劉景炎という男
彼女と最初に会ったのは、特使として玲綾国に赴く叔父についていった時だった。
「お前の妃になる娘に会うからな、きちんと挨拶しておけよ」
「はい、叔父上」
そんな会話を交わして会った蘭珠は、とても可愛らしい女の子だった。最初のうちは、ぎこちなく、ぽつぽつ話をしていたのが、一度彼女がうつむき、視線を上げたところで何かが変わった。
「ゆ……夢じゃないぃぃぃ……!」
手足を使ってばたばたと後退したかと思ったら、そのまま地面へ転がり落ちる。会談の場所に選ばれたのが、縁側だったのも災いしたのかもしれない。
地面に転がり落ちたのを助けて、袖を捲って確認したら、ひどい痣になっている。
「う……うわあああああんっ!」
大きな声が響き渡って、そのまま蘭珠は侍女達に連れて行かれてしまった。
怪我がひどくて大泣きしていた彼女を気にかけていたら、けっこうな遊び人である叔父は、珊瑚を使った髪飾りをわけてくれた。
大慶帝国は三方を海に面していて、国の南側では良質な珊瑚が採取される。遊び人である叔父は、この国の女性で仲良くなった女性に贈るつもりでいくつか装身具を持ってきたのだそうだ。
「女が泣いたら玉をやるといいぞ。キラキラしたものが好きだから、玉を見れば泣き止む」
そう言っていた叔父の言葉を、翌日顔を合せた蘭珠にそのまま伝えてやる。
「叔父上が言ってた。女が泣いたら、玉をやるといいって」
礼を言う彼女を見ていたら、放っておけないような気がした。
「どうする? お前が嫌なら、他の皇子に嫁がせてもいいんだぞ」
滞在している部屋に戻り、叔父は真面目な顔で景炎に問いかける。
「俺の妃にしてください」
「そうかそうか、気に入ったか。お前が妃に欲しいならそうするか――なにせ、珊瑚の髪飾りまでやるくらいだからな」
「……それは!」
からかわれているのもわかっているけれど、耳がじんわりと熱くなる。
――可愛い。
蘭珠のことを思い出したら、真っ先に浮かぶのはその言葉だ。大きな目で、景炎のことをまっすぐに見つめる時の表情。彼の全てに興味があると、あの目で語られているような気がして。
景炎の願いを受け入れて、叔父は玲綾国王との間に話をとりまとめてくれた。
だから、蘭珠を迎えるのにふさわしい男になるのだ。玲綾国を離れる時にはそう決めていた。
そして、それからは蘭珠との文通が始まった。
蘭珠を守るために強く。信頼を得るために正しくあらねば。書物を読むのが好きだと言っていたから、勉学だって負けていられない。
嫁いできた時に幻滅されたくなかったから、努力を重ねるのも苦ではなかった。
一つ心配だったのは、蘭珠はあまり身体が強くないらしい。玲綾国に赴いた者達の話を聞いていると、自分の部屋から出てくることもほとんどないのだとか。
大慶帝国は国が大きいから名医も多い。蘭珠のために滋養強壮にいい丸薬を作らせ、せっせと文に添えて送ってやる。蘭珠からの返事が届くのも楽しみだった。
手紙の中の蘭珠は、どちらかと言えば物静かな性質みたいに見えた。
室内でおとなしく書物を読んだり刺繍をしたり。時々、親に恵まれない子供を育てている夫婦の屋敷を訪れる以外はめったに外出もしないらしい。
約束の日から十年が過ぎて、蘭珠が到着する日が近づいてくる。
景炎が、異母姉である春華に呼び出されたのは、蘭珠の到着予定の五日ほど前のことだった。
「景炎、あなた……花嫁を国境まで迎えに行かないとだめよ。最近、あのあたりに盗賊が出没しているでしょう」
「義姉上……」
春華は皇后の娘であり、景炎とは母が違う。皇太子である龍炎は、景炎をうとんじているところがあるが、春華はそんなことはなかった。
景炎の友人に嫁ぐことになっていたが、彼女の婚約者は半年前に死んでしまって、今は喪に服しているところだ。
「……お願い。行ってあげて――嫌な予感がするのよ」
そう言う春華の目は必死だった。
「……そうだな。義姉上のお言葉に従うことにしよう」
春華がそう言うには、何かあるのだろう。丁寧に礼を述べて、彼女の言葉に従うことにした。
結局、春華の予感は正しかった。
成都で待てという父を説得し、国境へ向かう。
国境となっている川に到着した時、輿入れする公主の一行は、盗賊に襲われていた。
少し離れた馬車のところで、剣を振う二人の娘の姿に目がとまる。
片方の娘に、あの日、珊瑚の髪飾りを受け取って微笑んだ少女の姿が重なった。
――病弱、ではなかったのか。
剣をふるう腕はなかなかのもの。力がなくても扱えるように、刃を薄く短く細めに作った剣で、次から次へと襲いかかってくる男達を蹴散らしている。
隣にいる侍女もなかなかの腕前のようで、防戦一方でありながらも、彼女達の身体には傷一つついていない。
襲いかかっている盗賊達を蹴散らし、名乗りを上げる。こちらを見る蘭珠の目が潤んだようで、久しぶりの再会に胸がどきりとした。
宿に入って、蘭珠を訪れたら、髪に飾られていたのはあの日彼が送った珊瑚の髪飾りだった。
あの時贈った品をまだ使ってくれていた。そのことに安堵し、自分の心臓がどきどきし始めたのを自覚する。
「か、身体を動かすのがいいって聞いて、剣術の先生をつけてもらったらめきめき丈夫になってしまって。この一年は熱も出していません」
剣の腕について問いかけたら、少々慌てた様子で返してくる。
その様子を見ていると、彼女が本物の蘭珠であることには間違いがないように思えた。
思わず口づけたら驚いた様子で、供に連れてきた侍女の名前を呼ぶ。
そんな様も微笑ましくて、目が離せなくなる。
「男はみんなケダモノです!」
と、侍女の鈴麗が彼を警戒している様もむしろおかしいくらいだ。
――とはいえ、あやしいところがないわけではない。
そうしながらも、彼の中の一部は蘭珠を警戒していた。病弱という話とはまるで違う蘭珠の様子。
彼を見る目に、時々得体のしれない表情が浮かぶのに気づいていないほど、愚かではない。
それでも、自分の手の内にいる間は安心していいだろうと想っていた。
兄の目に触れないようにさっさと担いで自分の宮に連れて行くつもりだったのに、失敗した。
前方から大股に歩いてきた龍炎が、肩に担いだ蘭珠に目を止める。
「なんだ、景炎。その娘は」
「兄上――この娘か? これは玲綾国の公主だ。つまり、俺の嫁」
龍炎の前で牽制したつもりだったけれど、無駄だった。
結局、龍炎は蘭珠の美貌に目をつけた。自分の宮ではなく、皇太子妃の住まいに呼び出し、薬を盛る。
侍女の鈴麗が景炎を呼びに来なければ、大変なことになっていただろう。
――それにしても、だ。鈴麗のやつ、妙に勘が鋭くないか。それを考えれば、蘭珠も……妙なところがある。
薬の影響で震える蘭珠を抱きしめ、なだめてやりながら考える。
生姜茶に、床に入れた温石。暑さを感じるのではなく、寒がっているのならば、内外から温めて薬の影響が抜けるのを待つしかない。
父である皇帝に、兄の所行を伝えなければならないと、蘭珠を鈴麗に託してその場を離れる時は、後ろ髪を引かれる思いだった。
――いつから、こんなに大切になっていたんだろう。
考えるだけ、無駄な気もする。
ほんのりとした好意は、手紙のやりとりの間も感じていた。
それが明確な好意へと変化したのは――きっと、壊れた馬車を背に、盗賊と渡り合っていたのを見たその時。
怪しんではいても、手を出しかねていたある日、皇太子妃の元に呼び出された蘭珠が薬を盛られるという事件が起こった。
蘭珠が到着したその日、美貌に目をつけた皇太子が、薬を盛るよう命令したらしい。
――俺に対する嫌がらせの意味もあるんだろう。
本気で蘭珠を好きになったというよりは、景炎に対する嫌がらせの意味合いの方が強そうだ。そうでなければ、いきなり呼び出して薬を盛るよりも、まずは正面から口説くはずだ。
以前から異母兄が彼に対して妙な対抗心を持っているのは知っていた。それを嫌がった第二皇子は、さっさと政権争いからは身を引いた。
だが、景炎に対する対抗心を、そんな愚かな形で解消しようとするとは思ってもいなかったのだ。
皇太子、皇太子妃供に数日の謹慎。そんな程度ですまされていい話ではない。いくら、皇太子妃の父親が、有力者の田大臣であったとしてもだ。
「噂が広まらないように、お願いいたします……景炎様。これ以上、蘭珠様を煩わせたくありません。噂が形を変えることも、景炎様ならばよくご存じでしょう――もし、皇太子に乱暴されたなどという噂になったら」
父にもう一度、話をしようと思っていたら真面目な顔で鈴麗が言いつのる。蘭珠には内緒で会いに来たと、彼女は必死に頭を下げた。
「お前は、蘭珠が大切なのだな」
「はい。命に代えてもお守りしたい方でございます」
鈴麗は、蘭珠より二歳ほど年上、というところだろう。蘭珠が姉のように慕っているのも側で見ていればわかる。
「蘭珠様は、命の恩人なんです。蘭珠様のおかげで、私達は救われました」
詳細は語らなかったけれど、鈴麗は蘭珠によほどの恩義を感じているようだ。
「わかった。鈴麗の言うことにも一理ある――今回の件については、俺からはもう何も言わない」
深々と頭を下げて立ち去る鈴麗の姿を見送りながら考える。
――だが、蘭珠にはあやしいところがある。
蘭珠は、来たばかりの頃逃げ道を探していた。街中で顔を合わせた時も、成都に妙に詳しいと思った。空いた時間は、たいてい後宮内をうろうろしているようだ。
――ひょっとしたら、公主のふりをした間者を送り込んできたのではないか。
そんな風に思ってもしかたのないところだろう。
病弱だという話の割りに、剣の腕が妙に立つ。連れてきた侍女も、護衛と言うだけですませるにはおかしなところがある。
――俺が注意を払って見ているしかないか。
蘭珠が何者であろうと、大事なのだ。
だが、蘭珠が間者で愚かな真似をするというのなら――その時は、彼自身で始末をつけるしかないだろう。




