第13部:曖昧、自問、高笑い!
「…………」
「…………」
階段を降りる間、僕とライアは無言だった。
階段を一段一段下りるたびに、ギシッ、ギシッ、と木の軋む音がやけに大きく響く。
(……すごい、臭いだ)
上る時は感じなかったけれど、娼館の中は昼間でも独特な芳香で満ちていた。
情事の残滓か、様々な体液の臭いに加え、それを塗りつぶすかのように焚かれるお香。
いくつも、いくつも混ざり合ったそれらに噎せかえりそうになりながら、僕は慣れた足取りのライアの後ろをついて行く。
「――き、だったんだよなぁ」
ようやくライアが口を開いたのは、娼館を出て、ふらりと立ち寄ったパブでのことで、
「え……何だって?」
「好きだった、っつったんだよ」
ウイスキーのグラスに口をつけながら、ライアは僕を見る。
「好きだったんだよ、ブリスのことを」
それは、淡々とした口調だった。
「オレの薄汚れた部分も何もかもを溶かしてくれるような笑顔も、いつ死んでもおかしくない危うさも、全部ひっくるめて、好きだった」
「ライア……お前、」
急に、何を言いだすんだ?
「あいつは、オレのことなんざ眼中にないって態度だったがそれでもよかったんだ」
頻繁に見せるようになった睨むような目つき。
グラスの中身の減るのが、次第に早くなっていく。
「……たとえ一方通行でも、オレがあいつを愛してたって事実は変わらねえんだから」
「…………」
僕が何も言えずにいると、フッとライアは口の端を吊り上げるようにして笑い、
「嘘だよ、バカ。本気にするな」
「…………」
彼の笑みにもまた、僕は何も言い返せずにいた。
ライアは、笑っている。
酔いなのか、僕を驚かせて楽しんだことによるのか、その両方かも分からないけれど、笑っている。
だけど。
その目は、笑っていなかった。
心の底から面白がっているわけじゃなくて、表面上だけで笑っている。
この街に来て間もない頃に知り合って、それなりの付き合いを経てきた。
そんな間柄のせいで、分かってしまう。
ライアが僕を知るように、僕もライアを分かってしまう。
それは――力ない、嘘っぱちな笑顔だった。
「……一つ訊いていいか、アイン?」
「何だ?」
「前々から訊きたかったんだが、その……オマエは、ブリスとは姉弟か何かなのか?」
「へ……?」
一瞬、問われた内容が理解できなかった。
思考が固まり、直後に言葉の意味を飲みこんで、それでもなお、よく分からないでいた。
これは……そう、呆気にとられた、とでもいうべきだろうか。
「まさか」
僕は首を横に振って否定する。
「あいつと俺に、血の繋がりなんてないさ。ただの古い知り合いだ……だいたい、なんでそんな事を訊いてくるんだ?」
尋ねると、ライアは決まり悪げに頬を掻きながら言った。
「まぁ……ほら、オマエら2人って似てるから、な」
「いや、似てないだろう」
そう表現するには顔立ちも声も、体つきも、違いすぎる。
「そういう、外見とかじゃない……そうだな、性格とか癖が似てるって言えば分かりやすいか」
「性格、癖……?」
そうだ、とライアは頷く。
「笑い方、嘘のつき方、どうしようもない自己犠牲。ああ、不器用ってのも共通しているか」
「…………」
「最近は上手くなってきたが、無理やり作ったような笑顔も、バレバレな嘘も、自分が傷つけば相手が救われるんじゃないかっていう考え方も……本当によく似てるよ、オマエらは」
ある意味、憎らしくなるくらいに。
そう言うライアの目からは、アルコールで濁っているせいか意図は読み取れない。
「……まあ、だからこそ、オレは惹かれたんだろうが」
ただ、その笑みはどこか寂しげな、哀愁の漂うモノへと変わっていて、
「何に、惹かれたって?」
「秘密だ」
何の気なしに口にした問いをライアははぐらかし、似合わないウインクをしてみせた。
「なあ、アイン。オマエは、ブリスをどう思ってるんだ?」
「……それ、前にも言わなかったか?」
「そうだっけ?」
「そうだよ。そして、それにはもう、答えを出してある」
「自分でもよく分かっていない回答を、か?」
「いや……」
ライアの返しに、しかし僕は迷ってしまう。
『アインは、ブリスをどう思ってるんだ?』
『どういう意味だ?』
『ライクなのか、ラブなのか』
かつて交わした、会話。
酒と酒の合間の、ちょっとした話題。
憎々しげに言葉を吐きだしたその後に出された、問いかけ。
それらを思いだし、
「……彼女のことは好きだが、ラブじゃない。ライクだ」
記憶をなぞりながら、出す答えはほとんど変わらない。
「そんな、情熱的な関係じゃないさ」
そうだ。
彼女へのそれは情熱的な愛じゃなくて、単なる好意でしかない。
「ただの、古い知り合いにすぎない。今までも、これからも」
一緒に地を這い、鞭を浴び、嬲られて。
ちょっとした奇跡の産物で一緒に逃げ出して、別々の道に分かれた。
望まない関係。
ただ、それだけ。
「へぇ……それでも、オマエはあんなに気にかけるのか?」
対してライアは、頬杖をつきながら、更に問いを口にする。
「誰が、何をするにしてもほとんど口を挟まないオマエが、あの女に関してだけは何かと気にかけるのに、それでも何にも無いと言い張るのか?」
「…………」
「血の繋がりはない。恋人でもない。ただの知り合い。それだけの理由で、オマエはあの女の身に執着するのか?」
「……それは、」
答えかけ、
(…………)
生じたのは、戸惑い。
昔からの、知り合いだから。
この街に来てからできた知り合いには、何もしないのに?
危うい方向に向かうのを、止めたいから。
そこら中に転がる薬物で潰れた連中には見向きもしないのに?
僕に微笑みかけてくれるから。
パブの酔っ払いどもなんかは終始ゲラゲラ笑ってるじゃないか。
……駄目だ、それらは全て、答えになり得ない。
ならば、
「なんとなく、気になるから……?」
ただ、なんとなく。
ただ、それだけ。
「……あれ?」
何だ、それは?
なんとなく、って何だ?
そんな、ぽっと出の脇役みたいな感情は、どこから湧いてきた?
正体は?
何が、そのワケの分からない感情の核を成している?
答えは?
それを打ち消し得る、効率的な答えは?
「……ない」
ない。無い。
答えが、ない。
ありふれたモノだと、他愛のない、周りを取り巻く有象無象の一つだと否定するための答えが、ない。
ない。
出ない。
出てこない。
抽象的なのに、いや、抽象的であるせいで、それに応えられない!
「……ない」
それなのに、どうしてだろう。
抽象的ならば、根拠のないそれを立証しえないとして切り捨ててもいいはずなのに。
どうして、それができないんだ?
「……分からない」
どうしたっていうんだ?
どうして、こんなに苦しいんだ?
「分からないよ、ライア」
考えれば考える程に、そのよく分からない感情は、ズルズルと僕を感情のたまり場、底の知れない穴へと引きずり込もうとする。
分からない。
分からないんだ。
こんな感情を、僕は抱いたことはない。
沸々と煮えくり返るような感情は、何だろう?
焼き焦がさんばかりに燃えるこの感情の、正体は?
「――はは、」
「?」
「ははっ、ははははははははははははは!」
「!?」
思考の中、突如として響いた笑い声に僕は無理やり現実に引き戻された。




