第5話 広がる輪
リリアーナのお茶会から、数週間が過ぎた。
最近、私の日常には少し変わったことがある。
「お嬢様、本日もお手紙が届いております」
「また?」
「はい。またでございます」
エマが差し出した銀盆には、三通の封筒が載っていた。
「……増えてる」
思わず呟くと、エマが小さく笑った。
「お嬢様の交友関係が広がっている証拠でございますね」
「そうなのかなぁ……」
最初はリリアーナ様からの一通だけだった。
それが二通になり、三通になり、最近では週に何度も手紙が届くようになっている。
差出人は、以前のお茶会で知り合った令嬢たち。
中には、まだ直接会ったことのない子からの手紙まであった。
(……貴族の情報伝達って、すごいな)
前世でいうところのSNSみたいなものだろうか。
もちろん、こちらにはスマートフォンなんて便利なものはない。
それなのに、噂というものは驚くほど早く広まるらしい。
私は一通目の封筒を開いた。
『先日おすすめしていただいた本を読みました。とても面白かったです』
二通目には、庭で育てている花の話。
三通目には、今度のお茶会でぜひ話してみたいというお誘いが書かれていた。
「……みんな、結構いろんなことを書いてくれるんだね」
「お嬢様とのお話を楽しみにしていらっしゃるのでしょう」
「そっか……」
何だか少し照れくさい。
前世でも友達はいたけれど、こんなに丁寧な手紙をもらったことはなかった。
(……でも、嬉しいな)
私は封筒を大切に机へ並べた。
「よし、お返事を書こう!」
「その前に、お嬢様」
「ん?」
「本日の歴史のお勉強が、まだ終わっておりません」
「……あ」
エマがにっこりと微笑む。
その笑顔は優しい。
けれど、どうやら見逃してはくれないらしい。
「……手紙を書いてからじゃ駄目?」
「お勉強が終わってからにいたしましょう」
「はーい……」
(エマ、最近ちょっと厳しくなってない?)
以前より遠慮なく注意してくれるようになったのは、きっと良いことなのだろう。
……良いことのはずだ。
私は名残惜しく封筒を見つめてから、歴史の教科書を開いた。
◇
その頃、エヴァンズ子爵家では――
「リリアーナ様、最近は随分と楽しそうでいらっしゃいますね」
侍女の言葉に、リリアーナは少し頬を赤らめた。
「そうでしょうか?」
「ええ。以前はお茶会の前になると、いつも緊張なさっていましたから」
「……そうですね」
リリアーナは手元の便箋へ視線を落とした。
そこには、ヴィオレッタから届いたばかりの手紙がある。
最近読んだ本の話や、歴史の勉強に苦戦していること。
そして、今度会ったときには一緒に庭を散歩したいという、何気ない言葉。
読んでいるだけで、自然と笑顔になってしまう。
以前のリリアーナにとって、貴族令嬢のお茶会は少し苦手な場所だった。
周囲には自分より家格の高い令嬢も多く、失礼なことを言ってしまわないかと、いつも気を張っていた。
けれど、あの日は違った。
誰とも上手く話せずにいた自分の隣へ、ヴィオレッタが座ってくれた。
公爵家の令嬢なのに、偉そうなところは少しもなくて。
難しい話は自分も苦手だと笑いながら、気さくに話しかけてくれた。
(……あのとき、本当に嬉しかった)
その後も手紙を交わし、家に招待することまでできた。
少し前の自分なら、考えられなかったことだ。
「……ねえ」
リリアーナは侍女へ顔を向けた。
「お母様は、今どちらにいらっしゃるかしら?」
「奥様でしたら、サロンにいらっしゃるかと」
「ありがとう。少しお話ししてくるわ」
机の上には、来月開かれる誕生日のお茶会の招待客を記した紙があった。
その一番上には、すでに名前が書かれている。
――ヴィオレッタ・アルバレス。
けれど、リリアーナはまだ招待状を送れていなかった。
公爵家の令嬢を自分の誕生日会に招く。
それが決して小さなことではないと、分かっていたからだ。
(……でも、来てほしい)
あの日、自分に勇気をくれた友達に。
今度は、自分から声をかけてみたい。
リリアーナは便箋をそっと机へ置き、部屋を出た。
◇
「……またアルフレッド!?」
数日後。
私は屋敷の図書室で、思わず声を上げていた。
目の前に広げられているのは、王国の歴史書。
そこには歴代国王の名前がずらりと並んでいる。
十代目アルフレッド。
十一代目アルフレッド。
そして、十二代目もアルフレッド。
「……もう少し違う名前にしようよ」
三人も続けて同じ名前だなんて、覚える側の身にもなってほしい。
しかも、それぞれの功績や政策まで覚えなければならない。
(……これ、絶対テストに出るやつだ)
いや、今の私に学校のテストはないけれど。
将来、貴族として必要になる知識なのだから、覚えておいて損はないはずだ。
そう思い直して本へ視線を戻した、そのときだった。
「お嬢様」
図書室の扉が開き、エマが姿を見せた。
「リリアーナ様がお見えになりました」
「え?」
私は顔を上げた。
「リリアーナ様が?」
「はい。エヴァンズ子爵夫人もご一緒でございます」
「えっ、お母様も?」
思わず立ち上がる。
(……どうしたんだろう?)
今日はお茶会の約束をしていなかったはずだ。
何かあったのだろうか。
「奥様が応接室でお迎えになっております。お嬢様もお越しくださいませ」
「う、うん!」
私は慌てて本を閉じた。
……正直、勉強を中断できて少し嬉しかったのは内緒である。
◇
応接室に入ると、お母様が来客と楽しそうに話していた。
その向かいには、上品な装いの女性と、見慣れた金髪の少女が座っている。
「ごきげんよう、ヴィオレッタ様」
私に気づいたリリアーナが立ち上がった。
「ごきげんよう、リリアーナ様!」
思わず笑顔になる。
「今日はどうしたの?」
「ヴィオレッタ」
お母様から静かに名前を呼ばれ、私ははっとした。
(……あ、先にご挨拶だった)
慌てて姿勢を正す。
「エヴァンズ子爵夫人、本日はようこそお越しくださいました」
私が挨拶すると、子爵夫人は柔らかく微笑んだ。
「まあ、ご丁寧にありがとうございます。リリアーナから、いつもお話を伺っておりますよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。最近はヴィオレッタ様のお話ばかりですの」
「お、お母様……!」
リリアーナが慌てたように声を上げる。
その頬は、ほんのり赤くなっていた。
(……ふふっ、可愛い)
思わず笑いそうになったけれど、ここは我慢。
お母様も楽しそうに微笑んでいる。
「ヴィオレッタも同じですわ。お茶会から帰ってきた日は、リリアーナ様のお話をたくさん聞かせてくれましたもの」
「お母様まで!?」
今度は私が慌てる番だった。
大人二人が顔を見合わせ、くすくすと笑っている。
(……なんだか、からかわれてる気がする)
リリアーナと目が合う。
お互いに少し恥ずかしくなって、思わず笑ってしまった。
◇
しばらくして、リリアーナが少し緊張した様子で口を開いた。
「あの、ヴィオレッタ様」
「うん?」
「実は、今日はお願いがあって参りました」
「お願い?」
リリアーナは隣に座る母親をちらりと見た。
子爵夫人が優しく頷く。
「来月、私の誕生日のお茶会を開くことになったんです」
「誕生日!」
思わず声が弾む。
(……誕生日会かぁ。懐かしいな)
前世では友達の家に集まって、ケーキを食べたりプレゼントを渡したりしたものだ。
もちろん、貴族の誕生日会はもう少し格式のあるものなのだろうけれど。
「それで……」
リリアーナが小さく息を吸った。
「ヴィオレッタ様にも、ぜひ来ていただきたくて」
「私?」
「はい。もし、ご都合がよろしければ……」
その言葉を聞いた瞬間、私は笑顔になった。
「行きたい!」
「……え?」
「リリアーナ様のお誕生日だもん。ぜひお祝いさせて!」
リリアーナは目を丸くした。
それから、ぱっと表情を明るくする。
「本当ですか!?」
「もちろん!」
(友達の誕生日会に誘ってもらえるなんて、嬉しいに決まってるよ!)
そう思ったところで、ふとお母様の視線に気づいた。
……あ。
私は慌てて姿勢を正す。
「えっと……お母様、行ってもいい?」
お母様は少しだけ困ったように笑った。
「ふふっ。まずは予定を確認しましょうね」
「はーい」
(……危ない。また先走っちゃった)
けれど、お母様はすぐに子爵夫人へ向き直った。
「娘もこのように楽しみにしておりますし、ぜひ伺わせていただきたいですわ」
「ありがとうございます。リリアーナも喜びます」
隣を見ると、リリアーナが嬉しそうに微笑んでいた。
その表情を見て、私まで幸せな気持ちになった。
◇
その後、大人たちが日程や招待客について話している間、私たちは窓際の席でお菓子をいただいていた。
「ねえ、リリアーナ様」
「はい?」
「誕生日会って、どんなことをするの?」
「ええと……お茶をいただいたり、皆様とお話ししたりする予定です」
「そっか。楽しそう!」
「はい。ただ……」
リリアーナは少しだけ視線を落とした。
「少し、緊張しているんです」
「緊張?」
「毎年、父や母のお知り合いの方もいらっしゃいますし……皆様に楽しんでいただけるか、不安で」
「ああ……」
なるほど。
自分の誕生日なのに、招待した人たちへの気遣いまで必要なのか。
(……貴族の誕生日会って大変なんだなぁ)
私は少し考えてから、リリアーナへ笑いかけた。
「でも、私は絶対楽しいと思うよ」
「……どうしてですか?」
「だって、リリアーナ様が招待してくれたんだもん」
「え?」
「前のお茶会も楽しかったし、今度もきっと楽しいよ。それに、もし緊張したら私とお話ししよう?」
リリアーナが驚いたように私を見つめた。
「私も最初のお茶会では緊張してたけど、リリアーナ様と話してたら楽しくなったから」
「ヴィオレッタ様……」
「だから今度は、私が隣にいるね」
そう言うと、リリアーナは少し俯いた。
(……あれ? 何か変なこと言ったかな)
心配になって顔を覗き込もうとしたとき、彼女が小さく笑った。
「……ありがとうございます」
その声は、いつもより少しだけ弾んでいた。
◇
帰り際、私はリリアーナたちを玄関まで見送った。
「今日は来てくれてありがとう!」
「こちらこそ、お時間をいただいてありがとうございました」
「誕生日会、楽しみにしてるね」
「はい!」
リリアーナは嬉しそうに頷いた。
けれど、馬車へ向かいかけたところで、ふと足を止める。
「……あの、ヴィオレッタ様」
「ん?」
「もう一つだけ、よろしいでしょうか?」
「もちろん」
リリアーナは少し迷ったあと、小さな声で言った。
「私、ヴィオレッタ様とお友達になれて、本当に良かったです」
「……え?」
「以前は、お茶会があまり得意ではなかったんです。でも、最近は次のお茶会が楽しみになりました」
そう言って、照れくさそうに微笑む。
「だから……これからも、仲良くしていただけたら嬉しいです」
(……もう、そんなこと言われたら)
私まで照れてしまう。
「もちろんだよ!」
私は笑顔で答えた。
「これからも、ずっとお友達でいようね」
「……はい!」
リリアーナは嬉しそうに頷いた。
その笑顔を見ながら、私は改めて思った。
(……この世界に来て、良かったこともあるんだな)
前世の記憶を取り戻したばかりの頃は、破滅を回避することばかり考えていた。
もちろん、今だってその気持ちは変わらない。
でも、最近は少し違う。
勉強を頑張る理由も、お茶会へ行く理由も、全部が破滅回避のためというわけではなくなっていた。
(……友達と、もっと楽しい時間を過ごしたい)
そんな当たり前の願いが、今の私にはとても大切だった。
◇
帰りの馬車の中。
リリアーナは窓の外を眺めながら、先ほどの出来事を思い返していた。
「良かったわね、リリアーナ」
隣に座る母親が優しく声をかける。
「はい」
「ずっと緊張していたものね」
「……分かっていたのですか?」
「もちろん。あなたのお母様ですもの」
リリアーナは少し恥ずかしそうに笑った。
実を言えば、今日の訪問は何日も前から楽しみにしていた。
けれど、それと同じくらい不安でもあった。
ヴィオレッタは公爵家の令嬢。
自分よりもずっと家格の高い相手だ。
招待を断られても仕方がないと思っていた。
それなのに、彼女は迷わず笑顔で答えてくれた。
『行きたい!』
その言葉を思い出すだけで、胸が温かくなる。
「お母様」
「なあに?」
「私、もっと頑張りたいです」
母親が少し驚いたように目を向けた。
「頑張る?」
「はい。今までは、失敗しないことばかり考えていました。でも……」
リリアーナは膝の上で小さく手を握った。
「自分から誰かに話しかけたり、お友達を誘ったりできるようになりたいんです」
「……そう」
母親は嬉しそうに微笑んだ。
「それは、とても素敵なことね」
「はい!」
リリアーナも笑顔で頷く。
(……ヴィオレッタ様のように、少しずつでも)
誰かが困っていたら、自分から声をかけられるように。
大切な友達の力になれるように。
そんな自分になりたいと思った。
◇
一方、アルバレス公爵邸では――
「エマ!」
自室へ戻った私は、さっそく机に向かっていた。
「はい、お嬢様」
「誕生日プレゼントって、何がいいと思う?」
エマは少し考えたあと、微笑んだ。
「リリアーナ様のお好きなものをお選びになるのがよろしいかと」
「好きなものかぁ……」
本、お菓子、花。
リリアーナ様の好きなものなら、いくつか思い浮かぶ。
けれど、せっかくの誕生日だ。
できれば、もっと喜んでもらえるものを贈りたい。
(……何か特別なものがいいよね)
私は机の上に並んだ手紙を眺めた。
その中に、リリアーナ様から届いた一通がある。
『母に教わりながら、最近は刺繍の練習をしています』
そんな一文を思い出し、私は小さく首を傾げた。
「……刺繍かぁ」
「お嬢様?」
「ううん、何でもない!」
まだ何を贈るかは決められない。
でも、友達のためにあれこれ考える時間は、何だかとても楽しかった。
(……よし、最高の誕生日にしてあげたいな!)
私はもう一度、リリアーナ様からの手紙を読み返した。
――ただ、そのときの私はまだ知らなかった。
貴族の誕生日会には、お菓子や贈り物だけでは済まない、少し厄介な事情もあるということを。




