第43話 小さな花の居場所
放課後のフィオラ女学院、その一角にある作業室では、春季交流会に向けた装飾の準備が進められていた。
大きな机には色とりどりの布やリボン、造花に刺繍糸が並べられ、集まった生徒たちがそれぞれの担当について相談している。
その中でリリアーナ・エヴァンズは、少しばかり落ち着かない気持ちを抱えていた。
(……思っていたより、たくさんいらっしゃるんですね)
昨日までは数人で相談する程度だったのに、今日は上級生も含めて十人近くが集まっており、初めて顔を合わせる相手も少なくない。
いつもならヴィオレッタが隣にいて、何でもないことのように話しかけてくれるのだが、今日はそうではなかった。
(大丈夫です。お手伝いをすると決めたのは、私なのですから)
自分へ言い聞かせながら、持参した布の包みをそっと机へ置く。
「エヴァンズ様!」
声をかけてきたのは、昼休みに刺繍の相談をしていた一年生の一人だった。
「お待ちしておりました。昨日の試作品、今日も持っていらっしゃいますか?」
「はい。少し手を加えてみたのですが……」
リリアーナが布飾りを取り出すと、少女は嬉しそうに身を乗り出した。
「まあ、素敵! 昨日より花びらが立体的に見えますわ」
「糸を重ねる順番を少し変えてみたんです」
「そんなことで変わるんですね」
「ええ。ほんの少しなのですが、光の当たり方が違って見えるので……」
説明しているうちに緊張が和らいでいく。
やはり、好きなものについて話している時は不思議と自然に言葉が出てくるらしい。
「皆さん、少しよろしいでしょうか」
その時、作業室の入口から落ち着いた声が響いた。
振り返ると、金茶色の髪を綺麗に結い上げた令嬢が立っている。
「クラリッサ・ベルモンドです。本日は交流会の装飾について、皆様の案を拝見しに参りました」
丁寧な一礼に、周囲の生徒たちも姿勢を正した。
ベルモンド伯爵家の令嬢。
リリアーナも名前は知っていたし、ヴィオレッタが先日話したという相手でもある。
(……この方が)
クラリッサは机に並べられた装飾を一つずつ確認し、担当者へ質問を重ねていく。
どのような意図で色を選んだのか、会場全体との調和は取れているか、準備に必要な時間はどれくらいか。
その質問は具体的で、ただ見た目の美しさだけを評価しているわけではないことが分かった。
「こちらは?」
やがてクラリッサの視線が、リリアーナの布飾りへ向けられた。
「私が作りました」
「エヴァンズ様ですね」
「はい」
クラリッサは布飾りを手に取り、細かな刺繍を確かめるように眺めた。
「……丁寧なお仕事ですわね」
「ありがとうございます」
「花の色も綺麗ですし、縁の処理も整っています。ただ、こちらを会場全体に使うとなると、相当な数が必要になるのでは?」
「はい。ですので、全ての席ではなく、いくつかの卓に使う形を考えています」
「なるほど」
クラリッサは頷いたものの、少し考えるように目を細めた。
「ですが、卓によって装飾に差があると、参加者によっては特別扱いされていると受け取るかもしれません」
「……あ」
リリアーナは思わず口を閉じた。
そこまでは考えていなかった。
ただ綺麗なものを作りたい、会場を華やかにしたいという気持ちばかりで、座る場所によって違いが生まれることを気にする人がいるかもしれないとは思わなかったのだ。
「もちろん、作品そのものが悪いわけではありません。ですが、交流会は様々な家柄の方が集まる場ですから、細かな配慮も必要になります」
「……はい」
リリアーナは小さく頷いた。
周囲の生徒たちも黙って話を聞いている。
クラリッサの言っていることは間違っていない。
だからこそ、反論する言葉がすぐには浮かばなかった。
「でしたら、こちらは代表者の卓にだけ飾るのはいかがでしょう。公爵家や侯爵家の方々が座られる場所であれば、特別な装飾があっても不自然ではありませんし」
「……代表者の卓、ですか」
「ええ。アルバレス様やアイゼンベルク様も参加されるのでしょう?」
ヴィオレッタの名前が出た瞬間、リリアーナは少しだけ顔を上げた。
確かに、代表者の卓へ飾ればヴィオレッタにも見てもらえる。
きっと喜んでくれるだろう。
けれど――。
(……それだけで、いいのでしょうか)
リリアーナは手元の布飾りを見つめた。
この花を作り始めた時、自分は何を考えていただろう。
ヴィオレッタに褒めてもらいたかった。
それも確かにある。
でも、それだけではなかったはずだ。
初めて学院の行事へ参加する生徒も、上級生と話すことに緊張している生徒も、少しでも明るい気持ちになれるような飾りを作りたいと思った。
その気持ちまで、代表者の卓だけに置いてしまっていいのだろうか。
「あの……ベルモンド様」
「はい?」
声を出した瞬間、心臓が少し早く打った。
周囲の視線が自分へ集まる。
普段なら、ここで引き下がっていたかもしれない。
けれど今日は、どうしても伝えたいことがあった。
「ご指摘いただいたことは、もっともだと思います。卓によって装飾に差があると、気にされる方もいらっしゃるかもしれません」
「ええ」
「ですので……同じものを、全ての卓へ置くのはいかがでしょうか」
クラリッサが僅かに目を瞬かせた。
「全ての卓に?」
「はい。もちろん、今のような細かな刺繍を一つずつ作るのは難しいと思います。ですが、花の形をもう少し簡単にして、皆さんと一緒に作れば……」
リリアーナは机の上に並べられた布やリボンへ視線を向ける。
「一つ一つの形は少し違っても、同じ花を飾ることはできると思うんです」
「ですが、手作業であれば仕上がりに差が出るでしょう?」
「はい。でも、それも素敵だと思います」
「……素敵?」
「同じ花でも、作る方によって少しずつ違いますから」
言葉を選びながら、リリアーナは続けた。
「私は、交流会に来られる方が、どなたでも楽しめるような会場にしたいんです。だから、特別な卓だけではなく、皆さんの席に花があったら嬉しいなと……」
最後の方は少し声が小さくなった。
それでも、言いたいことは伝えられたと思う。
クラリッサはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「……なるほど」
怒っている様子はない。
ただ、何かを考えているようだった。
「ですが、数を揃えるには相応の時間が必要になります。交流会までに間に合うのでしょうか?」
「それは……」
リリアーナは少し考える。
自分一人では難しい。
けれど、先ほど刺繍を教えてほしいと言ってくれた生徒たちがいる。
「もし、皆さんにお手伝いいただけるのでしたら……」
「私、やってみたいですわ!」
すぐ隣から声が上がった。
昼休みに話しかけてくれた少女だった。
「私もです。難しい刺繍はまだできませんけれど、簡単な花なら練習すれば作れると思います」
「私も手伝えますわ」
別の生徒も手を挙げる。
気付けば、机を囲んでいた何人かが次々に頷いていた。
「……皆さん」
リリアーナは驚いて顔を上げた。
クラリッサはその様子を静かに眺め、それから小さく息を吐く。
「……分かりました。では、まず必要な数と制作時間を確認しましょう」
「え?」
「皆さんが協力してくださるのであれば、検討する価値はあると思います。ただし、当日になって間に合わなかったでは困りますから」
「……はい!」
思わず声が弾んだ。
クラリッサはそんなリリアーナを見て、ほんの少しだけ微笑んだ。
「エヴァンズ様は、思っていたより積極的な方なのですね」
「そ、そうでしょうか……?」
「ええ。普段はアルバレス様の隣で静かにしていらっしゃる印象でしたから」
「……」
リリアーナは少しだけ考えてから、控えめに笑った。
「ヴィオレッタ様とご一緒にいる時間は、とても楽しいんです。でも……私にも、好きなことがありますから」
「……そうですか」
クラリッサはそれ以上何も言わなかった。
ただ、その視線には先ほどまでとは少し違うものが宿っていた。
◇
作業室を出た頃には、窓の外がすっかり夕焼けに染まっていた。
「……ふぅ」
リリアーナは廊下で小さく息を吐く。
緊張した。
とても緊張した。
けれど、不思議と嫌な気分ではなかった。
(……ちゃんと言えました)
自分の考えを。
ヴィオレッタに代わりに言ってもらうのではなく、誰かに背中を押してもらうのでもなく、自分の言葉で伝えられた。
それが少しだけ嬉しかった。
「リリ!」
聞き慣れた声に顔を上げる。
廊下の向こうから、銀髪の少女がこちらへ歩いてきた。
「ヴィオレッタ様?」
「お疲れさま!」
「……どうされたんですか?」
「え?」
「先にお帰りになったのでは……?」
ヴィオレッタが一瞬だけ固まった。
「……えっと」
「ヴィオレッタ様?」
「職員室に行こうとして……」
「はい」
「ちょっと迷って……」
「……はい」
「気付いたら、まだ学院にいた」
「…………」
リリアーナは思わず口元を押さえた。
「……ふふっ」
「笑った!?」
「す、すみません……でも……」
笑いを堪えようとするものの、どうにも上手くいかない。
ヴィオレッタは不満そうに頬を膨らませた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃん」
「ご、ごめんなさい……」
それでもリリアーナはしばらく笑っていた。
やがて落ち着くと、ヴィオレッタの隣へ並ぶ。
「では、一緒に帰りましょうか」
「うん!」
いつものように歩き出す。
けれど、少し進んだところでリリアーナはふと足を止めた。
「あの、ヴィオレッタ様」
「ん?」
「今日、装飾のことで少し意見を言ったんです」
「へえ!」
「ベルモンド様という方がいらっしゃって、色々とご指摘をいただいたのですが……」
「クラリッサさん?」
「はい」
「そっか、リリも話したんだ」
ヴィオレッタが嬉しそうに笑う。
「それで、どうだった?」
「……少し緊張しました。でも、皆さんが賛成してくださって」
「すごいじゃん!」
「まだ正式に決まったわけではありませんけど……」
「それでもすごいよ」
何でもないことのように言われ、リリアーナは少しだけ頬を赤くした。
「……ありがとうございます」
「完成したら見せてね」
「はい。ぜひ」
リリアーナは微笑んだ。
ヴィオレッタの隣を歩く時間は、やはり心地よい。
けれど今日、自分が少しだけ変わったことも分かっていた。
誰かの隣にいることと、自分自身の足で歩くことは、きっと両立できるのだ。
「……ヴィオレッタ様」
「なに?」
「私、交流会が少し楽しみになってきました」
「……そう?」
「はい」
嬉しそうに答えるリリアーナを見て、ヴィオレッタも笑った。
「じゃあ、私も頑張らないとね」
「ふふっ。そうですね」
「……なんか今、含みのある笑い方しなかった?」
「気のせいですよ」
「ほんとに?」
「はい」
そう言いながら、リリアーナはそっとヴィオレッタの袖を引いた。
「ヴィオレッタ様、そちらではありません」
「……あ」
「帰り道はこちらです」
「…………」
リリアーナが楽しそうに笑う。
ヴィオレッタは少しだけ不満そうな顔をしたものの、すぐに笑ってその隣へ並んだ。
夕暮れの廊下に、二人分の足音が重なる。
昨日までと同じ帰り道。
けれどリリアーナにとっては、ほんの少しだけ違って見える景色だった。




