第36話 いるはずのない会長
翌日の昼休み、いつもの中庭で昼食を囲んでいると、昨日生徒会室へ呼ばれたアリアが少し困ったように笑いながら報告した。
「生徒会の補佐役をお願いされました」
「補佐役、ですか?」
「はい。正式な役員ではないそうなんですけど、行事の準備や書類整理を手伝ってほしいと言われて、そこで適性を見たうえで正式な役員に推薦することもあるそうです」
「へえ、やっぱり生徒会の話だったんだ」
セレスティアはパンをちぎりながら感心したように頷き、カトレアも興味を持ったらしくアリアへ顔を向ける。
「返事はしたの?」
「まだです。急がなくてもいいと言っていただいたので、昨日は一度持ち帰りました」
「それがいいと思うよ。生徒会に入れば学業以外にも時間を使うことになるだろうし、アリアさんが本当にやりたいと思えるか考えてから決めた方がいいから」
「はい。エレノア様にも同じようなことを言われました」
「エレノア様?」
それまで黙って話を聞いていたヴィオレッタが顔を上げた。
「はい。生徒会長のエレノア・グランツ様です」
「…………」
何かが引っかかった。
(エレノア・グランツ……?)
当然、この世界で聞いた名前ではない。
もっと前、まだ自分が日本で普通の高校生をしていて、画面の向こうにいる王子様相手に選択肢を選んでいた頃に聞いた気がする。
攻略対象ではないし主要人物でもなかったはずなのに、なぜか名前には覚えがある。
(エレノア……グランツ……生徒会……)
記憶の奥底を探りながら、ゲームに登場していた人物を一人ずつ思い返していくうちに、ある場面が頭の中へ浮かんだ。
(あっ!!)
「会計の人だ!!」
「え?」
四人の声が重なった。
「…………」
口に出ていた。
「アルバレス様、会計って……?」
「な、なんでもない!」
「でも今――」
「なんでもないの!」
慌てて誤魔化しながらも、ヴィオレッタの頭の中では昔のゲーム画面が次々と蘇ってくる。
エレノア・グランツ――本編では生徒会の会計を務めていた上級生で、攻略対象ではないものの生徒会関連の場面では頻繁に登場し、書類仕事や行事の準備を手際よく進め、主人公が生徒会へ関わるようになってからは仕事を教えたり、選択肢次第では助言をくれたりする人物だった。
そして、その生徒会の中心にいたのは、この国の王子にして攻略対象でもある生徒会長。
主人公は生徒会へ関わるようになったことで王子と接する機会が増え、そこから彼のルートへ入っていく――そこまで思い出したところで、ヴィオレッタの手からフォークが止まった。
(待って。エレノア様が生徒会長なの?)
アリアは間違いなくそう言った。
では、本来そこにいるはずだった王子はどうしたのかと考えて――答えは驚くほど簡単だった。
(そりゃそうじゃん!! ここ女子学院じゃん!!)
王子は男なのだから、いるわけがない。
(今更すぎる!!)
頭を抱えたくなった。
この世界が自分の知っているゲームそのものではなく、女の子のキャラクターたちを攻略できるスピンオフ作品らしいことには十五歳の誕生日で気付いていたのに、どうやら心のどこかでは「攻略対象が変わっただけ」と考えていたらしい。
しかし実際には、本編で王子が生徒会長を務めていたのに対し、この世界では彼が学院に在籍できないため、本来会計だったエレノアがその役割を担っている。
(じゃあ王子、今どこにいるの? この国にはいるはずだけど、別の学院に通ってるのかな。それとも王族だから別の教育を受けてるとか……?)
王家そのものが消えているわけではなく、フィオラ女学院も王家の庇護を受けているのだから、王子が存在しないとは考えにくい。
そうなると今度は、本編で王子が関わっていたイベントがどうなっているのか気になってくる。
(生徒会長が関わるイベントはエレノア様が代わりにやるの? それともイベント自体なくなってる? というか――)
そこまで考えたところで、さらに重大なことに気付いた。
(私、王子と婚約してないよね?)
九歳の誕生日の時にも少しだけ不思議に思った。
公爵令嬢の誕生日だというのに婚約者はおろか、それらしい候補すら姿を見せず、当時はまだ九歳だからだろうと納得しようとしたものの、あれから六年が経った今もヴィオレッタに婚約者はいない。
本編の悪役令嬢ヴィオレッタ・アルバレスが王子とどういう関係だったのか、細かな設定まですべて覚えているわけではないが、王子のルートで主人公へ敵意を向ける理由の一つに彼との関係があったことくらいは覚えている。
ところが今の自分は、婚約どころか王子とまともに会った記憶すらなかった。
「ヴィオレッタ様」
「ひゃい!」
突然顔を覗き込まれ、思わず変な声が出た。
すぐ近くにはリリアーナの緑色の瞳があり、どうやらかなり前から呼ばれていたらしい。
「だ、大丈夫ですか? 先ほどからずっと難しいお顔をされていますけど……」
「あ……うん、大丈夫」
「本当ですか?」
「ほんとほんと」
笑ってみせたもののリリアーナはまだ心配そうで、少し迷ったあと、ヴィオレッタにだけ聞こえるような柔らかな声で続ける。
「何か困っていることがあるのでしたら、私でよければお話を聞きますよ。もちろん話したくないことでしたら無理には聞きませんけど……ヴィオレッタ様が一人で悩んでいらっしゃるのは、少し心配ですから」
「リリ……ありがと。でも本当に大丈夫だから」
「……はい」
まだ完全には納得していない顔だったが、それ以上聞こうとはせず静かに引いてくれたリリアーナを見て、ヴィオレッタは少しだけ肩の力を抜いた。
(やっぱりリリは優しいなぁ)
そう思いながら改めて目の前にいるリリアーナ、セレスティア、カトレア、そしてアリアを眺める。
ゲームではこの少女たちが攻略対象になっているらしいのに、本編の攻略対象だった王子は学院におらず、生徒会長も違えば自分には婚約者さえいないとなれば、さすがに認めなければならない。
(私が知ってるゲームと……思ってた以上に違う?)
原作の知識がまったく役に立たないわけではなく、実際にアリアが生徒会へ誘われたように似た流れは残っているものの、役割や人間関係、イベントが起こる理由まで同じだと思い込むのは危険なのかもしれない。
(……これ、破滅回避難しくなってない?)
「アルバレス様?」
「ん?」
今度はアリアに呼ばれた。
「どうされました?」
「いや……ちょっと人生について考えてた」
「人生?」
「気にしないで」
「はあ……」
よく分からないまま頷いたアリアは、少し迷うように視線を落としてから皆を見る。
「それで、その……皆さんに聞いてみたいんですけど、生徒会のこと、まだ迷っていて……私なんかが入っていいのかなって気持ちもありますし、勉強と両立できるのかも不安なんです。でも、せっかく声をかけていただいたなら挑戦してみたい気持ちもあって」
「やりたいならやればいいじゃん」
真っ先に答えたのはセレスティアだった。
「セレスティア様、もう少し考えてから……」
「だって、やりたいんでしょ?」
「それは……はい」
「じゃあやってみればいいよ。無理だったらその時考えればいいし、最初から無理って決める必要ないじゃん」
実にセレスティアらしい答えにアリアが頷くと、カトレアも少し考えてから口を開く。
「私も挑戦すること自体はいいと思うよ。ただ、特待生なら成績も大切だろうし、生徒会と学業をちゃんと両立できるかは考えた方がいいかな。そこはエレノア様たちとも相談しながら決めればいいと思う」
「はい」
「私も、アリアさんなら十分務められると思います」
リリアーナも優しく微笑む。
「ただ、カトレア様の仰るとおり無理はなさらないでくださいね。アリアさんは真面目ですから、頼まれたことを全部一人で抱え込んでしまいそうで少し心配です」
「エヴァンズ様……ありがとうございます」
三人の言葉を聞いて少し安心したように笑ったアリアは、最後にヴィオレッタへ顔を向ける。
「アルバレス様は、どう思いますか?」
(私に聞くなぁぁぁぁぁ!!)
生徒会と主人公、この二つが揃った時点でヴィオレッタにとっては巨大な『物語開始』の看板が立っているようにしか見えず、できることなら「やめておこう」と言いたい。
生徒会へ入らなければイベントも起きないかもしれないし、アリアが攻略対象たちと必要以上に関わることも減り、そうすれば悪役令嬢である自分の破滅も遠ざかる――かもしれない。
けれど目の前にいるアリアはゲームの駒ではなく、努力して首席になり、その結果を評価されて生徒会から声をかけられた一人の少女なのだから、本人が挑戦してみたいと言っているのに、自分がうろ覚えのゲーム知識を理由に止めるのは違う気がした。
「……やってみればいいんじゃない?」
「え?」
「アリアさんがやりたいなら、せっかく声をかけてもらったんだし挑戦してみて、それから考えてもいいと思うよ。大変だったらその時は周りに相談すればいいんだから」
「アルバレス様……」
「まあ、私は生徒会とか絶対無理だけど」
「最後の一言で台無しじゃん」
セレスティアが笑う。
「だって書類仕事多そうだし」
「ヴィオレッタ様は、その前に提出期限を忘れてしまいそうですね」
「リリ!?」
「否定できる?」
カトレアまで加わったので、ヴィオレッタは三人を順番に見回した。
「できるよ!」
返事はない。
「…………たぶん」
「ほら」
「なんでみんなそんな私のこと信用してないの!?」
笑い声が広がり、アリアもつられるように笑ったあと、やがて小さく息を吸って表情を引き締める。
「……決めました。私、生徒会の補佐をやってみます」
「うん、頑張って」
ヴィオレッタも笑顔で頷いた。
(押しちゃったぁぁぁぁ!!)
またしても自分から物語開始のボタンらしきものを思い切り押してしまった気がするが、もう仕方ない。
(いや、でも補佐だから! まだ正式な生徒会役員じゃないし、エレノア様が会長になってるくらいなんだから本編とは全然違うかもしれないし……いきなり何か起きるわけじゃ――)
「アルバレスさん」
「はい?」
背後から聞こえた声に振り返ると、そこには担任教師が立っていた。
「少しよろしいですか? 生徒会長のグランツさんが、あなたと一度お話ししたいそうです」
「…………私ですか?」
「ええ。アルバレスさんを、と」
アリアが目を瞬かせ、リリアーナたちも不思議そうにこちらを見る中、ヴィオレッタの頭には様々な疑問が一気に浮かんだものの、最終的に残ったのはたった一つだった。
(なんで私ぃぃぃぃぃ!?)




