第35話 生徒会からの誘い
フィオラ女学院の生徒会室はアリアが想像していたよりもずっと広く、壁際には学院行事に関する資料が収められた棚、中央には複数の机、その奥には来客用らしい応接机まで置かれており、その部屋の中心に立っていた少女が穏やかに名乗った。
「初めまして、アリア・フォスターさん。フィオラ女学院生徒会長、エレノア・グランツです」
「は、初めまして。アリア・フォスターです」
慌てて頭を下げたアリアに、艶のある濃い茶髪を背中まで真っ直ぐ伸ばした少女は僅かに笑う。
「それほど緊張しなくても大丈夫ですよ。今日は叱るために呼んだわけではありませんから」
「はい……」
「まだ緊張していますね」
「すみません」
「謝らなくても大丈夫です。どうぞ、座ってください」
促されるまま椅子へ腰を下ろすと、エレノアも向かいへ座った。
「突然呼び出してしまって申し訳ありませんでした。本当ならもう少し学院生活に慣れてからお話しするつもりだったのですが、今年は少々事情がありまして……先に結論から申し上げますね」
エレノアは机の上で指を組み、真っ直ぐアリアを見る。
「アリア・フォスターさん、生徒会の補佐役を引き受けていただけませんか?」
「…………え?」
意味を理解するまでに少し時間がかかった。
「私が……生徒会に?」
「正式な役員ではなく、まずは補佐という形になります。学院行事の準備や書類整理、教師との連絡などが主な仕事になりますが、その中で適性を見たうえで正式な役員へ推薦する可能性もあります」
「でも、どうして私なんですか? 私……平民です」
口にした途端、アリアの視線が僅かに下がる。
入学してまだ数日しか経っていないとはいえ、その短い時間だけでも『平民』という二文字がこの学院でどれほど大きな意味を持つのか、嫌というほど感じ始めていた。
しかしエレノアは表情を変えず、むしろ不思議そうに首を傾げる。
「それが何か?」
「……え?」
どこかで聞いたような言葉だった。
「生徒会役員の選出に家格や出自は関係ありません。学院の規則にも明記されているはずですが」
「それは……はい」
昨日、図書室でヴィオレッタと一緒に見たばかりだ。
「この学院へ入学した以上、あなたもフィオラ女学院の生徒です。侯爵令嬢も公爵令嬢も、そして平民であるあなたもそこに違いはありませんし、何より今年の入学試験で首席だったのでしょう?」
「はい」
「ならば、その結果を正当に評価するのは当然です」
アリアは返す言葉を失った。
入学してから何度も『首席』という言葉を向けられてきたが、それは驚きであったり疑いであったり、時には嫌味として投げかけられるもので、何の含みもなく努力の結果として評価されたのはヴィオレッタたちを除けば初めてかもしれない。
「もちろん首席だからというだけでお願いしているわけではありませんよ。入学試験の記録も拝見しましたが、筆記はほぼ全科目で上位、特に語学と歴史は非常に優秀ですね」
「ありがとうございます」
「加えて教師からの推薦もあります。授業態度も真面目ですし、既に何人かの先生があなたの名前を覚えているようです。ただ――」
そこでエレノアの声音が少しだけ引き締まった。
「楽な仕事ではありません。生徒会は学院行事の運営だけでなく、来賓への対応や教師との調整も行いますし、この学院には王家の庇護がありますから外部との関わりも少なくありません。当然ながら学業との両立も必要になります」
「……はい」
「ですから今すぐ返事をする必要はありません。ご家族とも相談して構いませんし、一度断ったからといって不利益になることもありませんから、あなた自身がやってみたいと思えるかどうかで決めてください」
最後だけ少し柔らかくなった声を聞きながら、アリアは膝の上で手を握った。
昨日までは生徒会など自分には関係のない場所だと思っていた。
首席で入学できても、特待生になれても、自分は平民なのだから学院を代表するような場所に入ることなどないだろうと。
けれど昨日、図書室でヴィオレッタは何でもないことのように言った。
『だったら、アリアさんも入れるんじゃない? 首席なんだし』
そして今日も。
『首席になったのはアリアさんが頑張ったからでしょ? もしそのことで呼ばれたなら、堂々としてればいいよ』
あの言葉を思い出すと、少しだけ勇気が湧いた。
「あの……少し、考えさせていただいてもいいでしょうか?」
「もちろんです。良い返事を期待しています――とは言いません。あなた自身が納得できる答えを聞かせてください」
「はい」
アリアがしっかりと頷くと、エレノアは満足そうに微笑んだ。
「では今日のお話はこれで――」
そこまで言ったところで、アリアの後ろにある生徒会室の扉が開いた。
「失礼します。会長、頼まれていた資料を――」
入ってきた生徒が書類を抱えたままエレノアを見て、それから見慣れない一年生がいることに気付いてアリアへ視線を向ける。
「お話し中でしたか?」
「ちょうど終わったところですよ。それと、その呼び方にはまだ慣れませんね」
「もう一か月以上経っていますけど」
「去年まで会計だった人間に、いきなり会長と呼ばれて慣れろという方が無理でしょう」
エレノアが苦笑する。
アリアには何でもない会話だった。
けれど。
もしここにヴィオレッタがいたなら、間違いなく固まっていただろう。
◇
「……なんか嫌な予感する」
寮へ戻る途中、ヴィオレッタは突然足を止めた。
「また?」
セレスティアが呆れたように振り返る。
「またって何」
「ヴィオレッタ、学院に来てからずっとそんな感じじゃん。アリア見て固まったり、生徒会って聞いて固まったり、急に難しい顔したり」
「そ、それは……」
「体調が悪いわけじゃないんだよね?」
セレスティアの声から揶揄う調子が消えたので、ヴィオレッタは少し驚いて彼女を見る。
「うん。それは大丈夫」
「ならいいけど」
安心したように息を吐いたセレスティアを見ていると、反対側からリリアーナまで心配そうに覗き込んできた。
「本当に無理はされていませんか? ヴィオレッタ様は時々、一人で色々と考え込んでしまわれますから」
「大丈夫だって。リリは心配性だなぁ」
「……誰のせいだと思っているんですか」
「え?」
「なんでもありません」
聞き返したのに、リリアーナはぷいと前を向いてしまった。
(なんでちょっと怒ったの?)
分からない。
すると少し後ろを歩いていたカトレアが笑いながらヴィオレッタの隣まで追いついてくる。
「リリが心配するのも仕方ないよ。ヴィオレッタ、昔から自分のことになると妙なところで鈍いから」
「そうかな?」
「そうだよ」
「具体的には?」
「……それを私に聞くんだ」
カトレアは一瞬だけリリアーナとセレスティアを見たあと、何故か楽しそうに笑った。
「まあ、いいけど」
「何その意味深な言い方」
「なんでもないよ」
「今日みんなそればっかり!」
ヴィオレッタが不満そうに頬を膨らませると、セレスティアが笑いながらその腕を取った。
「ほら、帰るよ」
「ちょ、引っ張らないでって」
「また変なこと考えて止まりそうだから」
「止まらないよ!」
「本当に?」
「ほんと!」
「じゃあ私の方が離れても大丈夫?」
「なんでそうなるの」
「いいから答えて」
「別に離れなくてもいいじゃん」
「…………」
セレスティアの足が一瞬だけ止まった。
「セレス?」
「……なんでもない」
さっきまでとは違い、少しだけ機嫌が良くなっている。
(なんなの?)
やっぱり分からない。
反対側ではリリアーナが少し羨ましそうに二人を見ていたが、ヴィオレッタがそちらへ顔を向けるとすぐに微笑んだ。
「リリもどうしたの?」
「いいえ、何も」
「絶対なんかあるでしょ」
「ありませんよ」
「ほんと?」
「はい」
柔らかく答えながらも、リリアーナはいつの間にかヴィオレッタとの距離をほんの少し縮めている。
後ろからそれを眺めていたカトレアは小さく笑ったものの、何も言わずに自分も歩調を速めた。
結局四人の距離は、いつもより少しだけ近くなった。
「ところで」
ヴィオレッタが前を見る。
「帰りってこっちで合ってる?」
「今それ聞く!?」
セレスティアの声が廊下に響いた。
「だってこっちの棟あんまり来ないし!」
「だから私たちが一緒に来てよかったんじゃん!」
「まだ迷ってないって!」
「ヴィオレッタ様、先ほどの角を右に曲がっていたら迷っていましたよ」
「リリまで!?」
「事実だよ」
「カトレア!」
三人に囲まれながら、ヴィオレッタは不満そうに歩いていく。
そしてその頃、生徒会室ではアリアが席を立ち、エレノアへ頭を下げていた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。返事は急がなくて構いませんから、よく考えてくださいね」
「はい。失礼します」
扉が閉じる。
エレノアはそれを見送ってから机へ戻り、先ほど運ばれてきた資料を手に取った。
「フォスターさん、ですか」
「今年の首席ですよね」
「ええ。それに――」
エレノアは何かを思い出したように微笑む。
「少し面白い人たちと友人になったようです」
去年まで会計としてこの部屋に座っていた少女は、今年から生徒会長として学院を見渡す立場になった。
それが本来とは違う姿だと知っている者は、この学院には誰もいない。
まだ、ヴィオレッタさえも。




