第3話 初めてのお茶会
ヴィオレッタが前世の記憶を取り戻してから、一か月が過ぎた。
季節は春、窓の外では色とりどりの花が咲き始めている。
そして今日は、ヴィオレッタにとって重要な日だった。
「お嬢様、お支度が整いました」
鏡の前に立つと、淡い藤色のドレスを着た少女が映る。
8歳の公爵令嬢――ヴィオレッタ・フォン・アルバレス
中身は元女子高生。
「なんだか七五三みたい……」
「しちごさん、ですか?」
「何でもない」
エマが不思議そうな顔をする。
危ない危ない・・・時々前世の感覚が出てしまう。
「緊張なさっているのですか?」
「うん、ちょっと」
私は素直に頷く。今日は近隣の貴族令嬢たちが集まるお茶会。
本格的な社交界デビューにはまだ早い年齢だが、子ども同士の交流の場として定期的に開かれているらしい。そして――
ヴィオレッタにとっては転生後初の対外イベントだった。
「嫌われたりしないかな……」
「なぜです?」
「いや、なんとなく」
エマは首を傾げる。もちろん彼女が知る由もない。
ヴィオレッタが将来、乙女ゲームで悪役令嬢になる運命を背負っていることなど。
◇
会場となる伯爵家の庭園は、春の花で彩られていた。
白いテーブル、銀のティーセット、楽しそうに話す令嬢たち。
年齢は8歳から10歳ほど。
みんな綺麗なドレスを着ている。
「アルバレス公爵家のヴィオレッタ様ですわ」
「まあ」
「本当にお綺麗……」
そんな声が聞こえるが、恐れている様子はない。
少し距離を置きながらも、純粋な興味を向けている。
考えてみれば当然だ、ヴィオレッタは公爵令嬢。
王国でも有数の名門家の一人娘。家柄だけはとてつもなく有名ではある。
しかも、まだ8歳なので、恐れられるほどの何かをしているわけではない。
前世のゲーム知識があるせいで、自分を過大評価していたらしい。
「よかった……」
思わず小さく呟く。少なくとも現時点では、破滅フラグは立っていないようだ。
◇
お茶会が始まってしばらく。
私は少し困っていた。
「叔父が北方の辺境伯でして――」
「まあ、それでは夏の離宮は――」
「祖母の実家が侯爵家で――」
そう、令嬢たちの会話が難しいのである。
知らない単語ばかり。前世では女子高生だったのだ。
辺境伯の叔父がいる友達なんて当然いない。
ヴィオレッタは紅茶を飲みながら、
(みんなすごいなぁ……)
と感心していたその時、少し離れた席にいる少女が目に入る。
金色の髪、青い瞳、小柄な体格に可愛らしい顔立ち。
その子だけ全然しゃべっていなかった。
(というか・・・居心地が悪そう・・?)
話の輪には入っているけれど、会話にはほとんど参加できていない。
周囲の令嬢たちに悪意はない。
ただ、自然と家柄や領地の話になっているだけだ。
それでも少女は、何か話そうとしては口を閉じていた。
(あの子も会話についていけてないのかな?)
私はそう思った。
それだけの理由。家格の差も男爵家という立場も貴族社会の空気も私はまだよく分かっていなかった。だから――
普通に立ち上がった。
◇
周囲の令嬢たちが視線を向けるがヴィオレッタは気付かない。
気付いていたとしても意味が分からなかっただろう。
公爵令嬢がわざわざ席を移動することに、どれほど意味があるのかなど。
「ねえ」
少女がびくっと肩を震わせた。
「はいっ!?」
驚いた拍子にカップが揺れる。
ヴィオレッタは少し申し訳なくなった。
「ごめん、驚かせた?」
「い、いえ……!」
「隣、いい?」
「え?」
「座りたいなって」
少女は完全に固まっている。断るという選択肢すら思い浮かばなかったらしい。
ヴィオレッタはそのまま隣に腰掛ける。
そして小さく息を吐いた。
「ふぅ」
「……?」
「ちょっと安心した」
「安心、ですか?」
「うん」
ヴィオレッタは正直に答えた。
「みんなの話、難しくて」
「え?」
「半分くらい分からないの」
少女が目を丸くする。
「辺境伯とか離宮とか、すごいなぁって思いながら聞いてた」
「ヴィオレッタ様でも……ですか?」
「私だからじゃないかな?」
ヴィオレッタは苦笑した。
「勉強しなきゃなぁって思ってはいるんだけどね」
少女はしばらくぽかんとしていた。
やがて小さな声で言う。
「私も……ちょっとしか分からないです」
「本当?」
「はい」
「やっぱり!」
ヴィオレッタの顔がぱっと明るくなる。
「仲間だ」
その言葉に、少女は目を瞬かせた。そんな風に言われたことはなかった。
少なくとも今日のお茶会では。
「私はヴィオレッタ。あなたは?」
「リリアーナ・エヴァンズです」
「よろしく、リリアーナ様」
名前を呼ばれた瞬間、リリアーナはわずかに息を呑んだ。
大勢の令嬢がいる中で、自分の名前を呼んでもらえるとは思っていなかったのだ。
「よろしくお願いいたします……」
気付けば、少しだけ肩の力が抜けていた。
◇
その後の時間はあっという間だった。
お菓子の話、本の話、庭園の花の話。
難しい爵位や領地の話ではない。
8歳の少女たちらしい話題にヴィオレッタは楽しそうに笑い。
リリアーナも自然に笑っていた。
◇
帰りの馬車。
ヴィオレッタは座席にもたれながら息を吐いた。
「疲れたぁ……」
「お疲れ様でした」
エマが微笑む。
「でも楽しかった」
「それは何よりです」
リリアーナとも仲良くなれたし、他の令嬢とも少し話せた。
まずまず成功だろう・・・そんなことを考えていると、ふと眠気が襲ってくる。
ヴィオレッタはそのまま目を閉じた。
◇
一方その頃伯爵家の庭園では、
「リリアーナ様、随分と仲良くなっておられましたわね」
令嬢の一人が声をかけた。リリアーナは少し照れたように笑う。
「ヴィオレッタ様、とても素敵な方でした」
「そうでしたわね」
「またお会いしたいです」
その言葉に、何人かの令嬢が頷いた。今日のお茶会で劇的な何かが起きたわけではない。
運命的な出会いでもない。ただ――
ヴィオレッタ・フォン・アルバレスという少女に対して、
ほんの少し興味を持つ者が増えただけだった。
けれど、その小さな興味。これこそが、後に多くの令嬢たちを惹きつけることになる、最初の種だった。




