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第19部:祝福の名の欲したモノ

  ●  ●


 正直なところ、ブリスにとって、アインの言葉は予測できていた。

 クリスマス。

 二人で、お祝い。


(……こんな大きい紙袋なんか持ってきたら、隠しようがないのに、ね)


 ベッド脇のミニテーブルに置かれた二つの茶色の紙袋は口が開かれたまま置かれていて、ベッドから起き上がった身で覗くのは容易い。そして、小さなヤドリギの木の鉢や、薄い紙に包まれながら香ばしい匂いを孕むロースト・ターキー、小ぶりながらもたっぷりのクリームに覆われたブッシュ・ド・ノエルを見れば、目の前の青年が何をしようとしているのかなんて、簡単に想像がつく。


「プレゼントは用意できなかったけど、色々買ってきたんだ」

「すごい……こんなに、たくさん、どうした、の?」


 驚いたフリをしながら、袋に入っている物を次々と取り出してはテーブルに並べていくアインに尋ねると、


「俺だって、それなりに金を貯めてたんだ、その点は心配いらないさ」


 そう言って彼が最後に取り出したのは、派手な色をした円錐状の二つの物体。


「クラッカーっていう、外国のパーティグッズなんだとさ。市場で流れの商人が売っていたんだが、面白そうだったから買ってみたんだ」

「へぇ……」


 二つの内片方を受け取ったブリスは、不思議そうにそれを眺める。ほとんどが紙でできているせいか軽く、先端からは短い紐が垂れており、内部と繋がっているようだ。


「こうやって、細くなってる方が手前に来るように持って、紐を引っ張るらしいぞ」


 促されるままに紐を引っ張り――瞬間、それは起きた。

 パンッ、と銃声にも似た乾いた音、きゃ、と細い悲鳴をブリスが上げる。

 内蔵された火薬がクラッカーの底面部分を覆っていた紙の膜が吹き飛ばし、驚いた拍子にブリスはクラッカーを取り落してしまうが、


「花び、ら……?」

「正確には、それを模した色紙だな」


 二人のクラッカーから噴き出し、空中に漂うのは幾百もの紙の欠片。

 赤、青、緑、黄等と色は様々で形もまちまち、花びらと呼ぶにはいささか安っぽい見た目ではあったが、全てが曖昧に見えるブリスの視界には、たくさんの花びらが舞っているように見えた。


「きれい……」


 薬物と病で濁った目を輝かせ、


「メリー・クリスマス、アイン」

「メリー・クリスマス、ブリス」


 かつては持っていなかった名前で、互いに呼び合う。

 それは、未だ十年と経たない短い付き合いだったが、まるでずっと昔、生まれた時からその名前であったかのように、互いの耳に響いた。


「さあ、食べようか」

「うん……あ、」


 ちょっと待って、と。

 制止をかけるブリスに、どうした、とアインが言う。


「えっと……ね、アイン」

「ん?」


 ちら、ちら、とこちらを見てはすぐに逸らすことを繰り返し、ブリスは恥ずかしそうに言う。


「……たいの」

「え?」


 ただでさえ弱った体の上に、なにか躊躇いがあるのかボリュームを落とそうとするものだから、アインの耳には届かない。

 それを察し、ブリスはすぅ、と息を吸い、


「踊りたい、のっ! アイン、と、一緒にっっ!」

「……へ?」


 叫ぶように――と言っても、これでようやく常人が世間話をする程度の音量だが――口にしたブリスの言葉に、アインは一瞬に呆気にとられる。


「どうして、って聞いてもいいか?」

「昔、ほら……お屋敷で、働いて、いた時、クリスマス、には、ご主人様たち、踊ってた、でしょ?」

「あー……」


 宙に視線を彷徨わせ、アインは記憶を探る。


「そんなこともあったかもしれないが……できるのか? そもそも俺は踊り方なんか知らないし、お前は立てる状態ですらないだろ?」

「頑張れ、ば、できるっ……と、思う」

「お、おう」


 それはもう、ほとんど気圧される形だった。

 まっすぐな目、死を前にした人間の持つ一種の気迫とでもいうようなモノを前にしてほとんど当然の流れとでもいうようにアインは頷き、


「それじゃあ――踊っていただけますか、お嬢さん?」


 芝居がかった口調と、差し伸べられた手。

 その主の口元には、照れたような笑みが浮かんでいて、


「……はい」


 たぶん私も、同じような顔をしているんだろうな。

 思いながら、想いながら、彼女はその手を取った。


  ● ●


 どうして、こうなった。

 そう思わずにはいられないまま、僕を取り巻く状況は動き出す。

 ブリスの、氷と錯覚するほど冷たい手に触れた僕は、その手を引く。

 彼女もまた、その勢いに乗って足に力を込め、


「きゃ……っ」


 立ち上がることには成功したものの、力が入りすぎたのかバランスを崩し、つんのめる。

 そしてそれは、その進路上にいる僕のほうへと倒れこむ形になり、


「お……っとっと」


 胸元で受け止めるも、その感覚に僅かに眉をひそめる。


「ごめん、ね……って、どう、したの?」

「……いや、何でもないよ」


 心配そうな表情で尋ねるブリスに、僕は笑って誤魔化す。

 彼女は、軽かった。

 それは、人間的な基準で言うただの〝軽い〟というのではなく、そう――中に羽毛をつめた袋でも抱えたような、人と捉えるにはどうにも難しすぎるほどに、軽かった。

 薬物と病気に侵された体ではまともに食事もとれなかったのだろう、それは極度に低い体温からも察せられるし、今、胸に抱きとめた最も尊い人がそう長くないことを否が応でも分かってしまう。

 だけど、そんな気持ちを知られたくないから僕は、虚構で上塗りした笑みを浮かべる。


「ブリスは、踊り方は知ってるのか?」

「んっ……よく分からない、けど、何とかなる、でしょ」


 なる、のか?

 内心で首をかしげながら、壮大な音楽も豪奢なドレスもない二人だけの舞踏会は幕を開けた。

 ……けど、


(やっぱり、無理だよなぁ……)


 結局のところ。

 一朝一夕どころか何の練習もなしの状態でのダンスが、そんなやる気云々程度でどうにもならないことを、踊り始めて一分と経たないうちに僕は知ることになった。

 ステップは曖昧で何度となく互いの足を踏んでるし、人形師が糸で吊って操った方がまだマシだと思えるくらい動きもカクカクとぎこちない。おまけに部屋が狭いせいで動きも制限され、ガツンガツンと壁にぶつけた足が痛い。

それなのに、


「楽しいね、アイン」

「……そうだな」


 おかしい。

 これは、何なのだろう。

 今夜の二人だけのパーティは、見るべき夢も原形を失って、愛想と一緒に命も尽きようとした彼女の、最後の願いだ。

 自由になって、同じ街に住んでいながら、ずっと果たさず仕舞い、たった一度確かめ合っただけで、互いに切りだせなかった願いがようやく叶ったのだから、彼女が楽しんでいるのは分かる。

 だけど、


「楽しいな、ブリス」

「そうだねぇ」


 どうして、僕まで楽しい気分になっているのだろう?

 上手くもなんともない窮屈なダンスが、時を経るごとに楽しくさせていくのはどうしてだろう?

 なんとも、奇妙な感覚だった。

 何の音楽も観客もない、みすぼらしい身なりの二人のダンスの中、時と共に気分が高揚していくさまは快感にも等しい。

 段々と、互いの呼吸が合っていく。

 足の動きも、相手の動きを読み合い、合わせあうようになっていく。


「ねぇ、アイン」

「何だ?」

「私ね――アインの、ことが、好き」

「っ……」


 突然だった。

 一瞬にして思考の何もかもが吹き飛ばされそうになり、止まりそうになる体を辛うじて動かし続ける。


「あれ、顔、赤くなった?」

「いや、全然」


 嘘のみで即答し、


「あー……俺も、お前が好きだよ」

「~~~っ!」

「おい何だ、その反応は」


 照れたように唇をすぼめ、彼女は目を逸らしてしまう。

 足並みも再び乱れ始め、ガンガンと彼女の足が僕の足首に引っかかる。ぶつかる。痛い。

 それでも、


「……あり、がと」

「え?」

「ありがとう、って言った、の」

「……そっか」

「ずっと、言いたかったの」

「俺もだよ」

「嬉しい……最後に、伝えられて」

「俺も」


 終わってみれば、呆気ない。

 伝えられなかった言葉が、すらすらと唇から零れてくる。

 これが最初からできていたらどれほどよかっただろう、なんて余計なことを考えてしまうほどに、僕たちは幸せだった。

 タン、タタ、タ、タ、とリズミカルに響く足音が気持ちいい。

 隣の部屋の淫猥な音なんて消し飛んで、まるで世界に僕とブリスしかいないように、彼女だけを感じる。

 深く絡み合う指、互いが互いを導きあう足取りは、かつてないほどに、僕と彼女の密接した距離感を自覚させる。


「あ……ほら見て、アイン」

「ん?」


 ふいに彼女が握る両手のうち左手を離し、その指で窓を指す。


「……雪か」

「そうだよ」


 雪が、降っていた。

 淡い白が窓をよぎって下へ、地上へと降り注ぎ、ランプの灯りを反射して幻想的な光を宿す。


「初雪、かな?」

「そうだな。冬に入ってから、まだ、降ってなかったからな」


 素朴に交わす会話。

 息の合った二人の踊り。

 くすぐったいような、心地よいような、よく分からない感覚。

 おぼろげな光に照らされる彼女は、昔の、指折りの娼婦たり得た美しさを欠片も持ち合わせてはいなかったけれど、それでも、僕には魅力的に映る。


「アイン、……私、幸せ、だよ」

「……そうか」

「忘れないよ」

「……そうか」

「死んじゃっても、絶対に、忘れないよ」

「……そうか」

「一番好きな、人と、過ごせたん、だもの……忘れないよ、絶対に」

「……そっか」

「忘れられるわけ、ない」

「……そっか」


 そっか、そっか、と相槌を打ちながら、僕は彼女を見ていた。

 かつて、残飯を分け合ったあの頃ように、僕は彼女の言葉を聞き続ける。

 泣いているような、笑っているような、悔やんでいるような、それらがごちゃ混ぜになったような表情の彼女を、眺め続ける。


「生きてね、アイン」

「……あぁ」

「死んじゃだめ、だよ?」

「……あぁ」

「私みたいに、死んじゃだめ。たくさん生きて、アイン」

「……あぁ」


 夜の海を泳いでいるような感覚だった。

 現実はちっぽけな木箱、池と表現するにも狭苦しい一室に押し込められているようなモノだったけれど、それでも幸せで、やっぱり、この時間が続けばいいな、なんて叶うはずもないモノを想っていた。


「……ありがとう、アイン」


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