第19話 悪役令嬢の誕生日会 前編
ヴィオレッタ・アルバレス、十歳。
今日は、私の誕生日だ。
朝から屋敷の中はいつも以上に慌ただしく、廊下を行き交う使用人たちの足音が絶えない。
窓の外を覗けば、正門から次々と馬車が入ってくるのが見えた。
(……うわぁ、すごい数)
去年も誕生日会は開かれたけれど、十歳という節目だからなのか、今年は特に盛大らしい。
「お嬢様、そろそろお支度を始めますよ」
背後からエマの声が聞こえた。
振り返ると、彼女は淡い紫色のドレスを抱えて立っていた。
胸元には小さな花の刺繍が施され、裾には繊細なレースがあしらわれている。
「わぁ、可愛い!」
「奥様がお嬢様のために選ばれたものです」
「お母様が?」
「はい。きっとよくお似合いになりますよ」
エマは嬉しそうに微笑んだ。
それからしばらくして、私は鏡の前に立っていた。
淡い紫色のドレスに、銀色の髪を飾る小さなリボン。鏡の中には、いつもより少しだけ大人びた自分が映っている。
(……うん、なかなかいい感じ!)
前世では、こんなに豪華な誕生日会なんて経験したことがなかった。
そもそも、これだけ大勢の人に祝われるなんて、今でも少し不思議な気分だ。
「お嬢様、本当にお綺麗です」
「ありがとう、エマ!」
「……もう十歳になられたのですね」
エマがしみじみと呟く。
「ついこの間まで、あんなに小さかったのに……」
「えっ、今も小さいと思うけど?」
「ふふっ、そういう意味ではありませんよ」
エマは楽しそうに笑った。
私は首を傾げたけれど、何となく嬉しそうだったので、それ以上は聞かなかった。
◇
誕生日会の会場となる大広間には、すでに多くの招待客が集まっていた。
華やかなドレスに身を包んだ令嬢たち、立派な正装の貴族たち。天井から吊るされた大きなシャンデリアが、会場全体を明るく照らしている。
その中央には、お父様とお母様。
そして、今日の主役である私が立っていた。
「ヴィオレッタ、緊張しているかい?」
お父様が小さな声で尋ねてきた。
「……ちょっとだけ」
「ふふっ、大丈夫よ。いつもどおり笑っていればいいの」
お母様が優しく微笑む。
「はい!」
私は小さく頷いた。
すると、お父様が一歩前へ出る。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
その声に、会場が静まり返った。
「本日は、娘ヴィオレッタの十歳の誕生日を祝うため、この場を設けました。皆様とともに、この日を迎えられたことを嬉しく思います」
お父様の挨拶が終わると、会場から温かな拍手が起こった。
私は少し照れながらも、丁寧に一礼する。
(……よし、ちゃんとできた!)
その後は、招待客の皆さんから次々とお祝いの言葉をいただいた。
「ヴィオレッタ様、お誕生日おめでとうございます」
「ますますお美しくなられましたな」
「将来が楽しみですわ」
「ありがとうございます」
私は一人ひとりに笑顔で挨拶を返していく。
正直なところ、少し疲れる。
でも、わざわざ私の誕生日を祝うために来てくれた人たちなのだから、きちんとお礼を伝えたい。
(……それに、昔の私だったら、こんなこと考えなかったかも)
前世の記憶を取り戻す前の私は、きっとこういう場を退屈に思っていたのだろう。
けれど、今は違う。
相手がどんな気持ちで声をかけてくれているのか、少しは考えられるようになった気がする。
ふと会場の端を見ると、エマがこちらを見つめていた。
目が合うと、彼女は嬉しそうに微笑む。
(……エマ?)
何だか少し感動しているように見えたけれど、気のせいかな。
◇
一通りの挨拶が終わり、ようやく自由に動けるようになった頃。
「ヴィオレッタ様!」
聞き慣れた声が響いた。
振り返ると、淡い桃色のドレスを着たリリがこちらへ歩いてきていた。
その隣には、明るい表情のセレス。
さらに、落ち着いた青色のドレスを着たカトレアもいる。
「リリ! セレス! カトレア!」
思わず顔がほころんだ。
「来たわよ、ヴィオレッタ!」
セレスが嬉しそうに笑う。
「お誕生日おめでとうございます、ヴィオレッタ様」
リリが丁寧に頭を下げた。
「十歳の誕生日、おめでとう。ヴィオレッタ」
カトレアも穏やかに微笑む。
「ありがとう! 三人とも来てくれて嬉しい!」
そう言うと、三人は顔を見合わせて笑った。
大勢の招待客に囲まれるのも嬉しいけれど、やっぱり友達の顔を見ると安心する。
(……ああ、なんだかほっとするなぁ)
「それにしても、すごい人ね」
セレスが会場を見回す。
「うん。私もびっくりしてる」
「主役なのに?」
「主役だからこそ、かな?」
私が首を傾げると、セレスは楽しそうに笑った。
「ふふっ、ヴィオレッタらしいわ」
「えっ、そう?」
「ええ、とっても」
隣でカトレアまで頷いている。
(……どういう意味だろう?)
よく分からないけれど、三人とも楽しそうなので、まあいいか。
◇
「さて、それじゃあ」
セレスが少し得意げに笑った。
「そろそろ、私たちからのお祝いを渡してもいいかしら?」
「お祝い?」
「もちろん、誕生日プレゼントよ!」
「えっ、本当!?」
思わず身を乗り出すと、セレスが嬉しそうに頷いた。
「ふふっ、そんなに驚かなくてもいいのに」
「だって、楽しみなんだもん!」
その言葉に、リリが少し緊張した様子で前へ出た。
「で、では、私からお渡ししてもよろしいでしょうか」
「もちろん!」
リリは大切そうに抱えていた小箱を差し出した。
「気に入っていただけるか分かりませんが……」
「ありがとう、リリ! 開けてもいい?」
「はい!」
箱の蓋をそっと開ける。
中に入っていたのは、一枚の白いハンカチだった。
けれど、ただのハンカチではない。
角には可愛らしい花の刺繍が施され、その隣には小さく『V』の文字が縫い込まれていた。
「……わぁ」
思わず声が漏れる。
細かな糸で描かれた花びらは一枚一枚丁寧で、色の組み合わせもとても綺麗だった。
「……これ、リリが作ったの?」
「は、はい」
「全部?」
「全部です。少し時間がかかってしまいましたけれど……」
リリは恥ずかしそうに微笑んだ。
私はもう一度ハンカチを見つめる。
(……すごい)
こんなに細かい刺繍、私には絶対にできない。
しかも、私のために作ってくれたなんて。
「……リリ」
「は、はい!」
「ありがとう。すっごく嬉しい!」
私が笑うと、リリの表情がぱっと明るくなった。
「……本当ですか?」
「うん! 宝物にするね!」
「っ……!」
リリは一瞬固まったあと、耳まで真っ赤になってしまった。
「そ、そんな……ありがとうございます……!」
(……あれ? どうしてリリがお礼を言うんだろう)
不思議に思ったけれど、嬉しそうなので気にしないことにした。
「次は私ね!」
セレスが待ちきれないといった様子で前に出た。
差し出された箱を開けると、中には小さな木製のオルゴールが入っていた。
蓋には花と星の模様が彫られていて、細かな装飾がとても綺麗だ。
「わぁ……!」
「ねえ、ゼンマイを回してみて!」
言われたとおりに回してみる。
すると、優しい音色が流れ始めた。
澄んだ音が重なり合い、どこか懐かしいような旋律が部屋の賑わいの中に広がっていく。
「……綺麗な音」
私は思わず目を閉じた。
曲が終わると、もう一度ゼンマイを回す。
そして、さらにもう一度。
「……ヴィオレッタ?」
セレスが少し不安そうに声をかけてきた。
「気に入った?」
「うん! 大好き!」
即答すると、セレスの顔が一気に明るくなった。
「本当!?」
「うん! お部屋に置く! 毎日聴くね!」
「やった!」
セレスは嬉しそうに両手を上げた。
その姿を見て、私もつられて笑ってしまう。
「でも、どうしてオルゴールにしたの?」
ふと気になって尋ねると、セレスは得意げに胸を張った。
「ヴィオレッタが迷子になったとき、寂しくないようにと思って!」
「…………」
一瞬、言葉が出なかった。
「……迷子になる前提なの?」
「うん!」
「即答!?」
思わず声を上げると、リリが口元を押さえて笑い始めた。
カトレアも肩を震わせている。
「だって、ヴィオレッタってすぐ迷子になるじゃない」
「そ、それはそうだけど……!」
否定しようとして、できなかった。
(……うぅ、反論できない)
結局、四人で笑ってしまった。
「さて、最後は私だね」
笑いが落ち着いたところで、カトレアが一歩前に出た。
その手には、小さな箱がある。
「私からも、贈り物を用意したんだ」
「ありがとう、カトレア!」
箱を受け取り、そっと蓋を開ける。
そして――
「……っ!」
思わず息を呑んだ。
中に入っていたのは、小さなフェネットのぬいぐるみだった。
ふわふわの毛並みに、大きな耳。丸い瞳がこちらを見つめている。
「……可愛い!」
私は思わず抱き上げた。
「すごい! 耳がふわふわ!」
そっと撫でてみる。
柔らかい。
もう一度撫でる。
やっぱり柔らかい。
「……可愛い……!」
思わずぎゅっと抱きしめた。
「見て、エマ!」
少し離れたところにいたエマを呼ぶと、彼女は笑顔で近づいてきた。
「まあ、可愛らしいですね」
「でしょ!? すっごく可愛いの!」
「はい。お嬢様にぴったりですね」
「……可愛い……」
「ふふっ、本当にお気に召されたのですね」
気づけば、私はずっとぬいぐるみを撫でていた。
その様子を見て、セレスとリリが楽しそうに笑っている。
「ヴィオレッタ、すっかり夢中ね!」
「ふふっ、本当に可愛らしいです」
カトレアは少し照れくさそうに微笑んだ。
「……気に入ってもらえたようで、よかったよ」
「うん! ありがとう、カトレア!」
私はぬいぐるみを抱きしめたまま笑った。
「大切にするね!」
「……ああ」
カトレアはいつもどおり落ち着いた声で答えたけれど、その頬はほんの少しだけ赤くなっていた。
(……あれ、照れてる?)
そう思ったけれど、何となく口には出さなかった。
それから私たちは、しばらく四人で楽しくおしゃべりを続けた。
リリの刺繍の話、セレスが選んでくれたオルゴールの話、カトレアがぬいぐるみを見つけたときの話。
どれも楽しくて、気づけば時間があっという間に過ぎていた。
(……誕生日って、いいなぁ)
前世でも誕生日は好きだったけれど、今はそれ以上に嬉しい。
こんなに大切な友達ができるなんて、少し前の私には想像もできなかった。
◇
三人といったん別れたあと、私は会場をゆっくりと歩いていた。
贈り物はエマに預けてあるので、今は手ぶらだ。
華やかなドレスに身を包んだ令嬢たちや、楽しそうに談笑する貴族たち。
公爵家の誕生日会らしい賑わいが続いている。
(……それにしても、本当にいろんな人がいるなぁ)
そんなことを考えながら歩いていると、ふと気になることがあった。
(……そういえば)
私は周囲を見回した。
(婚約者候補とか、いないんだ)
前世の知識では、貴族の婚約は案外早い。
特に公爵家の令嬢ともなれば、家同士のつながりを考えて、幼い頃から婚約の話が持ち上がっていてもおかしくないはずだ。
(……まだ十歳だからかな?)
そう考えてみる。
けれど、これだけ大勢の貴族が集まっているのに、私の婚約についての話はまったく聞こえてこない。
(……うーん、不思議)
もちろん、婚約者なんて今すぐ欲しいわけじゃない。
むしろ、できればまだ考えたくないくらいだ。
(……だって、今は友達と遊んでる方が楽しいし!)
それに、私はこの世界が前世で知っていた乙女ゲームの世界だと知っている。
婚約なんて言葉を聞くと、どうしても将来のことが気になってしまう。
(……まあ、お父様とお母様が何も言わないなら、今は気にしなくていいかな)
私はそう結論づけ、近くのテーブルに並んでいたお菓子へ視線を向けた。
(……あ、あの焼き菓子おいしそう!)
ちょうど一つ取ろうとした、そのときだった。
「旦那様!」
慌ただしい声が会場に響いた。
驚いて振り返ると、一人の使用人がお父様のもとへ駆け寄っている。
その顔は青ざめていた。
「どうした?」
お父様が静かに尋ねる。
使用人は一度息を整えようとしたものの、焦りを隠せない様子で口を開いた。
「展示室の……『星涙の雫』が……!」
その名前を聞いた瞬間、近くにいた貴族たちの表情が変わった。
(……星涙の雫?)
私も思わず首を傾げる。
もちろん、名前は知っている。
アルバレス公爵家に代々伝わる家宝で、美しい青い輝きを持つ宝石だ。
いつか私が受け継ぐことになると、お母様から聞いたことがある。
その宝石が、どうしたんだろう。
「……何があった?」
お父様の声が低くなる。
使用人は震える声で答えた。
「……ありません! 展示室に保管されていたはずの『星涙の雫』が、なくなっているのです!」
「…………え?」
思わず声が漏れた。
一瞬、会場が静まり返る。
そして、次の瞬間。
「盗難ですって?」
「まさか、この屋敷で?」
「一体、誰が……?」
ざわめきが広がっていった。
お父様は険しい表情で使用人に何かを指示している。
お母様も驚いていたけれど、すぐに落ち着きを取り戻し、周囲の貴族たちへ声をかけ始めた。
(……えっと)
私は状況を整理しようとした。
今日は私の誕生日会。
たくさんのお客さんが来ている。
そして、家宝がなくなった。
(……これって、結構大変なことなんじゃ……)
いや、結構どころではない。
公爵家の家宝が消えたのだから、大事件だ。
(……でも、どうして今日なんだろう?)
そんなことを考えていると、少し離れたところにいた三人と目が合った。
リリ、セレス、カトレア。
なぜか三人とも、私の方をじっと見つめている。
「……どうしたの?」
私が首を傾げると、セレスが小さくため息をついた。
「……なんだか、嫌な予感がするわ」
「えっ、何が?」
「ヴィオレッタ、また何かに巻き込まれそうな気がするんだよね」
カトレアも苦笑する。
「そ、そんなことないよ!」
慌てて否定すると、リリが困ったように微笑んだ。
「……でも、ヴィオレッタ様ですから」
「リリまで!?」
三人は顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
(……もう、みんなひどい!)
私は頬を膨らませた。
けれど、次の瞬間には、もう一度お父様の方へ視線を向けていた。
(……でも、本当にどうしたんだろう)
『星涙の雫』。
いつか私が受け継ぐはずだった、大切な家宝。
それが、私の十歳の誕生日に突然姿を消した。
もちろん、このときの私はまだ知らなかった。
この小さな疑問が、思いがけない騒動の始まりになることを。
こうして、私の十歳の誕生日会は、予想もしなかった方向へ進み始めたのだった。




