閑話 お嬢様付きの侍女
誕生日会が終わった夜。
アルバレス公爵家の屋敷は、昼間の賑わいが嘘のように静かだ。
エマは使用人たちと共に後片付けを終え、自室へ戻ろうとしていた。
ふと、窓の外を見る。夜空には星が輝いていた。
今日の誕生日会は大成功だったと言っていいだろう。
招待客たちも満足して帰っていった。
星涙の雫の騒動こそあったが、最後には笑顔で終わった。
何より――
ヴィオレッタお嬢様がとても楽しそうだった。
それが一番だった。
自然と頬が緩む。そして同時に思う。
――本当に変わられましたね。
◇
エマが仕え始めた頃のヴィオレッタは、正直に言えば扱いの難しい子だった。
公爵家の一人娘。周囲は誰もが気を遣う。
当然だ。だが、それを差し引いても幼いヴィオレッタはわがままだった。
気に入らないことがあれば怒り、思い通りにならなければ拗ねる。
使用人たちは常に顔色を窺っていた。
旦那様はああ見えて、お嬢様にはとても甘い。
公爵家の娘としてはとても幼く、そして傲慢だった。
そのことに疑問を持ってはいけない、それがルール。
エマもそうだった。それが普通だと思っていた。
――あの日までは
◇
ある日を境にヴィオレッタは変わった。
本当に突然。最初は誰も信じなかった。
私もそのうちの一人だ。
数日で元に戻ると、何かの気まぐれだと思った。
しかし、戻らなかった。
使用人へ礼を言う。失敗しても怒らない。
困っている人を見ると放っておけない。
屋敷の庭師に話しかけたり。料理人に新しいお菓子の感想を伝えたり。
侍女たちの名前を覚えたり。
そんなことをする公爵令嬢は珍しい。
理由は今でも分からないけれど、確かなことが一つある。
お嬢様は優しくなった。それだけは間違いなかった。
◇
気付けば屋敷の空気まで変わっていた。
昔はヴィオレッタの機嫌を損ねないことが最優先。
ただ、今は違う。
使用人たちはヴィオレッタのことを心から慕っている。
誰もが自然と笑顔になる。
それはエマにとって、とても嬉しいことだった。
そして、屋敷の外でも変化は起きた。
リリアーナ・エヴァンズ。
セレスティア・ルミナス。
カトレア・アイゼンベルク。
気付けば三人の友人ができていた。
昔のヴィオレッタなら考えられなかったことだ。
しかも皆、心からヴィオレッタを大切に思っている。
今日のお茶会での様子を見れば分かる。
プレゼントを渡す時のヴィオレッタを見る目。
あれはただの友人ではない。大切な存在を見る目だった。
もちろん、当の本人は気付いていないだろう。
その鈍感さにエマは少しだけ笑った。
◇
そして今日、誕生日会での出来事。
リリアーナ様が疑われた時にヴィオレッタは真っ先に前へ出た。
迷いもなく、躊躇もなく、堂々と。
あの瞬間を思い出す。
普段は少し抜けていて、よく迷子になって。どこか危なっかしいお嬢様。
それなのに、本当に大事な時だけは違う。
アルバレス公爵家の令嬢として誰よりも真っ直ぐ立つ。
旦那様も驚いていたように見えた。
きっと、今日一番誇らしかったのは旦那様だろう。
私も負けないくらい誇らしかったけれど。
◇
気付けば足はヴィオレッタの部屋へ向いていた。
そっと扉を開く。部屋は静かだ。
ベッドの上ではヴィオレッタが眠っている。
昼間はあれだけ元気だったのだから、疲れて当然だ。
エマは静かに近付く。
少しだけずれていた毛布をそっと掛け直す。
すると、ヴィオレッタが小さく身じろぎした。
「んぅ……」
寝言だろうか。
エマは思わず耳を傾ける。
「リリ……」
小さな声。
「セレス……」
さらに、
「カトレア……」
どうやら夢の中でも友人たちと一緒らしい。
「エマ……」
唐突に名前を呼ばれ、思わず目を見開く。
「明日の……ご飯は……」
エマは思わず吹き出しそうになった。
本当に、どこまでもヴィオレッタ様らしい。
かつては一人だった少女。
けれど今は違う。大切な友人がいる。
自分を慕う人たちがいる。
その中心には、いつもヴィオレッタがいる。
本人はきっと無自覚なのだろう。
だが、それでいい。それこそがヴィオレッタなのだから。
エマは優しく微笑み、眠る少女の髪をそっと整える。
「素敵なお嬢様になられましたね」
返事はない。規則正しい寝息だけが聞こえる。
それでもエマは満足だった。
静かに部屋を後にする。夜のアルバレス公爵家は穏やかだった。
そして季節は巡り、少女たちは少しずつ成長していく。
今はまだ、それぞれの未来へ向けて歩き始めたばかりだった。




