第47話 名前を呼ぶということ
「それでは皆様、本日は春季交流会のお茶会にご参加いただき、ありがとうございます」
小広間の中央に立ったヴィオレッタ・アルバレスは、集まった生徒たちをゆっくりと見渡した。
五つの円卓には、それぞれ六名ずつ。淡い色の花飾りが並ぶ会場は、窓から差し込む春の日差しも相まって、普段の小広間とは思えないほど華やかになっている。
けれど、そんな美しい光景を前にしても、ヴィオレッタの心は穏やかではなかった。
(……三十人)
改めて見ると、なかなかの人数である。
しかも、ほとんどが自分より年上か、今日初めて顔を合わせる生徒ばかりだ。
(落ち着け、私。挨拶は何度も練習したし、カトレアもいる。大丈夫、大丈夫……)
内心で自分に言い聞かせながら、ヴィオレッタは微笑みを崩さない。
「本日は学年や立場にとらわれず、皆様に新しい出会いを楽しんでいただければと思っております。どうぞ、肩の力を抜いてお過ごしください」
そこで隣のカトレアへ視線を向ける。
カトレアは自然な動作で一歩前へ出た。
「私たちも各卓を回らせていただきますので、何かございましたら遠慮なくお声がけください。皆様にとって、楽しいひとときとなれば幸いです」
柔らかく、それでいてよく通る声。
会場のあちらこちらから、小さな感嘆の声が漏れた。
「……素敵」
「アイゼンベルク様、やっぱり凛々しいですわね……」
聞こえてきた囁きに、ヴィオレッタは思わず口元を緩めた。
(さすがカトレア。こういう時、本当に頼りになるなぁ)
当の本人は、何事もなかったかのように微笑んでいる。
その落ち着きぶりが、少し羨ましかった。
挨拶が終わると、給仕を担当する生徒たちが紅茶と焼き菓子を運び始めた。
会場に甘い香りが広がり、春のお茶会が幕を開けた。
◇
「……さて」
ヴィオレッタは最初の卓へ向かった。
そこには一年生が三名、二年生が二名、三年生が一名座っている。
全員が丁寧に挨拶してくれたものの、会話はまだどこかぎこちない。
「皆様、お茶はいかがですか?」
「は、はい。とても美味しいです」
「こちらのお菓子も素敵ですわね」
「ええ、本当に……」
そこで会話が途切れた。
(……あっ)
沈黙。
六人の視線が、何となく自分へ集まる。
(待って。私、今、話題を振る係だった)
ヴィオレッタは一瞬だけ焦った。
しかし、表情には出さず、卓の上へ視線を落とす。
小さな花飾りが並んでいた。
「……そういえば、皆様はこの花飾りをご覧になりましたか?」
「ええ。とても可愛らしいですわ」
「手作りだと伺いました」
「はい。装飾班の皆さんが、一つずつ作ってくださったそうです」
ヴィオレッタがそう説明すると、一人の二年生が花飾りを手に取った。
「まあ、こちらは刺繍が細かいですわね」
「私のものは、リボンの形が少し違います」
「本当ですわ。色も少しずつ違うのですね」
会話が動き始める。
(……よし!)
ヴィオレッタは内心で小さく拳を握った。
「皆様は、手芸などはなさいますか?」
「私はあまり得意ではなくて……」
「私は編み物なら少し」
「まあ、編み物を? どのようなものを作られるのですか?」
今度は、自然に話が続いた。
ヴィオレッタはほっと胸を撫で下ろす。
(……リリ、ありがとう)
どうやら花飾りは、会場を華やかにするだけでなく、初対面の生徒同士が話すきっかけにもなっているらしい。
そのことが、何だか嬉しかった。
しばらく会話を見守ってから、ヴィオレッタは次の卓へ向かった。
◇
二つ目の卓では、セレスティアが早速場を盛り上げていた。
「それでさ、その時カトレアが――」
「セレス」
ヴィオレッタが声をかけると、セレスティアが振り返る。
「あ、ヴィオレッタ!」
「……何の話してるの?」
「剣術大会の話!」
「……カトレアの?」
「うん!」
ヴィオレッタは何となく嫌な予感がした。
「……変なこと言ってないよね?」
「失礼だなぁ。ちゃんと褒めてるって!」
セレスティアは胸を張る。
周囲の生徒たちは楽しそうに笑っていた。
「ルミナス様のお話、とても面白いですわ」
「アイゼンベルク様は、本当にお強いのですね」
「そうなんですよ! でも、次は私が勝ちますから!」
「まあ!」
再び笑い声が上がる。
ヴィオレッタは少し呆れながらも、ほっとした。
(……ここは大丈夫そうだな)
「セレス、あんまりカトレアを困らせないでね」
「分かってるって!」
「本当に?」
「本当、本当!」
まったく信用できない返事だった。
けれど、卓の雰囲気は明るい。
ヴィオレッタは小さく笑い、次の卓へ向かった。
そこで、少し気になる光景が目に入った。
三つ目の卓。
そこには、先ほど控室で話した伯爵令嬢と平民の少女が座っていた。
けれど、二人の間には少し距離がある。
他の生徒たちも会話を探しているようで、卓全体がどこか静かだった。
(……やっぱり、まだ緊張してるのかな)
ヴィオレッタはそっと近付いた。
「皆様、楽しんでいらっしゃいますか?」
「ア、アルバレス様!」
伯爵令嬢が慌てて姿勢を正す。
「ええ、その……」
言葉が続かない。
ヴィオレッタは無理に答えを求めず、卓の上に並ぶ花飾りへ目を向けた。
「こちらの花、とても綺麗ですね」
「……はい」
平民の少女が小さく頷く。
「私、こういうものをいただくのは初めてで……」
「そうなのですね」
「はい。自分の名前まで付いていて、嬉しかったです」
その言葉に、伯爵令嬢がちらりと花飾りを見た。
「……確かに、丁寧に作られていますわね」
「はい。私もそう思います」
平民の少女が微笑む。
けれど、そこでまた会話が途切れかけた。
ヴィオレッタは少し考え、二人へ尋ねる。
「そういえば、お二人はもう自己紹介をなさいましたか?」
「……え?」
伯爵令嬢が目を瞬かせる。
「いえ、その……まだ……」
「でしたら、せっかくですし、改めてお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
ヴィオレッタは穏やかに微笑んだ。
伯爵令嬢は少し緊張した面持ちで口を開く。
「……私は、マリアンヌ・ローゼンベルクと申します」
「ありがとうございます、ローゼンベルク様」
続いて平民の少女へ視線を向ける。
「あなたは?」
「……エミ・リードです」
「リードさんですね。よろしくお願いします」
「は、はい!」
エミが慌てて頭を下げた。
ヴィオレッタは二人の名前を確かめるように、席札へ目を落とした。
その時だった。
(……あれ?)
小さな違和感。
マリアンヌの席には、確かに『マリアンヌ・ローゼンベルク』と書かれた札が置かれている。
けれど、エミの席にある札には――。
『エミ・リード』
ではなく、
『エミリア・リード』
と書かれていた。
(……名前、違う?)
ヴィオレッタは一瞬だけ目を瞬かせた。
名簿には確かに『エミ・リード』と記されていたはずだ。
けれど、席札には別の名前が書かれている。
単なる書き間違いだろうか。
それとも――。
「……アルバレス様?」
エミが不思議そうに首を傾げた。
ヴィオレッタはすぐに微笑みを戻した。
「……いえ、何でもありません」
そして、花飾りをそっと手に取る。
「こちらの席札、少し確認してもよろしいでしょうか?」
「は、はい……」
エミが頷く。
ヴィオレッタは札の文字をもう一度見つめた。
丁寧に書かれた名前。
確かに、間違っている。
(……リリたちは名簿を見ながら作ってたはずだよね)
ならば、なぜ違う名前になっているのだろう。
ヴィオレッタはそっと周囲を見渡した。
他の席札は、今のところ問題なさそうに見える。
けれど――。
(……ちょっと、気になるな)
その時、会場の入口でアリアが誰かと話しているのが見えた。
ヴィオレッタは小さく頷く。
「……皆様、少し失礼いたしますね」
丁寧に一礼し、卓を離れる。
背後では、マリアンヌがエミへ声をかけていた。
「……リードさん」
「は、はい」
「その……先ほどのお菓子、美味しかったですわね」
「……はい!」
少しぎこちないながらも、二人の会話が始まっている。
ヴィオレッタはその様子を見て、ほっと微笑んだ。
けれど、胸の奥には小さな疑問が残っていた。
(……名前の間違い、か)
たった一文字の違い。
それだけなら、よくあることかもしれない。
しかし、ヴィオレッタはまだ知らなかった。
その小さな違和感が、思いがけない出来事へとつながっていくことを。




