第52話 いつもと違うセレスティア
春季交流会が終わって数日が経った。
フィオラ女学院にはいつもの日常が戻り、ヴィオレッタも授業と課題に追われながら、それなりに平和な毎日を過ごしていた。
もっとも、平和というのは何も起こらないという意味ではない。
「ヴィオレッタ様、今日のお昼は皆様とご一緒できますか?」
午前の授業が終わると、リリが嬉しそうに声をかけてきた。
「もちろん。セレスたちも来るの?」
「はい。先ほど廊下でセレスティア様にお会いしたのですが、食堂で待っているとおっしゃっていました」
「じゃあ、早く行こうか」
「あの、私もご一緒していいですか?」
隣から声をかけてきたのはアリアだった。
「もちろん。アリアも一緒に行こう」
「ありがとうございます!」
三人で教室を出ると、廊下には昼休みを迎えた生徒たちが行き交い、あちこちから楽しそうな声が聞こえてきた。
交流会をきっかけに顔見知りが増えたせいか、以前よりも挨拶をされる機会が多い。
「ヴィオレッタ様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
すれ違った生徒に微笑み返すと、リリが隣で小さく笑った。
「最近、ヴィオレッタ様にお声をかける方が増えましたね」
「そうかな?」
「はい。お茶会に参加された方も多いですし」
「私もそう思います。以前より、学年の違う方ともお話しする機会が増えました」
アリアも嬉しそうに頷く。
「それなら、開いてよかったね」
そんな話をしながら食堂へ向かうと、見慣れた声が聞こえてきた。
「だから、次は絶対に勝つって言ってるでしょ!」
「うん、楽しみにしているよ」
「もう! その余裕が悔しいのよ!」
声の主は、もちろんセレスティアだった。
テーブルにはカトレアも座っている。
「お待たせ」
「あっ、ヴィオレッタ! リリもアリアも!」
セレスティアがぱっと顔を上げ、大きく手を振った。
「遅かったじゃない!」
「授業が少し長引いたんだよ」
「そうなの? じゃあ仕方ないわね!」
あっさり納得するセレスティアに、ヴィオレッタは笑いながら席についた。
今日も元気だ。
少なくとも、そう見えた。
◇
「それでね、昨日の稽古でカトレアに新しい技を試したんだけど!」
「見事にかわされたね」
「最後まで言わせてよ!」
昼食の席は、いつものように賑やかだった。
セレスティアが身振り手振りを交えて昨日の稽古を語り、カトレアが穏やかに訂正を入れる。
アリアは楽しそうに笑い、リリも二人のやり取りに耳を傾けていた。
「でも、セレスティア様はすごいです。勉強もお得意なのに、剣術まで……」
「ありがとう、リリ! でも、カトレアにはまだ勝てないのよね」
「セレスは十分強いよ。昨日の攻撃も、少し驚いた」
「本当!?」
「うん。ただ、最後の踏み込みが少し大きかったかな」
「なるほど……じゃあ、次はそこを直せば!」
「食事中に稽古の反省会を始めないでね」
ヴィオレッタが口を挟むと、セレスティアは笑った。
「分かってるって!」
(本当に分かってるのかな……)
そう思いながら紅茶を口に運んだ、その時だった。
「……あ」
セレスティアが小さく声を漏らした。
視線の先には、窓の外を歩く二人の上級生がいる。
特に変わった様子はない。楽しそうに話しながら庭園へ向かっているだけだ。
「セレス?」
「えっ? ああ、何?」
「どうかした?」
「ううん、何でもない!」
セレスティアは笑って首を振った。
そして、すぐにアリアへ話を振る。
「そういえば、アリア! この前の試験、また満点だったんでしょ?」
「ええ、たまたま得意な範囲でしたから」
「たまたまで満点なんて取れないって!」
会話は再び盛り上がった。
けれど、ヴィオレッタは少しだけ気になった。
(……今の、何だったんだろう)
別に元気がないわけではない。
話し方も笑い方も、いつものセレスだ。
ただ、時々ふっと意識が別のところへ向いているような気がする。
それは本当に小さな変化で、気のせいと言われればそうかもしれない。
けれど、ヴィオレッタには妙に引っかかった。
「ヴィオレッタ?」
「ん?」
「聞いてる?」
セレスティアがこちらを覗き込んでいた。
「……ごめん、何の話?」
「もう! 今度の休みにカトレアと稽古するって話!」
「ああ、うん」
「ヴィオレッタも見に来ない?」
「また?」
「またって何よ!」
「この前も見た気がするんだけど」
「今度は違うの! 新しい技を試すんだから!」
胸を張るセレスティア。
いつもの調子に、ヴィオレッタも思わず笑った。
ところが、その直後。
「……あ、でも」
セレスティアは言いかけて、少し考え込んだ。
「どうしたの?」
「ううん。今度の休みは、ちょっと無理かもしれない」
「予定があるの?」
「まあ、そんなところ!」
明るく答えてはいるものの、どこか歯切れが悪い。
カトレアも少し不思議そうな顔をしたが、セレスティアはすぐに別の話題を持ち出した。
ヴィオレッタはその横顔を眺める。
(……やっぱり、何かあるのかな)
以前、ルミナス侯爵邸を訪ねた時のことを思い出した。
あの時のセレスも、周囲の期待に応えようと完璧に振る舞っていた。
けれど、二人きりになって初めて、胸の内を話してくれたのだ。
(……無理に聞くのも違うよね)
ヴィオレッタはそう考え、ひとまず目の前の昼食に戻ることにした。
◇
放課後。
図書室で借りていた本を返し、ヴィオレッタが寮へ向かっていると、渡り廊下の先に見覚えのある姿を見つけた。
「あれ、セレス?」
声をかけると、セレスティアが振り返った。
「あっ、ヴィオレッタ!」
「こんなところで何してるの?」
「先生に呼ばれてたの。今、終わったところ!」
「そっか。じゃあ、一緒に帰る?」
「もちろん!」
二人は並んで歩き始めた。
窓から差し込む午後の日差しが、廊下に長い影を落としている。
「そういえば、交流会のお茶会、評判よかったみたいね!」
「うん。リリも喜んでたよ」
「あの花の飾り、本当に綺麗だったもの! 今度は私も何か手伝いたいな」
「セレスなら、当日の案内とか得意そう」
「任せて! 迷ってる子がいたら、全員連れていくから!」
「……全員?」
「もちろん!」
「なんだか大変なことになりそう」
「ちょっと、信用してないでしょ!」
二人で笑う。
こうして話していると、やはり普段のセレスティアだった。
けれど、笑い声が収まった時、彼女はまた少しだけ考え込むような顔をした。
ヴィオレッタは横目でその様子を見て、しばらく迷った末に口を開いた。
「……ねえ、セレス」
「ん?」
「何かあった?」
セレスティアが足を止めた。
「え?」
「今日、ちょっといつもと違う気がして」
「そう?」
「うん。元気がないってわけじゃないんだけど……何か考え事してる?」
セレスティアは驚いたように目を瞬かせた。
それから、困ったように笑う。
「……よく分かったね」
「たまたまだよ」
「ううん。私、自分ではいつもどおりのつもりだったんだけどな」
セレスティアは廊下の窓へ目を向けた。
その横顔を見て、ヴィオレッタは少しだけ胸がざわついた。
以前にも、こんな顔を見たことがある。
ルミナス侯爵邸の庭園で、二人きりになった時だ。
「……話したくなかったら、無理に話さなくていいよ」
ヴィオレッタがそう言うと、セレスティアは小さく笑った。
「そういうところ、本当に変わらないね」
「え?」
「何でもない!」
いつもの調子で答えた後、セレスティアは少しだけ声を落とした。
「……ねえ、ヴィオレッタ」
「うん?」
「もし、会ったこともない人と結婚することになったら、どうする?」
「……結婚?」
思いもよらない言葉に、ヴィオレッタは足を止めた。
「急にどうしたの?」
「ちょっと、聞いてみたくなって」
セレスティアは笑っていた。
けれど、今度はその笑顔の奥に、迷いのようなものが見えた気がした。
(……結婚、かぁ)
貴族にとって、婚姻は本人同士だけの問題ではない。
家同士の関係や領地のこと、将来の継承にも関わる。
頭では理解している。
それでも、前世では普通の女子高生だったヴィオレッタにとって、結婚はまだずっと先の話だった。
「……私だったら、まず相手に会ってみるかな」
ヴィオレッタは少し考えてから答えた。
「会ってみる?」
「うん。どんな人か分からないままじゃ、何も決められないと思うし」
「……そっか」
「でも、嫌だったら嫌って言うと思う」
セレスティアは目を丸くした後、くすっと笑った。
「ヴィオレッタらしいね」
「そうかな?」
「うん。すごく」
少しの沈黙が流れる。
やがてセレスティアは、何かを決めたように口を開いた。
「……実はね、家から縁談の話が来てるの」
「……えっ?」
「まだ正式に決まったわけじゃないよ。まずは顔合わせを、って話なんだけど」
「セレスに、縁談……?」
思わず聞き返してしまった。
セレスティアは侯爵家の後継者だ。
いずれ家を継ぐ立場なのだから、結婚の話が出ても不思議ではない。
それでも、ヴィオレッタにはどうしても意外だった。
(……そっか。この世界にも、ちゃんとそういう話があるんだ)
そして、その瞬間。
ヴィオレッタの頭に、十五歳の誕生日の夜の記憶が蘇った。
(……待って)
(ここって、あの乙女ゲームのスピンオフの世界だよね?)
フィオラ女学院を舞台に、本編の主人公が女の子たちを攻略する作品。
前世の友人から聞いたのは、そんな話だった。
そして、自分自身もまた悪役令嬢として登場し、どのルートでも酷い目に遭うらしい。
それだけは、はっきり覚えている。
(……でも、セレスって攻略対象の可能性が高いんだよね?)
明るくて、格好よくて、何でもできる侯爵令嬢。
どう考えても、それらしい。
少なくともヴィオレッタは、そう疑っていた。
(なのに、縁談!?)
思わずセレスティアの顔を見た。
彼女は不思議そうに首を傾げている。
「……ヴィオレッタ?」
「あっ、ごめん!」
慌てて笑顔を作る。
(いやいや、落ち着こう)
そもそも自分は、そのスピンオフをプレイしていない。
どんなイベントがあるのか、誰が誰と結ばれるのか、何一つ知らないのだ。
(これがゲームのイベントなのか、それとも普通に起こる出来事なのかも分からない……)
考えてみれば当然だった。
いくらゲームの世界だからといって、貴族社会の仕組みまでなくなるわけではない。
学院の外にはそれぞれの家があり、家族がいて、将来の役目がある。
縁談だって、あって不思議ではないのだ。
(……私、どこかでゲームのことばっかり考えてたのかも)
ヴィオレッタは改めてセレスティアを見た。
ゲームの攻略対象かもしれない少女。
けれど、今ここにいるのは、将来のことで悩んでいる大切な友人だった。
「私がルミナス家を継ぐ以上、いつかは考えなきゃいけないことだって分かってる。だから、嫌だってわけじゃないの」
「うん」
「ただ……ちょっと、どうしたらいいのかなって」
いつもの勢いのある声ではなかった。
けれど、以前のように期待に押し潰されそうな様子でもない。
セレスティアは、自分の将来に向き合おうとしていた。
ヴィオレッタはしばらく彼女を見つめ、それから小さく頷いた。
「……そっか」
「ごめんね。急にこんな話して」
「ううん。話してくれてありがとう」
セレスティアは少し驚いたような顔をした。
そして、ふっと表情を緩める。
「……やっぱり、ヴィオレッタに話してよかった」
「まだ何もしてないよ?」
「いいの!」
セレスティアは笑った。
その笑顔は、昼休みに見せていたものより、少しだけ自然に見えた。
ヴィオレッタもつられて笑う。
春の夕日が差し込む渡り廊下を、二人は再び並んで歩き始めた。




