第20話 悪役令嬢の誕生日会 中編
先ほどまで華やかな音楽と笑い声に包まれていた大広間は、すっかり様子を変えていた。
楽しそうに談笑していた貴族たちは、今では互いの顔色を窺いながら小声で言葉を交わしている。
原因はもちろん、アルバレス公爵家の家宝『星涙の雫』が姿を消したことだった。
「念のため、展示室へ続く通路と出入口を確認してください。屋敷の外にも、不審な者がいなかったか確認を」
お父様が落ち着いた声で指示を出すと、使用人たちは一斉に動き始めた。
その様子を、私はリリ、セレス、カトレアと一緒に見つめていた。
「……大変なことになりましたね」
リリが不安そうに呟く。
「うん。まさか誕生日会でこんなことが起きるなんてね」
セレスも珍しく真剣な顔をしている。
カトレアは腕を組み、少し考えるように展示室の方へ視線を向けていた。
「……星涙の雫って、どんな宝石なんですか?」
リリが小声で尋ねる。
「アルバレス公爵家に代々伝わる家宝らしいわ。とても貴重なものだって聞いたことがある」
セレスが答えると、カトレアも頷いた。
「私も名前は知っているよ。簡単に持ち出せるようなものではないはずだね」
「へえ、そんなに有名なんだ」
私が感心していると、三人がこちらを見た。
「……ヴィオレッタ、君の家の宝石だろう?」
カトレアが少し呆れたように尋ねる。
「うん、そうなんだけど……実はあんまり詳しくなくて」
「えっ、そうなの?」
セレスが驚いた。
「名前は知ってるよ! いつか私が受け継ぐって、お母様から聞いたこともあるし。でも、実物はまだ見たことがないんだ」
「……なるほど」
カトレアは納得したように頷いたけれど、セレスは苦笑している。
「それで、ヴィオレッタはどうするつもり?」
「どうするって?」
「大切な家宝がなくなったんでしょう?」
「うん。だから、探さないとね」
私が答えると、カトレアが少しだけ目を瞬かせた。
「……どうして君は、そんなに落ち着いているんだい?」
「えっ?」
「公爵家の家宝が盗まれたかもしれないんだよ?」
「うーん……」
私は少し考えた。
確かに大変なことだとは思う。
でも、実際に見たこともない宝石だから、突然なくなったと言われても、まだ実感が湧かないのだ。
「……実物を見たことがないから、あんまり思い入れがないのかも?」
「……流石ヴィオレッタね」
セレスが額に手を当てた。
リリも小さく笑う。
「ふふっ、ヴィオレッタ様らしいです」
「そうかな?」
「うん。とても君らしいよ」
カトレアまで微笑んでいる。
(……あれ? 褒められてるのかな?)
何となく違う気がしたけれど、深く考えるのはやめておいた。
「それより、私たちにも何かできないかな?」
私がそう言うと、セレスがすぐに頷いた。
「そうね! せっかくなんだから、手伝えることがあれば手伝いたいわ」
「私も、お役に立てることがあれば……!」
リリも小さく手を挙げる。
カトレアは少し考えてから、穏やかに言った。
「まずは公爵様に相談してみよう。勝手に動いて、使用人たちの邪魔をしてはいけないからね」
「そっか! じゃあ、お父様に聞いてみよう!」
私は三人と一緒に、お父様のもとへ向かった。
◇
「……展示室を見たい?」
お父様は少し驚いたように私たちを見つめた。
「うん! 何か分かるかもしれないし」
「ヴィオレッタ、これは遊びではないんだよ」
「分かってるよ、お父様。だから、勝手には入らないで、ちゃんとお願いしに来たの」
私が答えると、お父様は一瞬目を丸くした。
それから、少し困ったように笑う。
「……なるほど。確かに、そうだね」
お父様は近くにいた使用人へ視線を向けた。
「調査の邪魔にならない範囲で、展示室を見せてあげなさい。ただし、展示品には触れないように」
「かしこまりました」
「ありがとう、お父様!」
私がお礼を言うと、お父様は優しく微笑んだ。
「何か気になることがあれば、必ず大人に伝えるんだよ」
「うん!」
こうして私たちは、使用人さんの案内で展示室へ向かうことになった。
◇
展示室の前には、数人の使用人さんが集まっていた。
部屋の中には絵画や彫刻、装飾品などが並べられていて、中央にはひときわ立派な台座が置かれている。
その上には透明な展示ケースがあった。
けれど、中には何もない。
(……本当に、なくなってるんだ)
私はケースをじっと見つめた。
「最後に宝石を確認したのは、いつですか?」
カトレアが使用人さんに尋ねる。
「一時間ほど前でございます。そのときは、確かに展示されておりました」
「その後、こちらへ入った方は?」
「清掃のため、私ともう一人の使用人が入りました。それ以外にも、お客様が何名かご覧になっていたはずですが……正確な人数までは分かりません」
「なるほど」
カトレアは頷き、部屋を見回した。
扉、窓、展示ケース。
その視線は、まるで剣術の試合で相手の動きを見極めているときのように真剣だった。
「扉に鍵は?」
「ございます。ただ、本日はお客様にご覧いただくため、施錠しておりませんでした」
「じゃあ、誰でも入れたってこと?」
セレスが尋ねる。
「はい。ただし、宝石の展示ケースには鍵が掛かっております」
「その鍵は誰が?」
「公爵様がお持ちです」
「……ケースは、壊されていないんだね」
カトレアが確認すると、使用人さんは頷いた。
「はい。見たところ、破損した様子はございません」
(……うーん)
私は透明なケースを眺めた。
扉は開いていた。
でも、ケースには鍵が掛かっていた。
そして、宝石だけがなくなった。
(……不思議だなぁ)
「ねえ」
私が声をかけると、三人が振り返った。
「どうしたの、ヴィオレッタ?」
「その宝石って、本当にここにあったの?」
使用人さんが驚いたように目を見開いた。
「はい。間違いございません」
「どうして分かるの?」
「展示の準備をした際、私自身が確認しておりますので」
「そっか……」
私はもう一度、台座へ視線を向けた。
(……じゃあ、途中でなくなったんだよね)
当たり前のことだけれど、どうしても気になる。
誰かがケースを開けたのだろうか。
それとも、何か別の方法があったのだろうか。
考えてみたけれど、すぐには答えが出なかった。
◇
しばらくして、私たちは会場へ戻るよう促された。
展示室では、使用人さんたちが引き続き調査を進めるらしい。
大広間に戻ると、招待客たちの間では、先ほど以上に不安そうな声が広がっていた。
「しかし、これほど大切なものがなくなるとは……」
「まったくですな」
「外部から誰かが侵入した可能性は?」
「それは考えにくいでしょう。今日は警備も厳重だったはずです」
そんな会話が、あちらこちらから聞こえてくる。
私はリリたちと一緒に、少し離れたところで様子を見守っていた。
そのときだった。
「……そういえば」
一人の令嬢が、小さく声を上げた。
「エヴァンズ子爵家のご令嬢が、展示室の近くにいらっしゃったのを見たという方がいるそうですわ」
「……え?」
リリが顔を上げた。
周囲の視線が、一斉に彼女へ集まる。
「わ、私……確かに展示室の前を通りました。でも、中には入っていません……」
リリが慌てて説明する。
けれど、別の令嬢が口を挟んだ。
「ですが、星涙の雫がなくなったのは事実でしょう?」
「そ、それは……」
「それに、今日いらしている方々のお顔ぶれを考えると……」
令嬢は言葉を濁しながら、リリへ視線を向けた。
「……ねえ、皆様?」
その意味に気づいたのだろう。
周囲から、ひそひそと声が上がり始めた。
「確かに、エヴァンズ子爵家といえば……」
「他の招待客の方々と比べれば……」
「まさか、そんな……」
リリの肩が小さく震えた。
「……違います。私、何もしていません……」
その声は、いつもよりずっと小さかった。
私はリリの顔を見た。
俯きかけた瞳。
ぎゅっと握りしめられた両手。
今にも泣き出しそうな表情。
(……え?)
胸の奥が、すっと冷たくなった。
(……何、それ)
展示室の近くを通った?
だから何?
それだけで、どうしてリリが疑われなきゃいけないの?
私は一歩、前へ出た。
「……どうして?」
自分でも驚くほど、静かな声が出た。
「……ヴィオレッタ様?」
リリが顔を上げる。
私はそのまま、周囲の令嬢たちを見つめた。
「どうして、リリが疑われるんですか?」
その場が静まり返った。
先ほどまで話していた令嬢が、少し戸惑ったように答える。
「そ、それは……展示室の近くにいらっしゃったと聞きましたので……」
「近くを通っただけですよね?」
「……ええ、ですが」
「それだけで、盗んだことになるんですか?」
誰も答えなかった。
私はもう一歩前へ進み、リリを背に庇うように立った。
「リリは、私の大切な友達です」
自分の声が、思った以上にはっきりと響いた。
「だからといって、何も調べずに無実だと決めつけるつもりはありません。でも、証拠もないのに犯人のように言われるのは、違うと思います」
周囲の空気が変わる。
私はそのまま続けた。
「もし本当にリリが何かしたというのなら、証拠を示してください」
令嬢たちは顔を見合わせた。
「……それは」
「展示室の近くを通った人なら、他にもいるはずです。どうしてリリだけを疑うんですか?」
誰も答えられない。
私は一度、ゆっくり息を吸った。
「それに……」
少しだけ声を強める。
「もし、リリが子爵令嬢だからという理由で疑っているのなら、それはもっと違います」
「…………」
「身分が低いから犯人かもしれないなんて、そんなものは疑う理由にはなりません」
会場が静まり返った。
私は周囲を見渡し、はっきりと告げた。
「ここはアルバレス公爵家です。そして、今日は私の誕生日会です」
少し緊張した。
大勢の大人や貴族たちが、私の言葉に耳を傾けている。
でも、ここで黙るつもりはなかった。
「証拠もなく、私の大切な友達を傷つけることは、やめてください」
その言葉を最後に、私は口を閉じた。
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
◇
「……ヴィオレッタ様」
背後から、震える声が聞こえた。
振り返ると、リリが私を見つめていた。
その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいる。
「……リリ?」
「……ありがとうございます」
リリは小さく呟いた。
私は首を傾げた。
「えっ、どうして?」
「……私のために、あんなふうに……」
「だって、リリは私の友達だもん」
私は当たり前のことを言ったつもりだった。
でも、リリはますます泣きそうな顔になってしまった。
(……あれ?)
どうしよう。
泣かせるつもりなんてなかったのに。
「だ、大丈夫だよ、リリ!」
慌てて手を握る。
「ちゃんと調べれば、きっと分かるから!」
「……はい」
リリは涙を堪えるように頷いた。
そのときだった。
「私も、ヴィオレッタと同じ意見よ」
セレスが一歩前へ出た。
「リリがそんなことをするなんて思えないもの。それに、近くを通っただけで疑うのはおかしいわ」
「……セレスティア様」
リリが顔を上げる。
続いて、カトレアも私たちの隣に並んだ。
「私も同意するよ」
カトレアは落ち着いた声で続ける。
「現状、リリアーナ様を犯人だとする証拠は何もない。展示室の近くを通ったという証言だけでは、不十分だね」
「ですが……」
先ほどの令嬢が何か言いかける。
けれど、カトレアは穏やかな表情のまま首を横に振った。
「それに、今は犯人を決めつけるよりも、何が起きたのかを確かめる方が先ではないかな?」
その言葉に、令嬢は口を閉じた。
私は小さく頷いた。
(……うん、そうだよね)
そもそも、まだ盗まれたと決まったわけでもない。
何かの間違いかもしれないし、別の場所に移されただけかもしれない。
(……あれ?)
そこで、ふと気になった。
「ねえ、カトレア」
「何だい?」
「今日って、こんなにたくさん人がいるよね?」
「ああ、そうだね」
「だったら、どうしてわざわざ今日なんだろう?」
セレスが首を傾げる。
「……何のこと?」
「宝石を盗むなら、もっと人が少ない日の方が簡単じゃない?」
三人が顔を見合わせた。
「……確かに、それは一理あるね」
カトレアが頷く。
「でも、今日だからこそできることもあるかもしれないわ」
セレスが考え込む。
「例えば?」
「普段は入れない展示室に入れたり、人が多いから誰がどこにいるか分かりにくかったり……」
「……あっ」
私は思わず声を上げた。
(……そっか!)
今日は誕生日会だから、普段は閉まっている展示室が開放されていた。
大勢のお客さんがいるから、使用人さんたちも忙しい。
(……じゃあ、今日を狙う理由はあるんだ)
けれど、まだ気になることがあった。
「……そういえば」
私は小さく呟いた。
「星涙の雫って、今日初めてみんなに見せる予定だったんだよね?」
近くにいたエマが頷いた。
「はい。お嬢様の十歳のお誕生日に合わせて、特別に展示することになっておりました」
「……じゃあ、普段はどこにあるの?」
「保管庫にございます。展示の際には、専用の箱に入れて運ばれます」
「ふーん……」
私は少し考えた。
展示室には鍵の掛かったケースがある。
でも、そのケースは壊されていなかった。
それなのに、宝石はなくなっていた。
(……もしかして)
「ねえ、エマ」
「はい、お嬢様」
「その宝石って、展示室に運ぶ前に誰かが確認したの?」
エマは少し考え込んだ。
「……申し訳ございません。詳しいことは、展示の準備を担当した者でなければ……」
「そっか」
私は頷いた。
(……じゃあ、まだ分からないんだ)
展示室にあったと思っていた宝石が、実は最初からなかったとしたら?
そう考えると、調べる場所が変わってくる。
「……ねえ」
私は三人へ向き直った。
「探すところが違うのかもしれない」
「……どういうこと?」
セレスが尋ねる。
「展示室じゃなくて、宝石を運んできたときのことを調べた方がいいんじゃないかな」
カトレアが目を細めた。
「……なるほど。展示ケースに入れる前に、何かが起きていた可能性もあるということか」
「うん! まだ分からないけど」
「それなら、保管庫や運搬に使った箱を確認してみる価値はあるね」
カトレアが頷いた、そのときだった。
「お、お嬢様!」
廊下の向こうから、使用人さんが慌てて駆けてきた。
「どうしたの?」
「星涙の雫を運搬した箱を確認したのですが……!」
使用人さんは息を整えながら続けた。
「中に、見覚えのないものが入っておりまして……!」
「……見覚えのないもの?」
私は首を傾げた。
「はい。公爵様にもご報告したのですが、至急ご確認いただきたいと……」
「……分かった!」
私は頷き、お父様の方へ視線を向けた。
ちょうどこちらへ歩いてきたお父様が、私たちを見て小さく頷く。
「ヴィオレッタ、君も気になるんだろう?」
「うん!」
「では、一緒に確認しよう。ただし、勝手に触ってはいけないよ」
「はい!」
私は元気よく返事をした。
「行こう、みんな!」
「ちょっと、ヴィオレッタ! そんなに急がなくても!」
セレスが慌てて追いかける。
「ふふっ、相変わらず行動が早いね」
カトレアも笑いながら続いた。
「ま、待ってください、ヴィオレッタ様!」
リリも私たちの後を追う。
先ほどまで不安そうだったその表情には、少しずつ笑顔が戻っていた。
(……よかった)
私は胸の中で小さく呟いた。
もちろん、事件はまだ解決していない。
星涙の雫がどこへ消えたのかも、誰が持ち去ったのかも分からない。
けれど、今は一つだけ確かなことがある。
(……リリを、あんなふうに悲しませたくない)
そのためにも、ちゃんと何が起きたのか確かめたい。
そう思いながら、私は三人と一緒にお父様の後を追った。
こうして、私たち四人は、思いがけず公爵家の家宝消失事件に関わることになったのだった。




