第45話 小さな勇気の積み重ね
春季交流会まで、あと一週間。
放課後の作業室には、布を裁つ鋏の音と、生徒たちの楽しげな話し声が響いていた。
机の上には色とりどりの花飾りが並び、その数は日を追うごとに増えている。最初はリリアーナが一人で作っていた小さな刺繍飾りも、今では十人近い生徒が制作に関わるようになり、会場に必要な二十四個を揃える目処が立ち始めていた。
「エヴァンズ様、こちらの花びらは、この縫い方でよろしいでしょうか?」
「はい、とても綺麗です。少しだけ糸を緩めると、もっと柔らかく見えると思いますよ」
「なるほど……ありがとうございます!」
リリアーナは微笑みながら頷き、次の生徒のもとへ向かった。
誰かに刺繍を教えることには、まだ慣れていない。
けれど、以前ほど緊張しなくなっている自分に気付くと、少しだけ嬉しくなった。
(……皆さん、本当に熱心ですね)
初めは自分の考えた案に協力してもらえるだけで十分だと思っていたのに、今では生徒たちが自分から新しい工夫を提案してくれるようになっていた。
小さな花飾りが、少しずつ皆の作品になっていく。
そのことが、リリアーナには何より嬉しかった。
「エヴァンズ様、少しよろしいでしょうか」
そんな時、装飾班を担当する二年生の先輩が声をかけてきた。
「はい、何でしょうか?」
「実は、会場の配置について少し変更がありまして……」
差し出された紙には、交流会当日の会場図が描かれていた。
リリアーナはそれを受け取り、目を通す。
「……あら?」
昨日まで四つだった卓が、五つに増えている。
「参加希望者が予想より多くなったそうで、急遽もう一卓追加することになったんです」
「そうなのですね」
「それで、花飾りも六個ほど追加していただけないかと……」
「……六個、ですか」
リリアーナは思わず机へ視線を向けた。
今のところ完成している花飾りは十八個。
残り六個を作れば予定の二十四個が揃うはずだったが、さらに六個増えるとなれば、全部で三十個必要になる。
交流会まで、あと一週間。
間に合わない数ではないかもしれないが、制作に参加している生徒たちにも授業や他の予定がある。
「難しいでしょうか?」
先輩が申し訳なさそうに尋ねた。
「……少し、皆さんと相談してもよろしいでしょうか」
「もちろんです。無理をお願いしているのはこちらですから」
リリアーナは頷いたものの、胸の奥に小さな不安が生まれていた。
◇
「六個追加、ですか……」
事情を説明すると、作業室の生徒たちは顔を見合わせた。
「できなくはないと思いますけれど……」
「でも、私たちも明日は別の準備がありますし……」
「完成したものにも、まだ仕上げが必要ですわよね」
困ったような声が続く。
リリアーナは胸の前でそっと手を握った。
(……どうしましょう)
皆が協力してくれたおかげで、ここまで進めることができた。
だからこそ、無理をさせたくない。
けれど、せっかく全ての卓に同じ花を飾ると決めたのに、一卓だけ何もないというのも寂しい気がする。
「エヴァンズ様、どうされますか?」
誰かが尋ねた。
その瞬間、リリアーナは自分に視線が集まっていることに気付いた。
これまでは皆で楽しく作業していたけれど、今は違う。
自分が最初に提案した案だからこそ、皆は自分の判断を待っているのだ。
(……私が、決めないといけないんですね)
少し怖かった。
間違った判断をして、皆に迷惑をかけてしまったらどうしよう。
そんな考えが頭をよぎる。
ヴィオレッタなら、こういう時どうするだろう。
きっと、皆の顔を見ながら、何でもないことのように意見を聞くのだろう。
けれど――。
(……いえ)
リリアーナは小さく息を吸った。
(今ここにいるのは、私です)
「……皆さん、少しお時間をいただけますか?」
思っていたよりも、しっかりした声が出た。
生徒たちが顔を上げる。
「追加の六個についてなのですが、全てを今までと同じ作り方にする必要はないと思うんです」
「……と、いいますと?」
「今ある花飾りは、皆さんが一つずつ丁寧に作ってくださったものです。ですから、これ以上急いで数を増やして、仕上がりが雑になってしまうのは避けたいと思っています」
リリアーナは机の上から、一枚の布を取り上げた。
「そこで、追加分は刺繍を少なくして、布とリボンを中心にした形にしてみるのはいかがでしょう?」
「なるほど……」
「それなら、時間も短くできそうですわね」
「でも、見た目が違ってしまいませんか?」
もっともな疑問だった。
リリアーナは頷く。
「はい。ですので、花の形と色は揃えたいと思います。近くで見れば違いは分かるかもしれませんが、全体としては同じ雰囲気になるように……」
そこまで説明すると、先ほどまで困っていた生徒たちの表情が少しずつ明るくなっていった。
「それなら、私にもできそうです!」
「私、リボンを結ぶ作業なら得意ですわ」
「でしたら、私が布を切るところを担当します」
次々に声が上がる。
リリアーナは思わず目を見開いた。
「……皆さん」
「エヴァンズ様、試しに一つ作ってみませんか?」
「はい!」
リリアーナは嬉しそうに頷いた。
皆で役割を分け、作業を始める。
布を切る者、花の形を整える者、リボンを結ぶ者。
それぞれが得意なことを担当するうちに、追加分の試作品は思っていたよりも早く完成した。
「……できました!」
机の中央に置かれた花飾りを、皆が覗き込む。
確かに、これまでのものより刺繍は少ない。
けれど、淡い色合いと柔らかな形は揃っており、並べてみても不自然には見えなかった。
「素敵ですわ!」
「これなら間に合いそうですね」
明るい声が広がる。
リリアーナは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
(……よかった)
自分一人では、きっと思いつかなかった。
けれど、皆と相談したからこそ、形にすることができた。
その時、作業室の入口から静かな拍手が聞こえた。
「……お見事ですわね」
振り返ると、クラリッサ・ベルモンドが立っていた。
「ベルモンド様……!」
「少し様子を見に参りましたが、どうやら心配は不要だったようです」
クラリッサは完成した花飾りを手に取り、丁寧に眺めた。
「制作方法を変えても、全体の統一感は保たれていますね。これなら問題ないでしょう」
「ありがとうございます」
「それに……」
クラリッサはリリアーナへ視線を向ける。
「皆さんが、自分から動いていらっしゃるのが印象的でした」
「……え?」
「エヴァンズ様が全てを決めるのではなく、それぞれの得意なことを任せていらっしゃるのでしょう?」
「はい。皆さんのお力をお借りしています」
「それは、良いことだと思います」
クラリッサの言葉に、リリアーナは少し驚いた。
初めて話した時は、どこか近寄りがたい印象があった。
けれど今は、きちんと自分たちの努力を見てくれているのだと分かる。
「……ありがとうございます、ベルモンド様」
リリアーナが微笑むと、クラリッサも小さく頷いた。
◇
その日の夕方。
作業室を出たリリアーナは、廊下の窓から差し込む夕日を眺めながら、静かに息を吐いた。
(……疲れました)
けれど、嫌な疲れではなかった。
むしろ、何かをやり遂げたような充実感がある。
皆で相談して、考えて、工夫して。
自分の提案した花飾りが、少しずつ完成に近づいている。
そのことが嬉しかった。
「リリ!」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、ヴィオレッタがこちらへ歩いてくる。
「ヴィオレッタ様!」
「お疲れさま! 今日も遅かったね」
「はい。少し予定が変わりまして……」
リリアーナは今日あったことを説明した。
卓が一つ増えたこと。
花飾りが足りなくなりそうだったこと。
皆で相談して、新しい作り方を考えたこと。
ヴィオレッタは途中で口を挟まず、興味深そうに話を聞いていた。
「……それで、何とか間に合いそうなんです」
「へえ……すごいじゃん、リリ!」
「いえ、皆さんのおかげです」
「それもそうかもしれないけど、最初に考えたのはリリでしょ?」
「……はい」
「じゃあ、リリもすごいよ」
あまりにも自然に言われて、リリアーナは思わず言葉を失った。
ヴィオレッタはそんな反応を不思議そうに眺めている。
「……どうしたの?」
「いえ……」
リリアーナは少しだけ俯き、それから微笑んだ。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「そっか。よかった」
ヴィオレッタも笑う。
その顔を見て、リリアーナは思った。
自分はこれまで、ヴィオレッタに何度も助けてもらってきた。
けれど、いつまでも助けられるばかりではいたくない。
自分にもできることがある。
そして、その力を誰かのために使えるのなら――。
「……ヴィオレッタ様」
「ん?」
「私、交流会当日も頑張りますね」
「うん。楽しみにしてる!」
リリアーナは嬉しそうに頷いた。
春季交流会まで、あと一週間。
小さな花飾りは、もうすぐ完成する。
そしてリリアーナ自身もまた、少しずつ新しい自分へと変わり始めていた。




