第44話 お茶会の席順
春季交流会まで、あと十日あまり。
学院の廊下には催しの案内が貼り出され、放課後になると準備に参加する生徒たちがあちらこちらで忙しそうに動き回っていた。
ヴィオレッタ・アルバレスも、その一人である。
「……思ってたのと違う」
放課後の小会議室で、ヴィオレッタは目の前に積まれた書類を見つめながら、思わず呟いた。
お茶会の進行役と聞いた時は、当日に挨拶をして、参加者同士が楽しく話せるよう気を配ればいいのだと思っていた。
ところが実際には、会場の配置図に参加者名簿、進行予定表、使用する茶器の確認まであり、事前に決めなければならないことが思いのほか多かったのである。
(お茶会って、こんなに準備が大変だったんだ……)
実家で開かれるお茶会には何度も参加してきたが、考えてみれば自分はいつも招かれる側だった。使用人たちがどれほど準備に時間をかけていたのか、今になってようやく理解できた気がする。
「ヴィオレッタ、大丈夫?」
隣からカトレアが声をかけてきた。
「……たぶん」
「たぶんなんだ」
「だって、名前が多いんだもん」
名簿には一年生から三年生まで、合わせて二十四名の名前が並んでいる。
貴族の令嬢もいれば平民の生徒もおり、所属する学年や普段の交友関係も様々だ。名前を覚えるだけでも一苦労なのに、全員が気持ちよく過ごせるよう席順まで考えなければならないらしい。
「名前なら私も確認するから、一緒に覚えよう」
「カトレア……」
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
カトレアは柔らかく微笑んだ。
その笑顔を見た途端、ヴィオレッタは少しだけ安心する。
(やっぱりカトレアがいてよかった……)
「お二人とも、お待たせいたしました」
そこへ生徒会長のエレノアが入ってきた。
その後ろにはアリアが資料を抱えて続き、さらにもう一人、見覚えのある少女が姿を現す。
「ごきげんよう、アルバレス様」
「あ、クラリッサさん」
クラリッサ・ベルモンドは丁寧に一礼した。
「本日は席順についてのご相談があると伺い、同席させていただきました」
「そうなんですね。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ヴィオレッタが微笑むと、クラリッサは一瞬だけ意外そうな顔をした。
その反応を不思議に思いながらも、ヴィオレッタは空いている席を勧める。
全員が着席したところで、エレノアが机の中央へ配置図を広げた。
「では、始めましょう。今回のお茶会では、一卓につき六名、四つの卓を使用します。学年の違う生徒同士が交流できるよう、各卓の組み合わせを考えたいと思っています」
アリアが参加者名簿を配る。
「こちらが現時点での参加予定者です。進行役のお二人は、会の途中で各卓を回っていただく予定になっています」
「ありがとうございます、アリアさん」
「いえ。何か分からないことがあれば、おっしゃってください」
アリアが嬉しそうに微笑む。
その様子を見ていたクラリッサが、静かに口を開いた。
「では、私から一つ提案してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
エレノアが頷く。
「今回の交流会は、普段あまり接点のない生徒同士が親睦を深めることを目的としております。でしたら、すでに親しい間柄にある方々は、なるべく別々の卓へ配置した方がよろしいかと思います」
「なるほど」
カトレアが配置図へ視線を落とした。
「確かに、仲の良い人だけで集まってしまうと、新しい友人を作る機会が減ってしまうかもしれないね」
「はい。特にアルバレス様のご友人方は、普段から一緒にいらっしゃることが多いようですので」
「……あ」
ヴィオレッタは名簿を見る。
確かに、参加予定者の中にはセレスティアとリリアーナの名前があり、アリアも生徒会の仕事の合間に参加することになっていた。
(そっか。みんな同じ卓だったら、いつものお昼と変わらないもんね)
「私も、その方がいいと思います」
ヴィオレッタが頷くと、クラリッサが目を瞬かせた。
「……よろしいのですか?」
「え?」
「ご友人方と離れた席になってしまいますが」
「それは別に大丈夫ですよ。せっかくの交流会ですし」
「……そうですか」
クラリッサは小さく頷いた。
その表情には、どこか拍子抜けしたようなものがあった。
ヴィオレッタは気付かず、名簿を眺め続ける。
「ただ……」
ふと、あることが気になった。
「知らない人ばかりの卓だと、緊張する子もいるんじゃないですか?」
クラリッサが顔を上げる。
「緊張、ですか?」
「はい。私だったら、知らない人六人でいきなりお茶してくださいって言われたら、何を話せばいいか困っちゃうと思うので」
「アルバレス様でも、そのようなことが?」
「ありますよ?」
むしろ大いにある。
公爵令嬢という立場上、初対面の相手と会話することには慣れているが、慣れていることと得意なことは別問題だ。
相手の名前を間違えないように気を付け、家柄を思い出し、失礼のない話題を選ぶ。
それを六人分となれば、考えただけで頭が痛くなる。
「だから、全員をばらばらにするより、一人くらいは話しやすい相手がいた方がいいのかなって」
「……ですが、それでは親しい者同士で話してしまう可能性もあります」
「そうですね。だから、進行役がちゃんと話を振ればいいんじゃないですか?」
言ってから、ヴィオレッタは気付いた。
(……あれ?)
進行役。
つまり、自分である。
(私がやるの!?)
今さらながら恐ろしいことを口にしてしまった。
しかし、エレノアは満足そうに頷いていた。
「良い考えですね。初対面の方ばかりでは会話が弾まない可能性もありますし、親しい方を一人だけ同じ卓にするというのは、ちょうどよい折衷案かもしれません」
「そうだね。私たちが各卓を回れば、話題が偏るのも防げると思うよ」
カトレアまで賛成している。
(待って、カトレア! 私そんなに上手く話を振れないよ!?)
助けを求めるように隣を見るが、カトレアは何の疑いもなく微笑んでいた。
ヴィオレッタは静かに視線を戻す。
(……自分で言ったんだから、頑張るしかないか)
「では、その方針で一度組み合わせを考えてみましょう」
エレノアの言葉に、全員が頷いた。
◇
会議が終わる頃には、窓の外が夕焼けに染まり始めていた。
「……疲れた」
ヴィオレッタは廊下へ出るなり、小さく息を吐いた。
「お疲れさま、ヴィオレッタ」
カトレアが笑う。
「でも、良い話し合いだったと思うよ」
「そうかな……」
「うん。特に、初対面の人ばかりだと緊張するっていう意見は大事だったと思う」
「……ありがと」
褒められると少し照れくさい。
その時、背後から声がかかった。
「アルバレス様」
振り返ると、クラリッサが立っていた。
「先ほどは、貴重なご意見をありがとうございました」
「いえ、そんな……」
「私、少し考えが足りなかったのかもしれません」
「え?」
クラリッサは落ち着いた表情のまま続ける。
「交流会の目的ばかりを意識して、参加される方々のお気持ちまで十分に考えておりませんでした」
「……でも、クラリッサさんの案も良かったと思いますよ?」
「そうでしょうか」
「はい。私、最初はみんなと一緒の卓でもいいかなって思ってたので」
正直に答えると、クラリッサは僅かに目を見開いた。
「……アルバレス様は、不思議な方ですね」
「えっ?」
「いえ。失礼いたしました」
クラリッサは小さく微笑んだ。
「では、私はこれで」
「はい。また明日」
丁寧に一礼して去っていくクラリッサを見送りながら、ヴィオレッタは首を傾げた。
「……不思議って、どういう意味だろ」
「さあ。でも、悪い意味ではなかったと思うよ」
カトレアは少し楽しそうに笑っている。
「カトレアまでそんな顔して。私、何か変なこと言った?」
「いいや。ヴィオレッタはいつもどおりだったよ」
「それ、答えになってなくない?」
「ふふっ、そうかな」
どうにもはぐらかされている気がするが、カトレアが楽しそうなので、それ以上追及する気にもなれなかった。
二人で廊下を歩き始めると、窓の外には夕日に染まった中庭が見えた。放課後の学院にはまだ準備を続ける生徒たちの声が響いており、普段よりも少し賑やかだ。
「そういえば、リリの装飾案が採用されそうなんだってね」
「えっ、本当!?」
「うん。装飾班の先輩から聞いたよ。全ての卓に同じ花を飾る案、評判がいいみたい」
「すごいじゃん! リリ、頑張ってたもんなぁ」
思わず顔がほころぶ。
リリアーナが毎日楽しそうに準備へ向かう姿を思い出すと、こちらまで嬉しくなってしまう。
「ヴィオレッタは本当にリリのことが好きだね」
「そりゃそうだよ。大事な友達だもん」
「……そっか」
カトレアは柔らかく微笑んだものの、何となくその声に含みがあるような気がした。
「……何?」
「いや、何でもないよ」
「絶対何かあるでしょ」
「ただ、少し羨ましいなと思っただけ」
「え?」
予想外の言葉に足を止める。
カトレアはそんなヴィオレッタを見て、くすりと笑った。
「冗談だよ。私もリリのことは応援しているし、ヴィオレッタが嬉しそうだと私も嬉しいから」
「……もう、びっくりさせないでよ」
「ごめんね」
謝りながらも、カトレアの笑顔はどこか悪戯っぽい。
(……カトレアって、こんなふうにからかうこともあるんだ)
ヴィオレッタは少し意外に思いながら、隣を歩くカトレアを見つめた。
以前のカトレアは、何事にも真面目で、周囲からどう見られるかを気にしているところがあった。けれど、学院に入ってからは少しずつ肩の力が抜けてきたようで、こうして冗談を言ったり、楽しそうに笑ったりする姿も増えている。
誰もが憧れる『黒髪の王子様』としての凛々しさは変わらない。それでも、親しい友人の前では年相応の少女らしい表情を見せてくれるようになったことが、ヴィオレッタには何だか嬉しかった。
「……あ、そうだ!」
ふと思い付いて、ヴィオレッタは顔を上げた。
「カトレア、ちょっと付き合ってくれない?」
「もちろん。どこへ行くの?」
「リリたちの作業室! お茶会のことで、ちょっと相談したいことがあるんだ」
「いいね。私も装飾を見てみたかったんだ」
「じゃあ決まり!」
二人は並んで歩き出した。
「そういえば、カトレアはお茶会の準備、慣れてる?」
「それなりにはね。でも、学院の行事で進行役をするのは初めてだから、私も少し緊張しているよ」
「えっ、カトレアでも緊張するの?」
「もちろん。私を何だと思ってるの?」
「……何でもできる王子様?」
「ヴィオレッタまでそんなことを言うの?」
カトレアが困ったように笑ったので、ヴィオレッタもつられて笑ってしまった。
「ごめんごめん。でも、カトレアって本当に頼りになるから」
「ありがとう。だけど、今回は二人で引き受けたんだから、私ばかりに頼らないでね?」
「うっ……頑張ります」
「ふふっ。期待しているよ」
そう言って笑うカトレアの横顔は、やっぱり少し王子様らしかった。
けれど、ヴィオレッタにとっては、誰もが憧れる学院の王子様というより、時折冗談を言っては楽しそうに笑う、大切な友人である。
そんなことを考えながら歩いているうちに、二人は作業室の前へ辿り着いた。
◇
作業室では、リリアーナたちが布飾りの制作を進めていた。
机の上には小さな花がいくつも並び、昨日よりもずっと賑やかな光景になっている。
「リリ!」
「あっ、ヴィオレッタ様!」
リリアーナが嬉しそうに顔を上げた。
「カトレア様も。どうされたんですか?」
「ちょっと見に来たんだ。すごいね、もうこんなに作ったの?」
「はい。皆さんが手伝ってくださって……」
リリアーナは嬉しそうに微笑んだ。
周囲の生徒たちも、ヴィオレッタとカトレアの姿に気付いて慌てて立ち上がる。
「アルバレス様、アイゼンベルク様!」
「ご、ごきげんよう!」
「あ、皆さん、そのままで大丈夫ですよ」
ヴィオレッタは慌てて手を振った。
「今日はちょっと相談があって来ただけなので」
「ご相談、ですか?」
リリアーナが首を傾げる。
「うん。お茶会の席順がだいたい決まったんだけどね」
ヴィオレッタは机に並べられた花を見つめた。
「これ、席に置くんだよね?」
「はい。その予定です」
「だったらさ、花の裏に小さく名前を書いておくのはどうかな?」
「……名前?」
「うん。席札みたいに」
リリアーナが少し考える。
「でも、こちらは布ですから、直接書くと滲んでしまうかもしれません」
「あ、そっか」
「でしたら、小さな紙を結び付けるのはいかがでしょう?」
隣の生徒が提案する。
「花の茎の部分に細いリボンを付ければ、そこへ名前を書いた札を結べると思います」
「それ、いいですね!」
リリアーナがぱっと顔を明るくした。
「席札も兼ねられるのでしたら、会場の準備も少し楽になるかもしれません」
「そうそう! それに、名前が見えた方が私も助かるし……」
そこまで言って、ヴィオレッタは口を閉じた。
「……ヴィオレッタ様?」
「……何でもない」
リリアーナがじっと見つめる。
「もしかして……参加者の方のお名前を覚えるのが、大変なのですか?」
「…………」
沈黙。
カトレアが隣で小さく笑った。
「ヴィオレッタ、正直に言ってもいいと思うよ」
「……ちょっとだけ」
「ふふっ」
リリアーナが笑う。
「でしたら、なおさら良い案ですね」
「……リリ」
「私も、お手伝いできて嬉しいです」
そう言って微笑むリリアーナを見て、ヴィオレッタは少しだけ肩の力を抜いた。
自分が思いついたのは、単に名前を覚えるのが大変だからという理由だった。
けれど、リリアーナたちの手にかかれば、それが会場を彩る素敵な席札になるらしい。
(……すごいなぁ)
改めて思う。
リリアーナには、自分にはない得意なことがある。
そして今、その力を使って学院の行事を支えようとしている。
「……完成、楽しみにしてるね」
「はい!」
リリアーナは嬉しそうに頷いた。
その笑顔を見ながら、ヴィオレッタも自然と微笑んだ。
春季交流会まで、あと少し。
準備は着実に進んでいたが、ヴィオレッタはまだ知らなかった。
自分が何気なく提案した小さな席札が、当日、思いがけない役割を果たすことになるとは。




