第46話 春のお茶会
春季交流会当日。
フィオラ女学院の中庭には色鮮やかな花が咲き、校舎の窓からは柔らかな春の日差しが差し込んでいた。
普段は静かな廊下も、今日は朝からどこか浮き立った空気に包まれている。生徒たちはそれぞれの催しへ向かい、教室からは楽しげな笑い声が聞こえてきた。
そんな中、ヴィオレッタ・アルバレスは一枚の紙を真剣に見つめていた。
「……よし」
小さく頷く。
「名前、覚えた」
「本当に?」
隣に立つセレスティアが、いかにも疑わしそうな声を上げた。
「……たぶん」
「ほら!」
「だって三十人だよ!? しかも学年も家名も全部違うんだから!」
「まあ、そうだけどさ」
セレスティアは笑いながら名簿を覗き込む。
「でも、席札があるんでしょ?」
「ある。だから大丈夫」
「それ、覚えたって言わなくない?」
「細かいことは気にしないで」
ヴィオレッタは名簿を折り畳み、そっと胸元にしまった。
今日のお茶会には、一年生から三年生まで三十名が参加する。
卓は五つ。
各卓に六名ずつ座り、進行役であるヴィオレッタとカトレアが順番に回って、会話が滞らないよう気を配ることになっていた。
言葉にすれば簡単だが、実際にやるとなると話は別である。
(……何で私、進行役なんて引き受けたんだろ)
今さらながら、少しだけ後悔していた。
「ヴィオレッタ様!」
聞き慣れた声に振り返ると、リリアーナが小走りで近付いてきた。
「会場の準備、終わりました!」
「リリ! お疲れさま!」
「ありがとうございます。花飾りも全て設置できましたので、よろしければ確認なさいますか?」
「もちろん!」
ヴィオレッタはぱっと顔を明るくした。
セレスティアも楽しそうに頷く。
「私も見たい!」
三人は連れ立って会場へ向かった。
◇
お茶会の会場となる小広間には、白い卓布をかけた円卓が五つ並んでいた。
窓辺には季節の花が飾られ、中央には焼き菓子を載せるための銀の皿が用意されている。
そして、それぞれの席には小さな布の花が置かれていた。
「……わあ」
ヴィオレッタは思わず足を止めた。
淡い桃色、青、薄紫。
花の茎に結ばれた細いリボンには、小さな席札が添えられている。
全て手作りだと知っていても、こうして会場に並べられた姿を見ると、まるで最初からこの場所のために用意された装飾品のようだった。
「すごい……綺麗!」
「えへへ……ありがとうございます」
リリアーナが嬉しそうに頬を染める。
「皆さんが頑張ってくださったおかげです」
「うん。でも、リリも頑張ったでしょ?」
「……はい」
以前なら遠慮していたかもしれないところで、リリアーナは素直に頷いた。
そのことが、ヴィオレッタには少し嬉しかった。
「本当に綺麗だね」
背後から声がした。
振り返ると、カトレアが入口に立っている。
「カトレア!」
「おはよう、ヴィオレッタ。セレスティアも、リリも」
「おはようございます、カトレア様」
「おはよ、カトレア!」
カトレアは会場を見渡し、感心したように微笑んだ。
「皆が喜んでくれそうだね」
「はい。そうだと嬉しいです」
リリアーナが答える。
その時、入口の方から慌ただしい足音が聞こえた。
「……あっ、皆さん!」
アリアだった。
手には参加者名簿と会場図を抱えている。
「どうしたの、アリア?」
ヴィオレッタが尋ねると、アリアは少し困った顔をした。
「すみません。ちょっと確認したいことがあって……」
「確認?」
「はい。実は、今朝になって参加者の一人から席順について問い合わせがありまして」
アリアは名簿を広げた。
「こちらの方なんですけど……」
指差された名前を見て、ヴィオレッタは首を傾げる。
「……何か問題が?」
「いえ、ご本人は特に問題ないとおっしゃっているんです。ただ……」
アリアは言いにくそうに言葉を選んだ。
「その方と同じ卓になる予定の生徒から、別の席にしてほしいという申し出があったそうで」
「……え?」
ヴィオレッタの表情が変わった。
「理由は?」
「それが……」
アリアは一瞬だけ迷った。
「……身分が違うから、と」
小広間に、短い沈黙が落ちた。
セレスティアが眉をひそめる。
「……また?」
ヴィオレッタも小さく息を吐いた。
(……そっか)
交流会の目的は、普段接点のない生徒同士が親睦を深めること。
けれど、誰もがその考えを歓迎しているわけではない。
それは、分かっていたつもりだった。
「……その子、今どこにいるの?」
ヴィオレッタが尋ねる。
「まだ控室にいらっしゃいます」
「じゃあ、少し話してくる」
「ヴィオレッタ」
カトレアが声をかけた。
「私も行こうか?」
「ううん、大丈夫。まずは話を聞いてみるだけだから」
ヴィオレッタは微笑んだ。
「それに、カトレアには会場をお願いしたいし」
「……分かった。何かあったら呼んでね」
「うん」
ヴィオレッタはアリアと共に控室へ向かった。
◇
控室には、二人の一年生がいた。
一人は華やかなドレスを身にまとった伯爵家の令嬢。
もう一人は、落ち着いた色の制服を着た平民の生徒だった。
ヴィオレッタが入室すると、二人は慌てて立ち上がる。
「ア、アルバレス様……!」
「ごきげんよう」
ヴィオレッタは穏やかに微笑み、二人へ席を勧めた。
「少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
伯爵令嬢が緊張した面持ちで頷く。
「は、はい……」
「席順について、ご相談があると聞きました」
「……はい」
令嬢は隣の生徒へちらりと視線を向けた。
「その……私は、できれば別の卓にしていただきたくて……」
「理由を伺っても?」
「……それは」
言葉が途切れる。
ヴィオレッタは急かさず、静かに待った。
やがて令嬢は、意を決したように口を開いた。
「……私、平民の方と同じ卓でお茶をいただいたことがありませんの」
「……そうなのですね」
「ですから、その……何をお話しすればよいのか分からなくて……」
ヴィオレッタは少しだけ目を瞬かせた。
(……あれ?)
てっきり、身分の違う相手と同席するのが嫌なのだと思っていた。
けれど、目の前の令嬢は嫌悪しているというより、困惑しているように見える。
「……なるほど」
ヴィオレッタは頷いた。
「では、相手の方が嫌というわけではないのですね?」
「えっ?」
令嬢が顔を上げる。
「い、いえ! 決して、そのようなつもりでは……!」
「そうですか。それならよかったです」
ヴィオレッタは微笑んだ。
「実は、私も初対面の方とお話しするのは少し緊張するんです」
「……アルバレス様が?」
「はい。相手のことをよく知らないと、何を話せばいいか迷ってしまいますから」
令嬢は驚いたように目を見開いた。
ヴィオレッタは続ける。
「でも、最初から上手にお話ししなくてもいいと思うんです。好きなお菓子の話でも、授業の話でも。少しずつ知っていけばいいのではないでしょうか」
「……少しずつ」
「はい」
ヴィオレッタは隣の平民の生徒へ視線を向けた。
「あなたは、いかがですか?」
突然話を振られた少女は、びくりと肩を揺らした。
「わ、私は……」
少し迷った後、小さな声で答える。
「……私も、緊張しています」
「そうですよね」
「でも……せっかく参加できたので、色々な方とお話ししてみたいです」
ヴィオレッタは微笑んだ。
「素敵ですね」
そして、伯爵令嬢へ視線を戻す。
「どうでしょう。お二人とも緊張しているのなら、まずはそこからお話ししてみませんか?」
「……え?」
「緊張している者同士、意外と話が合うかもしれませんよ」
伯爵令嬢はしばらく黙っていた。
やがて、隣の少女をちらりと見る。
「……あなたも、緊張していらっしゃるの?」
「……はい」
「……そう」
少しだけ、表情が和らいだ。
「……私も、ですわ」
平民の少女が小さく微笑む。
「……同じですね」
その言葉に、伯爵令嬢は一瞬驚いた顔をした後、控えめに笑った。
ヴィオレッタはほっと息を吐いた。
(……よかった)
もちろん、これだけで全てが解決するわけではない。
けれど、少なくとも二人は、今までより少しだけ話しやすくなったように見えた。
「では、席順はこのままでよろしいでしょうか?」
ヴィオレッタが尋ねると、伯爵令嬢は少し迷ってから頷いた。
「……はい。申し訳ありませんでした」
「いえ。相談してくださってありがとうございます」
ヴィオレッタは微笑んだ。
「もし当日困ることがあれば、遠慮なく声をかけてくださいね」
「……ありがとうございます、アルバレス様」
二人は丁寧に頭を下げた。
◇
控室を出ると、アリアが小さく息を吐いた。
「……すごいですね、ヴィオレッタ様」
「え?」
「私だったら、あんなふうに落ち着いて話せなかったと思います」
「……そうかな?」
「はい。最初は、身分のことを理由に断られたと聞いて、少し腹が立ってしまって……」
アリアは少し恥ずかしそうに笑った。
「でも、ちゃんと話を聞いてみないと分からないこともあるんですね」
「……うん」
ヴィオレッタは頷いた。
「私も、最初はちょっと勘違いしてたから」
「……そうなんですか?」
「うん。だから、聞いてみてよかった」
アリアは嬉しそうに微笑んだ。
「……私も、もっと頑張ります」
「アリアはもう十分頑張ってるよ」
「いえ、まだまだです!」
そう言って笑うアリアを見て、ヴィオレッタもつられて笑った。
小広間へ戻ると、すでに参加者たちが集まり始めていた。
花飾りを手に取り、嬉しそうに眺める生徒。
席札を確認しながら、隣の人へ挨拶する生徒。
少し緊張した面持ちで椅子に腰掛ける生徒。
様々な表情が、会場を彩っている。
「ヴィオレッタ」
カトレアが近付いてきた。
「どうだった?」
「うん。大丈夫そう」
「それはよかった」
カトレアは微笑んだ。
「そろそろ始まるよ」
「……うん」
ヴィオレッタは小さく息を吸った。
そして、会場を見渡す。
リリアーナたちが作った花飾り。
皆で考えた席順。
準備に奔走したアリア。
協力してくれた生徒たち。
その全てが、今ここに集まっている。
(……よし)
ヴィオレッタは背筋を伸ばした。
もう、逃げるわけにはいかない。
「……行こう、カトレア」
「うん」
二人は並んで会場の中央へ進んだ。
春季交流会のお茶会が、いよいよ始まろうとしていた。




