第12部:後悔の先に立つ者
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一気に話して疲れたのか、彼女が言葉をやめる。
言葉と言葉の合間、つかの間の静寂。
僅かに残された時間の切れっぱしの中で、
「……っ」
ギリ、と何かが擦れる音がした。
高いようで低く、鈍く、内側から響く音。
それが、僕が自分の歯を噛みしめる音で、砕ける寸前まで力を込めていることに気付くのにそう時間はかからず、
「……悪夢だ」
無意識のうちに、僕は呟いていた。
悪夢。
そう、悪夢だ。
夢を形作ろうとしてできそこないの失敗作になり果てた、どうしようもない悪夢だ。
彼女は、全力で世界に抗っていた。
彼女は、必死で夢を実現させようとした。
だけど。
僕が、それに気づかなかったばかりに。
彼女の思いを、夢を知らなかったばかりに。
彼女の全てをうけいれることができなかったばかりに。
そして、何より――僕に、力が無いばかりに。
「あぁ、ほんとに……なに、いってるんだろ……」
彼女は、娼婦に身を窶した。
彼女は、弱い僕を輝いていると錯覚した。
彼女は、麻薬に溺れ、幻に笑い、沈み込んでいった。
「ごめんね……って言いたかった、なぁ……けっきょく、アインには……ただの一度だって、言えなかった、けどね」
どうしようもないすれ違い、運命の不幸だった。
僕が彼女を想いながら諦めていたように、彼女もまた、そこにある感情は違えど、僕を想った末に諦めたのだ。
互いに想ったたった一つの願いを、すれ違い故に叶わず、時間の流れと一緒に寂れ、朽ちさせてしまったのだ。
これを、不幸と言わずに何と言うだろう?
「今頃、アインはがんばってる、んだろうなぁ……忙しくて、だけど、幸せ、そうに……」
依然として彼女は、僕じゃない僕に向かって呟き続けている。
だけど、彼女が何も言わなく、いや言えなくなって、ベッドの上で冷たい肉塊へと至るまでに、数日とかからないだろう。
知っている。
知ってしまっている。
花が、枯れようとしていることを。
街の郊外に生える、冬の冷気に晒された草花のように枯れ行くことを知っている。
そして、自分が何もできないことも、どうしようもなく、どうもしようがないこともまた、知っている。
「ごめんね、アイン……ごめんね、アイン……私がダメで、バカで、こんなになっちゃって、もう、会うこともできないよ……」
彼女は、許しを請う。
ここにいる僕を認識せず、幻の僕に向かって、許しを請い続けている。
ごめんね、ごめんね、と。
それはまるで、どこかの宗教で唱える言葉のようで。
一つ一つが悲しみに満ちていたそれらは、僕の心を何物をも溶かす酸の雨のように穴を空けていく。
「…………」
シーツの上に力なく投げ出されている彼女の両手に、手を伸ばす。
触れると、ビクッと震えて反応したけれど、それは一時的なモノで、
「ん……あったかい、なぁ……誰のか、知らない、けど……」
彼女はそう言っただけで、僕という存在を認知することはない。
「ブリス……っ」
肉も落ちて痩せ衰えた手は、驚くほどに細くて、冷たかった。
かつてその手は、温もりと健康的な肉付きを持っていたはずだ。
それは僕の知らない所で、男を喜ばせるため、奉仕のための商売道具になってもいたのだろうけれど、僕の頭を撫でてくれていた手でもあり、僕の作った料理を、注がれた酒のグラスを楽しげに口元へと運んだ手でもあった。
だけど、今は違う。
何かを持つことも、掴むことも、僅かに動くことすらしない。
ただ体に張りついた、肉と骨と皮でできた飾りであるみたいに、機能を果たすことは無い。
「……つっ……!」
不意に、彼女が呻き声を漏らし、表情を歪める。
「ブリスッ!」
聞こえていないと分かっていながら、叫び、
「――時間だ、アイン」
直後、背後から声が僕を貫いた。
振り向けば、開いたドアの前にライアと、重そうな鞄を持った中年の男が立っていて、
「医者を呼んだ。オレたちは帰るぞ」
「あ……でも、」
「いいから来い」
反論を一瞬で押しつぶされ、やむなく僕は立ち上がり、部屋の出口へと歩く。
「……っ」
部屋を出る前、一度だけ振り返ってベッドに横たわるブリスの姿を眺める。
僕とすれ違うように彼女のベッドの脇に立った医者の男は、ミニテーブルに置いた鞄から様々な瓶や道具を取り出して、てきぱきと処置を進めていく。
(……無力だ)
僕は、無力だ。
倒れた彼女に何もできなくて、この想いを形にする方法すら知らない。
「ほら、行くぞ」
「……あぁ」
無表情のライアに促されるまま、僕は部屋を出て、今度は彼女の方を見ることなく、その扉を閉じた。




