第34話 生徒会室へ
「……行ってきます」
そう言って教室を出ていこうとするアリアを、ヴィオレッタは無言で見送った。
一歩、二歩、三歩。
「待って」
「はい?」
アリアが振り返ると、ヴィオレッタは勢いよく立ち上がった。
「私も行く」
「え?」
「ヴィオレッタ様?」
リリアーナまで驚いている。
「だって生徒会室でしょ?」
「はい」
「場所分かる?」
「分かります」
「…………」
理由がなくなった。
「アルバレス様?」
「……途中まで一緒に行こうかなって」
「ですが、アルバレス様は寮へ戻られるのでは?」
「別に急いでないし」
苦しい。
自分でも分かっているが、行かないという選択肢はなかった。
(だって生徒会だよ!?)
元のゲームでは主人公であるアリアがその能力を認められて生徒会へ入り、そこで様々な人物と出会い、関係を深めていくことで物語がそれぞれのルートへ枝分かれしていった。
もちろんここは自分が遊んだ本編ではなく、女の子たちが攻略対象になったスピンオフ作品らしいので、まったく同じ展開になる保証などない。
それでも、破滅するかもしれない側としては気になるものは気になる。
「でしたら、私もご一緒します」
リリアーナが当然のように立ち上がった。
「リリも?」
「はい。ヴィオレッタ様がお一人で戻られることになったら心配ですから」
「私もう十五歳なんだけど」
「存じております」
「一人で帰れるよ?」
「昨日もそう仰って図書室へ向かわれましたよね?」
「…………一緒に行こうか」
「はい」
満足そうに微笑んだリリアーナを見ながら、アリアは密かに思う。
(エヴァンズ様って、アルバレス様のことになると少し強いなぁ……)
普段は穏やかで控えめなのに、ヴィオレッタのことになると妙に譲らない。
けれどヴィオレッタ本人はそんなことを気にする様子もなく、鞄を持つと「じゃあ行こ」と普通に歩き出した。
◇
教室を出てしばらく歩いたところで、前方から聞き慣れた声が飛んできた。
「ヴィオレッタ!」
「セレス?」
見るとセレスティアがこちらへ歩いてきており、その隣にはカトレアまでいる。
「二人ともどうしたの?」
「迎えに来た」
セレスティアは何でもないことのように答えた。
「なんで?」
「放課後だし、一緒に帰ろうと思って」
「今日そんな約束してたっけ?」
「してないよ」
「じゃあなんで迎えに来たの?」
「……別にいいじゃん」
少しだけ目を逸らしたセレスティアは、そのままぼそりと付け加える。
「一緒に帰りたかっただけ」
「そっか」
あまりにも自然に言われたので、ヴィオレッタも普通に納得してしまった。
リリアーナはそんな二人を見て柔らかく笑い、カトレアも口元を緩めている。
「何?」
セレスティアが眉を寄せる。
「なんでもないよ」
「カトレア、今絶対なんか思ったでしょ」
「思ってないって」
「その顔は思ってる!」
二人が言い合っている間、アリアはヴィオレッタをちらりと見る。
セレスティア・ルミナスは侯爵家の令嬢であり、ヴィオレッタとは幼い頃からの友人だと聞いている。
それでも、わざわざ別の教室まで迎えに来て、理由を聞かれれば照れながら「一緒に帰りたかった」と答える姿を見ると、二人の間には自分の知らない長い時間があるのだと改めて感じられた。
「それで?」
ひとしきり言い合ったセレスティアが、今度はアリアを見る。
「どこか行くの?」
「生徒会室に呼ばれたんだって」
ヴィオレッタが答えると、セレスティアの眉が上がった。
「アリアが?」
「はい」
「へえ。首席だからかな」
「私にも分かりません」
「じゃあ私たちも行こう」
「えっ」
アリアが驚き、ヴィオレッタも思わずセレスティアを見る。
「いやいや、なんでセレスたちまで来るの」
「ヴィオレッタ行くんでしょ?」
「途中までね」
「じゃあ行く」
「なんで?」
「ヴィオレッタと帰るため」
「…………」
強い。
理由が強い。
「私も行くよ」
カトレアまで加わった。
「カトレアも?」
「うん。せっかく来たんだし、久しぶりに四人で一緒に帰りたいから」
そう言ってから、カトレアは少し楽しそうに笑う。
「それに、ヴィオレッタを一人にしたら心配だしね」
「なんで!?」
「昨日のことがあるから」
「昨日……」
そこまで言われて、ヴィオレッタも思い出した。
「……あ、もうリリから聞いてるんだった」
「うん。図書室に行こうとして迷ったんでしょう?」
「行けたからいいじゃん」
「アリアさんに連れていってもらって、だけどね」
「…………」
何も言い返せない。
カトレアが楽しそうに笑う。
「だから今日はちゃんと送ってあげる」
「私もう十五歳なんだけど」
「知ってるよ」
「一人で帰れるよ?」
「それも昨日聞いた」
「…………」
駄目だった。
隣ではセレスティアが声を上げて笑い、リリアーナも口元を押さえている。
「もういい。みんなで行こう」
「うん」
カトレアが満足そうに頷いた。
結局アリアを先頭に、ヴィオレッタ、リリアーナ、セレスティア、カトレアという妙に目立つ一団で生徒会室へ向かうことになった。
もちろん全員で中へ入るつもりはなく、あくまで途中まで一緒に行くだけなのだが。
「……見られてませんか?」
しばらく歩いたところで、アリアが小声で尋ねた。
「そう?」
ヴィオレッタは気付いていない。
廊下ですれ違う生徒たちはちらちらとこちらを見ており、その視線の多くはアリアへ向けられていた。
昨日から少しずつ広がっている噂に加え、今日は公爵令嬢と侯爵令嬢二人、子爵令嬢まで連れ立って歩いているのだから、目立たない方がおかしい。
アリアもそれを感じているのか、居心地悪そうに少し俯いた。
「アリアさん」
隣を歩いていたリリアーナが声をかける。
「はい?」
「大丈夫ですか? 少し緊張されているように見えましたので」
アリアは一瞬迷ったものの、小さく頷いた。
「……少しだけ」
「生徒会に呼ばれるなんて、普通は緊張するよ」
セレスティアも振り返る。
「でも悪い話じゃないんじゃない? アリア、首席なんでしょ?」
「そうだと思うんですけど……」
「なら大丈夫」
根拠があるのかないのか分からない言葉だったが、セレスティアが言うと不思議と本当に大丈夫なように聞こえる。
「ありがとうございます」
アリアが笑うと、カトレアもその横から穏やかに口を開いた。
「生徒会は家柄だけで人を選ぶ場所じゃないよ。私も詳しいわけじゃないけど、能力を見て声をかけることはあるって聞いたことがあるから」
「そうなんですか?」
「うん。だから、呼ばれたこと自体は胸を張っていいと思う」
「ありがとうございます、アイゼンベルク様」
アリアの表情が少し和らいだ。
ヴィオレッタはそんな三人を眺めながら、密かに感心する。
(みんな優しいなぁ)
リリアーナの柔らかな気遣い、セレスティアの明るさ、カトレアの頼もしさ。
もし自分がこのゲームを遊んでいて、主人公が三人からこんなふうに励まされる場面を見せられたなら、なるほど確かに誰かを好きになってもおかしくない。
(……というか、これってもしかして)
主人公が生徒会へ向かい、攻略対象らしき少女たちがそれぞれの性格で主人公を励ます。
(イベントだ!)
ヴィオレッタの中で警戒度が一段上がった。
けれど。
「ヴィオレッタ様?」
「ん?」
「先ほどから難しいお顔をされていますが、大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫」
「本当ですか?」
「ほんとだよ」
「ならいいのですが……」
そう言いながらも、リリアーナはまだ少し心配そうにヴィオレッタを見ている。
アリアを気遣っていたはずなのに、ヴィオレッタの表情が曇った途端そちらも気になってしまうらしい。
「リリ」
「はい?」
「ありがと」
「……何がですか?」
「心配してくれて」
一瞬。
リリアーナの目が丸くなる。
「別に、そのくらい……いつものことですから」
そう答えて前を向いた耳が、ほんの少しだけ赤い。
ヴィオレッタは気付かなかった。
セレスティアは気付いた。
カトレアも気付いた。
二人は顔を見合わせたものの、何も言わなかった。
やがて一行は生徒会室のある棟へ辿り着き、ここから先はアリア一人で行くことになった。
「じゃあ、私たちはここまでかな」
「はい」
アリアは生徒会室へ続く廊下を見たあと、僅かに緊張した表情を浮かべる。
「アリアさん」
ヴィオレッタが呼ぶと、アリアが振り返った。
「大丈夫だよ」
「……アルバレス様」
「何の話かは分からないけど、別に悪いことしたわけじゃないんだから。それに首席になったのはアリアさんが頑張ったからでしょ? もしそのことで呼ばれたなら、堂々としてればいいよ」
「…………」
「どうしたの?」
「いえ」
アリアが柔らかく笑った。
「ありがとうございます」
「うん」
ヴィオレッタも笑い返す。
その横でリリアーナもアリアへ微笑んだ。
「頑張ってください、アリアさん」
「はい!」
「もし変なこと言われたら教えてね」
セレスティアが続ける。
「セレス、それだと喧嘩しに行くみたいだよ」
「しないって!」
「本当かなぁ」
「カトレアまで!?」
いつもの調子で言い合う三人にアリアも笑い、最後にもう一度頭を下げると、生徒会室へ向かって歩いていった。
その背中が角を曲がって見えなくなるまで見送ったところで、ヴィオレッタは息を吐く。
「さて、帰ろっか」
「うん」
セレスティアがすぐ隣へ並び、反対側にはリリアーナが立つ。
「……私の場所なくない?」
カトレアが笑った。
「え?」
「なんでもない」
そう言いながらカトレアがヴィオレッタの少し後ろを歩き始めると、今度はヴィオレッタが立ち止まった。
「……ねえ」
「何?」
「帰りって、こっちで合ってる?」
「…………」
三人が揃ってヴィオレッタを見る。
「なに、その顔」
「ヴィオレッタ」
カトレアが呆れながらも笑った。
「私たちが来てよかったね」
「まだ迷ってないよ!」
「迷う前に止めたんです」
リリアーナが即座に返す。
「ほら、行くよ」
セレスティアはヴィオレッタの腕を取ると、そのまま歩き出した。
「ちょ、セレス」
「またいなくなったら困るから」
「いなくならないって!」
「はいはい」
腕を引かれながら抗議するヴィオレッタを見て、リリアーナとカトレアも笑いながら後を追う。
結局ヴィオレッタは最後まで、自分が三人から随分と大切にされていることには気付かなかった。
◇
一方。
生徒会室の前まで来たアリアは、一度だけ深く息を吸った。
――堂々としてればいいよ。
先ほどヴィオレッタに言われた言葉を思い出すと、不思議と少しだけ緊張が和らいだ。
「……よし」
扉を叩く。
「アリア・フォスターです」
中から声が返ってきた。
「どうぞ」
「失礼します」
扉を開けたアリアは、広い室内を見渡して目を見開く。
いくつもの机が並ぶ、その中心で一人の少女が顔を上げた。
「あなたが、今年の首席ですね」
静かでよく通る声だった。
「初めまして、アリア・フォスターさん」
少女は穏やかに微笑む。
「フィオラ女学院生徒会長――エレノア・グランツです」
物語の新しい扉が、静かに開いた。




