第16話 誕生日会の主役
カトレアの誕生日会当日。
アイゼンベルク伯爵家の屋敷は朝から慌ただしかった。
使用人たちが忙しそうに行き交う。
庭には来客を迎えるための準備が整えられていた。
今日は伯爵家の令嬢、カトレアの誕生日会である。
侍女が差し出した服を見て、カトレアは小さく息を吐いた。
「こちらをご用意いたしました」
見慣れた正装だ。騎士を思わせる濃紺の衣装。
似合うと皆がそう言う。
だからずっと着続けてきた。
(……今年もこれか)
そう思いながら視線を落とす。
部屋の隅には小さな箱が置かれている。
花柄の小物、可愛らしいリボンにお気に入りのハンカチ。
そしてぬいぐるみたち。誰にも見せていない宝物だった。
(仕方ないな)
そう思った時だった。コンコン――扉が叩かれる。
「お嬢様」
「どうした?」
「アルバレス公爵家のヴィオレッタ様がお見えになりました」
カトレアが目を瞬かせた。
「もう来たのか?」
予定よりかなり早い。
◇
その頃、ヴィオレッタは屋敷の中を歩いていた。
「ヴィオレッタ様、会場はこちらです」
使用人が丁寧に案内してくれる。
「うん」
「こちらです」
「ええ」
返事をしながら別方向へ進もうとしていた。
「そちらではありません!」
「あれ?」
気付けば迷いかけていた。いつものことである。
そんな時、廊下の向こうから声が聞こえた。
「本日の正装はこちらになります」
「ありがとう」
聞き覚えのある声だった。
ヴィオレッタはそちらを見る。
少し開いた扉の向こうにカトレアがいた。
そして手には騎士風の正装。誕生日会の衣装なのだろう。
カトレアは微笑んでいた。けれど、
「カトレア?」
「ヴィオレッタ?」
思わぬ来訪にカトレアが驚く。
「その服着るの?」
「ああ」
「今日の正装だからな」
「そうなんだ」
ヴィオレッタは少し考え、そして――
「着たいの?」
そう聞くと、カトレアが固まる。
「似合うと思うよ」
ヴィオレッタは続ける。
「でも」
「でも?」
「本当に着たい服なのかなって」
静かな声。カトレアは答えられない。
父や兄たちも褒める。令嬢たちも憧れる。
だから、ずっとそれで良いと思っていた。
可愛いものが好きなことも、可愛い服に憧れていることも。
胸の奥にしまっていた。
「私は……」
小さく呟く。
「うん」
「一度だけ」
「一度だけでいいから」
視線を伏せた。
「可愛いドレスを着てみたいと…思ったことはある」
初めて口にした本音だった。
少しだけ怖かった。
笑われるかもしれない、呆れられるかもしれない。
「そうなんだ」
ヴィオレッタは微笑んだ。
「じゃあ着よう!」
「……え?」
「着たいんでしょ?」
あまりにも自然だった。まるで当たり前のことのように。
「そんな簡単な話じゃない」
「そう?」
「父上も兄上たちも今の私を気に入っている」
「うん」
「皆が期待している」
「そう」
ヴィオレッタは静かに頷く。
「でも」
そう言って笑った。
「今日はカトレアの誕生日だよね?」
「そうだが」
「だったら一番わがまま言っていい日じゃない?」
カトレアが目を見開く。
わがまま、そんな発想はなかった。
「主役なんだから、一番やりたいことをしていいんだよ」
ヴィオレッタは当たり前のように言う。
その言葉にカトレアは何も言えなかった。
ただ、胸の奥が少し温かくなるのを感じていた。
その時だった、勢いよく扉が開く。
「ヴィオレッター!」
セレスティアだった。
「また迷子になったのかと思ったら何してるの?」
そして状況を見る。
「……何してるの?」
「ドレス選び」
ヴィオレッタが答えた。
「は?」
こうして、カトレアの誕生日会は、少しだけ予定とは違う方向へ進み始めるのだった。




