第70話 王子様への期待
「ええっ!? お二人で人形を作っていたんですか!?」
昼休みの談話室に、リリアーナの驚いた声が響いた。
「うん! 実はね、ここ何日か放課後にカトレアと一緒に作ってたんだ」
ヴィオレッタは嬉しそうに笑いながら、鞄から小さな包みを取り出した。
「じゃーん!」
布を広げると、そこには二つの兎の人形が並んでいた。
ひとつは真っ白な兎。片方の耳が少し傾いていて、桃色のリボンが結ばれている。もうひとつは薄茶色の兎で、淡い青色のワンピースに白いレースがあしらわれていた。
「わあ……!」
リリアーナは目を輝かせた。
「とっても可愛いです!」
「でしょ!」
「こちらの白い兎が、ヴィオレッタ様の作品ですか?」
「うん! よく分かったね」
「ふふ。なんとなく、ヴィオレッタ様らしいなと思って」
リリアーナは、そっと白い兎を見つめた。
「この少し傾いた耳が、すごく愛らしいです」
「そうなの! 最初は失敗したと思ったんだけど、カトレアがこのままでも可愛いって言ってくれて」
「ふふ。僕は本当に、今のままがいいと思っているよ」
隣に座っていたカトレアが、穏やかに微笑んだ。
「君の兎らしくて、可愛いじゃないか」
「えへへ。ありがとう!」
ヴィオレッタが嬉しそうに笑う。
その様子を、向かいに座っていたセレスティアがじっと見つめていた。
「……ちょっと待って」
「ん?」
「ヴィオレッタ、今なんて言った?」
「え? カトレアが可愛いって」
「その前!」
「……最初は失敗したと思った?」
「違う! ここ何日か、放課後に一緒に作ってたってところ!」
「ああ、うん。そうだよ?」
ヴィオレッタが不思議そうに首を傾げると、セレスティアはじっと彼女を見つめた。
「……私、聞いてないんだけど」
「えっ? でも、秘密の約束があるって言ったじゃん」
「それだけじゃ分からないでしょ!」
「そ、そうかな?」
「そうだよ!」
セレスティアは頬を膨らませた。
「しかも、何日も二人きりで?」
「うん。手芸室で」
「……二人きりで?」
「うん?」
ヴィオレッタはきょとんとしている。
その隣で、カトレアが小さく笑った。
「ふふ。セレス、そんなに驚くことかな?」
「……カトレア」
「何かな?」
「……なんでもない!」
セレスティアはぷいっと顔を背けた。
けれど、その耳が少し赤くなっていることに、ヴィオレッタは気づかなかった。
「……セレスティア様、落ち着いてください」
アリアが小さくため息をついた。
「お気持ちは分かりますが、ヴィオレッタ様は純粋に人形作りを楽しんでいらしただけでしょう」
「……それは分かってるけど」
セレスティアは、少しだけ唇を尖らせた。
ヴィオレッタは困ったように笑い、白い兎を持ち上げた。
「じゃあ、今度はセレスも一緒に作る?」
「……え?」
「みんなで作ったら楽しそうじゃん!」
セレスティアは一瞬、言葉に詰まった。
「……そういうことじゃないんだけど」
「え?」
「……なんでもない!」
カトレアは、そんなセレスティアを見て楽しそうに笑った。
「ふふ。君もなかなか大変だね、セレス」
「……誰のせいだと思ってるのよ」
「おや、僕のせいかな?」
「……もう!」
セレスティアはますます頬を膨らませた。
その様子に、ヴィオレッタは不思議そうに首を傾げた。
◇
「それにしても、本当に素敵ですね」
アリアは薄茶色の兎を手に取り、感心したように眺めた。
「これをカトレア様が作られたんですね」
「ああ。まだ少し手直ししたいところはあるけれどね」
「レースの使い方も丁寧ですし、色の組み合わせも素敵です」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
カトレアは穏やかに微笑んだ。
リリアーナも、薄茶色の兎を覗き込んだ。
「カトレア様、この裾のレース、ご自分で縫い付けたんですか?」
「ああ。何度かやり直したけれど、ようやく形になったんだ」
「すごいです! とても綺麗にできています」
「……本当かい?」
「はい! 私も刺繍は好きですけど、こういう小さなお洋服を作るのは難しいと思います」
カトレアは、少し驚いたように目を瞬かせた。
「……そう言ってもらえると、頑張った甲斐があるね」
「でしょ!」
ヴィオレッタは嬉しそうに笑った。
「カトレア、すっごく頑張ってたんだよ! 最初は針に糸を通すだけでも苦労してたのに、今じゃ自分で飾りを選んで、服まで作ってるんだ」
「……ヴィオレッタ」
「ん?」
「そこまで詳しく話さなくてもいいんじゃないかな」
「えっ、なんで?」
「……少し恥ずかしいからね」
カトレアが苦笑すると、リリアーナがくすくすと笑った。
「ふふ。なんだか意外です」
「そうかな?」
「はい。カトレア様にも、苦手なことがあるんですね」
「もちろん。僕だって、できないことはたくさんあるよ」
カトレアは、そっと兎の耳を整えた。
「でも、こうして少しずつできるようになるのは、なかなか楽しいものだね」
その表情は、いつもの凛々しい王子様とは少し違っていた。
ただ純粋に、自分の好きなことを楽しんでいる顔だった。
「……それでね!」
ヴィオレッタが、ぱっと顔を上げた。
「この二つ、今度の手芸展示会に出そうと思ってるんだ!」
「展示会に?」
アリアが顔を上げた。
「うん! カトレアと相談して決めたんだ」
「ああ。せっかく二人で作ったものだからね」
カトレアも頷いた。
「それなら、ちょうど案内が届いていますよ」
アリアは鞄から一枚の紙を取り出した。
「展示会は来月の第二週。参加する場合は、今週中に申込書を提出することになっています」
「わあ、助かる!」
「作品名と参加者名、それから簡単な説明が必要みたいですね」
「作品名かぁ……」
ヴィオレッタは二つの兎を見つめた。
「何がいいかな?」
「……『ふたりの兎』とか?」
リリアーナが控えめに提案する。
「それ、いい!」
ヴィオレッタはぱっと笑った。
「ねえ、カトレア。どう思う?」
「……ふたりの兎」
カトレアは、そっとその言葉を繰り返した。
「……素敵な名前だね。僕も気に入ったよ」
「やった! じゃあ、それにしよう!」
ヴィオレッタは嬉しそうに頷いた。
「……またカトレア」
セレスティアが小さく呟いた。
「ん? セレス、何か言った?」
「……別に」
カトレアは、そんなセレスティアを見て、少しだけ楽しそうに目を細めた。
「セレスも、何か作ってみたらどうだい?」
「……え?」
「君なら、きっと器用に作れると思うよ」
「……別に、興味がないわけじゃないけど」
セレスティアは、少しだけ視線を逸らした。
「……でも、今からじゃ間に合わないでしょ」
「そうかな? 簡単なものなら、まだ間に合うかもしれないよ」
「……そういう問題じゃないの!」
カトレアは小さく笑い、ヴィオレッタはますます不思議そうに首を傾げた。
◇
その日の放課後、カトレアは第二手芸室で最後の仕上げをしていた。
机の上には、薄茶色の兎と、耳元に結ぶための小さなリボンが置かれている。
「……さて」
カトレアは針を手に取り、飾りを整えようとした。
その時、扉が軽く叩かれた。
「どうぞ」
「失礼します、カトレア様」
入ってきたのは、同じ二年生の生徒だった。
「ああ、どうしたんだい?」
「実は、少しお聞きしたいことがありまして」
「何かな?」
同級生は、どこか興奮した様子で身を乗り出した。
「カトレア様、今度の手芸展示会に参加なさるんですの?」
「……ああ」
カトレアは少し驚きながらも、頷いた。
「その予定だよ」
「やっぱり!」
同級生は嬉しそうに声を上げた。
「噂を聞いて、驚いてしまいました!」
「……噂?」
「ええ! カトレア様が展示会に作品を出されると!」
カトレアは、思わず目を瞬かせた。
(……もう広まっているのか)
まだ正式な申し込みも済んでいないというのに、ずいぶん早いものだ。
「……そうかい」
「はい! それで、どんな作品を作られるのか、皆さん気になっているんです」
「……どんな作品?」
「ええ! きっと、カトレア様らしい素敵なものなのでしょうね!」
同級生は、目を輝かせた。
「例えば、騎士様の人形とか!」
「……騎士?」
「はい! 剣を持った勇ましい騎士様や、王子様の人形なんて、きっとお似合いですわ!」
カトレアは、思わず机の上に置かれた薄茶色の兎を見つめた。
淡い青色のワンピースに、白いレース。耳元には小さなリボン。
どう考えても、騎士とは程遠い。
「……なるほど」
カトレアは、少しだけ苦笑した。
「そういうものを期待されているんだね」
「もちろんです! カトレア様といえば、剣術大会でも素晴らしいご活躍でしたし!」
同級生は楽しそうに続けた。
「皆さん、きっと楽しみにしていますわ!」
「……ありがとう」
カトレアは、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
けれど、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
◇
「カトレア! お待たせ!」
しばらくして、ヴィオレッタが手芸室にやってきた。
「やあ、ヴィオレッタ」
「ごめんね、先生に呼び止められちゃって」
「いや、大丈夫だよ」
カトレアは微笑み、椅子を引いた。
「……それで、申込書はどうなったんだい?」
「うん! アリアが用意してくれたから、あとは書くだけ!」
ヴィオレッタは申込書を広げた。
「作品名は『ふたりの兎』で決まりだよね?」
「ああ。僕も気に入っているよ」
「よかった!」
ヴィオレッタは嬉しそうに笑い、ペンを手に取った。
カトレアは、そんな彼女の横顔を見つめながら、ふと先ほどの同級生の言葉を思い出した。
『騎士様の人形とか!』
『カトレア様らしい素敵なものなのでしょうね!』
カトレアは、少しだけ視線を落とした。
「……カトレア?」
「ん?」
「どうしたの?」
「……いや。少し考え事をしていただけだよ」
ヴィオレッタは不思議そうに首を傾げた。
けれど、カトレアはいつものように微笑んだ。
「さあ、続きを作ろうか」
「うん!」
ヴィオレッタは嬉しそうに頷き、針を手に取った。
カトレアも、その隣に腰掛ける。
机の上には、二つの小さな兎が並んでいた。
白い兎と、薄茶色の兎。
自分が好きだと思うものを、初めて自分の手で作った作品。
それなのに、どうしてだろう。
今は少しだけ、その兎を人前に出すことが怖くなっていた。
(……僕らしい、作品か)
カトレアは、そっと兎の耳に触れた。
自分らしさとは、いったい何なのだろう。
剣を持つ姿か。それとも、こうして小さな兎にリボンを結んでいる姿か。
その答えは、まだ見つからなかった。




