第42話 リリアーナの知らない顔
春季交流会の進行役を引き受けてしまった翌日、ヴィオレッタ・アルバレスは朝から少しばかり憂鬱だった。
昨日のうちにカトレアと相談し、二人揃って教師へ返事をすることにはなっているものの、一晩経って冷静に考えてみれば、やはり自分から面倒事の中心へ飛び込もうとしているようにしか思えない。
(……断るなら今のうちでは?)
そんな考えが頭をよぎるが、カトレアの嬉しそうな顔を思い出すと、どうにも今さら言い出しにくかった。
「ヴィオレッタ様、おはようございます」
「あ、リリ。おはよう」
教室へ入ってきたリリアーナは、いつもどおり柔らかく微笑んでいたが、その腕には普段見かけない布製の包みが抱えられている。
「それ、何?」
「こちらですか? 交流会の準備に使うものです」
「交流会?」
「はい。昨日、先生にお手伝いできることがないか伺ったところ、会場の装飾を担当する方々が人手を探していらっしゃるそうで、少しお手伝いすることになりました」
「へえ、そうなんだ」
ヴィオレッタは包みを覗き込む。
中には淡い色の布や細いリボン、それから小さな刺繍枠が丁寧に収められていた。
「もしかして、リリが作るの?」
「ええ。まだ試作品なのですが……」
リリアーナが取り出したのは、手のひらほどの小さな布飾りだった。
白い布地には淡い青と桃色の糸で花が刺繍されており、端には細いレースが縫い付けられている。派手な装飾ではないものの、花びらの重なりや葉の曲線まで丁寧に表現されていて、近くで見るほど細かな仕事が分かる仕上がりだった。
「……え、すご」
「そ、そうでしょうか?」
「うん、めっちゃ可愛い!」
思わず声が大きくなる。
リリアーナは驚いたように目を瞬かせ、それから少し照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます。でも、まだ完成ではないんです」
「これで?」
「はい。もう少し縁を整えた方が綺麗になると思いますし、色の組み合わせも何種類か試してみたくて」
「十分綺麗だと思うけどなぁ」
ヴィオレッタは布飾りを眺めながら感心する。
リリアーナが刺繍を得意としていることはもちろん知っていたし、これまでにも手作りの小物を見せてもらったことはある。しかし、こうして学院の行事に使うとなると、何だかいつもとは違って見えた。
「これ、みんなの目に入るんだよね?」
「採用していただければ、ですけど」
「絶対採用されるでしょ!」
「ヴィオレッタ様……」
リリアーナが困ったように笑う。
「まだ他の方の案もありますから、そんなに期待されると緊張してしまいます」
「あ、ごめん」
「いえ、嬉しいです」
そう言って微笑むリリアーナを見ながら、ヴィオレッタはふと思った。
(……リリって、こういう時すごく楽しそうだな)
普段のリリアーナは穏やかで、誰かの話を聞く側に回ることが多い。
けれど好きなものについて話している時は少し違う。声が弾み、表情も明るくなって、普段なら遠慮しそうな場面でも自分から意見を口にする。
そんな姿を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
「完成したらまた見せてね」
「はい、ぜひ」
リリアーナは大切そうに布飾りを包みへ戻した。
◇
昼休み。
いつものように中庭で昼食を取っていると、リリアーナのもとへ見知らぬ一年生が二人やって来た。
「あの、エヴァンズ様」
「はい?」
呼びかけられたリリアーナが顔を上げる。
ヴィオレッタはサンドイッチを手にしたまま、何となくその様子を眺めていた。
「昨日お見せいただいた刺繍のことなのですが、少しご相談してもよろしいでしょうか?」
「ああ、装飾の件ですね。もちろんです」
リリアーナはすぐに頷くと、持っていた包みから例の布飾りを取り出した。
「こちらの色で考えているのですが、会場の花に合わせるなら、もう少し淡い色の方がよろしいでしょうか?」
「いえ、私はこちらの方が素敵だと思いますわ」
「でも、テーブルごとに色を変えるのも良さそうですわね」
「そうですね。でしたら、席ごとに小さな花の種類を変えてみるのはいかがでしょう?」
「まあ、それは素敵!」
話が弾んでいく。
最初は遠慮がちだった二人も、リリアーナが楽しそうに意見を返すうちにすっかり打ち解けたらしく、気付けば三人で布の色を並べながら真剣に相談していた。
「エヴァンズ様は、本当に刺繍がお上手なんですね」
「そんな、まだまだです。でも、ありがとうございます」
「もしよろしければ、今度私にも教えていただけませんか?」
「私にもぜひ!」
「えっ?」
リリアーナが驚いたように顔を上げる。
「わ、私でよろしいんですか?」
「もちろんですわ!」
「こんなに綺麗に作れる方、なかなかいらっしゃいませんもの」
「……ありがとうございます」
頬を少し赤くしながら微笑むリリアーナを見て、ヴィオレッタも嬉しくなった。
(おお……リリが頼られてる)
しかも、自分が何かをしたわけではない。
リリアーナが自分の得意なことで、初対面の生徒たちと自然に仲良くなっている。
(なんかいいな、こういうの)
「ヴィオレッタ」
「ん?」
隣からセレスティアが声をかけてきた。
「さっきからずっとリリのこと見てない?」
「え、そう?」
「うん。サンドイッチ持ったまま止まってる」
「……あ」
手元を見る。
確かに、さっきから一口も食べていなかった。
「冷めるよ」
「サンドイッチって冷めるもの?」
「知らないけど」
「適当!」
セレスティアが笑う。
その向こうではカトレアも穏やかに微笑んでいた。
「でも、リリが楽しそうでよかったね」
「うん」
ヴィオレッタは素直に頷いた。
「なんか、知らないうちに友達増えてるんだなって」
「そりゃそうでしょ。リリだって学院に通ってるんだから」
「それはそうなんだけど……」
何となく、不思議な気持ちだった。
リリアーナとは長い付き合いだし、学院へ入ってからもほとんど毎日一緒にいる。
だからこそ、リリアーナが自分の知らないところで誰かと話し、頼られ、新しい関係を築いていることが、少しだけ新鮮に感じられた。
「……ちょっと寂しい?」
セレスティアが悪戯っぽく笑う。
「え?」
「リリが他の子と仲良くしてるから」
「いやいや、そんなことないよ!」
「ほんとに?」
「ほんと!」
即答したものの、ほんの少しだけ考える。
(……寂しい、のかな?)
違うと思う。
嬉しいのは本当だ。
ただ、今まで自分の隣にいることが多かったリリアーナが、少し遠くへ歩いていくような感覚があるのも確かだった。
(……まあ、ずっと一緒にいるわけじゃないもんね)
それは当たり前のことだし、むしろ喜ぶべきことだろう。
「ヴィオレッタ様?」
考え事をしていると、リリアーナが戻ってきた。
「どうされました?」
「ん? 何でもないよ」
「そうですか?」
「うん。それより、すごいねリリ!」
「え?」
「さっきの子たち、刺繍教えてほしいって言ってたじゃん」
「あ……はい」
リリアーナは少し照れたように微笑む。
「私でよければ、今度一緒に作ることになりました」
「いいじゃん!」
「ありがとうございます」
嬉しそうに笑うリリアーナを見て、ヴィオレッタも笑った。
ほんの少しだけ胸に残っていた妙な感覚は、その笑顔を見ているうちに薄れていった。
◇
放課後、リリアーナは装飾の打ち合わせに参加するため、いつもより少し早く教室を出ることになった。
「ヴィオレッタ様、今日は先にお帰りになってくださいね」
「うん。頑張ってね」
「はい」
そう答えたリリアーナは、何かを思い出したように足を止めた。
「あの……ヴィオレッタ様」
「ん?」
「今日、お昼にお話ししていた方々のことなのですが……」
「うん?」
「私、ああして自分からお話しするのは、まだ少し緊張するんです」
「そうなの?」
「はい。でも、刺繍のことなら自然にお話しできて……それが、何だか嬉しくて」
リリアーナは少し恥ずかしそうに笑った。
「だから、もっと頑張ってみようと思います」
「……そっか」
ヴィオレッタは頷く。
「いいと思うよ。リリの刺繍、ほんとに綺麗だし」
「ありがとうございます」
「でも、無理はしないでね」
「はい」
リリアーナは嬉しそうに微笑むと、もう一度小さく頭を下げて教室を出ていった。
その背中を見送りながら、ヴィオレッタは何となく窓の外へ視線を向ける。
(……リリ、頑張ってるなぁ)
学院へ入ってから、自分の周囲では色々なことが起きている。
アリアとの出会い、生徒会、春季交流会。
そのたびに自分の破滅を心配してばかりいたが、こうして友人たちがそれぞれ新しいことへ挑戦している姿を見ると、少しだけ考え方が変わる気がした。
(私も、もうちょっと頑張らないとね)
せっかく引き受けたお茶会の進行役だ。
カトレアに全部任せるわけにもいかないし、何よりリリアーナが作った飾りが使われるなら、きっと素敵な会になるだろう。
「……よし」
小さく気合いを入れて立ち上がる。
まずは進行役として必要なことを確認しよう。
そう決意して教室を出たヴィオレッタは、しばらく廊下を歩いたところで足を止めた。
「…………」
右。
左。
もう一度、右。
(……職員室って、どっちだっけ?)
決意から迷子になるまで、およそ三分。
公爵令嬢ヴィオレッタ・アルバレスの前途は、今日もなかなか多難であった。




