第58話 二通目の招待状
翌朝、リリアーナ・エヴァンズは少し困っていた。
寮の自室を出ようとしたところで、扉の下に一通の封筒が差し込まれていることに気付いたのだ。
差出人の名前はなく、宛名にはただ『リリアーナ・エヴァンズ様』と記されている。
「……どなたからでしょう?」
不思議に思いながら封筒を裏返すと、そこには深い青色の封蝋が施されていた。
小さな星と花を組み合わせた模様。
もちろん、リリには見覚えのない印だった。
封を開けると、中には一枚の便箋が入っていた。
『リリアーナ・エヴァンズ様
本日、放課後。
旧温室にて、お待ちしております。
どうか、お一人でお越しください。
あなたに、お伝えしたいことがございます』
「…………」
リリは何度か文章を読み返した。
旧温室。
そこは普段、学院の生徒が立ち入ることのできない場所だったはずだ。
しかも、差出人の名前がない。
(……どうして、私に?)
胸の奥に小さな不安が生まれる。
けれど、リリはすぐに手紙を畳み、鞄へしまった。
こういう時こそ、誰かに相談した方がいい。
そして、真っ先に思い浮かんだのは、もちろん大切な友人の顔だった。
◇
「……えっ!?」
教室に響いたヴィオレッタの声に、近くの生徒たちが思わず振り向いた。
ヴィオレッタは慌てて口元を押さえ、声を落とす。
「リリにも届いたの?」
「はい。今朝、寮の部屋の扉の下に入っていました」
リリが差し出した封筒を見て、ヴィオレッタは目を丸くした。
深い青色の封蝋。
星と花の模様。
そして、便箋に記された文章まで、昨日自分に届いたものとほとんど同じだった。
「……本当に同じだね」
「ヴィオレッタ様にも、こちらが?」
「うん。昨日ね」
リリは驚いたように目を見開いた。
「そんな……」
「私もびっくりしたよ。しかも、昨日アリアが調べてくれたんだけど、この模様、昔の学院に関係があるみたいなんだ」
「昔の学院、ですか?」
ヴィオレッタが頷くと、隣で話を聞いていたアリアが静かに口を開いた。
「はい。旧温室は、以前『星花の庭』と呼ばれていたそうです」
「星花の庭……」
リリは小さく繰り返した。
そして、手元の封筒へ視線を落とす。
「……それで、この模様なのですね」
「そうかもしれません。ただ、まだ断定はできません」
アリアは慎重に答えた。
「それに、昨日の記録には気になる記述もありました。旧温室は、ある出来事をきっかけに閉鎖されたそうです」
「……ある出来事?」
「詳しいことは分かりませんでしたが、『最後の招待をもって閉ざされた』と書かれていました」
リリの表情が少し曇る。
「……何だか、怖いですね」
「うん。だから、絶対に一人で行かないでね」
ヴィオレッタが真剣な顔で言うと、リリは小さく頷いた。
「はい。私も、そのつもりです」
その返事に、ヴィオレッタはほっと息をついた。
(……よかった。リリが無理に行こうとしなくて)
けれど、どうして自分の次にリリなのだろう。
たまたまなのか、それとも何か理由があるのか。
ヴィオレッタには、まだ分からなかった。
◇
昼休み。
いつもの食堂に集まった四人は、リリに届いた手紙について話していた。
「ちょっと待って! 今度はリリなの!?」
セレスティアが驚いたように声を上げる。
「はい……」
「もう! 何なの、その手紙! どうして二人ばっかり!」
「セレス、声が大きいよ」
ヴィオレッタが苦笑しながら注意すると、セレスティアは慌てて口元を押さえた。
「……ごめん」
カトレアは二通の手紙を見比べながら、少し考えるような表情を浮かべていた。
「文面も同じなんだね」
「うん。ほとんど一緒」
「ただ、届け方は違うんだろう?」
「そうなの。私の方は上級生が教室まで持ってきてくれたけど、リリのは寮の部屋の前にあったんだって」
「なるほど……」
カトレアは小さく頷いた。
「差出人は、少なくとも二人の居場所を把握しているわけだ」
「……そうなるね」
ヴィオレッタは少しだけ表情を引き締めた。
普段なら気にも留めないことだが、こうして改めて言われると、少し気味が悪い。
「リリ、先生にはもう話した?」
「はい。今朝、担任の先生にご相談しました」
「そっか。よかった」
すると、セレスティアが勢いよく身を乗り出した。
「じゃあ、私たちも何か調べようよ!」
「セレス?」
「だって、二人に変な手紙が届いてるんだよ? 何もしないで待ってるなんて、落ち着かないもん!」
「気持ちは分かるけど、無理に調べるのは危ないかもしれないよ」
カトレアが穏やかに言う。
「まずは先生方に任せて、私たちは分かる範囲で情報を整理するくらいにしておこう」
「……むぅ」
「セレスが心配してくれるのは嬉しいよ」
ヴィオレッタがそう言うと、セレスティアは少し照れたように笑った。
「……だって、友達だもん」
「うん。ありがとう」
リリも小さく微笑んだ。
「私も、皆さんがいてくださって心強いです」
その言葉に、セレスティアはぱっと顔を明るくした。
「でしょ! 何かあったら絶対に言ってね!」
「はい」
そんなやり取りを見ながら、カトレアは小さく笑った。
「ふふ。頼もしいね、セレス」
「もちろん!」
ヴィオレッタもつられて笑ったが、ふと気になることがあった。
「……でも、何で私とリリなんだろう?」
その呟きに、三人が顔を上げる。
「私たち、何か共通してることあったっけ?」
「……共通していること、ですか?」
リリが考え込む。
もちろん、二人は友人同士だ。
けれど、それだけならセレスティアやカトレアも同じだろう。
「同じクラスだから、とか?」
セレスティアが首を傾げる。
「それならアリアさんもいるし……」
「そうだね」
ヴィオレッタは頷いた。
すると、カトレアが静かに口を開いた。
「……もしかしたら、順番に意味があるのかもしれないね」
「順番?」
「うん。最初がヴィオレッタで、次がリリ。偶然かもしれないけど、差出人が何かの順番に従っている可能性もある」
「……なるほど」
ヴィオレッタは少し考え込んだ。
もし本当に順番があるのなら、次は誰なのだろう。
セレスティアか。
カトレアか。
それとも、まったく別の誰かなのか。
その答えは、まだ見えなかった。
◇
放課後。
アリアは生徒会室の片隅で、古い記録を広げていた。
昨日見つけた『星花の庭』という名称。
そして、『最後の招待をもって閉ざされた』という一文。
どうしても気になり、もう一度調べてみることにしたのだ。
もちろん、学院の許可を得て閲覧できる資料だけである。
古い書類を一枚ずつ確認していくうちに、アリアはあることに気付いた。
「……あれ?」
資料の一部に、不自然な空白があった。
年度ごとにまとめられた学院行事の記録。
その中で、ある年の春だけ、行事の記述がほとんど残されていない。
「……どうして、この年だけ……」
アリアは別の資料を取り出した。
学院の施設利用記録。
そこにも、同じ年の春に関する記述があった。
『星花の庭――使用停止』
それだけだった。
理由も、経緯も書かれていない。
アリアは眉を寄せた。
(……記録がないのではなく、残されていないのでしょうか)
その時、ふと一枚の紙が目に入った。
古い行事案内の写しらしい。
端が少し破れており、文字もところどころ薄くなっている。
けれど、そこには確かに、星と花の模様が描かれていた。
「……同じ印……」
アリアは慎重に紙を広げた。
そして、次の瞬間、思わず息を呑んだ。
『星花の庭 春の招待会』
その下には、小さな文字でこう記されていた。
『招待を受けた者は、次の招待者を選ぶこと』
「……次の、招待者……?」
アリアはしばらくその文章を見つめた。
もし、これが現在の手紙と関係しているのなら。
最初に招待されたヴィオレッタ様。
そして、次に招待されたリリアーナ様。
その順番には、何か意味があるのかもしれない。
けれど、まだ分からないことが多すぎる。
アリアは紙を丁寧に戻し、ノートに内容を書き留めた。
「……明日、ヴィオレッタ様にお伝えしましょう」
そう呟き、静かに資料を閉じた。
◇
同じ頃。
学院の旧温室では、再び誰かが扉の前に立っていた。
夕暮れの光が、古びたガラス窓を赤く染めている。
その人物は、扉の前に置かれていた白い花を拾い上げた。
花びらは、まだ瑞々しい。
「……二人目も、来なかった」
小さな声が漏れる。
怒っているようにも、落胆しているようにも聞こえなかった。
ただ、何かを確かめるような響きだった。
その人物は懐から一通の封筒を取り出した。
深い青色の封蝋。
星と花の模様。
そして、宛名には新たな名前が記されている。
『セレスティア・ルミナス様』
封筒を見つめた人物は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく呟く。
「……今度こそ」
夕暮れの風が、旧温室の蔦を揺らした。
そして翌朝、三通目の招待状が届けられることになる。




