第76話 夏休みの予定表
夏休み初日の朝、フィオラ女学院の正門前には、帰省する生徒たちを迎えに来た馬車が並んでいた。
ヴィオレッタもエマと一緒に馬車へ乗り込み、窓から見える学院の建物を眺めていた。
「なんだか、あっという間だったなあ」
「一学期のことでございますか?」
「うん。入学したばかりの頃は、夏休みなんてずっと先だと思ってたのに」
授業や試験、友人たちとのおしゃべり。思い返せば色々なことがあったけれど、過ぎてしまうと本当に短く感じる。
「それだけ充実した日々をお過ごしになったのでしょう」
「そうかも。……でも、ちょっと寂しいな」
「休暇の後半には、皆様をお屋敷へお招きするのでしょう?」
「そうだった! 早く予定を決めないとね」
ヴィオレッタが顔を輝かせると、エマは微笑んだ。
「その前に、お嬢様には決めていただくことがございます」
「えっ、何?」
「夏休みの課題を、いつ進めるかでございます」
「……エマまでそれ言う?」
「アリア様からもご心配いただいていたようですから」
「うう、みんなして私のことを何だと思ってるんだろう」
「お嬢様のことを、よくご存じなのだと思いますよ」
「それ、褒めてる?」
「もちろんでございます」
涼しい顔で答えるエマに、ヴィオレッタは思わず笑ってしまった。
◇
アルバレス公爵家の屋敷に到着すると、玄関前ではイザベラが出迎えてくれた。
「ヴィオレッタ! おかえりなさい!」
「ただいま戻りました、お母様!」
挨拶を終えると、イザベラは嬉しそうに娘を抱きしめた。
「まあ、元気そうでよかったわ。夏休みの間は、ゆっくり過ごしてちょうだいね」
「うん! でも、友達も招待したいし、やりたいことがいっぱいあるんだ」
「ふふ、それは楽しみね。詳しいお話は、お茶の時間に聞かせてちょうだい」
「もちろん!」
イザベラはエマにも労いの言葉をかけると、使用人たちに荷物を運ぶよう指示した。
ヴィオレッタは久しぶりの屋敷を見渡しながら、自室へ向かった。
学院の寮の部屋もすっかり気に入っているけれど、幼い頃から使っている自室に戻ると、やはり落ち着く。
「……ただいま、私の部屋!」
「お部屋も、お嬢様のお帰りをお待ちしていたと思いますよ」
「ふふ、そうかな」
窓を開けると、夏の風がカーテンを揺らした。
庭園の花々が日差しを浴び、遠くから小鳥の声が聞こえてくる。
ヴィオレッタは大きく伸びをした。
「さて! 夏休み、何しようかな!」
「では、早速予定を立てましょうか」
「……えっ、今?」
「お嬢様が先ほど、早く決めなければとおっしゃっていましたので」
「……エマって、こういう時だけ記憶力がいいよね」
「いつでもよい方だと自負しております」
ヴィオレッタは笑いながら机へ向かった。
◇
机の上には、エマが用意してくれた大きな紙と筆記具が並べられていた。
「まずは、夏休みにやりたいことを書き出しましょう」
「うん!」
ヴィオレッタは勢いよくペンを取った。
最初に書いたのは、『みんなと遊ぶ』。
その下に、『お茶会』『庭園でお散歩』『ピクニック』と続けていく。
「あと、カトレアに剣術を教えてもらう約束もしたんだった」
「剣術でございますか?」
「うん。セレスに誘われて、ちょっとだけ練習することになったんだ」
「それは珍しいですね」
「……やっぱりそう思う?」
「お嬢様が自ら体を動かす稽古に参加されるとは、少々意外でした」
「私だって、たまには頑張るよ!」
「それは楽しみでございますね」
エマが微笑む。
ヴィオレッタは『剣術の練習』と書き加えた。
「それから、みんなでお菓子作りとかできないかな?」
「厨房に確認すれば、簡単なものでしたら可能かと」
「いいね! リリはきっと上手そうだし、アリアも器用そう」
「セレス様もお得意かもしれませんね」
「そうだね。カトレアは……どうだろう?」
ヴィオレッタは少し考え、笑った。
「でも、みんなで作ったら楽しそう!」
紙の上に、やりたいことが次々と増えていく。
気づけば、半分以上が友人たちと過ごす予定で埋まっていた。
「……あれ?」
「どうなさいました?」
「夏休みって、思ったより短いのかな?」
「まだ何も日程を決めておりませんが」
「だって、やりたいことがいっぱいあるんだもん」
「では、優先順位をつけましょう」
エマは新しい紙を取り出し、丁寧に線を引いた。
「まず、必ずしなければならないことと、やりたいことを分けます」
「なるほど!」
「お嬢様、必ずしなければならないことは何でしょう?」
「えーっと……お母様のお手伝い?」
「それもございますね」
「夜会の準備!」
「はい」
「それから……」
ヴィオレッタは考え込んだ。
エマは何も言わず、にこやかに待っている。
「……もしかして、課題?」
「正解でございます」
「うう、やっぱり逃げられないかあ」
「夏休みの終わりに慌てるより、今のうちに進めておく方がよろしいかと」
「……それはそうだね」
ヴィオレッタは渋々頷いた。
前世でも、夏休みの宿題を後回しにして苦労した記憶がある。
(……同じ失敗は繰り返したくないなあ)
そう考えると、今のうちに予定を立てておくのは悪くない。
「よし! じゃあ、課題もちゃんと入れよう!」
「素晴らしいお心がけでございます」
「……なんか、すごく褒められた」
「お嬢様が前向きに取り組まれるのは、喜ばしいことですから」
エマの笑顔が少しだけ楽しそうに見えた。
◇
しばらくして、机の上には一枚の予定表が完成していた。
夏休みの前半は、課題を進めながら屋敷でゆっくり過ごす。
後半には友人たちを招待し、庭園でのお茶会やピクニック、剣術の練習などを楽しむ。
そして、夏の終わりにはアルバレス家の夜会が控えている。
「……こうして見ると、結構忙しいね」
「そうですね。ですが、余裕を持たせておりますので、無理のない予定かと」
「エマ、すごい!」
「お嬢様がやりたいことを整理しただけでございますよ」
「いやいや、私一人だったら全部同じ日に入れちゃってたかも」
「……それは少々困りますね」
二人は顔を見合わせて笑った。
ヴィオレッタは完成した予定表を眺めながら、ふと思い出した。
「そういえば、アリアが作ってくれた課題の予定表もあったんだった」
「では、そちらも参考になさってはいかがでしょう?」
「うん! 後で見比べてみる」
ヴィオレッタは鞄からアリアの予定表を取り出し、机の上に並べた。
整った文字で書かれた課題の一覧と、エマと一緒に作った夏休みの予定表。
二つを見比べると、なんだか本当に夏休みが始まったのだと実感する。
「……よし!」
ヴィオレッタは満足そうに頷いた。
「これなら、夏休みを思いっきり楽しめそう!」
「はい。あとは予定どおりに進めていただければ」
「……そこが一番難しいんだよね」
「ふふ。私もお手伝いいたしますよ」
「ありがとう、エマ!」
ヴィオレッタは嬉しそうに笑った。
その時、扉の向こうから控えめなノックの音が響いた。
「お嬢様、奥様がお茶のご用意をなさっております」
「あっ、もうそんな時間?」
「はい。そろそろ参りましょうか」
「うん!」
ヴィオレッタは予定表を丁寧に畳み、机の引き出しへしまおうとした。
「お嬢様」
「ん?」
「そちらは、見える場所に置いておいた方がよろしいかと」
「……あっ」
ヴィオレッタは手を止めた。
「そうだよね。しまったら忘れちゃうかも」
「はい」
エマがにこやかに頷く。
「……やっぱり、私のことよく分かってるね」
「長いお付き合いでございますから」
ヴィオレッタは笑いながら、予定表を机の上の目立つ場所に置いた。
窓の外では、夏の陽光が庭園を明るく照らしている。
友人たちとの約束も、初めての剣術の練習も、母と過ごす時間も。
楽しみなことは、まだまだたくさんある。
(……よーし。今年の夏休みは、絶対に充実させるぞ!)
そんな決意を胸に、ヴィオレッタはエマと一緒に部屋を出た。
アルバレス家での夏休みは、まだ始まったばかりだった。




