第39話 生徒会のお仕事
「失礼します」
放課後、少しだけ緊張しながら生徒会室の扉を開けたアリアを迎えたのは、昨日と同じ机に座るエレノアと、その周囲でそれぞれ書類を広げている数人の生徒だった。
「いらっしゃい、フォスターさん。待っていましたよ」
「本日からよろしくお願いいたします」
頭を下げると、エレノアは満足そうに頷いて立ち上がる。
「では最初に皆さんへ紹介しましょう。こちらが昨日お話しした一年生のアリア・フォスターさん、今年度の首席入学者で、本日から補佐として生徒会の仕事を手伝っていただきます」
室内にいた上級生たちの視線が一斉に集まり、アリアは思わず背筋を伸ばした。
「アリア・フォスターです。よろしくお願いいたします」
もう一度頭を下げる。
貴族ばかりだったらどうしよう、平民だからと嫌な顔をされたら――そんな不安がなかったわけではないものの、返ってきたのは思っていたより普通の反応だった。
「よろしく、フォスターさん」
「分からないことがあったら聞いてね」
「首席なんでしょう? 期待してるわ」
「あ、ありがとうございます」
最後の一言だけ少し重い。
顔を上げたアリアを見て、エレノアが僅かに笑った。
「最初からあまり重圧をかけないであげてください。今日は仕事を覚えていただくだけですから」
「会長が一番期待しているように見えますけど」
「否定はしません」
「やっぱり」
くすくすと笑いが起こり、アリアも少しだけ肩の力を抜いた。
もっと堅苦しい場所だと思っていた。
もちろん学院の行事を運営する組織なのだから規律はあるのだろうが、少なくとも常に張り詰めていなければならない場所ではないらしい。
「では、フォスターさんはこちらへ」
「はい」
エレノアに案内された机の上には、思っていた以上の量の紙が積まれていた。
「…………」
「帰らないでくださいね」
「か、帰りません!」
「冗談です」
(冗談を言うんだ……)
昨日会った時には落ち着いた完璧な上級生という印象しかなかったので、少し意外だった。
「本日お願いしたいのは、来月行われる春季交流会に関する資料の整理です」
「春季交流会……」
その言葉にアリアは首を傾げたが、もちろんゲームの記憶などない彼女に特別な意味があるはずもない。
「フィオラ女学院では毎年、春に学年を越えた交流会を行います。新入生が学院に馴染むための行事でもありますが、上級生との交流を深める意味もあり、今年は例年より少し規模を大きくする予定です」
エレノアは何枚かの書類を取り出し、参加予定者の名簿や使用する場所、必要な備品について簡単に説明していく。
最初こそ緊張しながら聞いていたアリアだったが、話が具体的な仕事へ移るにつれて表情が変わり、説明を聞きながら要点を手元の紙へ書き留め、分からない部分があればその場で確認する。
「こちらの名簿は、学年ごとに分けた方がよろしいですか?」
「そうですね。その上で所属する組ごとに分けてください」
「では、欠席予定の方は別にしておいた方が確認しやすいでしょうか?」
「……ええ。その方がいいでしょう」
「分かりました」
返事をすると、すぐに作業へ取りかかる。
しばらくして。
「会長」
「何でしょう」
「フォスターさん、本当に今日が初日ですか?」
「そのはずですが」
「もう半分終わってますけど」
「…………」
エレノアが顔を上げた。
少し離れた机では、アリアが一枚ずつ資料を確認しながら迷いなく仕分けを進めている。
ただ早いだけではなく、後から確認しやすいよう項目ごとに付箋まで挟んでいた。
「フォスターさん」
「はい?」
「少し休んでも構いませんよ」
「え?」
アリアが時計を見る。
「……あ」
かなり時間が経っていた。
「す、すみません。集中してしまって」
「謝ることではありませんが、初日から飛ばしすぎると続きませんよ」
「はい……」
「以前にも似た作業を?」
「いいえ。ただ、家で勉強する時に教科ごとに紙を分けたり、覚えていないところだけまとめたりしていたので、似ているなと思って」
「なるほど」
エレノアはアリアの整理した資料を何枚か確認し、ほんの僅かに口元を緩めた。
「綺麗ですね」
「本当ですか?」
「ええ。後から別の人が見ても分かりやすいですし、間違いも見当たりません」
「よかった……」
ほっとしたように笑うアリアを見ながら、エレノアは昨日のことを思い出す。
首席入学。
教師からの評価も高く、試験結果には大きな偏りがない。
平民であることを理由に周囲から余計な視線を向けられているようだが、少なくとも能力だけを見れば補佐として迎えることに何の問題もなかった。
(それに――)
アルバレス公爵令嬢。
昨日話した銀髪の少女の顔が浮かぶ。
『アリアさんが生徒会に入ることと、私たちが友達なのは関係ないですよね?』
噂から想像していた人物とは随分違っていた。
高位貴族としての自覚がないわけではなく、むしろ友人が軽んじられたと感じた瞬間には、こちらが驚くほど公爵令嬢らしい空気を纏ってみせた。
それなのに、次の瞬間には図書室へ一人で辿り着けなかったことを指摘されて逃げるように帰っていった。
(不思議な方ですね)
「エレノア様?」
「いえ、何でもありません」
今は目の前の少女を見るべきだ。
「フォスターさん」
「はい」
「正式な役員への推薦については、まだ先のお話だと昨日申し上げましたね」
「はい」
「その考えに変更はありません。ですが――」
エレノアは整理された資料を机へ戻す。
「少なくとも、あなたをお誘いしたことは間違いではなかったようです」
「……!」
アリアの顔が明るくなった。
「ありがとうございます!」
「ですから、張り切りすぎないように」
「はい!」
「……聞いていますか?」
「はい!」
「少し心配ですね」
周囲から笑い声が上がり、アリアも恥ずかしそうに頬を赤くした。
けれど。
嬉しかった。
平民だからでも、アルバレス公爵令嬢たちと親しいからでもない。
自分がこれまで努力して身につけてきたものを見て、その上で認めてもらえた。
それが何より嬉しかった。
◇
「春季交流会?」
翌朝。
アリアから昨日の生徒会での仕事を聞いた瞬間、ヴィオレッタの口から間の抜けた声が漏れた。
「はい。来月行われるそうです」
「…………」
「ヴィオレッタ様?」
隣にいたリリアーナが顔を覗き込む。
「どうされました?」
「いや……」
ヴィオレッタは考える。
(あった)
確かにあった。
図書室で学院の年間行事を調べた時にも名前を見たが、それ以前に、この言葉にはうっすらと覚えがある。
(春の交流会……ゲームにもなかったっけ?)
はっきりしない。
本編にも似たような行事があったような気がするし、なかったような気もする。
何しろ前世で遊んだのはもう十五年以上前の記憶であり、ゲーム内の細かなイベント名まで完璧に覚えているわけではない。
(こういう時に攻略サイト欲しい……)
切実に思う。
「それで、私も準備をお手伝いすることになりました」
「アリアさんが?」
「はい。補佐の仕事として」
「…………」
嫌な予感がする。
主人公。
生徒会。
学院行事。
ここまで揃って何も起きないと言われても、今のヴィオレッタには信じられない。
「交流会では何するの?」
「まだ詳しくは聞いていませんけど、学年を越えて交流するために、お茶会や簡単な催しを行うそうです。今年は例年より規模を大きくするみたいで」
「お茶会……」
「はい」
(絶対なんか起きるじゃん)
ヴィオレッタの中で警戒度が一段階上がった。
貴族。
お茶会。
主人公。
悪役令嬢。
嫌な単語しか並んでいない。
(待って。こういうところで紅茶ぶっかけたりするんじゃないの!?)
前世で読んだ漫画や小説の知識まで混ざり始める。
(いやでも、それはゲームのイベントじゃないかもしれないし、そもそも私がやる側なの? やらないよ!? 紅茶もったいないし!)
「ヴィオレッタ」
「ひゃい!」
「また変な顔してる」
いつの間にかやって来ていたセレスティアが、ヴィオレッタの頬を覗き込んでいた。
「変な顔って何」
「こういう顔」
セレスティアが眉間へ皺を寄せる。
「そんな顔してない!」
「してたよ」
「してましたね」
「リリまで!?」
アリアも笑いを堪えている。
「アリアさんも笑ってる!」
「す、すみません」
「絶対思ってない!」
いつもの調子で騒いでいると、近くを通り過ぎた生徒たちがちらりとこちらを見る。
「……あの方が」
「ええ、生徒会に……」
小さな声。
ヴィオレッタたちは気付かなかったが、アリアには聞こえた。
昨日までよりも視線が増えている。
生徒会へ入ったことが、もう知られているのだろう。
「アリアさん?」
リリアーナに呼ばれ、アリアは振り返る。
「どうされたんですか?」
「……いえ。なんでもありません」
笑ってみせる。
昨日は言い返せた。
カトレアにも助けてもらった。
だから、これくらいで気にしてはいけないと思った。
「そうですか?」
「はい」
リリアーナは少しだけ気になったものの、それ以上は聞かなかった。
そしてヴィオレッタは――。
「とにかく交流会だよ、交流会!」
何も気付かず、別のことで頭がいっぱいだった。
「何かおかしい?」
「おかしくないけど……なんか起きそう」
「何が?」
「分かんない!」
「分からないのに警戒してるの?」
「そう!」
セレスティアが呆れた顔をする。
「ヴィオレッタって、たまにすごいよね」
「褒めてる?」
「全然」
「ひどい!」
また笑い声が広がる。
そんな彼女たちから少し離れた場所で、一人の令嬢が静かにその様子を見ていた。
アリア・フォスター。
平民でありながら首席で入学し、アルバレス公爵令嬢をはじめとした高位貴族たちと親しくなり、今度は生徒会にまで迎えられた少女。
「……随分、楽しそうですこと」
その声に、笑みはなかった。
昨日アリアへ嫌味を言った三人とは違う。
彼女たちより少し離れたところから、これまでずっと様子を見ていた少女だった。
「どうかなさいました?」
隣の令嬢に尋ねられ、その少女はゆっくりと視線を逸らす。
「いいえ、何も」
そして穏やかに微笑んだ。
「ただ少し――興味が湧いただけですわ」
春季交流会まで、あと三週間。
ヴィオレッタが警戒していた『何か』は、彼女の記憶の中にあるゲームからではなく、すでに目の前の学院生活そのものから生まれ始めていた。




