第41話 悪役令嬢、頼まれる
春季交流会の準備が本格的に始まってからというもの、フィオラ女学院の放課後は以前よりも少しばかり賑やかになり、生徒会の役員たちが資料を抱えて廊下を行き来する姿や、教室の片隅で催しについて相談する生徒たちを見かける機会が増えていた。
そんな中、ヴィオレッタ・アルバレスはというと、窓際の席で頬杖をつきながら、実に穏やかな気持ちで午後の授業が終わるのを待っていた。
(平和だ……)
もちろん交流会に対する警戒を解いたわけではないが、ここ数日は特に大きな事件も起きておらず、アリアは生徒会の仕事を楽しそうにこなしているし、リリアーナやセレスティアともいつもどおり過ごせている。
(もしかして、私が警戒しすぎてただけ?)
そう思い始めたところで、隣の席から声がかかった。
「ヴィオレッタ様、もう授業は終わっていますよ」
「……え?」
顔を上げると、教室ではすでに生徒たちが帰り支度を始めていた。
「いつの間に?」
「先ほど先生がご挨拶をされましたけど……」
「…………」
「また考え事をされていたんですか?」
「うん、ちょっと」
「そうですか」
リリアーナは慣れた様子で微笑むと、ヴィオレッタの机に残された教科書を指さした。
「それと、こちらはしまわなくてよろしいんですか?」
「あ、忘れてた」
「もう……」
そんなやり取りをしていると、教室の入口から元気な声が響いてきた。
「ヴィオレッター!」
「セレス!」
手を振り返すと、セレスティアがいつものようにこちらへ歩いてくる。
「今日どうする? カトレアも早く終わるって言ってたし、一緒に帰れるよ」
「ほんと? じゃあ――」
「アルバレスさん」
返事をしようとしたところで、別の声が割り込んだ。
振り返ると、そこには一人の教師が立っている。
「少しお時間をいただけますか?」
「……はい?」
嫌な予感がした。
(また呼び出し!?)
入学してからというもの、どうにも教師に呼び止められる回数が多い気がする。前回は生徒会長だったが、今回は何だろう。
(まさか、また主人公関連のイベント……?)
「実は、春季交流会のことでお願いがありまして」
(来たぁぁぁぁ!!)
心の中で叫んだ。
やっぱり交流会だった。
どうして自分が警戒しているものに限って、向こうから近づいてくるのだろう。
「お願い、ですか?」
「ええ。交流会では一年生と上級生が一緒に参加する催しをいくつか予定しているのですが、そのうちの一つで、各学年から代表の生徒に協力していただきたいと考えています」
「代表……」
「はい。学年を越えた交流を目的とした小規模なお茶会で、参加者同士が自然に会話できるよう、進行のお手伝いをお願いしたいのです」
「…………」
ヴィオレッタは固まった。
(お茶会!?)
よりによって、最も警戒していた単語が出てきた。
「アルバレスさんは公爵家のご令嬢ですし、こうした場にも慣れていらっしゃるでしょう。ぜひ一年生の代表として参加していただけないかと」
「え、えっと……」
困った。
非常に困った。
確かに公爵令嬢としてお茶会へ出席した経験は何度もあるし、貴族同士の集まりにもそれなりに顔を出してきた。しかし、だからといって進行役が務まるかどうかは別問題である。
(私、人の顔とか名前とか全然覚えられないんだけど!?)
しかも、もし交流会で何か事件が起きた場合、代表として参加していれば確実にその場に居合わせることになる。
破滅回避を目指す悪役令嬢としては、できれば避けたい。
「……あの、私でなくてもよろしいのでは?」
「もちろん他の候補も考えましたが、アルバレスさんは入学してから様々な生徒と交流されていると伺っていますし、上級生にもお知り合いがいらっしゃるそうですね」
(それ全部友達なんですけど!?)
「特にアイゼンベルクさんとは幼い頃から親しくされているとか」
「はい、そうですけど……」
「実は二年生側の代表候補として、彼女にもお声がけしているんです」
「…………え?」
今度は別の意味で驚いた。
「カトレアも?」
「ええ。まだ正式なお返事はいただいていませんが、ぜひお願いしたいと考えています」
ヴィオレッタは考える。
カトレアが一緒なら、確かに心強い。何しろあの子は学院で『黒髪の王子様』と呼ばれるほど人気があり、礼儀作法も完璧で、初対面の相手とも自然に会話できる。
少なくとも自分より進行役には向いているだろう。
(……いや、待って)
ふと気付いた。
(私がカトレアと一緒にお茶会の進行役をするってことは……)
周囲の視線が集まる。
それも大量に。
(絶対目立つじゃん!!)
「いかがでしょうか?」
教師が穏やかに尋ねる。
ヴィオレッタは助けを求めるようにリリアーナとセレスティアを見た。
「リリ……」
「ヴィオレッタ様なら、きっと大丈夫だと思いますよ」
「セレス……」
「カトレアもいるんでしょ? 面白そうじゃん!」
味方がいない。
(なんでぇぇぇ!?)
「……少し、考える時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。明日までにお返事をいただければ結構ですよ」
「ありがとうございます」
教師が去っていくのを見送りながら、ヴィオレッタは机へ突っ伏した。
「終わった……」
「まだ何も始まってないじゃん」
「セレスには分からないんだよ……」
「何が?」
「人生の難しさ……」
「また人生!?」
セレスティアが笑い、リリアーナも困ったように微笑む。
「でも、ヴィオレッタ様」
「ん……?」
「カトレア様とご一緒でしたら、きっと心強いのではありませんか?」
「それはそうだけど……」
「それに、ヴィオレッタ様は昔から、お茶会で困っている方を見つけるのがお上手ですから」
「え?」
思わず顔を上げた。
「そうなの?」
「はい。私も、初めてお会いした時に助けていただきましたから」
「……リリ」
何でもないことのように告げられた言葉に、ヴィオレッタは少しだけ照れくさくなった。
自分では特別なことをした覚えはないのに、リリアーナは今でもそんなふうに思ってくれているらしい。
「……ありがと」
「はい」
リリアーナが嬉しそうに微笑む。
その横でセレスティアが、何かを思いついたように口を開いた。
「じゃあさ、私も参加しようかな」
「え?」
「だって面白そうだし。ヴィオレッタとカトレアだけずるいじゃん」
「ずるいって……」
「リリも参加する?」
「私は……」
リリアーナは少し迷ったあと、ヴィオレッタを見た。
「もし参加できるのでしたら、ご一緒したいです」
「…………」
ヴィオレッタは三人の顔を思い浮かべる。
リリアーナ、セレスティア、カトレア。
もし皆が一緒なら、確かに心強い。
(……まあ、みんながいるなら何とかなるかな)
そう考え始めたところで、廊下から聞き慣れた声がした。
「ヴィオレッタ、まだいたんだ」
「カトレア!」
黒髪の少女が教室の入口に立っていた。
「セレスから、今日は一緒に帰るって聞いたから迎えに来たんだけど……どうしたの?」
「カトレア、交流会のお茶会の代表に誘われたって本当?」
「ああ、そのこと?」
カトレアは少し驚いたように目を瞬かせ、それから微笑んだ。
「うん。さっき先生からお話があったよ」
「どうするの?」
「まだ返事はしてないけど……ヴィオレッタも誘われたんだね」
「うん」
「そっか」
カトレアは少しだけ考え、それからいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「じゃあ、引き受けようかな」
「え?」
「ヴィオレッタと一緒なら楽しそうだし」
「…………」
あまりにもあっさりしていた。
「いや、でも私まだ引き受けるって言ってないんだけど」
「そうなの?」
「そうだよ!」
「じゃあ、ヴィオレッタが引き受けるなら私も引き受けるよ」
「…………」
逃げ道が狭まった気がする。
「カトレア、そんな簡単に決めていいの?」
「うん。だって、ヴィオレッタと一緒にお茶会の準備をするなんて久しぶりでしょう?」
そう言って笑うカトレアの顔は、学院で『黒髪の王子様』と呼ばれている時の完璧な微笑みとは違い、幼い頃からの友人にだけ見せる柔らかなものだった。
ヴィオレッタは少し考えてから、観念したように息を吐く。
「……分かった。じゃあ私も引き受ける」
「本当?」
「うん。でも、ちゃんと手伝ってね?」
「もちろんだよ」
カトレアが嬉しそうに笑った。
その様子を見ていたセレスティアが頬を膨らませる。
「……なんか二人だけで決めてない?」
「え?」
「私も参加するって言ったじゃん!」
「セレスは代表じゃないでしょ」
「だから普通に参加するの!」
「それならいいじゃん」
「そういうことじゃなくて!」
また言い合いが始まり、リリアーナが慌てて間に入る。
「セレスティア様、落ち着いてください。私たちも参加できるか先生に確認してみましょう?」
「……そうする」
ようやく納得したセレスティアを見て、ヴィオレッタは苦笑した。
(まあ、みんなが一緒なら……)
きっと大丈夫。
そう思いたかった。
◇
「アルバレス様が、ですか?」
その日の夕方、生徒会室で交流会の資料を整理していたアリアが思わず顔を上げた。
「ええ。一年生の代表として、お茶会の進行をお願いする予定です」
エレノアが答える。
「二年生側はアイゼンベルクさんにお願いしていますから、上手くいけば良い組み合わせになるでしょう」
「……そうですね」
アリアは嬉しそうに微笑んだ。
ヴィオレッタとカトレア。
確かに二人なら、参加者を安心させられる気がする。
ただ、その隣で資料を確認していた一人の役員が、少しだけ気になることを口にした。
「会長、そういえば一年生のベルモンドさんからも、交流会についていくつか提案が届いています」
「クラリッサ・ベルモンドさんですね」
「はい。参加者の組み合わせについて、少し相談したいことがあるそうで」
エレノアは書類を受け取り、目を通す。
「……なるほど」
その表情は変わらなかった。
「何か問題があるんですか?」
アリアが尋ねる。
「いいえ。まだ提案の段階ですから、問題というほどではありません」
エレノアは書類を机へ置いた。
「ただ、今年の交流会は少し賑やかになりそうですね」
窓の外では、夕日が学院の庭を淡く照らしていた。
春季交流会まで、あと二週間余り。
ヴィオレッタが知らないところで、その準備は着実に進んでいた。
そして彼女が最も警戒していたお茶会の中心に、自分自身が立つことになったのも、どうやらもう避けられそうになかった。




