本編の蘭珠も彼に同行していたけれど――彼が宮中に余計な波乱を起こすまいと自ら進んで辺境に向かった可能性に、今、思い当る。


 ――この方は。


 どうしよう、景炎への気持ちがどんどん大きくなってしまう。自分の栄誉ではなくて、国のことを、民のことを考えて行動に出た。


 その結果、不遇な立場に追いやられることになったとしても――。


 ――どんどん、好きになる。目が離せなくなる。


 蘭珠の気持ちは膨れあがって大きくなっていく一方だ。


「まさか、兄上が全ての罪を義姉上――元皇太子妃に押しつけるとは思ってもいなかった」


「……でも」


 そんな言い訳が通るんだろうか。疑問に思っている蘭珠の方へ、景炎はさらに言葉を重ねる。


「田氏からも、娘が申し訳ないことをしたという謝罪の文が届けられた。いったんは政治から身を引くが、裏では近いうちの復帰を約束されているんだろうな」


 皇太子妃が罪を犯し、皇太子とは離縁する。当然、そんな皇太子を輩出した田氏は政治から身を引いて贖罪の意を示すことになる。


「皇太子妃の口を塞ぐことを心配していたんだが――」


 その心配があったからこそ、陣にいる間は蘭珠を護衛件見張りにつけた。


「罪を着せるなら、生きていてくれた方が使いやすいんでしょうね」


 蘭珠もまた、ため息をついた。


 龍炎は、自分に尽くしてくれた妃をいともたやすく切り捨てた。


 ――あれ? でも、戦史本編では……皇后の名前は『田氏翠楽』だったはず……ということは。


 やはり、蘭珠の存在が世界の歴史を変えてしまったのだろうか。


 そもそも、今回の蔡国との戦にしても、本編では語られていないエピソードだった。


 ――だとしたら、私はこれからどうしたらいい? この人を殺させないために、私には何ができるの?


 膨れあがる不安を、どう処理したらいいものか――気がついた時には、景炎の胸に飛び込んでいた。


 ――どうか、どうか。これ以上……この人の身に危険が及びませんように。


 過去がどうであれ、今は蘭珠の側で生きている。この人を、この命を失いたくない。


「どうした、珍しいな――お前からそんな風にするなんて」


「私……怖い」


 強く景炎の身体に腕を回せば、戸惑いながらも腕が回し返される。このぬくもりを、いつまで抱いていられるんだろう。


「景炎様――私、私……私……」


 蘭珠の言葉は意味をなさない。景炎を失いたくない、ただそれだけなのに。


「……今日は、ずいぶんと心配性なんだな。心配することはないんだぞ、何も」


「景炎様、私……」


 ああ、やはりこの人が好きなのだ。蘭珠は強く実感した。景炎が好きだ。これを愛と呼んでいいのなら、景炎を愛していると思う。


「このところ、ずっと戦地に積めていたから気を張っているんだろう。兄上とのことは、もう少し調べを進めよう。まだ裏がありそうだからな。お前も力を貸してくれ」


「……よろしいのですか?」


蘭珠の言葉に、彼はにっと笑って見せる。その表情に、思わず蘭珠は目を奪われた。


「そのために、お前は俺のところに来たんだろ」


 ――ああ、この人は。


 蘭珠の願う言葉をくれる。


 側に控えていた鈴麗が、じっとりとした視線を送ってくるのも見なかったことにして、蘭珠は彼の首にもう一度手を回した。




 ◇ ◇ ◇


 


 ――兄上は、ここで何か企んでいるんだろうな。


 蔡国との戦のために、景炎は国境近辺に出陣していた。いつもなら、彼か第四皇子が将軍として出陣するが、今回は皇太子が自ら願い出て総大将となっている。


 皇太子翠楽に蘭珠を呼び出し、薬を盛らせた件については数日間の謹慎処分ですんだものの、父である皇帝の心証はだいぶ悪くなってしまったようだ。


 以前ほど、重用されていないような雰囲気があるために、焦っているのではないかと言うことも感じていた。


「殿下、お妃様がいなくて寂しいですねぇ……」


 龍炎の天幕と、景炎の天幕は少し離れたところに張られている。彼の側についている兵が、にやにやしながら言った。


「……寂しいとかいうのとは少し違うだろ。少し馬を走らせれば会うことができる」


「あっちでお妃様の警護にあたっているやつに聞いたんですがね。お妃様はお綺麗なだけじゃなくて、お優しくて強いんだそうですよ。仲間達と戦っても負けないんだそうで」


「――だろ?」


 遠慮のない部下の言葉に、思わず口元が緩む。


「いつもお連れになっている侍女殿も、お綺麗で強くて――嫁に欲しいって仲間内では誰が声をかけるかで揉めることもあるそうですよ」


「それは厳しいだろうなあ。鈴麗は蘭珠に忠誠を誓っているから」


 残念そうに、部下がため息をつく様も面白い。


 おそらく、鈴麗は間者だろうという見当はついていた。そうでなければ、あそこまで蘭珠の側にいる必要もないだろう。


 だが、それを咎める気は今はなかった。二人ともまだ怪しむべきことは何もしていない。


 公主を娶ったら間者がついてくるなんて、いくらでもあることだし、大慶帝国も外に嫁がせる貴族の娘に、侍女として間者を連れて行かせたりしている。


 顔を見れば触れたくなるし、口づけたくなるし、髪をぐしゃぐしゃにして、膨れるところも可愛いと思うし――結局のところ、彼は蘭珠に甘いってことなんだろう。


「とっとと戦を終わらせて帰りたいものだな。こうやっているより、蘭珠と過ごす方が有意義だ」


「そうでしょうなあ。あんな嫁さんが待っててくれるなら、戦になんか出たくなくなりますよね」


「お前、少しは遠慮しろ」


 肩を叩いてやると、彼は笑う。


 皇太子なら、不敬だと騒ぐかもしれないが、景炎の陣ではこれが日常だった。成都にいる時は、平伏に身を包んで部下達と一緒に街中の酒屋で騒ぐこともある。


 得体の知れない貴族達と一緒にいるより、こちらの方がよほどいいと思う。


「――それにしても、兄上はなぜ急に戻るなんて言ったんだろうな」


 翠楽が強引についてきたものの、最前線まで連れてくることなく、少し離れた村に押し込めたきり。彼女から送られてくる手紙も一瞥しただけで燃やしてしまう。


 そんな彼が「妃の顔を見に行くからお前もついてこい」と言い出したのは昨日だった。最低限の部下だけを連れて、戻ったけれど、翠楽と顔を合せても特に嬉しそうではなかったように思う。


 ――蘭珠の方は、とても嬉しそうに迎えてくれたが。


 皇太子妃の世話を任せきりにしてしまったが、やはりあまり気の進まない仕事だったみたいだ。


 久しぶりに会えたからと、蘭珠の方から抱きついて離れず、久しぶりに会った彼女はそれはもう可愛らしくて――。


「殿下、殿下――顔がにやけてます」


「おっと……すまない」


「いえ、あのお妃様じゃそんな顔になるのもわかりますがねぇ……」


 あの大きな目で愛情いっぱいに見つめられたら、絶対に誰だってころっと行ってしまうはずだ。今、彼のことを笑っているこの兵士も、だ。


 とはいえ、ついうっかりしまりのない表情をしてしまったのも本当のことだったから、慌てて表情を取り繕う。


 と、その時、遠くから聞こえてくる異変に気がついて、今度こそ真面目な表情になった。


「――殿下! 大変です――襲撃されました! 今、見張りに立っていた者達が交戦中です!」


「――出るぞ!」


 ここは最前線であるから、武装を解いたりしていない。剣さえ持てばすぐに出られる状態だ。


 奇襲されて、景炎の部下達は最初戸惑っていたけれど、敵の数はそれほど多くないようだ。なんとか押しかけてきた者達を蹴散らして、景炎は一息つく。


 持って出た剣は、血にまみれ、刃こぼれして役に立たなくなっていた。天幕の前まで戻り、側仕えの者に予備を持ってこさせる。


「この剣はもう使い物にならん! 替えを寄越せ!」


「こちらに!」


 予備に持ってきていた剣のうち一本を取り上げ、再び敵に対峙する。正面から襲ってきた敵をあらかた片付けたところで振り返れば、また、新たな伝令が走ってくる。


「――後方からも、攻められておりますが――こちらに向かってくる二騎に対抗するため、何人か向かっているそうです」


「こちらにむかってくる二騎――?」


 二騎、と聞いて嫌な予感がした。その予感を裏付けるように、側にいた兵士が言う。


「お妃様と侍女殿では? 皇太子妃がいないということは、後詰めの村に何かあったのかもしれません!」


「そちらに向かう! この場は任せた!」


「かしこまりました!」


 ここは景炎がいなくても、どうにでもなるだろう。最悪の事態は免れた。


 それより、蘭珠達の方が心配だ。


 急いで馬を走らせて見れば、はたしてこちらに向かっていたのは蘭珠達だった。


 怪我を負ったのは不覚であったけれど、そのおかげで知ったこともある。


 蘭珠が、語ったことは、驚くべきことであった。


 自分の今いる世界が、物語の世界として彼女の前世では読まれていたこと。自分があと十年もしないうちに死ぬと予言されたこと。


 本来なら、信じられないようなことだったけれど、あっさり信じてしまったのは、蘭珠の真剣さを間近で見ていたからかもしれなかった。


 自分の手で剣を取り、命がけでここまで来てくれた。


 景炎の陣が後ろから襲われてもなんとか対処できたのは、蘭珠と鈴麗の二人を止めるために、そちらにも兵を割かざるを得なかったからだ。


 必死の形相で敵に立ち向かい、景炎の顔を見た瞬間、その顔がくしゃりと歪む。


 前世の記憶がどうこうなどという話は脇に置いておくとしても、彼のためにここまで必死になってくれる蘭珠のことを信頼しないわけにはいかなかった。


「――皇太子妃に全ての罪を着せるとはな」


 おそらく、あの襲撃を企んだのは皇太子だろう。


 襲撃の前日、わざわざあの場に戻ったのは、皇太子妃と何か打ち合わせる必要があったからなのだろうということも推測できている。


 ――このまま、放置しておくわけにもいかない。


 自分一人ならばともかく、今は大切な蘭珠が側にいる。


 次こそは、先手を取られない。そう決めた。




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