第63話 それぞれが知る星花の庭
学院へ戻る馬車の中で、ヴィオレッタは膝の上に置いた包みを見つめていた。
中には、母が持たせてくれた焼き菓子がぎっしり詰まっている。
『セレスティアさんにも、リリアーナさんにも、カトレアさんにも、アリアさんにも、どうぞよろしく伝えてね』
そう言っていた母は、最後まで包みの中身を増やそうとしていた。
危うく、もう一箱追加されるところだった。
(……お母様、本当にみんなの分まで用意してくれたんだなぁ)
ヴィオレッタは思わず笑みを浮かべた。
けれど、その笑みはすぐに消えた。
思い出したのは、母が見せてくれた古い手紙だった。
深い青色の封蝋。
星と花を組み合わせた紋章。
そして、エリザベート・ローウェルという少女の名前。
母は、あの手紙を何年も大切に保管していた。
もう一度、友人と話せる日が来るかもしれないと信じて。
(……エレノアさんは、どこまで知ってるんだろう)
ヴィオレッタは窓の外へ目を向けた。
街道の向こうには、夕陽に照らされたフィオラ女学院の尖塔が見え始めていた。
明日、みんなに話そう。
そう決めて、ヴィオレッタは膝の上の包みをそっと抱え直した。
◇
翌日の昼休み。
「……ちょっと待って、ヴィオレッタ」
セレスティアが、手に持っていた焼き菓子を皿に戻した。
「つまり、お母様はエリザベートさんの辞退を認めようとしてたのに、別の人が勝手に却下したってこと?」
「うん。お母様はそう話してくれたよ」
「しかも、イザベラ様の名前で?」
「そうなんだ」
セレスティアは眉を寄せた。
「……それ、ひどくない?」
いつもの明るい声が、少し低くなっていた。
ヴィオレッタは静かに頷いた。
「私もそう思った」
昼休みの談話室には、ヴィオレッタ、セレスティア、リリアーナ、アリア、そしてカトレアが集まっていた。
テーブルには、母から預かった焼き菓子が並んでいる。
ただし、いつものお茶会とは少し違う。
今日は、星花の庭について話し合うために集まっていた。
「……イザベラ様は、とてもおつらかったでしょうね」
リリが小さく呟いた。
「大切なお友達に、誤解されたままお別れするなんて……」
「うん」
ヴィオレッタは頷いた。
「お母様、今でも会って謝りたいって言ってた」
その言葉に、リリは悲しそうに目を伏せた。
「……いつか、お会いできるといいですね」
「そうだね」
ヴィオレッタは微笑んだ。
けれど、そこでアリアが静かに口を開いた。
「……ヴィオレッタ様。一つ、確認してもよろしいでしょうか」
「うん、何?」
「イザベラ様は、辞退を認めない決定を誰が出したのか、ご存じだったのでしょうか」
ヴィオレッタは少し考えた。
「……そこまでは聞いてないな」
「そうですか」
アリアはノートに何かを書き込んだ。
「では、現時点で分かっているのは、イザベラ様の意思に反して、代表者のお名前で決定が伝えられたということですね」
「うん」
「それなら、当時の運営に関わっていた方が、ほかにもいたはずです」
カトレアが頷いた。
「そうだね。代表者が一人で招待会の準備を全部していたとは考えにくい」
「……確かに」
ヴィオレッタは首を傾げた。
母は代表者だった。
けれど、案内状を作ったり、参加者をまとめたりする人は、別にいたはずだ。
「……じゃあ、その人たちが何か知ってるかもしれないんだ」
「可能性はあると思います」
アリアは答えた。
「ただし、記録に名前が残っていたとしても、その方が不正な決定をしたとは限りません」
「うん。そこは決めつけちゃ駄目だよね」
ヴィオレッタが頷くと、アリアは少し安心したように微笑んだ。
◇
「それにしても、気になるのは封蝋だね」
カトレアが焼き菓子を一つ手に取りながら言った。
「昔の公式な招待状は白い封蝋だったんだろう?」
「うん。お母様が運営に関わっていた頃は、そうだったって」
「でも、君たちに届いた招待状は青だった」
「そうなんだよね」
ヴィオレッタは頷いた。
「しかも、お母様が持っていたエリザベートさんの最後の手紙も、同じ青い封蝋だったの」
セレスティアが腕を組んだ。
「……偶然にしては、ちょっと気になるね」
「でも、同じ封蝋だからといって、エリザベート様とエレノア様が直接つながっているとは限りませんよね」
リリが控えめに言った。
「そうだね」
ヴィオレッタは頷いた。
「星と花の紋章自体は、昔から星花の庭で使われていたものみたいだし」
「色についても、何かの資料に残っていた可能性があります」
アリアが続けた。
「私たちが見た公開資料にはありませんでしたが、それがすべてではありませんから」
ヴィオレッタは考え込んだ。
エレノアは、旧温室を残したいと言っていた。
そのために、昔の招待会を再現しようとした。
けれど、どうしてわざわざ青い封蝋を選んだのだろう。
公式の招待状と同じ白ではなく、エリザベートの手紙と同じ青を。
「……やっぱり、本人に聞くのが一番かな」
ヴィオレッタが呟くと、セレスティアが頷いた。
「私もそう思う」
「ただし、今度は先生に同席していただこう」
カトレアが言った。
「エレノアさんが何を知っているのか、きちんと確認したいからね」
「うん。そうしよう」
ヴィオレッタは頷いた。
その時だった。
「……あの、ヴィオレッタ様」
リリが、少し遠慮がちに声をかけた。
「何?」
「エレノア様は、どうしてそこまで星花の庭を再開したいのでしょうか」
ヴィオレッタは目を瞬かせた。
「……え?」
「旧温室を残したいというお気持ちは分かるのですが……」
リリは言葉を探すように続けた。
「昔の事件を知っていらっしゃるのに、それでも招待会を再開したいと思われるのには、何か理由があるのではないでしょうか」
ヴィオレッタは黙り込んだ。
確かに、そうだ。
今まで、自分たちはエレノアの行動ばかり気にしていた。
どうして招待状を送ったのか。
どうして一人ずつ呼び出したのか。
けれど、もっと根本的な疑問がある。
なぜ、そこまで星花の庭にこだわるのか。
「……リリ、すごい」
「えっ?」
「私、そのことあんまり考えてなかった」
リリは慌てて首を振った。
「い、いえ! そんな、大したことでは……」
「ううん。大事なことだと思う」
ヴィオレッタは微笑んだ。
「ありがとう、リリ」
その言葉に、リリの頬がほんのり赤くなった。
「……お役に立てたなら、嬉しいです」
隣でセレスティアが、なぜか少しだけ口を尖らせていた。
「……私も結構いいこと言ったんだけどな」
「え?」
「何でもない」
セレスティアはそう言って、焼き菓子を一つ口に運んだ。
ヴィオレッタは首を傾げた。
(……セレス、どうしたんだろう)
その様子を見ていたカトレアが、楽しそうに笑っていた。
◇
午後の授業が終わった後。
ヴィオレッタたちは、マーガレット・ウェルズ先生のもとを訪ねた。
「……なるほど」
話を聞き終えたマーガレットは、静かに頷いた。
「イザベラ様から、当時の事情を直接伺ったのですね」
「はい」
ヴィオレッタは答えた。
「お母様は、エリザベートさんの辞退を認めるべきだと考えていたそうです」
「……そうでしたか」
マーガレットは少し考え込んだ。
「学院に残されている記録だけでは、当時の経緯をすべて確認することはできません。ですが、イザベラ様のお話は重要な証言です」
「……はい」
「ただし、当時の決定に関わった方々については、慎重に調べる必要がありますね」
ヴィオレッタは頷いた。
母の話を信じている。
けれど、それだけで他の誰かを悪者にしてはいけない。
それは、母自身も望まないはずだ。
「それで、先生」
「何でしょう」
「エレノアさんと、もう一度お話しすることはできますか?」
マーガレットはヴィオレッタを見た。
「……理由を伺っても?」
「はい」
ヴィオレッタは、少しだけ背筋を伸ばした。
「エレノアさんがどうして星花の庭を再開したいのか、ちゃんと聞きたいんです」
「……なるほど」
「それから、招待状に青い封蝋を使った理由も」
マーガレットは静かに頷いた。
「分かりました。エレノアさんに確認してみましょう」
「ありがとうございます!」
「ただし、皆さん」
マーガレットの声が、少しだけ真剣になった。
「昔の出来事を調べることと、誰かを責めることは別です。そこは忘れないでくださいね」
「はい」
ヴィオレッタたちは揃って頷いた。
マーガレットは、そんな彼女たちを見て、わずかに微笑んだ。
「では、明日の放課後に時間を設けられるか、調整してみます」
◇
翌日の昼休み。
ヴィオレッタのもとに、マーガレットから返事が届いた。
エレノアは、放課後の面談に応じるという。
「……よかった」
ヴィオレッタは小さく息を吐いた。
「これで、ちゃんと話せるね」
セレスティアが隣で頷いた。
「うん。でも、ちょっと緊張するかも」
「セレスが?」
「何よ、その顔」
「いや、セレスってあんまり緊張しないイメージだから」
「私だって緊張くらいするよ」
セレスティアは少し頬を膨らませた。
「特に、ヴィオレッタが変なことに巻き込まれそうな時はね」
「……変なこと?」
「そう。誰かに一人で呼び出されたり、古い温室に行こうとしたり」
「いや、私、行ってないよ?」
「だからよかったんでしょ」
セレスティアは呆れたように笑った。
ヴィオレッタもつられて笑う。
「……うん。ありがと、セレス」
「……どういたしまして」
その時、リリが小さな包みを差し出した。
「ヴィオレッタ様。これ、昨日いただいたお菓子のお礼です」
「……え?」
「少しだけですが、刺繍をしてみました」
包みの中には、小さなハンカチが入っていた。
隅には、淡い紫色の花が丁寧に刺繍されている。
「……わあ、可愛い!」
ヴィオレッタは目を輝かせた。
「リリ、ありがとう!」
「よ、喜んでいただけてよかったです」
リリは嬉しそうに微笑んだ。
その様子を見て、セレスティアがハンカチを覗き込む。
「……リリ、上手だね」
「ありがとうございます、セレスティア様」
「……私も何か作ろうかな」
「セレス、刺繍できるの?」
「……できなくはないよ」
少しだけ視線を逸らしたセレスティアに、ヴィオレッタは首を傾げた。
「……何で目を逸らしたの?」
「何でもないってば」
そのやり取りに、リリが小さく笑った。
ヴィオレッタも、思わず笑ってしまう。
こんなふうに、友人たちと何気ない時間を過ごせること。
それが、どれほど大切なことなのか。
星花の庭で起きた昔の事件を知ってから、ヴィオレッタは以前よりも強く感じるようになっていた。
誰かに選ばれたから、友達になるわけではない。
招待されたから、大切な存在になるわけでもない。
ただ、一緒に笑ったり、悩んだり、時には意見をぶつけ合ったり。
そうやって、少しずつ関係を築いていくものなのだと思う。
(……もし、星花の庭をもう一度使うなら)
ヴィオレッタは、ふと考えた。
(そんな場所になったらいいな)
けれど、そのためには、まだ知らなければならないことがある。
エレノアが、あの庭に何を見ているのか。
そして、なぜ過去の招待会を再び始めようとしたのか。
ヴィオレッタは、そっと窓の外へ目を向けた。
明日の放課後。
ようやく、その答えを聞けるかもしれない。
閉ざされた星花の庭をめぐる物語は、少しずつ、新しい形へと動き始めていた。




