春華公主の頼み事
翌日、鈴麗は蘭珠に頼まれた用事をきちんとすませて戻ってきた。
鈴麗が持って帰ってきた箱は上げ底になっていて、箱の下に女将からの報告書がおさめられていた。中身の菓子は、侍女達の間で分けるようにと大半を鈴麗に持たせてやった。
こうしょっちゅう菓子屋に鈴麗をやっていては、そのうち疑いをもたれそうな気もしてくる。報告書に素早く目を通し、そのまま火鉢に落として証拠を隠滅した。
――それにしても、皇太子妃のところに使用人として入り込むなんて、大胆な手を使ったものね。
各宮に『百花』の間者を入れたけれど、皇太子妃の宮に入れたのは初めてだ。身近に仕える侍女ではなく、下働きではあるけれど、それにしたって入り込むのはなかなか難しい。
――春華様のところにも、下働きで誰か入れそうだという話だし。
ここは後宮。周囲には敵しかいないと思っていた方がいい。『百花』が、後宮内に静かに勢力を伸ばしていくのなら、それにこしたことはない。
完全に報告書が灰になったことを確認していると、ふらりと春華がやってきた。
「蘭珠さん、お庭の散歩に行かない? 最近、会ってなかったから遊びに来てしまったわ」
侍女も連れず、一人で現われた春華はいたって気楽な様子だ。鈴麗だけを供に連れ、蘭珠は誘われるままに散歩に出かけることにした。
「蔡国と戦になりそうよ……いやね」
「……そうなんですか?」
「あなたは、何も知らないのね……もう少し、上手く立ち回らなくてはだめよ」
とっくの昔に知っていたことではあるけれど、何も知らないふりをして、蘭珠は微笑んだ。
そんな蘭珠に向かって、しかたないというように春華はさらに情報を流してくれる。
「蔡国は、国王が病気で、王太子が権力を持っているのよ。その王太子が凡庸で、むやみやたらに土地を得ればいいと思っているんだもの。戦が減るはずもないわ」
――春華公主は、蔡国王妃となるはず。となると、今、ぼろくそに言ってる王太子に嫁ぐことになるはずなんだけどな……。
今のところ、そんな話が出ているということは、蘭珠の耳には入っていない。
それなら、春華の知る限りの情報を引き出してしまった方がいい。
「領土を広げたいという野心ですね」
「……その分、上手くのせることができれば付き合いやすい相手もでもあるのでしょうけれどね」
春華はくすりと笑って、王太子への評価を終えた。
「それで、今日は何のお話でしょうか」
侍女も連れず、二人だけで庭の散策をするからには何かある。春華が何も考えずに行動する性質ではないのは今までの付き合いから知っていた。
「あなたにはかなわないわね……それで……頼みというか、お願いというか……皇太子妃のことなのだけれど」
皇太子翠楽の名を聞けば、蘭珠の眉間にも皺が寄る。あまり会いたい相手ではない。
彼女の茶会に招待されてとんでもない目に遭いかけたことを思えば、距離を置きたくなるのも当然だ。
「許してやってとは言わないけれど……力になってはもらえないかしら。図々しいのは私もわかっているけれど……なにせ、兄夫婦のことだから心配なのよね」
そう聞いて、蘭珠もうーんと考え込んでしまった。
春華の頼みならば聞きたいけれど、やっかいごとに自分から首を突っ込んでいくよりも、景炎の身を守る手立てを講じる方が先だ。
「でも、夫婦のことに外から口を挟むのは」
「普通の夫婦ならね。でも、皇太子夫婦よ――皇太子妃を粗末に扱えば、田大臣が黙ってはいない」
――たしかに、自分の娘が冷遇されているのは田大臣からしたら面白くないだろうけど。自分の権力を軽く見られたような気もするだろうし
田大臣の権力は、皇帝といえど無視できるようなものではない。だからこそ、娘を皇太子の正妻として迎えているのだから。
「正直なところ、兄は皇太子妃にはつらくあたっていると思うわ。あてがわれた女だという意識が抜けないのよね。」
だからと言って、皇太子妃に同情する気にはなれない。春華から表情を隠すように、目にとまった花に気を取られているふりをする。
「――皇太子妃の方はお兄様に愛情を寄せているから、兄の命令には、逆らえないのよね、彼女」
だから、茶会に招いた蘭珠に薬物を持ったのだと言われても、それはしかたないですね――とは言えない。
鈴麗の機転がなかったから、今頃景炎の側にはいられなかったはずだ。
「親しく付き合ってほしいとは言わないわ。ただ――皇太子妃から近いうちに頼み事があると思うの。できれば……それは聞いてやってもらえないかしら」
「聞くだけなら……お手伝いしますと、約束はできません」
春華の顔を立てるならば、聞く前から断るわけにもいかない。しかたなく、そう返事する。
「それでもありがたいわ。あなたには、もう一度きちんとお詫びをするように私からも言っておくから」
今日の用件はそれだったらしい。
それきり春華は皇太子妃のことは話題から追い払ってしまい、いつの間にか新しい衣を仕立てる布は何色がいいかという点で白熱した議論を交わしていた。




