第54話 ルミナス侯爵家の休日
休日の朝、ヴィオレッタを乗せた馬車は王都の通りを進んでいた。
向かう先はルミナス侯爵邸。セレスティアに招かれて訪れるのは、これが初めてではない。
窓の外を眺めながら、ヴィオレッタは以前の訪問を思い出していた。
(あの時は、セレスがあんなに頑張ってるなんて知らなかったんだよね)
庭園の東屋で、後継者としての重圧を打ち明けてくれた少女。あの日から何年も経ち、セレスは以前よりもずっと自然に笑うようになった気がする。
もっとも、元気すぎるところは何も変わっていない。
(……今日も庭に連れていかれるのかな)
そんなことを考えているうちに、馬車は侯爵邸の門をくぐった。
出迎えた使用人に案内されて玄関へ向かうと、見慣れた金色の髪が揺れた。
「ヴィオレッタ! 待ってたよ!」
「おはよう、セレス」
「おはよう! 今日はゆっくりしていってね!」
セレスティアは満面の笑みで駆け寄ってくると、嬉しそうにヴィオレッタの手を取った。
「今日は何するの?」
「まずはお茶! それから庭を歩いて、時間があったら練習場も案内する!」
「……やっぱり庭なんだ」
「だって自慢だもん!」
昔とまったく同じ答えに、ヴィオレッタは思わず笑ってしまった。
◇
応接室には、ルミナス侯爵夫人が待っていた。
「ようこそいらっしゃいました、ヴィオレッタ様。娘がいつもお世話になっております」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
ヴィオレッタが丁寧に一礼すると、侯爵夫人は穏やかに微笑んだ。
「セレスティアから、学院でのお話をよく聞いておりますの。春のお茶会も大成功だったそうですね」
「皆さんのお力添えがあったおかげです」
「まあ、謙虚でいらっしゃること」
侯爵夫人は楽しそうに笑い、娘へ視線を向けた。
「セレスティア、ヴィオレッタ様に失礼のないようにね」
「はい、お母様」
セレスティアは背筋を伸ばし、淀みなく答える。
その姿に、ヴィオレッタは懐かしさを覚えた。
(……こういうところは、相変わらず完璧だなぁ)
友人の前では元気いっぱいでも、必要な場面では立派な侯爵令嬢になる。それは昔から変わらないセレスの一面だった。
ただ、以前と違うこともある。
侯爵夫人が席を外すと、セレスティアは小さく息を吐いて笑った。
「ふう。やっと二人で話せる!」
「お母様がいると緊張するの?」
「そういうわけじゃないけど、ヴィオレッタとは気楽に話したいじゃない!」
「そうだね」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇
庭園には春の花々が咲き誇っていた。
噴水の近くを歩きながら、セレスティアは学院での出来事を次々と話してくれた。
カトレアとの稽古、リリが作った花飾り、アリアの試験結果。話題が尽きることはなく、ヴィオレッタも自然と笑顔になる。
「そういえば、セレス。顔合わせの準備は順調?」
ヴィオレッタが尋ねると、セレスティアは頷いた。
「もちろん! お相手の家についても調べたし、当日の流れも確認したよ」
「さすがだね」
「でしょ? ベルクハルト伯爵家は王都でも古くから続く家で、商業にも関わりが深いんだって。ルミナス家とも以前から付き合いがあるらしいの」
「詳しいんだね」
「当然でしょ! 将来のことに関わるんだから」
セレスティアはそう言って笑った。
その表情には、以前のような無理をしている様子はない。
けれど、少し歩いたところで、彼女はぽつりと呟いた。
「……でもね、ヴィオレッタ」
「うん?」
「私、何を話せばいいのかなって、ちょっと考えてるの」
「何を話すか?」
「うん。家のこととか、勉強のこととかなら、いくらでも話せるんだけど」
セレスティアは噴水の水面を眺めた。
「それだけじゃ、何だかお見合いのための面接みたいじゃない?」
「……面接?」
「そう! 私がどれだけ侯爵家の後継者として優秀か、確認されるみたいで」
ヴィオレッタは思わず笑いそうになった。
(……確かに、それはちょっと嫌かも)
「じゃあ、好きなことを話してみたら?」
「好きなこと?」
「うん。剣術とか、お菓子とか。セレス、話したいこといっぱいあるでしょ?」
「……剣術の話、してもいいのかな」
「いいんじゃない?」
「でも、相手が興味なかったら?」
「それも分かるんじゃない?」
セレスティアは首を傾げた。
「……どういうこと?」
「セレスの好きなものに、相手がどう反応するかって大事だと思うから」
ヴィオレッタは少し考えて続ける。
「別に同じものを好きになってもらわなくてもいいけど、ちゃんと話を聞いてくれる人だと嬉しいよね」
セレスティアはしばらく黙っていた。
それから、ゆっくり笑った。
「……なるほどね」
「何?」
「ヴィオレッタって、やっぱり面白い」
「えっ、どうして?」
「だって普通は、相手に気に入られる方法を考えるでしょ?」
「……そうなの?」
「そうなの!」
セレスティアは楽しそうに笑った。
「でも、ヴィオレッタは私が相手を気に入るかどうかを考えるんだね」
ヴィオレッタは瞬きをした。
(……言われてみれば、そうかも)
「だって、セレスは私の大切な友達だもん」
「……え?」
「セレスには幸せになってほしいし、相手の人がどんなに立派でも、セレスが嫌だと思うなら意味ないんじゃないかな」
ヴィオレッタは何でもないことのように続けた。
「それに、セレスが無理して笑ってるところなんて、もう見たくないから」
その言葉に、セレスティアはぴたりと動きを止めた。
以前、ルミナス侯爵邸の庭園で話した日のことを思い出したのだ。
あの日もヴィオレッタは、当たり前のように自分の気持ちを大切にしてくれた。
「……ヴィオレッタ」
「ん?」
「……大好きっ!」
「わっ!?」
次の瞬間、セレスティアが勢いよく抱き着いてきた。
「ちょ、ちょっとセレス! 危ないって!」
「だって嬉しいんだもん!」
「嬉しいのは分かったから、もうちょっと加減して!」
ヴィオレッタが慌てて身体を支える一方で、セレスティアは満面の笑みを浮かべていた。
そして、そのままヴィオレッタの胸元にぽすんと顔を埋める。
「……すんすん」
「…………」
「……すんすん」
「……セレス?」
「んー?」
「何してるの?」
「ヴィオレッタを堪能してる!」
「堪能!?」
あまりにも堂々とした返答に、ヴィオレッタは思わず声を裏返した。
「いや、私、食べ物じゃないんだけど!?」
「知ってるよ?」
「知ってる人の行動じゃないよね!?」
セレスティアは楽しそうに笑いながら、ようやく身体を離した。
「もう、ヴィオレッタって本当に面白い!」
「それはこっちの台詞なんだけど……」
ヴィオレッタは乱れた髪を直しながら、呆れたように息を吐いた。
(……セレスって、たまに大型犬みたいになるよね)
けれど、目の前で幸せそうに笑う友人を見ていると、不思議と悪い気はしなかった。
「……まあ、元気になったならいいけど」
「うん! すっごく元気になった!」
「それはよかった」
そう答えると、セレスティアはまた抱き着こうと両手を広げた。
「……もう一回!」
「いや、もう十分でしょ!」
庭園に、二人の笑い声が響いた。
◇
昼食の席には、ルミナス侯爵も姿を見せた。
「久しぶりだね、ヴィオレッタ嬢。学院生活はどうかな?」
「おかげさまで、楽しく過ごしております」
「それは何よりだ。セレスティアからも、よく君の話を聞いているよ」
「お父様!」
セレスティアが慌てたように声を上げた。
侯爵は楽しそうに笑う。
「何かおかしなことを言ったかな?」
「い、いえ……」
ヴィオレッタは首を傾げた。
(……そんなに私の話をしてるのかな)
侯爵は穏やかに続けた。
「今回の縁談についても、娘には十分に考えてほしいと思っている」
セレスティアの表情が少し引き締まった。
「はい、お父様」
「ベルクハルト家とは長い付き合いがあるが、それだけで話を進めるつもりはない。まずは互いを知ることが大切だ」
「承知しております」
侯爵は満足そうに頷いた。
「セレスティア、お前はこの家を継ぐ立場だ。だからこそ、伴侶となる人物についても自分の目で判断しなさい」
「……はい」
セレスティアは真剣な顔で答えた。
ヴィオレッタはそのやり取りを聞きながら、少し安心した。
(……よかった。ちゃんとセレスの気持ちも考えてくれてるんだ)
もちろん、貴族同士の縁談には家の事情も関わるのだろう。
けれど、少なくともルミナス侯爵夫妻は、娘に無理やり結婚を押し付けるつもりではないらしい。
昼食は穏やかな雰囲気のまま進んだ。
◇
帰り際。
玄関まで見送りに来たセレスティアは、ヴィオレッタの手を握った。
「今日は来てくれてありがとう!」
「こちらこそ。楽しかったよ」
「ねえ、顔合わせが終わったら、また話を聞いてくれる?」
「もちろん」
「……約束だよ?」
「うん、約束」
セレスティアは嬉しそうに笑った。
「そういえば、セレスは今日も寮に戻るの?」
「ううん。今日はこのまま実家に泊まるつもり! 明日の朝には学院へ戻るよ」
「そっか。じゃあ、また明日だね」
「うん! 気をつけて帰ってね!」
セレスティアに見送られ、ヴィオレッタは馬車に乗り込んだ。
向かう先はフィオラ女学院の学生寮。
窓越しに手を振ると、セレスティアも大きく手を振り返してくれた。
馬車が侯爵邸を離れてからも、ヴィオレッタの胸には、先ほどのセレスティアの笑顔が残っていた。
(……セレス、ちゃんと前に進もうとしてるんだな)
以前は、期待に応えなければと一人で頑張っていた少女。
今は自分の将来について考え、迷いながらも答えを見つけようとしている。
ヴィオレッタは小さく微笑んだ。
(……いい人だといいね)
縁談相手がどんな人物なのかは、まだ分からない。
けれど、セレスが心から笑える未来であってほしい。
そう願いながら、ヴィオレッタは馬車の窓から春の街並みを眺めていた。




