この手で未来をつかみ取りたいと願う
「ひょっとしたら、定められた未来は変えられないのかもしれない。でも――どこまでもあがいてみたかったと言ったら、笑いますか」
「――いや。未来をつかみ取りたいと思うのは、自然なことだ。それで、お前が来るだけではなく、間諜を送り込んできたのか?」
「……え?」
まさか、間諜のことに気づかれているとは思わなかった。
――ど、どうしよう……。
間諜のことまで気づかれているとは思っていなかった。
「……『三海』だろ」
「はい?」
贔屓の菓子屋のことを口にされて、蘭珠は目を瞬かせた。
「菓子屋の女将。それに――ここについてきた商人の中にもいるだろうな。後は、鈴麗」
「なっ……」
他に潜り込ませている間諜は何人もいるけれど、今、彼が上げた者達は、たしかに高大夫に協力を求めて育てた間諜達だった。
「ずっと前から、気づいていたさ」
「い……いつから……ですか……?」
「蘭珠が来たばかりの頃、鈴麗が俺に助けを求めに来たことがあっただろう」
「皇太子妃のところに招かれた時のことですね」
あの時、蘭珠は薬を盛られて危うく皇太子の手にかかるところだった。
あの時、宮の外で待っていた鈴麗が異変に気づいて景炎を呼びに走ってくれなかったら、間違いなくそうなっていた。
「あの時、普通の侍女にしては妙に機転が利くと思ったんだ。兄上が妃の宮に行ったのに気づき、お前の異変に気づき――おまけに、以前教えた抜け道だけじゃなく、その他の道まで見つけ出して、俺のところまで到着した」
その時は、鈴麗は蘭珠の護衛を兼ねているのだろうくらいにしか思っていなかったらしい。
剣に長けた侍女が、身分の高い女性の護衛に着くというのは別に珍しい話でもないし、蘭珠自身の腕についても確認済みだ。
「護衛にしては気が働きすぎるとは思っていた。それに――お前、『三海』を贔屓にしすぎだ。玲綾国の菓子を買える店は、他にもあるぞ」
「……それは」
上手くやっていたと思ったけれど、景炎の目にはばればれだったということか。いたたまれなくなって、そろっと後ずさりしようとしたら、腕を掴んで引き戻された。
「気づいているのは俺くらいだから、そこは心配しなくていい。誰がどこの菓子屋を贔屓にしているかまでは知っていても、通う頻度までは気にしないだろ」
「こ……今後は、他の菓子屋も贔屓にします」
――今後という機会があればだけど。
という心の声からは意図して目をそむけた。
「そのくせ、妙に警戒心がなくて、皇太子妃のところにはのこのこと出かけていって、薬を盛られる。危なっかしくてどうしようもない」
「……言い訳のしようもありません……罰は、受けます」
景炎の顔を正面から見ることができなかった。ずっと彼に秘密を抱えていた。だから、今、罰を与えられたとしても、文句は言えない。
「罰? 何を罰すると言うんだ?」
けれど、景炎の言葉は蘭珠には思いがけないものだった。景炎に黙って間諜を送り込んでいたのだから、罰を受けても文句は言えないのに。
「だって……こっそり……間諜を……」
景炎の身の回りに間諜を送り込んでいたのは本当のことだ。探られることを彼がよしとしていないのであれば、蘭珠は罰を受けなければならない。
「間諜を送り込ませるくらい、どこの国でもやっているだろ。俺も個人で二人ほど雇っている」
「そう……なんですか。いえ、たしかに皆、間諜を使ってはいると思うんですけど」
蘭珠の作り上げたそれは、この世界の常識で考えたら理解できないレベルで大がかりなものだ。それなのに、景炎は何でもないことのように笑う。
「とはいえ、これだけの間諜組織を水鏡省とは別に持っていたと言うことの方が驚きだ。この国に、何名ほど入っている?」
「……そうですね」
指下り数えてみる。鈴麗、蘭珠が贔屓にしている菓子屋の女将、その他にも兵士の妻や後宮の下働き、出稼ぎにこちらの国に来ている者。
数えてみれば、それは三十人以上に上った。
「お前、とんでもない人数を送り込んでいるんだな。まあ、いい――さすがに、疲れた」
「そ……そうですよね、やだ、私ったら!」
重傷を負った景炎と、長い間話し込んでしまった。申し訳なくなって、慌てて彼の腕からすり抜ける。
「寝台、すぐに用意しますね」
天幕の片隅に用意されている寝台を調え、景炎の方に手を差し出す。手を貸して横にならせたら、そのまま寝台の中に引きずり込まれた。
「何するんですか」
「いいから、側にいろ――傷が痛いから、このくらいしてくれてもいいだろう」
抱きしめられて、逆に安堵してしまう。
「……無事で、よかった」
他に何も言えない。彼を助けるつもりで、かえって大変なことになってしまったのかもしれない。 彼の胸の鼓動が規則正しく動いていることに、ただ安堵する。
――私にできることなんて、たかがしれている。私の知っている通りに歴史が流れるとも限らない……。
ただ、彼の側にいたくて、彼を死なせたくなくて。それだけの想いでここまで走ってきてしまった。
奴隷階級から救い出したとは言え、違う危険な道に何人もを送り込んで――それでも、景炎を殺したくはなかった。
「お前が、剣を投げてくれたから助かった。そうじゃなきゃ、もっと深い傷を負っていたかもしれない」
それがたとえ慰めでしかなかったとしても。
彼の言葉が、胸に染みた。




