ようやく迎えた婚儀の当日
その日は、朝から大騒ぎだった。蘭珠はまだ暗いうちから湯殿に押し込まれ、全身ぴかぴかに磨き上げられて、部屋に連れ戻された。
白い絹の下着に、同じく白い襦を重ねて着付けられる。濃い赤の長裙を、金糸で細かな刺繍を施した帯で留める。
上に羽織る衣も、大振り袖で、後ろに長く裾を引くものだ。そこにもびっしりと金糸で刺繍が施されていて、じっと見ていると目がちかちかしそうだ。
髪も高く結い上げられて、そこにいくつもの髪飾りを差し込まれた。特に『歩揺』と呼ばれる髪飾りは、頭頂部から腰に届くくらいの長さまで金の玉を連ねたもの。首を動かす度にしゃらしゃらという音が鳴る。
化粧をして、唇を赤く染め、目尻にも少し、赤みを足す。化粧を終えた蘭珠を見て、鈴麗が感極まった様子で涙ぐんだ。
「……蘭珠様……おめでとうございます! 本当に、お美しくて……鈴麗は、もう……もう……!」
「誰か、鈴麗に手巾を貸してあげて。花嫁の付き添い役をしてもらうのに、化粧が崩れては困るから」
傍目からすれば冷静なように見えるかもしれないけれど、蘭珠自身もけっこういっぱいいっぱいだ。
――まずは、お祝いに来てくれる家臣達と顔を合わせて、それから婚儀。誓いの言葉に、ええとそれから……。
紙に書いたものを鈴麗に持たせてあるから、つまった時には鈴麗が手を貸してくれるはずだけれど、家臣達の前でみっともない真似は見せたくなかった。
「今日はずいぶん、支度に手間取ったな」
「ごめんなさい。さすがに、これだけのものを身に着けるとなると」
いつもならささっと支度をするけれど、さすがに今日ばかりはいつもと同じわけにもいかない。
それに、今日は景炎もいつもより眩しく見えるのだ。
――景炎様が、素敵なのがいけないと思うのよ。
とっさに蘭珠は責任転換をした。景炎が、あまりにも格好いいからいけないのだ。そうやって言い訳をしていないと、心臓が破裂してしまいそうだ。
今日の彼もまた、婚儀の衣装だった。赤い袍には、蘭珠のものと同じようにびっしりと金糸で刺繍が施されている。衣を留める帯もまた金色のもの。
頭上に載せているのは金の冠で、堂々とした彼の姿をより力強く見せてくれるみたいだ。
「……何ぼうっとしているんだ」
「いえ、そういうわけではなくて」
しまった、ついうっかり見とれていた。慌てて視線をそらすけれど、蘭珠の同様なんて完全に見抜かれている。
彼はこちらへと長身を屈めてささやいてきた。
「今日のお前は、いつも以上に美しいな。このまま、皆の前に出すのが惜しくなった」
「なっ……なっ……なんで、そんなことをっ」
あまりにも当然のように口にするから、蘭珠は真っ赤になってしまう。
蘭珠の頬に手を添えた彼は、残念そうにため息をついた。
「口づけでもしてやろうかと思ったが、紅が禿げるな」
「な……し、信じられないっ!」
いきなりそんなことを言い出すなんて、景炎は何を考えているんだろう。耳まで染めた蘭珠はぷいと顔をそむける。
――油断した……!
お互い気持ちを告げ合っているのだから、今さらと言えば今さらではあるけれど、動揺しないでいられるかと言えば難しい。
――でも、少しだけ緊張が解れたような。
そうやって、からかわれることでこの国に来て初めて大勢の人の前に出るのだという緊張が、少しだけやわらいだような気がする。
景炎がそれを見越していたのだとしたら、やはり彼にはかなわないのだろう。
こうして、支度のできた蘭珠は、日頃は出入りすることのない中央の宮へと輿に乗せられて移動した。蘭珠の乗った輿の周囲には、薄い布で膜が作られている。
その膜越しに見る景色は、いつものものとは少し違って見えた。まるで、夢の中みたいだと景炎に言ったら、笑われてしまいそうな気がするけれど。
中央の宮に到着すると、景炎に手を取られて、宮の前にある長い階段を一歩一歩上っていくことになる。そこには赤い敷物が敷かれていて、両脇にはずらりと官吏達が並んでいた。
彼らが頭を下げている前を一歩一歩進み、建物の入り口に到着する。
――嘘、でしょう……。
そこに並んだたくさんの人に足がすくむような気がした。これでも、皇太子の結婚式の時と比較するとだいぶ人数が少ないらしい……けれど。
――たしか、皇太子の婚儀の時は、入りきらなかった人達が、階段の両脇に並んでいたというものね。
建物の入り口に近いあたりに席があるのは、皇宮に出入りする商人や、比較的下級の貴族達だ。それから奥に行くに従って、だんだん身分が高くなるらしいというのは、彼らの身に着けている者から知ることができた。
それから、国外から着た祝いの使者達が一番奥の方に並んでいる。その中に師匠である高大夫の姿を見て、蘭珠はほっとした。
広間に集まっていた全員から祝いの言葉と祝いの品を受け取り、景炎が礼の言葉を述べる。そうしている間に、あっという間に夕方になっていた。
挨拶を受けている間に、宮の前に大きな祭壇が用意されている。
その前では大きな火が焚かれ、皇帝夫妻以外の皇族がずらりと並んで誓いの儀式が始まるのを待っていた。
景炎と蘭珠が炎の前に立た後、皇帝夫妻が登場する。その時までには、先ほどまで挨拶に来ていた人達も、それぞれに定めた場所へと移動していた。
――皇帝陛下が祈りを捧げ、皇后陛下がお酒を注ぐ。それから、景炎様が香に火をつけたら、私も香に火をつけて……。
今日まで必死に頭にたたき込んできた儀式についても、どこかに飛んで行ってしまいそうだ。蘭珠が頭をふると、びっしりと挿された髪飾りがしゃらりと音を立てる。
「大丈夫。間違えたところで、誰も笑ったりしない」
「それは、わかっていますけれど」
朝から飲まず食わずでここまで来たから、ちょっとくらくらし始めてきた。衣の袖の陰で蘭珠の手を取った景炎が、励ますように一瞬指を絡めて手を離す。
――負けた気がする。
それでも、彼のその行為だけでずいぶん落ち着きを取り戻すことができた。肩に掛かる花嫁衣装の重みも、頭に挿された髪飾りも気にならない。
長々と皇帝が先祖に感謝の言葉を述べ、皇后が先祖に酒を捧げる。
祭壇の両脇に設けられた香炉のうち左側に、景炎が火をつけた香を立てた。彼が下がるのを待ち、今度は蘭珠が香を立てる。
ふわりと煙が立ち上るのを確認して、景炎が蘭珠に並ぶ。顔を見合わせ、呼吸を合わせて、手を打ち鳴らし、頭を下げる。それから、地面に膝をついて、手を鳴らし、もう一度頭を下げた。
それを定められた回数繰り返し、ようやく元の位置に戻ることを許される。
同じようにご先祖様だの天の神様、周囲の精霊達にいたるまで祈りを捧げてから、ようやく儀式は終わりとなった。




