第10話 交流会~後編~
ルミナス侯爵家主催の児童交流会は、私が想像していたよりもずっと賑やかだった。
庭園では、令嬢や子息たちが思い思いに交流を深めている。
花の話、本の話、将来の夢にお気に入りのお菓子。話題は尽きず、あちらこちらから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
(……交流会って、もっと堅苦しいものだと思ってた)
前世のグループワークを思い出して憂鬱になっていたけれど、どうやら心配しすぎだったらしい。
「ヴィオレッタ様!」
元気な声が飛んできた。
振り返ると、セレスティア様が大きく手を振っている。
つい先ほど、木から救出されたばかりだというのに、もうすっかり元気を取り戻していた。
(……本当に元気だなぁ)
私は思わず笑ってしまった。
「セレスティア様、もう大丈夫なの?」
「もちろん! どこも痛くないわ」
「それならよかった。でも、もう木には登らないでね?」
「……努力するわ!」
「そこは約束してほしいな!?」
私が慌てて言うと、セレスティア様は楽しそうに笑った。
隣にいたリリまで、くすくすと笑っている。
(……まあ、元気なのはいいことだけど)
そんなことを考えながら、私たちは交流会の催しへと向かった。
◇
最初に行われたのは、王国の歴史や文化に関するクイズ大会だった。
参加者はいくつかの組に分かれ、司会役の大人が出す問題に答えていく。
「それでは、次の問題です」
司会役の女性が微笑んだ。
「王国の建国に大きく貢献した四つの公爵家を、お答えください」
(……えっ)
私は思わず固まった。
(四大公爵家!?)
待って。
確か、歴史の授業で習ったはずだ。
アルバレス家は分かる。自分の家だから。
あとは……。
(……グランディア? ヴァレンシュタイン?)
頭の中で必死に教科書をめくる。
けれど、最後の一つがどうしても出てこない。
そのときだった。
「はい!」
隣から、迷いのない声が上がった。
セレスティア様だ。
「アルバレス、グランディア、ヴァレンシュタイン、そしてエルディアの四家です!」
「正解です!」
司会役の女性が嬉しそうに頷いた。
周囲から感嘆の声が上がる。
「さすがセレスティア様ですわ!」
「本当に博識でいらっしゃるのね」
「難しい問題でしたのに」
セレスティア様は、にこやかに微笑んだ。
「ありがとうございます」
(……すごい)
私は素直に感心してしまった。
あの問題を、あんなに迷いなく答えられるなんて。
(……私なんて、自分の家が入ってることしか自信なかったのに)
少し情けない。
すると、セレスティア様がこちらを向いた。
「ヴィオレッタ様は、どこまで分かった?」
「……三つ」
「三つも分かったの? すごいじゃない!」
「……いや、うち一つは自分の家なんだけど」
「それでも三つよ!」
セレスティア様は楽しそうに笑った。
その笑顔につられて、私も笑ってしまう。
(……本当に明るい子だなぁ)
けれど、周囲の令嬢たちから再び褒め言葉が飛んできたとき。
セレスティア様の笑顔が、ほんの一瞬だけ変わった気がした。
「ルミナス侯爵家のご令嬢は、やはり違いますわね」
「将来が楽しみですわ」
「……ありがとうございます」
声も、表情も、先ほどとほとんど変わらない。
それなのに。
(……あれ?)
私は首を傾げた。
さっきまでの笑顔と、何かが違う。
……気のせいだろうか。
◇
クイズ大会のあとは、庭園散策や花壇の手入れ体験が行われた。
セレスティア様は、どの催しでも目立っていた。
花の名前を聞かれれば答えられるし、庭師の説明にも熱心に耳を傾けている。
それだけではない。
年下の子が道具の扱いに困っていると、すぐに駆け寄って手を貸していた。
「こう持つと、使いやすいわよ」
「……ありがとうございます!」
「どういたしまして!」
その姿は、木登りをしていた少女と同じくらい自然だった。
(……やっぱり優しい子なんだ)
私は嬉しくなった。
けれど、その後も気になることがあった。
「セレスティア様は、本当に何でもおできになるのですね」
「ルミナス侯爵家の後継者にふさわしいお方ですわ」
「……ありがとうございます」
褒められるたびに、セレスティア様は綺麗な笑顔を浮かべる。
背筋を伸ばし、言葉遣いを整え、誰に対しても礼儀正しく振る舞う。
それは、まさに理想的な侯爵令嬢の姿だった。
(……でも)
私は、さっきの木登りを思い出した。
小鳥を助けるために、ドレス姿のまま木に登ってしまった少女。
枝にぶら下がりながら、私と一緒に笑っていた少女。
あのときのセレスティア様は、もっと自由で、表情もころころ変わっていた。
(……今は、頑張ってる感じがする)
もちろん、貴族の令嬢なのだから、きちんと振る舞うのは大切だ。
私だって、エマに毎日のように注意されている。
でも。
(……ずっとあんなに気を張ってたら、疲れないのかな)
そんな疑問が、頭から離れなかった。
◇
交流会も終盤に差しかかった頃。
私たちは木陰のテーブルを囲み、お茶を飲みながら将来の話をしていた。
「セレスティア様は、将来ルミナス侯爵家を継がれるのですよね?」
一人の令嬢が尋ねた。
セレスティア様は、すぐに頷いた。
「ええ、もちろんよ!」
その声には、迷いがなかった。
「私はルミナス侯爵家の一人娘だもの。お父様やお母様が大切にしてきたものを、きちんと受け継ぎたいと思っているわ」
「まあ、立派ですわ」
「さすがセレスティア様ですわね」
周囲の令嬢たちが感心したように頷く。
私も、素直にすごいと思った。
(……もうそんなことまで考えてるんだ)
同じ9歳なのに。
私はまだ、将来のことなんて漠然としか考えられていない。
破滅を回避して、平和に暮らしたい。
今のところ、それが一番の目標だ。
(……比べるのも失礼かもしれないなぁ)
そんなことを考えていたときだった。
ふと、テーブルの下に視線が落ちた。
セレスティア様の手が、膝の上でぎゅっと握られている。
「……?」
私は顔を上げた。
彼女は、いつもどおり微笑んでいる。
けれど、その笑顔は先ほどよりも硬く見えた。
(……どうしたんだろう)
侯爵家を継ぐことが嫌なのだろうか。
いや、さっきの言葉に嘘があるようには思えなかった。
むしろ、家を大切にしていることは伝わってきた。
(……だったら、どうして?)
考えても、答えは出ない。
私は何も言わず、そっと紅茶を口に運んだ。
◇
やがて、交流会はお開きとなった。
参加者たちはそれぞれ帰り支度を始め、庭園には使用人たちが行き交っている。
「ヴィオレッタ様、そろそろお時間でございます」
エマが声をかけてきた。
「うん、分かった」
私はリリと別れの挨拶を交わし、馬車へ向かおうとした。
そのとき、離れた場所にセレスティア様の姿が見えた。
庭園の端。
花壇のそばに、一人で立っている。
さっきまで大勢の令嬢たちに囲まれていたのに、今は誰とも話していなかった。
(……あれ?)
私は足を止めた。
セレスティア様は、ぼんやりと花壇を眺めている。
肩の力が抜け、表情も穏やかだった。
けれど、どこか疲れているようにも見えた。
「……エマ、少しだけ待ってて」
「お嬢様?」
「すぐ戻るから!」
そう言って、私はセレスティア様のもとへ向かった。
◇
「セレスティア様」
声をかけると、彼女が振り返った。
「あら、ヴィオレッタ様!」
いつもの明るい笑顔だ。
「どうしたの? もう帰るところでしょう?」
「うん。そうなんだけど……」
私は言葉に詰まった。
(……何て聞けばいいんだろう)
別に、何かあったと決まったわけじゃない。
勝手に心配して、余計なお世話だったらどうしよう。
そんなことを考えていると、セレスティア様が不思議そうに首を傾げた。
「……ヴィオレッタ様?」
「……あのね」
私は思い切って口を開いた。
「疲れてない?」
「……え?」
セレスティア様が目を丸くした。
「今日、ずっと頑張ってたみたいだから」
「……」
「大丈夫かなって思って」
沈黙が落ちた。
風が吹き、庭園の木々が静かに揺れる。
セレスティア様は、驚いたように私を見つめていた。
「……そんなことないわ!」
やがて、彼女は明るい声で答えた。
「私は元気よ! ほら、このとおり!」
そう言って、両手を広げてみせる。
(……うん、元気そうではあるけど)
私は彼女の顔を見つめた。
「……本当に?」
「もちろん!」
即答だった。
けれど、セレスティア様はすぐに視線を逸らした。
(……やっぱり、何かあるのかな)
でも、無理に聞くのも違う気がした。
今日会ったばかりなのだ。
いきなり踏み込んだことを聞かれても、困ってしまうだろう。
私は考えてから、笑顔を浮かべた。
「……そっか! それならよかった」
「……え?」
「でも、疲れたときは休んでもいいと思うよ」
セレスティア様が、もう一度こちらを見た。
「……休む?」
「うん。私なんて、勉強してるとすぐ休憩したくなるし」
「……ふふっ」
セレスティア様が小さく笑った。
「それは、休みすぎじゃない?」
「……エマにも同じこと言われる」
そう答えると、今度ははっきりと笑い声が返ってきた。
(……あ)
さっきまでとは違う。
木の上で笑っていたときと同じ、自然な笑顔だった。
「……ヴィオレッタ様って、面白い子ね」
「えっ、そう?」
「ええ。とっても」
セレスティア様は楽しそうに微笑んだ。
そのとき、遠くから声が聞こえてきた。
「セレスティア様!」
ルミナス家の侍女だった。
「そろそろお時間でございます」
「あっ、もうそんな時間?」
セレスティア様が振り返る。
それから、私へ向き直った。
「……今日はありがとう、ヴィオレッタ様」
「ううん。こちらこそ!」
「また、お話ししましょうね」
「うん! 楽しみにしてる」
私が手を振ると、セレスティア様も笑顔で手を振り返してくれた。
その表情は、最初に出会ったときと同じくらい明るかった。
◇
その夜。
ルミナス侯爵邸の一室で、セレスティアはベッドに横になっていた。
けれど、なかなか眠れない。
「……変な子」
ぽつりと呟く。
頭に浮かぶのは、交流会の最後に交わした言葉だった。
『疲れてない?』
『今日、ずっと頑張ってたみたいだから』
そんなことを言われたのは、初めてだった。
父も母も、先生たちも、いつも自分を褒めてくれる。
侯爵家の後継者として、よく頑張っている。
立派な令嬢になれる。
そう言われるたびに、嬉しかった。
期待に応えたいと思った。
だから、勉強も礼儀作法も、一生懸命頑張ってきた。
それなのに。
(……疲れてるように見えたのかな)
セレスティアは、自分の手を見つめた。
今日の交流会では、失敗しないようにと何度も拳を握りしめていた。
本当は、クイズ大会だって緊張していた。
もし答えを間違えたら。
もし、皆の期待を裏切ってしまったら。
そんなことを考えてしまう自分がいた。
(……でも、ヴィオレッタ様は)
木に登ってしまった自分を見て、驚きながらも笑っていた。
侯爵家の後継者としてではなく、ただのセレスティアとして話しかけてくれた。
そして、最後には。
『疲れたときは休んでもいいと思うよ』
あんなことを、当たり前みたいに言ってくれた。
「……本当に、変な子」
もう一度呟く。
けれど、今度は自然と笑みがこぼれた。
(……また、お話ししたいな)
セレスティアは目を閉じた。
その夜は、不思議と穏やかな気持ちで眠ることができた。
◇
翌朝。
セレスティアは、いつもより早く机に向かっていた。
目の前には、真新しい便箋が一枚。
「……何て書こうかしら」
ペンを持ったまま、考え込む。
お礼の手紙なら、もっと格式ばった文章にするべきだろうか。
それとも、普通に書いてもいいのだろうか。
しばらく悩んだ末、セレスティアは小さく笑った。
「……まあ、いいわよね」
そして、便箋の一番上に、丁寧な文字で書き始めた。
『ヴィオレッタ様へ』
昨日会ったばかりの、銀髪の公爵令嬢。
自分のことを、疲れていないかと心配してくれた女の子。
(……今度は、もっといろんなお話がしたい)
セレスティアはペンを走らせた。
『昨日はありがとうございました! ヴィオレッタ様とお話しできて、とても楽しかったです』
そこで一度、手を止める。
そして、考えてから、もう一文を書き加えた。
『それから、今日はちゃんと休憩もしたんですよ!』
書き終えたセレスティアは、満足そうに頷いた。
「……ふふっ」
返事が届くのは、きっと数日後。
それまでの時間さえ、今は楽しみに思えた。




