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前世の記憶にはない不穏な動き

 婚儀を終えてひと月。


客人として滞在していた宮から、景炎の宮へと居住する場所は変わったけれど、蘭珠の日常はさほど変わらない。


 書を読み、楽器を習い、刺繍をして、剣の稽古に散歩。時には景炎の許可を得て、街に出ることもある。


「ここのところ、景炎様はいらっしゃいませんねぇ。寂しいですねえ」

「お忙しいのよ。戦になるかもしれないんでしょ」


 龍炎のところから助け出してくれて以来、鈴麗はすっかり景炎に敬服している様子だ。


 以前は蘭珠は渡さないとガルガルしていたのが、最近ではこうやって景炎がいないと寂しさを覚えるらしい。


『三海』の女将から、届けられた市中の噂では、蔡国との間に戦が起こりそうな気配があるということだ。商人達が仕入れる品が、戦に向けてのものに変化しつつあるらしい。


「今日は景炎様はいらっしゃらないから、夕食は簡単にして。おかゆと青菜の漬け物くらいでいいって厨房に伝えてくれる? 最近少し太ったから食事は軽めにしたいの」


 太ってしまったのは、このところ『三海』に菓子を申しつける機会が増えているからだ。


 彼女のところに鈴麗をやって手ぶらで帰ってくるわけにもいかないから、ついつい菓子を買い込んでしまう。買ってきた品は、侍女に分け与えているけれど、おいしいからつい自分の手元にも残してしまうのだ。


「それと、今夜は薬草風呂にしたいから、誰か薬草をもらいに行ってくれる? 鈴麗は頼みたいことがあるから、ここに残って」

「かしこまりました」


 他の侍女を追い払ったとたん、蘭珠は真面目な顔になった。ひそひそと鈴麗にささやきかける。


「他の宮に入っている『百花』から連絡はあった?」


「……はい。蔡国との国境のところで戦になりそうだと。女将からも同じような報告があったし、かなり信憑性が高いのではないかと思います」


 蔡国との間には、長い間国境を巡っての争いが繰り広げられているので、いつ戦になっても驚かない。


 玲綾国との間がそうはならないのは、広い川を国境としていることと、国の規模に明らかな違いがあるから。玲綾国の方から戦をしかけたとしても、負けてしまうのが目に見えている。


「そう。他には?」

「景炎様が将軍として出陣する可能性が高いそうです」


 ――変ね。


 その報告を聞きながら、蘭珠は考え込んだ。


 この戦については、『六英雄戦史』については何一つ語られていない。本編が始まる前のことであるから、語られていないのもしかたのないことかもしれないけれど。


 愛梨が蘭珠として転生したことによって、何らかの歪みのようなものが生じているのだとしたら、物語の進行が変化しても不思議ではないのかもしれない。


 ――ただ、もし……この戦で景炎様が命を落とすようなことになったなら。


 それが怖い。


 戦なのだから、戦死する者がいたとしても当然ではあるけれど、それが自分の身に降りかかってくることなんて、想像したこともなかった。


「……今回の戦について、調べられるだけの情報は集めるように各自に命じて」

「はい」


 鈴麗が緊張の面持ちで返す。


 蘭珠に命じられたことをするために立ち働いていた女性達が、与えられた役目を終えて戻ってくる物音が聞こえた。


「そういうわけだから、あなたは明日街に出てお菓子を買ってきてちょうだい。いい? 栗の餡が入ったお饅頭と、胡麻の餡が入ったお饅頭よ。杏仁酥も忘れないで」


「かしこまりました。お茶はいかがなさいますか」


「お茶は……どうだったかしら。まだ景炎様から頂いたものがあったと思うんだけど。後で確認して、足りなかったらお茶も買ってきて」


「かしこまりました」


「お願いね。ええとそれから刺繍糸――赤いのがもうなかったと思うんだけど……自分で見に行きたいし、景炎様にお願いして、外出の許可を取った方が早いかしら?」


 口早に蘭珠が語ると、おそるおそると言った様子で、一人が口を挟む。


「蘭珠様、赤い糸は倉にまだあったと思います」


「そう? では、明日の朝、誰か確認して。ないようだったら、鈴麗に買ってきてもらうから」


 と、そこまで口にして蘭珠は考え込む表情になった。


「私、翡翠の簪を注文していたけれど、完成したという連絡はあったかしら。『三海』の裏手に住んでいる李よ」


「いえ、まだございません」


 そう返事をしたのは、大慶帝国の侍女の中でも一番の年かさの者だった。鈴麗含め、他の侍女達を束ねる役を果たしている。


「鈴麗、街に出るなら、ついでに李のところによって、今度の宴に間に合うかどうか聞いてくれる? 戻りは夕方でいいから」


「かしこまりました」


 蘭珠の頼んだ用事をすませると、かなりあちこち歩き回ることになる。それを知っているから、侍女達は一斉に鈴麗の方に気の毒そうな目を向けた。


 いずれ『三海』での話が長引く事態が生じることも想定して、蘭珠の命令で鈴麗が街に出ると、帰りが遅くなるという実績を作っているのだ。


「鈴麗、いつも悪いわね」


「いえ、当然のことでございますから」


 下がるように合図すると、侍女達がゆっくりと下がっていく。


 ――自分で自由に動き回ることができればいいのに。


 蘭珠が後宮から外に出るためには、景炎の許可が必要だ。それも、侍女や護衛を連れて物々しい行列になってしまう。


 自分であちこち動き回って、いろいろな人から話を聞くことができればもっと考える材料を集めることができるのに。

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