第60話 招待状の差出人
翌日の昼休み。
ヴィオレッタ・アルバレスは、食堂の入口で小さく息をついた。
(……本当に来るのかな)
昨夜、寮の自室に届いた四通目の手紙。
そこには、今日の昼休みに友人たちの前へ現れると書かれていた。
もちろん、今朝のうちに担任の教師へ報告してある。学院側も事態を把握しており、食堂の周辺には普段より多くの教職員が目を配ってくれることになった。
だから、必要以上に怖がることはない。
そう思うのだが、やはり少し落ち着かなかった。
「ヴィオレッタ様」
隣から、リリが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「うん。ちょっと緊張してるだけ」
「……私もです」
リリは小さく笑った。
その反対側では、セレスティアが腕を組んでいる。
「大丈夫! もし変なことを言われても、私がちゃんと話を聞くから!」
「セレス、それは頼もしいけど、あんまり喧嘩腰にならないでね?」
「分かってるってば!」
そう言いながらも、セレスティアの表情は真剣だった。
少し離れたところでは、カトレアが落ち着いた様子で周囲を見渡している。
「まあ、先生方も近くにいるしね。まずは相手の話を聞いてみよう」
「うん、そうだね」
ヴィオレッタは小さく頷き、友人たちと一緒にいつもの席へ向かった。
◇
食堂は、普段と変わらず賑わっていた。
生徒たちの楽しそうな声。食器の触れ合う音。焼きたてのパンの香り。
そんな日常の中で、ヴィオレッタだけが妙にそわそわしていた。
(……来るって書いてあったけど、何時なんだろう)
時計を見る。
昼休みが始まってから、すでにしばらく経っている。
けれど、特に変わったことは起きていない。
「ヴィオレッタ、ちゃんと食べてる?」
セレスティアが顔を覗き込んできた。
「えっ? うん、食べてるよ」
「全然減ってないじゃない!」
「あはは……」
ヴィオレッタが苦笑すると、リリも心配そうに微笑んだ。
「無理なさらないでくださいね」
「ありがとう、リリ」
その時だった。
「……失礼いたします」
背後から、落ち着いた声が聞こえた。
ヴィオレッタが振り返ると、一人の女子生徒が立っていた。
淡い金色の髪を肩のあたりで揃えた、上級生らしい少女だった。整った顔立ちに穏やかな微笑みを浮かべているが、その瞳にはどこか真剣な光が宿っている。
「ヴィオレッタ・アルバレス様でいらっしゃいますね?」
「……はい」
少女は丁寧に一礼した。
「初めまして。私はエレノア・ヴァレンティスと申します」
その名前に、カトレアがわずかに目を細めた。
「……ヴァレンティス?」
「はい。ヴァレンティス伯爵家の者です」
エレノアは穏やかに答えた。
「突然お声をかけてしまい、申し訳ございません」
「いえ……」
ヴィオレッタは少し迷ってから尋ねた。
「あの、もしかして……」
「はい」
エレノアは静かに頷いた。
「皆様に招待状をお送りしたのは、私です」
その瞬間、テーブルの空気が変わった。
「……あなたが?」
セレスティアが思わず身を乗り出す。
エレノアはその視線を受け止め、丁寧に頭を下げた。
「ご心配をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます」
「だったら、どうして差出人の名前を書かなかったんですか?」
セレスティアの声は、いつもより少し硬かった。
「しかも、一人で旧温室に来てほしいなんて……!」
「おっしゃるとおりです」
エレノアは反論しなかった。
「私のやり方が不適切だったことは、十分に理解しております」
その素直な返事に、セレスティアは少し拍子抜けしたようだった。
ヴィオレッタはエレノアを見つめた。
「……それなら、どうして?」
エレノアは少しだけ表情を曇らせた。
「……どうしても、確かめたいことがあったのです」
「確かめたいこと?」
「はい」
エレノアは一度、四人の顔を順番に見つめた。
そして、静かに続けた。
「皆様が、本当に互いを大切に思っていらっしゃるのかどうかを」
「…………」
ヴィオレッタは思わず瞬きをした。
(……えっ?)
予想していた答えとは、あまりにも違っていた。
◇
「……どういう意味ですか?」
カトレアが落ち着いた声で尋ねた。
エレノアは小さく息をついた。
「少し長い話になりますが……お聞きいただけますか?」
ヴィオレッタは友人たちと顔を見合わせた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「はい。お願いします」
エレノアは静かに話し始めた。
「かつて、フィオラ女学院には『星花の庭』と呼ばれる場所がございました」
「旧温室のことですね」
アリアが口を開いた。
彼女は生徒会の仕事を終えてから食堂に合流しており、手元には調査内容をまとめたノートがあった。
「はい。よくご存じですね」
「学院の古い記録を少し調べましたので」
エレノアはわずかに微笑んだ。
「では、春の招待会についても?」
「はい。ただ、詳しい内容までは分かりませんでした」
「……そうでしょうね。記録の多くは、今では残っておりませんから」
エレノアは少し寂しそうに目を伏せた。
「星花の庭では、かつて生徒同士が親交を深めるための招待会が開かれていました。最初に招待された者が次の招待者を選び、少しずつ輪を広げていく……そういう催しだったそうです」
「……なるほど」
ヴィオレッタは頷いた。
それなら、アリアが見つけた記録とも一致する。
「ちなみに、その招待会って、誰でも参加できたんですか?」
ヴィオレッタが尋ねると、エレノアは静かに首を振った。
「いいえ。基本的には、入学して間もない一年生を対象とした行事だったそうです。新しい環境で友人を作るきっかけになれば、という目的があったと聞いております」
「……ああ、そういうことか」
その時、カトレアがぽつりと呟いた。
「だから、私のところには招待状が来なかったんだね」
「カトレア?」
「いや、少しだけ気になっていたんだ。ヴィオレッタもリリもセレスも招待されて、私だけ何も届かなかったから」
カトレアは穏やかに笑った。
「……ちょっとだけ、寂しかったかな」
「ええっ!? カトレア、そうだったの!?」
セレスティアが驚いたように声を上げた。
「言ってくれればよかったのに!」
「ふふ。そんな大げさなことじゃないよ」
すると、ヴィオレッタが微笑んだ。
「でも、カトレアが一緒じゃないなら、私もあんまり参加したくないかな」
「……ヴィオレッタ?」
「だって、せっかくみんなで仲良くしてるのに、一人だけ参加できないのは寂しいでしょ?」
ヴィオレッタは何でもないことのように言った。
「もし今度、ちゃんとしたお茶会を開くなら、カトレアも一緒がいいな」
カトレアは一瞬、目を見開いた。
それから、少し照れたように笑った。
「……ありがとう、ヴィオレッタ」
「ううん。当然だよ」
そのやり取りを見ていたセレスティアが、ぱっと顔を明るくした。
「そうだよ! カトレアがいないなんて、つまんないもん!」
「ふふ。セレスにまでそう言ってもらえるとはね」
「何その言い方!」
カトレアが楽しそうに笑うと、リリも柔らかく微笑んだ。
「私も、カトレア様とご一緒できた方が嬉しいです」
「……参ったな。そんなに言われると、ますます嬉しくなってしまうよ」
カトレアは照れ隠しのように小さく笑った。
その様子を見ていたエレノアは、少し驚いたような表情を浮かべていた。
「……皆様は、本当に仲がよろしいのですね」
「はい。大切な友達ですから」
ヴィオレッタが微笑むと、エレノアは静かに頷いた。
「……だからこそ、皆様にお願いしたかったのです」
「お願い、ですか?」
リリが小さく尋ねる。
エレノアは彼女へ視線を向けた。
「皆様のことは、以前から存じ上げておりました。アルバレス様を中心に、身分や立場の異なる方々が自然に親しくされていると伺っておりましたので」
ヴィオレッタは少し照れたように笑った。
「そんな、大げさなものじゃないですよ」
「いいえ。私には、とても眩しく見えました」
エレノアは穏やかに微笑んだ。
けれど、その表情にはどこか影があった。
「……かつての星花の庭も、最初はそういう場所だったのです」
「最初は?」
カトレアが聞き返す。
エレノアは頷いた。
「ですが、やがて招待されること自体が、一種の名誉として扱われるようになりました。誰が選ばれ、誰が選ばれなかったのか。そうしたことが、生徒同士の関係に影響するようになってしまったのです」
「……それって」
ヴィオレッタは眉を寄せた。
「仲良くなるための行事なのに、逆に仲が悪くなっちゃったってことですか?」
「……はい」
エレノアは静かに答えた。
「そして、ある年に大きな問題が起き、招待会は廃止されました」
アリアが真剣な顔で尋ねる。
「その問題について、詳しい記録は残されているのでしょうか?」
「……それは」
エレノアは言葉を詰まらせた。
しばらく沈黙が流れる。
やがて、彼女は小さく首を振った。
「申し訳ございません。今はまだ、お話しできません」
セレスティアが眉をひそめた。
「……どうして?」
「……ある方との約束があるのです」
「ある方?」
エレノアは答えなかった。
その様子を見て、ヴィオレッタは少し考え込んだ。
(……何だか、まだ隠してることがありそうだなぁ)
◇
「それで……」
ヴィオレッタは静かに口を開いた。
「私たちが旧温室に行かなかったことで、何か分かったんですか?」
エレノアは少し驚いたように目を見開いた。
「……はい」
「何が?」
「皆様が、軽率に行動される方々ではないということです」
「…………」
ヴィオレッタは瞬きをした。
(……えっ、それを確かめるために!?)
セレスティアも思わず声を上げた。
「そんなの、普通に話せばよかったじゃない!」
「……おっしゃるとおりです」
エレノアは素直に頭を下げた。
「私自身、焦っていたのだと思います」
「焦っていた?」
リリが首を傾げる。
エレノアは少しだけ目を伏せた。
「……時間が、あまりないのです」
その言葉に、全員が顔を上げた。
「時間?」
ヴィオレッタが尋ねる。
「はい」
エレノアは一度周囲を見回した。
そして、声を落とした。
「実は、旧温室の取り壊しが検討されています」
「……えっ!?」
ヴィオレッタは思わず声を上げた。
セレスティアも驚いたように目を見開く。
「取り壊し!?」
「はい。老朽化が進んでおり、維持が難しくなっているそうです」
エレノアは静かに続けた。
「私は、あの場所を残したいのです」
「……だから、招待会を?」
「はい。かつての星花の庭が、もう一度生徒たちの交流の場になれば……取り壊しを考え直していただけるかもしれないと思いました」
ヴィオレッタは少し考え込んだ。
確かに、使われなくなった建物を残すには、何か理由が必要なのかもしれない。
けれど。
「……だったら、なおさら普通に相談してほしかったです」
ヴィオレッタは穏やかに言った。
エレノアが顔を上げる。
「私たち、何も知らないまま変な手紙をもらって、ちょっと怖かったんですよ?」
「……はい」
「それに、友達を大切にしてるかどうかって、試すようなことをしなくても、話してみれば分かることもあると思うんです」
エレノアはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「……本当に、そのとおりですね」
ヴィオレッタは小さく微笑んだ。
「でも、旧温室を残したいっていう気持ちは、分かります」
「……アルバレス様」
「すごく綺麗な建物でしたし。もし安全に使えるようになるなら、素敵な場所になりそうですよね」
その言葉に、エレノアの瞳がわずかに揺れた。
「……ありがとうございます」
けれど、カトレアが静かに口を開いた。
「ただ、一つ気になることがあるね」
「……何でしょうか?」
「エレノアさん。あなたは、星花の庭で起きた問題について、まだ何か知っているんじゃないかな?」
エレノアの表情がわずかに強張った。
「……それは」
「無理に話してほしいわけじゃないよ。でも、過去に何があったのか分からないまま、同じ行事を再開するのは危険だと思う」
カトレアの言葉に、アリアも静かに頷いた。
「私も、そう思います」
エレノアはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息をついた。
「……分かりました」
そして、静かに続けた。
「皆様に、一つだけお伝えしておきます」
全員が彼女を見つめる。
「かつて星花の庭で起きた問題は、単なる生徒同士の争いではありませんでした」
「……え?」
ヴィオレッタは眉を寄せた。
エレノアは、まっすぐに彼女を見つめた。
「ある一人の少女が、学院を去ることになったのです」
食堂の賑わいが、遠くに聞こえた。
「……学院を?」
「はい」
エレノアは小さく頷いた。
「そして、その少女が最後に残した言葉が、今も記録の一部に残されています」
アリアが息を呑んだ。
「……どのような言葉でしょうか?」
エレノアは一度目を閉じた。
そして、ゆっくりと告げた。
「『次に招待される子が、私と同じ思いをしませんように』」
ヴィオレッタは言葉を失った。
その言葉には、どれほどの悲しみが込められていたのだろう。
エレノアは静かに続けた。
「私は、あの場所をもう一度、誰も傷つかない場所にしたいのです」
その声は、かすかに震えていた。
ヴィオレッタはしばらく彼女を見つめていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……だったら、まずはその子に何があったのか、ちゃんと知るところから始めませんか?」
エレノアは驚いたように顔を上げた。
「……え?」
「過去のことを知らないまま、ただ綺麗な場所に戻そうとしても、同じことが起きちゃうかもしれませんから」
ヴィオレッタは穏やかに微笑んだ。
「もし本当に、誰も傷つかない場所にしたいなら……まずは、そこからだと思います」
エレノアはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
その瞳には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。
◇
その日の夕方、学院の事務室には一通の匿名の手紙が届けられていた。
そこには、ただ一文だけが記されていた。
『星花の庭を、二度と開いてはならない』
そして、その下には、古い学院の記録から切り取られた一枚の紙が添えられていた。
それは、かつての招待会に関する記録の一部だった。
紙には、二人の少女の名前が並んでいた。
一人は、事件の後に学院を去ったとされる少女。
『エリザベート・ローウェル』
そして、もう一人。
その隣に記されていたのは、ある公爵令嬢の名前だった。
『イザベラ・アルバレス』
その名前を見た年配の女性教師が、息を呑んだ。
「……まさか、イザベラ様が……」
彼女は知っていた。
イザベラ・アルバレスが、現在フィオラ女学院に通うヴィオレッタ・アルバレスの母親であることを。




